31 戦禍
オーロラに呼び出されたスティーブは、いつものように彼女の執務室に来ていた。いつもと違うのはオーロラが不機嫌さを隠そうともしないこととブライアンが一緒にいることだ。そのオーロラの雰囲気にスティーブの右目の下まぶたがぴくぴくと動く。
「お呼びとのことで、参上仕りました」
「話は聞いている?」
「いえ、機密とのことでお呼びがあった事だけしか」
「そうだったわね」
オーロラは自分自身が出した指示を忘れていたことに舌打ちした。そして、落ち着かなければと深く息を吸う。
「フォレスト王国からの侵攻があったわ。貴方に連絡をするまでに国境の砦が陥落してしまったの」
「えっ、砦がですか!?」
オーロラの口からもたらされた情報にスティーブとブライアンが驚く。
旧カーシュ子爵派貴族の対応に兵力を割いた結果、砦は兵力不足により敵の手におちてしまったのだ。また、ブラドル辺境伯は数多くの魔法使いを擁しており、今回の侵攻への本気度がうかがえた。
カーシュ子爵たちへの兵力の提供も、フォレスト王国の国王の判断があってこその計略である。いち辺境伯が動かすにしては大規模すぎるほどに計画された侵攻であった。
「カーシュ子爵たちが隣の領地に侵攻したのに対処するため、兵力をそちらに割いたところを見計らって攻撃されたのよね。国軍がこちらに向かえないように、こちらとの経路上にも兵士を配置して援軍を邪魔してくれたわ。今は次の砦も攻略されて、その後ろにあるソレノイドの町を防衛しているところ。アーチボルト家にもそこの防衛戦に参加してもらいたいの」
オーロラの依頼にスティーブはブライアンを見た。戦争への参加の権限は当主であるブライアンのものだからだ。
ブライアンは息子の視線を敢えて無視する。
「我が領軍は私と従士のコーディ。それに緊急で徴兵する領民となりますが。未成年者までも出すわけにはいきませんが、よろしいでしょうか?」
「徴兵する領民は成人だけでいいでしょうね」
ブライアンの問いにオーロラはそうこたえた。つまりはスティーブを出せという事だ。
「親としては成人していない息子を戦場に立たせるのは避けたいところですが」
「そうね。その子が魔法使いでなかったならば、私もこうは言わなかったでしょうね。貴族の家に生まれて魔法使いである以上、普通の子供としては扱えないわ。特に今の危機的状況であるならばなおさらね。それに、ソレノイドが落とされれば周囲の領地にも敵が入り込むことになるわ。貴方の領地にとっても問題でしょう」
大人二人のやり取りにスティーブは口を挟む。
「僕が出ます」
スティーブはブライアンの子を思う気持ちがありがたかったが、中身は大人であり戦うだけの実力も持っている。敵国が攻めてくるならば戦わなければならないと感じていた。平和な日本で生まれ育ち、戦争など歴史の教科書かモニターの向こう側でしか知らないが、前世の祖父の体験からそう感じていたのである。
スティーブの前世の祖父は、兄を戦争で亡くしている。生まれて間もなく米軍の空襲で焼けて死んでしまったのだ。兵士が戦争をするのは仕事であろうが、そうではない者、特に小さな子供が戦争に巻き込まれて死ぬ悲惨さは、祖父からずっと聞いていた。
祖父は宗教の勧誘があるごとに、兄が亡くなった話を持ち出して
「神がいるのなら無能で信仰する価値はない。いないなら信仰する価値はない」
と信者を追い返していた。
そういうわけで、敵を殺す目的ではなく、戦争を早期に終結させる目的で参加するつもりなのだ。
息子の申し出にブライアンは歯を強くくいしばると、真っ直ぐにスティーブを見た。
「意味は分かっているのか?」
「はい」
「お前が戦場に出る位なら、俺が魔法使いだったらよかったのにな」
ブライアンはスティーブの意思を確認して、大きなため息をついた。
「僕も工場の経営がまだまだ軌道に乗ったばかりなので、そちらに専念したいところなんですよね。農業にしても、品種改良や土壌改良の成果を確認したいですし」
「まあ、そういう事を子供にさせている時点で、父親失格だな」
「出来の良いご子息をお持ちで羨ましいかぎりよ」
親子の会話にオーロラも加わる。スティーブが戦争に参加する事を了承してくれたので、彼女の機嫌も少し良くなった。
行くと決めたスティーブは、オーロラに地図を要求する。
「閣下、ソレノイドまでの地図をいただけませんでしょうか。なにせ初めて聞く町ですから、援軍に駆け付けるにもどこに向かえばよいのかわかりません」
「ええ、わかったわ。地図は当然軍事機密だから、他の誰かに見せないようにね」
「心得ております」
人工衛星が無いこの世界では、地図というのは極めて手間のかかる代物である。そして、敵国で測量など出来るはずもなく、攻める側としては何としても欲しいものだ。カスケード王国の貴族どうしであっても、他人の領地の地図を作成したり、奪った場合には紛争となることもある。
スティーブもそれをわかったうえで要求していた。直ぐに駆け付けるためには、方向を確認して魔法を使って転移するのが手っ取り早い。
今のスティーブであれば、感覚を共有した鳥の目から見えた場所まで転移が出来る。なので、鷹のような視力がよい猛禽類の見える限界の距離まで一瞬で移動し、また同じ事を繰り返せばすぐに目的地に到着する。
「それにしても、貴方に与える褒美がないわね。もうお金なんていらないでしょう?」
「いえいえ、そんな事はないですよ。今売っている商品だって、ライバル企業が登場すれば利益を削って価格競争をしなければなりません。未だに農業生産は人口に対してマイナス状態ですから、商品を売った利益がなければ飢えてしまいます。だから、蓄えとしての現金は必要です。あって困るようなもんじゃないですけどね」
「おいおい、置き場に困っているんだがな」
ブライアンがスティーブにそう言うと、スティーブはにっこりと笑う。
「それでは閣下がこれからはじめる銀行に口座を開設して、そこに余剰金を預けておきましょうか。金利もつきますしね」
「そうしてもらえると助かるわ。なにせ現金を用意するのも大変だもの」
「ああ、スティーブがこの前言っていた銀行というやつか。確かにうちに置いておいて泥棒の心配をするくらいなら、閣下に預けておいた方がいいな。うちより安全だろう」
「アーチボルト卿、そんなことはないわよ。この国で一番強い人がいる家に入って無事な泥棒なんていないでしょう。近衛騎士団を突入させたって、盗みを成功させられる気がしないわよ。うちにもそんな心強い兵士が欲しいわ。現に、今こうして土足で踏み込んで来た盗賊がいることだし」
「では、その盗賊退治に行って参ります」
ここでは褒美については明確な約束はしなかった。スティーブとしては褒美ではなく、戦争を終結させるという決意に駆られての行動だから、褒美などはどうでもよかったのである。
地図を受け取ると直ぐにアーチボルト家に転移し、コーディに事情を説明して出発の準備をする。ブライアンがコーディに徴兵の指示を出した。
「本村から10人を連れていく。直ぐに徴兵のふれを出して、今月の当番を集めるように」
「わかりました。若様の転移の魔法を見せる事になりますが、いいんですかい?」
「非常事態だし、それも今更だろう」
「それもそうですね。直ぐに取り掛かります」
一時間後に12名の領民が領主屋敷に集まった。
その集まったメンバーを見てブライアンとスティーブは渋い顔をした。
「おい、コーディ」
「何でしょう、領主様」
「お前がそういった慇懃な態度に出る時は、こたえにくいことを訊かれるのをわかっているよな」
「ええ、まあ」
「なんで、アベルとベラがいるんだ?」
ブライアンの質問にコーディは後頭部をぼりぼりと搔いた。
「自分達も行くって言ってきかねえんですよ」
「スティーブが戦争に行くなら、私も連れていって」
ベラがそう訴えた。だが、ブライアンは首を縦には振らない。
「駄目だ。子供を戦争に連れていけるか。この前みたいな盗賊の襲撃の警戒とは違うんだぞ」
「あの時だって戦いました」
「あれは戦わなくてもよかった戦いだ。敵を発見して狼煙をあげたら、あとは隠れていてくれても良かったんだ。だけど、今回はそういうわけにはいかない」
「移住人たちの護衛だってやってます」
ベラに食い下がられ、ブライアンは言い返す事が出来なくなった。人手不足から子供であるベラを使ってきたのは事実だ。銃を扱う腕は確かで、既に敵を殺すことも経験しているから、戦場で敵と相対して躊躇するような事もない。ましてや、本人は参加を望んでいる。
ブライアンはベラの説得を諦め、アベルに質問した。
「アベルはどうなんだ?」
「俺はスティーブとベラが戦争に行くならついていくだけだ。二人だけを危険な目に遭わせるわけにはいかない。ただ、ベラが行かないなら俺も行くとは言わない」
「そうか。でも、ベラは行くのを諦めないだろうな」
「当然よ」
「だそうだ。どうする?」
ブライアンはベラの説得を諦め、スティーブに意見を求めた。
「全員に身体強化魔法を使って、身体能力を3倍に向上させます。普通の敵であればやられることはないでしょう。回復魔法もあるから、即死でなければ助ける事が出来ます」
「そうか。じゃあアベルとベラはスティーブが責任をもって指示を出すように」
「わかりました。そういうわけで二人とも、僕の指示に従って勝手な行動はしないように」
「わかった」
アベルとベラはスティーブの言葉に頷いた。
出陣するメンバーが決まったので、そこからは各自の体型に合わせた武器を選ぶ。
先に防具をつけて準備をしていたブライアンとコーディは、スティーブの身体強化魔法3倍の効果を確認していた。
「体が軽いな。まるで鎧など着ていないかのような軽さだ。若いころよりも動きがいい」
「若様の魔法があの時あれば、死にそうな思いもしなくて済んだでしょうな」
「そうだなあ。もっと武功を立ててはいただろうな」
ブライアンとコーディが模擬戦闘をしながらそんな会話をした。
一方、アーチボルト家の女性たちは不安そうに男たちを見ていた。クリスティーナなどは目に泪を浮かべている。
「スティーブ様、どうかご無事でお戻りください」
「約束するね」
スティーブはクリスティーナをそっと抱き寄せた。
「危なくなったらコーディを盾にするのよ」
「姉上それはちょっと」
「そうですぜ。そりゃねえですよ、シェリー様」
シェリーの案にコーディがブーイングだが、シェリーはそれを気にした様子はない。
「命に代えてもスティーブ様をお守りします」
「ベラ、全員で帰ってくるんだからね。っていうか、食事の時間になったら一度ここに戻ってくるんだから」
身を挺する覚悟のベラに、スティーブが苦笑した。ベラが本気なのもわかるので、うまく手綱を握らないと本当に身を投げ出すだろうと思っていた。
なお、スティーブの言うように、食事の時と寝る時はアーチボルト家に転移して戻る計画だ。戦場で隙を見せるのは危険なのでそういうことにした。魔力が有り余っているスティーブならではの作戦である。
そんな会話をしているうちに、領民たちの準備も調い転移の魔法を使う。
「それでは行きますよ」
スティーブが全員を魔法でソーウェルラントに転移させる。そこからは鷹を使ってソレノイドの町の方向へと連続転移をしていく。
転移の魔法に不慣れな者達は景色酔いしたが、転移の魔法にだんだん慣れてきたコーディには余裕が出てきて、スティーブと会話をするくらいは出来た。
「こいつは便利ですね。行軍の疲れもない。若様の魔法で一度に何人くらい運べるんですかね?」
「やったことはないけど、距離が短ければ1万人くらいはいけそうな感覚だね」
「そりゃあいい。戦争が終わったら馬車の代わりの仕事をしましょう」
「廃業することになる業者から恨まれるし、自分が死んだら代わりがいないじゃない。その時また馬車馬を育てたって間に合わないよ」
「そこまで考え付くとは流石ですね。俺なんて目先のことしか見えてねえですよ」
そんな会話をしているうちに、ソレノイドの町の外に到着した。外壁越しに町中から煙が上がっているのが見えた。
スティーブは鷹を使って上空から町を偵察する。各地で見られる戦闘よりも、一般市民が敵兵に殺される場面に、スティーブの表情が曇る。
「いたるところで戦闘が行われていますね。あと虐殺に略奪も。ソーウェル辺境伯軍は組織的な戦闘は出来ていないようです。ここから町を挟んだ反対側に、大軍が控えていますね。壁は崩れていますが中に入ってこないようです」
「我々は同士討ちに気を付けて、一つ一つ潰していくしかないか。敵の大軍は直ぐには町に入ってこれないだろうから、町の中の敵を掃討して壁をスティーブの魔法で修復しよう」
ブライアンがそう指示を出すと、スティーブの魔法で町の中に転移した。