30 乾坤一擲の策
フォレスト王国との緊張が高まる中、オーロラの元にはカーシュ子爵が隣の領に攻め込んだという報告があった。攻め込まれた男爵がオーロラに助けを求めて来たことで事態が発覚した。
カーシュ子爵の言い分では、隣の領地が自分の領地に侵入して狩りを行っており、領民の獲物が減っていることに対する報復ということだ。しかし、どこにもそんな事実はない。ただ、ないことを証明しろと主張しているのでたちが悪い。
現在は一つの村がカーシュ子爵によって占領されてしまった。そして、カーシュ子爵は次の村も狙っているということである。
男爵は敵国と接していないため、戦争への備えをしておらず、カーシュ子爵にあっという間に村を占領されてしまい、尚且つ反撃の準備も出来ていないのだ。
カーシュ子爵の領地はソーウェル辺境伯領と王都の間に位置する。今領軍の配備は国境に集中させており、男爵の救援に向かうには時間がかかるし、国境の防衛に穴を開けることになる。
オーロラは直ぐに夫であり、領軍の最高責任者であるレオに相談をすることにした。
彼女の執務室にオーロラ、レオ、ハリーの三人が集まり、カーシュ子爵の挙兵についての話し合いが行われる。
「カーシュ子爵が突然隣の領地に攻め込むなんてね。あそこに兵力なんて無かったはずなのに、いつの間にか傭兵を雇い入れていたなんて情報は無かったわ。こちらに察知されずに傭兵を雇うなんてありえないし、そもそも傭兵に支払うお金だってないはずなのに。まあ、それはこちらで確認するとして、カーシュ子爵の鎮圧をお願いできるかしら?」
「国境の領軍を削ることになるけど仕方がないよね。ソーウェルラントにいる兵士を鎮圧に向かわせ、その空いた穴を国境から戻した兵士で埋める。攻め込まれたとしても、こちらが防衛に徹すれば、鎮圧後に戻るくらいの時間は稼げるはずだよ」
「それならば、それでお願いするわ。それにしてもこのタイミングでカーシュ子爵が動いたのが偶然でないなら、まだ何か起こりそうね。ハリー、直ぐにカーシュ子爵の行動の裏を調べて。それから、他の貴族、特に旧カーシュ派の貴族を中心に、似たような動きがないかも確認をしてね」
「かしこまりました」
ハリーはオーロラの指示に頭を下げる。
そしてハリーは直ぐに行動に出た。諜報部員をカーシュ子爵領に派遣して、今回の挙兵に至るまでの動きを探ると共に、他の諜報部員を使って貴族たちの動きを監視する。レオも領軍を率いてカーシュ子爵の鎮圧に向かった。
一方、オーロラはスティーブというカードをどこできるべきかを考えていた。これが敵の工作ならば、まだ何かしらを仕掛けてくる可能性が高い。国境の領軍を動かしたといっても、敵軍との戦力差は大したことはない。
ならば、さらなる戦力の分散を狙った策があるはずだ。
それに対して、スティーブは相手の計算にはないはずであり、目論見を外すためのカードとして有効なのだが、どこできるべきかが重要になってくる。
その切りどころを間違わないためにも情報が必要だった。
オーロラがそれを考えていると、不意に執務室のドアがノックされる。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
「ええ。どうしたの、ハリー」
ノックをしたのはハリーだった。慌てて室内に入ってくる。
「急ぎ報告をするべき事態が発生いたしました」
「何事?」
「ベンソン男爵、ディズリー男爵、ハント男爵がカーシュ子爵と同じように、隣の領に攻め込みました」
その3人は旧カーシュ子爵派の貴族であった。そして、カーシュ子爵と同じように銅の先物取引で巨額の損失を抱えて、オーロラに厳しく管理されていたのである。
「その3人が。金に困っているのに兵力を整えて、敵国との緊張が高まっている時に行動を起こすとなると、完全にフォレスト王国の仕業じゃない」
「しかし、外交交渉のように知らぬ存ぜぬで通されてしまいますと、領主の権限の範囲内ということになりますが」
「状況証拠で十分じゃない。どうせ金に困って敵国と内通したんでしょうけど。これでまた国境から兵力を内側に移動する必要が生じたわね」
「いかがいたしましょうか」
ここでハリーが訊いたのは、スティーブを呼ぶかどうかという事である。当然オーロラもそれをわかっている。
「アーチボルト領に使者を派遣しなさい。直ぐに坊やを呼ぶのよ」
「承知いたしました」
こうしてスティーブも巻き込まれることとなった。
*
ソーウェル辺境伯領の国境にある砦を守る兵士ジョンは、21歳になったばかりの徴兵された農民である。彼は昼食後の眠気と戦いながら砦の城壁からフォレスト王国の方を見ていた。隣の同僚であるローマンに欠伸交じりで話しかけた。
「なあローマン、本当にフォレスト王国が攻めてくると思うか?」
「お偉いさん方はかなり緊張しているみたいだったが、どこにも敵影なんてねえんだよな。だけど、正規兵の連中は、今西部で起こっている貴族の叛乱は敵の工作だって言ってたぜ。それが本当なら戦争だともな」
「何でそれが本当なら戦争なんだよ?」
「俺に訊くなって。俺だって難しいことはわからねえんだからよ。こうやって毎日飯食って欠伸しながら、期限まで過ごせたらそれでいいんだ。難しいことは考えねえ」
ローマンの言う事にジョンも納得した。毎日食事が3食きちんと出て、城壁で敵が来るのを見張るだけで、兵役義務が終わるまでずっとこうやっていられたらどんなによいか。自分が義務を終えた後に戦争が始まったとしても、それは自分には関係ない事だ。
そう思っていた矢先、砦の中にけたたましく鐘の音が鳴り響く。
「敵襲!敵襲!」
鐘の音に続いて敵襲を誰かが叫んだ。
ジョンとローマンはお互いの顔を見合った。先ほどまでの眠気などどこかに吹き飛ぶ。
「ローマン、敵襲だってよ」
「わかっているよ。叫ぶな。まずは訓練通り部隊長の指示があるまではこの場に待機――――」
待機だと言おうとしたローマンの言葉は中断し、それ以上言葉を発することはなかった。首に飛んできた矢が刺さり、そのまま倒れたのである。
矢が飛んできた方向を見ると、はるかかなたに敵影がやっと見える。ジョンはあんな所から矢が届くのかと驚いた。そして、味方もよくあんな遠くの敵を見つけたなと思った。
実はフォレスト王国の軍は身体強化魔法を使っており、通常より強い弓を使っていた。なので遠くまで矢を飛ばすことが出来る。味方は遠眼鏡で周囲を監視していて、遠くに出現した敵を発見できたというわけだ。
「ちくしょう、死にたくねえ」
ジョンはその場に頭を抱えでうずくまった。
*
国境の砦への攻撃が始まった時、カーシュ子爵は隣の領地の占領した村に陣取っていた。傍らには傭兵のリーダーの男がいる。傭兵のリーダーと言ってはいるが、実際はフォレスト王国の軍人である。
カーシュ子爵は男に確認する。
「ここで2週間持ちこたえたら、借金を肩代わりしてくれるのに間違いはなかろうな」
「ああ、勿論だ」
男は頷いた。
カーシュ子爵は借金の肩代わりの条件と引き換えに、フォレスト王国の軍人を受け入れて隣の領地に攻め込むことを約束した。軍人を受け入れると言っても普通にやってしまっては、その動きをオーロラに察知されることになるので、フォレスト王国の魔法使いにより、軍人を少しずつ転移させて準備をしていたのである。
毎日少しずつ転移してきた兵士を受け入れ、戦の準備をしていたのだ。これは他の旧カーシュ子爵派も同じである。貧すれば鈍する、国を売って自分の利益確保に走ったのだった。
もっとも、フォレスト王国には借金を肩代わりするつもりなどなく、ソーウェル辺境伯を倒すことが出来れば、カーシュ子爵たちの債務も消滅するだろうという目論見であった。それに、この挙兵が鎮圧されれば約束を守るつもりはない。カーシュ子爵が敵国に騙されたと訴えたところで、敵国と内通してソーウェル辺境伯の足を引っ張ったとなれば、当然ながらお家取り潰しとなる。
犯罪の片棒を担いだ者が警察に騙されたと訴え出られないのと一緒だ。
しかし、借金で首が回らないが、過去の贅沢を忘れられないカーシュ子爵は、このような提案にほいほいと乗ってしまった。当人からしてみれば、乾坤一擲の策であった。
男がカーシュ子爵に笑って話す。
「なに、びびることはねえ。隣の領地との揉め事ならば、ソーウェルのやつだってどちらか一方の肩を持つことは出来ない。こうして村に陣地を形成して、正当性を主張しながら待ってりゃいいんだよ」
「びびってなどおらぬわ!」
カーシュ子爵は声を荒げた。もはや古くからの家来たちは殆どが去ってしまい、残った者達も今回の挙兵には反対した。結局、現在村にいるのはフォレスト王国の人間だけだ。それが自分をびびっていると見下したのが気に入らなかった。
リーダーの男はカーシュ子爵の態度に不機嫌そうな顔になる。
「でけえ声を出すんじゃねえよ。てめえを放り出して俺たちは撤退してもいいんだぜ」
「わ、わかった」
どすの利いた声で言われると、カーシュ子爵は縮み上がる。結局それ以上は男に何も言えずに、村を囲むソーウェル辺境伯の軍と向かい合うのだった。
カーシュ子爵が占拠した村にレオが到着してから既に2日が経過している。未だに直接の戦闘は無く、レオからカーシュ子爵に対して撤退を要求するにとどまっている。それをカーシュ子爵は貴族の権利に守られているから、レオが攻めて来ないのだと思っていた。
しかし、レオが攻めないのには別の事情があった。
これからフォレスト王国との戦争が起こりそうだというのに、こんなところで兵力を消耗したくないというのがその理由だった。
が、ここで時間を使うのももったいないということで、二日間にらみ合った末に攻撃を開始することを決意する方へと気持ちが傾いていた。
立て籠もるカーシュ子爵側の戦力は50名程度。この2日間の間に観察して把握した人数である。村の周囲を包囲しているため、新たな戦力がそれに加わる事はまずない。それに対してソーウェル辺境伯軍は10倍の500人だ。
問題は個人の実力。スティーブのような魔法使いがいるのであれば、数に任せた突撃は失敗に終わる。これがカーシュ子爵たちだけであれば、逃げ出せないように囲んでおいて火を放つことも可能だが、村には元々の住民たちが残っており、彼等も焼き殺すようなことは出来なかった。
さて、いよいよ明日にでも突撃かと思った時、急ぎの使者がレオのいる天幕にやって来た。
「サザランド様より急ぎのご連絡が」
「ハリーからだと。何事か?」
サザランドはハリーの姓である。そのハリーからの急ぎの連絡であれば、急ぎ対処をすべき事態だという事だ。
「旧カーシュ子爵派の貴族たちベンソン男爵、ディズリー男爵、ハント男爵が、ここと同様に隣の領地に攻め込みました」
「なんだと!」
使者の報告にレオが大声を出す。その態度に使者は委縮してしまった。
「も、申し訳ございません」
「あ、すまん。君に落ち度はない。それにしても、その3名も挙兵したとなると、今頃国境ではフォレスト王国の軍が境界線を踏み越えてきているであろうな。タイミングを合わせて行動をしているはずだ」
使者が出発した日時から推測するに、そうしたタイミングであろうというレオの推測だった。そしてそれは正しい。ハリーは追加で国境の兵士たちをそれらの貴族に対して配置するために移動させていた。
そのため国境は手薄となっていた。国軍も配置されてはいるが、彼等はソーウェル辺境伯の領地にはいない。直轄領にある駐屯地にいるのだ。
そのような状況を確認したうえで、今まさに国境の砦はフォレスト王国の軍が攻め落とさんと迫ってきていた。
「こうなってはこちらの被害を気にしている場合ではないな。明朝より攻撃を仕掛ける。兵たちにはしっかりと食事と休養をとらせるように」
レオがそう指示を出した。
部下がそれに従い、兵士達にいつもよりも多めに食事を出す準備をする。
カーシュ子爵についている傭兵ことフォレスト王国の兵をまとめるリーダー格の男は、いつもよりも煙が多いことに気づいた。
「飯を作る時の煙がいつもよりも多いという事は、総攻撃に備えてというわけか。さて、ここいらが潮時だな。この人数で守り切るにも限界がある。子爵閣下には後始末をお願いしようか」
カーシュ子爵が近くにはおらず、サブリーダーだけが隣にいた。サブリーダーは頷くと事前に用意してあった計画を実行に移す。
その夜、村の家々に火の手が上がる。暗かった夜空を炎が赤く染めた。
突然の火の手に叫びながら逃げまどう村人たち。昼間ではあった防御のための柵が、火災の時は無くなっていた。なので、炎から逃れるために村の外に走る。フォレスト王国の兵士たちも、村人に成りすまして村から脱出した。カーシュ子爵だけを残して。
この火災は勿論レオの目にも入る。
「火の手が上がったか」
「放火でしょうか?」
副官がレオに訊ねた。
「そうであろうな。一軒の火の不始末であれば、風も弱いのにこうも大きな火災とはならぬだろう」
「となると、敵の策ですか」
「ここで自決するような奴でもなければ、この火災で逃げ出す村人に紛れ込むだろうな。捨て駒のような作戦でどうするつもりかと思ったが、こういう手をうってくるとはな。直ぐに村人を拘束しろ。抵抗するなら斬れ。それは全て敵だ」
「はっ!」
結局、カーシュ子爵は捕縛されたが、リーダーとサブリーダーの行方はわからなかった。数名の兵士が捕まったが、落ち合う場所などは決めてなかったようで、追跡のしようもなかった。
なので、フォレスト王国の方向に向かう街道に検問を設置するよう各領主に通達を出すことにした。その結果、数日後に追加で数名のフォレスト王国兵士を捕まえる事に成功した。