28 軍靴の音
盗賊騒動からしばらくして、スティーブはオーロラから褒美を受け取るための彼女のところを訪問していた。約束の褒美が出るという事は、ジャックたちがオーロラの望む情報を吐いたということであった。その情報も併せて報告を受ける。
エマニュエル商会にオーロラの使いがやって来て、エマニュエルに面会する日時を伝えると、エマニュエルはそれをスティーブが来訪した時に告げた。
約束の日時となり、スティーブはオーロラの執務室に転移する。
「ノックをするべきでしたかね?」
「いいわ。私と貴方の仲よ」
スティーブが約束の時刻に執務室に出現すると、オーロラはもう慣れて驚くこともなく受け入れる。
「ただね、最近貴方の話題が多くて夫が嫉妬するのよね」
「それは誤解を解いていただきたいですね。変な噂が流れますと、僕の婚約者も悲しむので」
「あら、それは婚約者だけかしら?」
「おっしゃる意図がわかりませんが」
オーロラはベラがスティーブに好意を寄せているのを調査済みだった。しかし、スティーブ自身はベラの気持ちに気づいておらず、オーロラの言わんとする事がわからなかったのである。
オーロラはスティーブにもそんな鈍感な一面があることを知り、意地悪く笑って意図を教えなかった。
「そのことはおいおいね。今日はこの前生け捕りにしてくれた盗賊たちの白状した情報と、それについての約束の褒美のことよ」
「事前にうかがってはおりましたが、褒美が出るということはフォレスト王国との関係がわかったということですね」
「ええそうよ。盗賊団の頭目の名前はジャック・オルグレン。フォレスト王国の貴族であるブラドル辺境伯が主。盗賊全員がそこの兵士だったわ。任務はこちらとの国境沿いを荒らしまわること。目的は知らないということだけど、おそらくはこちらから苦情を申し入れたらば、それを理由に戦争を仕掛けるつもりだったんでしょうね。それと、こちらの捜索と備えによる疲弊狙いでしょうね。あのジャックの魔法で移動距離を大幅に伸ばしていたから、こちらが駆け付けた時には国境を越えて戻っていたというわけね」
「よくうちの領地に来るなと思ったけど、山越えのルートも魔法を使えば苦でもないみたいですね」
「そうね。貴方がいたのが想定外だったみたいだけど。たとえあそこで勝てていたとしても、魔力切れで帰りは身体強化なしに山を越えなければならなかったらしいわ。失った足の再生にもかなりの魔力を使ったみたいだし」
ジャックは部下たちに身体強化魔法を使い、移動距離を大きく伸ばしていた。しかし、魔力の総量の関係で移動時間に身体強化を使うため、襲撃については通常の身体能力で行っていた。
第三の村を襲った時も、最初は身体強化魔法を使っていなかったのはそのためだ。予想外に手ごわいスティーブが登場したため、帰りのことを考えずに魔法を使うしかなかったというのが事情である。
「あちらは随分と貴方のことを知りたがっていたわ。なんでも、見た魔法をその場で真似て使ってみせたとか。そういう能力があるから、偵察をしている魔法使いを紹介してもらいたかったのね」
「以前、僕の魔法についてはご報告いたしましたよ」
「そうね。気を悪くしないで。どうしても騙そうとする人と接することが多いから、自分で裏をとらないと納得できないのよ。でも、貴方が本当のことを言っていたことが判ったから、信頼度が上がったわ」
オーロラはスティーブと戦ったジャックから、スティーブの戦闘についても聞き出していた。スティーブが相手の能力を真似できる事は知っていたが、それについての確認である。以前本人の口から聞いてはいたが、その裏をとってみたわけだ。
そして、それが正しかったというわけである。オーロラからしてみれば、自分に対してその場では確認しようもない情報で真実を伝えていたスティーブは、十分に信頼に値すると評価できた。
「僕が閣下を騙すようなことはないですよ」
「詐欺師も同じ台詞をはくわよ」
「まあそうでしょうね。僕が詐欺師でもそう言います」
「そうでしょうね。でも、今はそういうことはいいわ。あの隊長のジャックっていう男が、とても貴方に興味を持っていた。これは単なる好奇心じゃなくて、その情報を国に持ち帰ろうということ。だから、彼等には羈束したままでいてもらう事にしたの」
「捕虜交換みたいな交渉はしないんですか?」
スティーブの疑問は尤もであった。敵国の兵士を捕虜にしたのだから、捕虜交換として金銭や相手が持っている捕虜との交換はあってしかるべきである。しかし、オーロラは彼らを拘束したままにするというのだ。その理由を知りたくなるのも当然のこと。
「それは外交官に任せるけど、おそらく相手側は知らぬ存ぜぬで通すでしょうね。認めてしまえば国内で工作していたことになるから。魔法使いを失うのは惜しいけど、戦争の口実を与えるよりはましって判断でしょう」
「こちらとしては泣き寝入りですか」
「それはさせないわ。そういう事にならないように交渉をやるのが外交官でしょう。少なくとも西部で被害のあった領主が納得するような落としどころは必要よね。中途半端な結果なら私も黙っている訳にはいかないわよ」
オーロラは西部閥の領袖として、西部の貴族が不利益を被るような状況になった場合、先頭に立って反対をしなければならない。それが組織を率いるトップとしての役割だからだ。
ただ、外交となっては出る訳にはいかないので、国に交渉を任せることになるが、その結果については目を光らせる。
「すると、うちも補償の対象になるわけですから、なんらかの補償を期待してよいわけですね」
「被害は無かったと聞いているわ。補償という言い方は適切ではないわね。ただ、帰還者がいないから被害状況については、こちらの言ったものが全てになるでしょうけど。ここで安く妥協するようなら、東南北の敵国が喜ぶでしょうね。私が外交官だったら胃が痛くなりそうよ」
それはないでしょうという言葉をスティーブは呑み込んだ。オーロラならばどんな困難な状況も乗り切るであろうし、そういった状況こそが生き生きとさせるはずであると思っていた。そして、それは正しい。
「ただ、フォレスト王国で領地を接するブラドル辺境伯は戦争準備で動いているのよね」
「それは初耳です」
「そうでしょうね。各領主にはまだ連絡していないもの。どうもブラドル辺境伯領では食糧の買い上げと傭兵の募集をしているの。それに兵役義務の農民たちに頻繁に国境付近で実戦に近い形での訓練をさせているわ」
「敵の工作員がこちらの手に落ちたのを察知したからでしょうか?」
「それはないわね。貴方の魔法で人目に触れず移送して、うちの施設で厳重に管理しているから。あるとしたら、帰還しないから全滅したと思っているのでしょうね。それこそ証拠がないからこちらの言いがかりだと主張できると思っているはずよ」
普通罪人や捕虜の移送となれば、馬車にしても徒歩にしても誰かしらに目撃される。しかし、スティーブの魔法でアーチボルト領からソーウェル辺境伯家の所有する施設に瞬時に移送しているので、誰かの目につくようなことは無かった。それに、盗賊の襲撃を知っている第三の村の住人達は、アーチボルト領から出る事がないので、他所で襲撃をしゃべるようなことは無い。そもそも、戦闘を見ていないので盗賊たちがどうなったかなどは知らないのだ。
オーロラにしても、工作員たちについては接触できる人員を制限しており、その任務についているのは信頼できる者だけであった。ここからも情報が漏れる心配はない。
現に、ブラドル辺境伯はジャックたちの未帰還について、敵に倒されたか移動中に山で獣か魔獣の類に襲われて全滅したのだろうと考えていた。
この時、まさか証人を確保されているとは夢にも思っていなかった。なにせ、ジャックの身体強化魔法があれば、国境沿いを警戒している敵軍と偶発的に遭遇したとしても、誰かしらは逃げ延びる事ができるから、人との戦闘があったなどとは考えられなかったのだ。
ただ、カスケード王国側が盗賊についてこちらの責任を言ってきた場合には、戦争を開始できるように準備をしていたのである。
「カスケード王国としては何か備えないのでしょうか?」
「仮想敵国にそうした動きがあるから、国軍の警戒レベルは上がっているけど、こちらも徴兵して国境沿いに兵士を大量に配置すれば、本当に戦争になりかねないわね。お互いの軍がにらみ合っていれば、どんな偶発的なことが起こるかわかったものじゃないわ」
見張りの兵士がトイレに行ったのを、敵に拉致されたと勘違いしたことから戦争になる事もある。お互いににらみ合って緊張感が高まるのは、為政者としては避けたい所だ。
「そこは戦争にならないようにしていただきたいですね。農業生産が低くて、食糧自給率が100を下回っているうちでは、他所から買い入れる農作物の価格が上がってしまうのは困ります」
「その時は早期解決を目指して、貴方の力を借りるわ。今回紹介する魔法使いの魔法がきっと役に立つはずよ」
「あまり期待しないでください」
そこで会話が終わって、魔法使いを紹介してもらう事になった。
偵察を任務とする魔法使いは、動物を操りその感覚を共有するという魔法を使った。これで鳥と視覚を共有して、空から広範囲を偵察していたのだ。
なお、昆虫や魚とも感覚が共有できる。ファンタジー小説などで出てくる使い魔のような使い勝手で、使い魔としての契約行為が瞬時に終わり、痛覚は共有しないという便利さなのだ。痛覚を共有しないというのは正確ではなく、共有する感覚を選択できるというのが正しいが。
褒美を受け取るとスティーブは自領へと戻り、ブライアンにオーロラから聞いた情報を伝える。
「戦争準備か。山岳部の警戒レベルをあげなければならないが、人手不足だな」
ブライアンは頭を抱える。コーディしか従士がおらず、あとはスティーブとアベルとベラの未成年3人くらいしか使える手駒がない。宣戦布告を必ずしなければならないような国際法もなく、通信手段も電話や無線がないとなると、いきなり戦争が始まって攻め込まれるなんていうことになる。
敵が面倒な山越えを避けるのに期待するしかないが、全く備えないというわけにもいかない。そしてそれがいつまで続くのかもわからないとなると、アーチボルト領での対応はかなり難しい。
「父上、各村を土塁で囲みましょうか」
「しかし、土を運ぶにも人手がかかるだろう。種まきの時期だから、農民を駆り出すのもできないぞ」
スティーブの提案にブライアンは難色を示した。そして、こんな事ならば冬のうちにそうしておくべきだったと後悔した。
「僕の魔法で作れば一瞬ですよ。堀を作って出た土を盛れば土塁になります。そうすれば高低差はかなりのものになるでしょう。敵が即座に村を制圧できないのであれば、こちらが反撃することも可能です」
「ああ、確かにそれなら山岳部を警戒する必要もないか。これから直ぐにでも可能か?」
「跳ね橋が出来るまでは石の橋を掛けておきますよ」
スティーブは直ぐに土塁と堀を作ることにした。いままでは野生の獣が畑に出る位であったが、盗賊に扮した敵国の工作員が来たとなると、防衛を考えなくてはならない。
領民は兵役の義務があるので、男は全員が戦う事が出来る。いままでは武器が木の棒とか石しかなかった。だが、今ではスティーブの作った槍や銃がある。武器を手に持つ時間さえ稼げれば、敵と戦う事は可能なのだ。
スティーブの作業にアベルとベラがついてきた。二人の顔には不安の色が浮かんでいる。ベラは戦争のことをスティーブに訊いてみた。
「本当に戦争になるの?」
「それはわからないよ。ただ、相手が準備しているから備える必要があるっていうだけかな。本当に戦争になるのがわかったら、相手が来るのを待たずにこちらから攻めるだろうしね。今はまだどちらにでもなると思うよ」
結局のところ、スティーブにも戦争が起きるかどうかはわからなかった。ただ、起こる可能性を考慮して準備をしておくというだけだ。
スティーブが魔法で本村の居住区を囲むように堀と土塁を作る。村長にはブライアンの方から説明が行くのだが、今はまだ村民も事情を知らないので何事かと遠巻きに見ていた。
そんな中、シリルがスティーブの所にやってくる。
「スティーブ殿、これはどうしたことでしょうか?」
「シリルさん、実はフォレスト王国との間で戦争が起こるかもしれないので、それに備えて村のまわりに堀と土塁を作る事にしたんですよ。まずは家のある居住区を囲んで、次に畑も囲むくらいのものをつくる予定です」
「戦争ですか!?」
戦争と聞いて驚くシリルに、スティーブがまだ確定ではないと説明した。
「可能性の話ですよ。ここを襲った盗賊がフォレスト王国のブラドル辺境伯から送り込まれた工作員だったのです。そして、ブラドル辺境伯は国境沿いに兵士を集中させて、そこで実戦さながらの訓練を繰り返しています。まあ、いままでも小競り合いは何度もありましたし、どこまで本格的な戦争になるか、いや、戦争そのものが起きるかどうかはわかりません。良い機会なので防衛について全く手が付いていなかった状況を改善しようというわけです」
「なるほど。でも、本当に戦争になったとしたら、自分は王都に戻されるかもしれませんね」
シリルの顔に影が差す。それはアイラと別れることになるのを心配してのことだった。
そんなシリルの胸の内を知らないスティーブは、シリルが研究についての成果を心配しているのだと勘違いした。
「土壌の酸性の改善について、また一からになると大変ですね。時間が掛かりますから」
シリルは技官としての仕事で、土壌の改良も研究していた。スティーブの測定魔法で、土壌のphを測定して、そこに色々な種を蒔いてどのphが栽培に適しているかを確認している。それに加えて石灰を土壌にまくことで、酸性を中和するというのも実験中である。まく量を間違えると悪影響もあるので、その分量を確認しているのだ。
スティーブの勘違いを訂正すると、アイラへの気持ちがばれると思い、シリルはあえて勘違いをそのままにしておいた。
相違している間にも、堀と土塁はどんどん出来て本村を囲んだ。
「じゃあ、次は新村と第三の村の方をやってきますね」
「はい」
シリルだけがそこで別れて、アベルとベラはスティーブの魔法で一緒に転移した。
こうしてその日のうちに全ての村に堀と土塁が完成した。