35 異物付着
戦争終結後しばらくたってから、スティーブは金を受け取るためにオーロラの元を訪れていた。いつもの執務室には、スティーブとオーロラ、それにハリーとベラがいた。
戦争以来、ベラはスティーブと一緒に行動するようになっていた。未成年ではあるが、特例として従士にとりたてて、アーチボルト家から給金も出ている。
スティーブは目録をオーロラから手渡され、その内容に目を通す。
「これが参戦してくれた分の代金で、とらえた国王と貴族の身代金は別。身代金は莫大になったわね」
「老後の心配はしなくてよさそうですね」
「あまり嬉しそうじゃないわね」
目の眩むような金額にスティーブは素っ気なく回答した。
すでに銅先物の仕手戦で稼いだお金があり、臨時収入としては嬉しかったが、工場経営の営業利益の確保が目標であり、臨時収入はあくまでも臨時収入という認識であった。
「嬉しくはありますが、目標は臨時収入に頼らなくても領地経営が黒字になることですから」
「百年は無税でもよさそうなくらい稼いでいるじゃない。それでも足りないの?」
「無税に出来るのはありがたいですね。そのおかげで景気が良くなっているのはあります」
「そういえば、最近新しく提唱された経済学とかいう理論で、税を下げる事で景気が良くなるというのがあったわね」
「流石閣下、最新の理論をもうすでにお耳に入れているとは驚きました」
減税と国家、領主による積極投資の景気対策効果の比較については、スティーブの前世知識を元にシリルが王立研究所に報告書を提出している。対策効果の算出式などはスティーブの知る所ではないが、そういったものがあるという話があれば、それを研究するのが研究所の仕事である。
まずは仮説を立てて、それを検証するという流れになるのだが、検証に協力してくれる領主を募集するにあたり、その仮説を公表していたのだ。それをオーロラが目にしたという訳である。
なお、政府による積極投資は減税よりも効果があるとされているが、アーチボルト領では積極投資するような大規模公共事業がないので、無税という政策を打ち出しているのだった。
「あの理論の検証には、カーシュ子爵の領地を使って参加してみようと思うの」
「カーシュ子爵の領地ですか。あの騒擾の裏にフォレスト王国があったことが判っていて、領主を続けることは出来ないでしょう」
「ええ。だから、今回の戦争で手柄のあった者に爵位を与えて、新しい領主として送り込むのよ。陛下からも何人か推薦するように仰せつかっているわ」
「僕はその辺の事情をうかがってませんので、教えていただけると幸いです」
「あら、一番の功績があったあなたに何も話がないなんて、陛下も抜けているわね」
オーロラはそう言って、終戦後の流れを話した。
フォレスト王国は国土の1/4をカスケード王国に割譲することと、多額の賠償金の支払いが決定した。国王をはじめとして、国の重要人物とブラドル辺境伯が人質となっている状況では拒否権は無かった。
なお、割譲はフォレスト王国の東部地域であり、王都の目の前にはカスケード王国の国軍駐屯地が作られる。なにかしらの怪しい動きがあれば、即座に王都を攻める事が出来る配置だ。そして、その位置を最大限活用できるように、王都の防衛体制を変更する場合には、全てカスケード王国にお伺いを立てるという条約まで結ばされた。今後は城壁の改修ですら許可が必要なのである。
カスケード王国側は、もっと強気の要求を求める声もあったが、フォレスト王国が帝国への緩衝地帯の役割をもっており、あまり弱体化させてしまって、帝国に併吞されるようなことになれば、次は自分達が帝国と直接対峙しなければならないので、そこはカスケード王国の国王が声を抑えることになった。
そして、捕虜となっていた兵士達は、身代金を支払えない者達は戦争奴隷として奴隷商人に売却され、身代金を支払える者は帰国することとなった。
なお、この交渉にあたったカスケード王国の外交官、セシル・アシュリーは開戦直前に木で鼻を括るような扱いをしてきたフォレスト王国の外交官に対し、仕返しに同じような態度を取って溜飲を下げる事になったのはオーロラの口からは出てこなかった。
そして、旧カーシュ子爵派で騒擾を起こしたメンバーは全員が爵位をはく奪のうえ、家族諸共処刑されることとなった。外患誘致は貴族であっても許されることはないという、カスケード王国国王の強いメッセージである。
こうしたことから、広大な土地が領主未定で発生した。なので叙爵や昇爵の話が出てきたという訳だ。
「アーチボルト卿も男爵に上がるわよ」
「それは知りませんでした」
「まだ、内々定の段階だからでしょうね。私は辺境伯まで昇爵させて、フォレスト王国から割譲された領地に転封させるべきだと陛下に申し上げたのに、準男爵を飛び越して男爵とすることで話が進んでいるのよ。そもそも、この戦争が早期で終結したのだって、貴方がいなければ成しえなかったのに、それが男爵止まりだなんて、他の者は報奨を与える価値も無くなるじゃない」
「いきなり辺境伯になったとしても、家臣が足りないから無理でしょうね。というか、男爵にあがったところで何も変わりませんが」
「それがね、アーチボルト領の周辺でカーティス男爵は被害のあった村の再建を諦めて、新領地に飛びついたの。ダービー男爵も今よりも良い土地ならということで、新領地行きがほぼ決定。領主が居なくなったところをアーチボルト卿に統治して欲しいのよ。広さでいったら子爵でもおかしくはないけど、あなた達にとって爵位なんて関係ないでしょう」
オーロラの説明にスティーブは気が重くなった。今ですら領地経営はなんとか黒字なのに、盗賊被害にあった村の再建が加わる。農業生産については詳しく見てみないと分からないが、近隣という事で当然低い数値となっている事だろうと予測していた。
中小企業でよくある話で、同業他社が儲からないからという理由で投げ出した話が回ってくる事がある。仕事欲しさにそういうものに飛びつくと、大体が同じように儲からずに赤字を増やすことになる。同業者が手を引くものは、そういうものなのだ。
ここで領主が新領地を選ぶという事は、今の領地にそれだけ価値が無いという事。
「支払いには迷惑料も入っているのよ。本当に申し訳ないと思っているわ」
口ではそういうオーロラだったが、厄介な土地をアーチボルト家に押し付けられて良かったと心の中では思っていた。
「スティーブなら大丈夫だよ。領地が増えたってうまく出来るから」
ベラがスティーブを慰める。が、スティーブは大きなため息をつくのだった。
「父上に相談ですね」
それから数日後、戦勝式典までは日があるのだが、式典で着る衣装にはとても準備の時間がかかる。ブライアンはアビゲイルと共に参加するための準備に奔走するので、その間はスティーブが領内を見ていた。
その日は丁度第三の村の工場の工程巡回であり、クリスティーナとベラ、それにシリルが同行していた。
時刻は11時。積み木の最終検査工程を巡回している時に、検査員が髪の毛が製品に付着しているのを発見する。検査員は手順に従い、髪の毛が付着していた製品をラインアウトした。
スティーブからは髪の毛が見えず、ラインアウトした理由を検査員に訊ねた。
「どうしてラインアウトしましたか?」
「はい、社長。この製品に髪の毛が付着していたのでラインアウトしました」
スティーブは工場では社長という呼ばれ方をしていた。
「髪の毛が付着していたんですか。その場で除去して検査を通過させなかったのは、ルールを遵守している証拠ですね。素晴らしい」
スティーブに褒められると、検査員は笑顔になった。
工場のルールでは、検査員は検査の仕事をするだけであり、手直しは別の作業者が行うとなっている。検査員が手直しをすると、自分の作業なので判定が甘くなりがちなので、そうしたルールを作ったのだ。それは異物の除去も例外ではない。
ラインアウトされた積み木をスティーブは手にとった。
同行している三人もその積み木を覗き込む。
「緑色の長い髪の毛か。付着した経路が直ぐにわかりそうですね」
積み木についていたのは緑色の長い髪の毛。緑色の髪の毛をした人間は少ない。なので特定は簡単ではないかと思ったのだ。
直ぐにラインを停止して、作業者と工場長であるニックが呼ばれる。スティーブは彼らを前にして不具合があったことを話した。
「積み木に緑色の長い髪の毛が付着していたのが見つかった。幸いにして見つかったのは最終検査工程であり、市場に流出するような事はなかった。でも、これが再発しないように付着した原因を調査したい」
そう話しながら集まった人々を見て、スティーブは困惑した。
まず、ルールである帽子の着用は全員が守っていた。急な呼び出しにも関わらず、正規の恰好だったのである。そして、帽子を取らせてみたところ、緑色の髪の毛の作業者はいなかったのである。
「ニック、今日休みの作業者で緑色の長い髪の毛をした者はいる?」
「いいえ、いませんね」
「なるほど。そうなると、家族でそうした髪の毛をしている者がいて、それが作業着に付着していたということかな」
「始業時に服の綺麗さは確認しているんですがね」
「とりあえず、家族で緑色の長い髪の毛をもった作業者がいるか確認だね」
スティーブに言われてニックは作業者に家族の確認をしたが、緑色の髪の毛をしている家族がいる作業者はいなかった。
始業時の点検確認については、人のすることなので完璧はあり得ないとおもっている。見逃した可能性を考えたが、そうではなかったようだった。
髪の毛の侵入経路について、特定は無理かと諦めかけた時、ニックが思い出したように言う。
「そういえば食堂に緑色の髪の毛の社員がいたような」
「じゃあ、その社員を見に行きましょうか。作業者はもう一度服装に髪の毛などの付着が無いかを確認して、作業に戻るように」
本来は問題が解決しなければラインを再稼働はさせない。それは、同じ不良が出るからだ。しかし、今回は髪の毛の付着が慢性的に起きる可能性が低く、再現できるかどうかもわからないため、作業者には注意喚起をしてラインを再稼働させることにした。
スティーブはニックと一緒に食堂に来ると、直ぐに帽子から少し緑色の髪の毛の見える女性を見つけた。見た感じはとても若く、成人したばかりという感じであった。
彼女の名前はマチルダ。年齢は15歳でありスティーブの見た通りの年齢であった。
昼前の忙しい時間帯であったが、マイラにことわってマチルダから聞き取りをすることになった。
スティーブは直ぐにマチルダに持ってきた髪の毛を見せる。
「これはマチルダの髪の毛かな?」
「はい。多分そうだと思います。なにかありましたか?」
「実は、これが隣の工場の最終検査工程で見つかったんだけど、今日工場に行ったりしたかな?」
「いいえ。朝からこちらで仕事をしているだけです。工場には足を踏み入れてはいません」
マチルダは緊張した面持ちでそう答えた。
社長であるスティーブから問われて、もし自分のせいだとなれば解雇もあるかと緊張していたのである。
「そうなると、風で飛んだか、誰かがマチルダの髪を持ち出していたかだなあ。あ、そう言えば昨日の仕事が終わってから誰かと会ったことはあったかな?」
「…………」
スティーブの質問にマチルダは黙ってしまった。答えたくはないが、嘘を言ってばれた時に問題が大きくなるので、どうしたらよいかわからず沈黙してしまったのだ。
勿論、スティーブもそれを察知する。
「別にこのことで誰かを罰するようなつもりはないよ。不良がでるたびに罰していたら、直ぐに作業者が一人もいなくなるからね。このニックだって年中失敗しているんだから」
「そりゃあ、若様が無茶を言うからですぜ」
ニックがおどけてみせると、マチルダはくすりと笑った。
そして、昨日からのことを話し始める。
「昨日、工場の作業者のジャスパーと仕事終わりに会いました。でも、それは工場じゃなくて家の近くです」
「ニック、ジャスパーっていう作業者は今日は出勤しているかな?」
「ええ、来ていますよ」
「どんな仕事をしているの?」
「工程間の物流ですね。その工程で終わった製品を後工程に運んでいます」
スティーブがニックに訊ねるのを見たマチルダは不安になる。
「あの、ジャスパーは怒られますか?」
「別に怒りはしないよ。この後事情聴取をするのに、いるかどうかを確認したかったんだ。昨日ジャスパーとあった時は作業着を着ていたかな?」
「いえ、作業着を着たままだと汚れるので、お互いに着替えてから会いました」
「だとすると、髪の毛がジャスパーに付着したままの可能性は低いか」
スティーブが悩んでいると、マチルダは更に続けて
「今日の午前中の休憩時間にも会いました」
「あっ、それかあ」
マチルダとジャスパーは恋人どうしであり、休み時間の短い間でも一緒にいたいと、午前の休憩時間に二人とも工場と食堂から出て会っていたというのだ。
そして、それは禁止事項ではない。
「まずかったですかね?」
おずおずと聞くマチルダに、スティーブがまずくないと言う。
「まずくはないね。問題があるとすれば、服装のチェックを始業時だけとしていたルールだ。昼休みも当然だし、午前と午後の休憩時間が終わって仕事を再開するときにもチェックをするルールにしておくべきだったね」
それを聞いたシリルがにこにこしながらスティーブに質問した。
「つまり、今回の髪の毛の付着はルールに問題があったという事ですね」
「そうだね。髪の毛が付着していたのは何故か。それは作業着に付着していたものが落ちたから。じゃあ、なんで作業着に付着していたのかってなった時に、作業者が恋人に会っていたというのが問題なわけではなく、作業再開時に付着を確認するルールが無かったとなるべきなんだよね」
恋人という言葉にマチルダが赤くなった。そんな光景をクリスティーナが微笑ましく見ている。
「まっ、工場長の立場としては、休み時間前になるとソワソワしだす作業者を見ているのは危なっかしくてしょうがねえんですが」
「そうか、そういった不具合を未然に防ぐことも必要だね」
「何かいい方法でも?」
何かを思いついたようなスティーブに、クリスティーナは訊ねた。
「社長命令で、マチルダとジャスパーに結婚を命じる。家で好きなだけ一緒にいればいいけど、その分職場では我慢してもらおうか」
「け、結婚ですか!?」
突然の社長命令にマチルダは驚いた。クリスティーナとベラは拍手でマチルダを祝う。
「まあ、数年したら一緒にいるのが苦痛になるんですがね」
ニックが茶々を入れると、クリスティーナに物凄い勢いで睨まれた。あまりの目つきに、ニックはシリルの後ろに隠れるように移動してしまった。
「ニックの意見は悪い例としてとらえておけばいいと思うよ。それに、ニックの奥さんにも伝えておくしね」
「若様、そりゃあひでえですよ」
「これから新婚生活を送る人に酷いことをいうからだよ。さあ、ジャスパーを呼んできて」
ニックは急いでジャスパーを呼びに行き、直ぐにジャスパーを連れてきた。
そして、いきなり結婚を命じられたジャスパーは目を丸くする。
ただ、本人はマチルダと結婚したいと思っていたので、反対する事もなく同意した。
クリスティーナがプロポーズを見せて欲しいと言ったことだけに、ジャスパーは難色を示したのだった。