26 サイクル
スティーブはクリスティーナを連れて、第三の村の工場を案内していた。クリスティーナはいずれスティーブの夫人としてこの領地を統治していく立場にあり、名物のそばの料理を自らつくることもしなくてはならないし、工場の経営についても知っていなければ、スティーブの代理が務まらないという使命感があった。
そして何より、スティーブと一緒にいたいという理由もあった。
「ここが食堂。毎日村の人が食事にくるんだ」
「毎日ですか。都市でも中々そうした習慣はありませんが」
「この村の領民たちは、みな現金収入があって、その現金を使うところがここと商店くらいだからねえ。商店で農作物を買うことも出来るけど、母親も自分で作る時間が無くなる事で、子供と過ごす時間が増えるから、食堂を選ぶ人も多いんだよ」
カスケード王国の一般的な庶民は、仕事をする時間が多くて子供と接する時間が少ない。女性が料理をしているあいだ、男性が子供の相手をするかというとそうではなく、男性はその時間に収穫した農作物の納税の準備や、農具の手入れ作業などをしている。
それに対して、第三の村は工場も食堂も仕事道具は全て職場にあり、勤務時間外に手入れをするような事はない。手入れについても仕事時間にするようになっているのだ。
その結果、帰宅後は食事や洗濯などくらいしかやる事がないのだが、その食事を外食にすることでさらに自分の時間が増える。それを子供と過ごすことに費やせるのだ。
「貴族でも家族と過ごす時間は少ないのに、とても贅沢な暮らしなんですね」
クリスティーナの両親は夜は他の貴族との会合やパーティーで子供と過ごすような時間は殆ど無かった。食事は一人だし、教育は家庭教師が行うというのがクリスティーナの経験だし、多くの貴族の子供も同様であった。
田舎の貧乏貴族であるアーチボルト家が特殊なだけである。
スティーブは厨房へとクリスティーナを案内し、そこで仕込みをしているマイラを紹介した。
「ここの責任者のマイラだよ」
スティーブとクリスティーナの姿をみたマイラは頭を下げる。事前にクリスティーナの見学の事は聞いていたので、マイラも慌てるようなことは無かった。
スティーブの説明にあるように、マイラは責任者となっていた。計算を覚えさせてみた所、頭の回転が早くて作業者の中では一番早くて間違いが無かった。
今では会計だけでなく、仕入れの仕事も任されている。当然給料はライリーよりも高い。
「ようこそおいでくださいました。若様、若奥様」
「まだ婚約の段階だけどね」
スティーブが照れたように言うと、クリスティーナはその仕草が可愛らしかったので、くすっと笑った。
「マイラは覚えが早くて2週間くらいで計算が問題なく出来るようになったんだ。シリルも驚いていたけど、平民は覚えが悪いっていうのは大きな間違いだね。今はどうやって平民でも優秀な人材を見つけて、国の仕事をさせようかという仕組みの話が起こっているよ」
「それについては、若様とウィルキンソン様の教え方が良いからですよ。勉強があんなに楽しいものだとは思いませんでした」
マイラが言うように勉強は極力楽しくなるような工夫がされていた。単に計算の問題を解くのではなく、買い物ごっこ遊びをしながら誰が一番間違った金額が少ないかを競争したりしながら計算を学ばせた。
子供が飽きるのは当然だが、大人も飽きる。それを理解して工夫することが大切なのだ。
そして、ジョージもその教育記録をシリルを介して王立研究所に提出しており、それが評価されて次期の新規採用が内定していた。
新規採用といっても、国から給金を貰いながらアーチボルト領で教師を続ける。そして、その教育方法を報告するというのが仕事だ。
「スティーブ様、私も学校の授業を見学したいです」
「今日は予定にないから、また今度だね。ジョージを驚かせることになるから。今度、王立研究所から研究員がやって来て、研究授業をすることになっているから、その時にクリスも見学の枠をとっておくよ」
「あの、スティーブ様もご一緒ですよね?」
「勿論だよ」
2人のやり取りをマイラは微笑ましく見ていた。
その後シフトの状況を確認して、その割り振りで従業員の不満をどう抑えるかなどをマイラに説明してもらい、クリスティーナの味見をしてみたいというのを叶えたところで食堂の見学は終わった。
次に工場の確認に移る。
「工房みたいに、弟子が親方の周りにいるようなのをイメージしていましたが、一人一人が自分の場所で仕事をしている役所のような雰囲気ですね」
とクリスティーナが感想を述べた。
「そうだねえ、各工程で役割分担があって、一人一人がその工程に責任をもって仕事をする。最初から最後までを親方が見るようなやり方とは違うね。ニックも常に監視しているわけじゃないし、厳しい指導があるわけでもない」
「厳しい指導をしていないのですか?」
クリスティーナはスティーブから事前に工場のことを聞いていたが、多少は誇張されているのではないかと思っていた。その一つが指導方法である。親方によるげんこつが一般的な指導だとクリスティーナは知っていた。そして、工場でもそうした指導があると思っていたのである。
しかし、実際には作業標準書を使っての指導だし、今となっては作業者は自分の担当する工程の作業標準書を読むことが出来る。
作業で困った時は作業標準書を読み直して、自分でどうするべきかを考える位には成長していた。
作業標準書も文字だけではなく、絵で説明しているところもかなりある。ビジュアルで理解をさせようという工夫だ。
それでもわからない時には、工場長であるニックに相談することになる。
「ここは積み木を作っているラインだね」
「そういえば、積み木を実家に送ったら喜ばれました。知育玩具の効果を期待して購入希望が殺到しているみたいで、エマニュエル商会も王都まで運ぶ前に全てが売り切れてしまうとかで、実家の領地での入手が難しいみたいです。木工の職人たちは子供のおもちゃなんか商売で作りたくないって言って、仕事を請けてもらえないそうですし」
「そのおかげで、うちの領地が潤うんだけどね」
知育玩具は噂が広まると注文が増えた。そして、注文が増えると供給がおいつかず品薄状態になる。人の心理として、品薄になると欲しくなるというのがあり、積み木については入荷待ちの人が相当いる。バックオーダーを抱えているので、工場の経営は安定している。
そういう状況なので、伯爵家とはいえ北部のマッキントッシュ家は積み木を入手できていなかったのだ。
親戚からどうしても子供にと頼まれたマッキントッシュ伯爵は、娘であるクリスティーナに手紙を送り、積み木を売って欲しいとスティーブに頼めないかと聞いたのだ。義父となるであろうマッキントッシュ伯爵の頼みであるので、スティーブは直ぐに積み木を10セット伯爵に送った。そうした経緯があるのだ。
なお、職人たちは子供のおもちゃを商売にすることを嫌っている。自分の仕事の良し悪しは子供にはわからないと思っているからだ。それが品薄の一助となっていた。
スティーブとクリスティーナがやすり掛けで角をとる、面取り工程に差し掛かった時、そこの作業者が作業の手を止めて挨拶してくる。
「若様、ようこそ」
その挨拶にスティーブが嫌な顔をしたのをクリスティーナは見逃さなかった。何故挨拶をされて嫌な顔になるのか不思議だったが、スティーブが作業者のことを嫌いなんだろうと考えた。
作業者は挨拶を終えると作業に戻る。そして、面取りした積み木を次工程行きのかごに入れた。
そこでスティーブが作業者に話しかける。
「ちょっといい。今の積み木を見てごらん」
「これですか?」
作業者はスティーブに言われてかごから積み木を取り出した。
「あっ!」
作業者は積み木を見て驚いた。面取りをしていない個所があったのだ。
面取り工程は、面取り忘れを防止するために、面取りする順番が決まっている。それが作業標準書にうたってあり、ニックによる作業観察でその順番通りに作業が出来るようになって、はじめて一人前の作業者と認定されて仕事を任される。
この作業者も当然順番は理解している。
だが、面取り忘れは発生した。
「どうして面取り忘れが発生したかわかる?」
「禁止されていた1サイクル終わるまでは作業を中断しないという指示を守らなかったからです」
作業者はスティーブの質問にこたえた。
1サイクル終了するまで作業を中断しないというのは工場のルールだ。作業再開時に工程を飛ばしてしまうリスクが高いためである。今まさしくそれが発生した。
作業者はスティーブに挨拶をしない事が失礼になると思い、途中で作業を中断してしまった。それを見たスティーブが嫌な顔をしたんだなとクリスティーナは理解した。そして、作業者を怒るのかと思ったが、スティーブは意外な事に手直しを命じて終わりにした。クリスティーナはもっと注意しないと同じような事を繰り返すのではないかと心配になった。
スティーブはそんなクリスティーナの胸の内を察する。
「この程度で終わった事を不思議に思っている?」
「はい。もっと厳しく言わないとまたやるんじゃないですか」
「厳しく指導するのは言葉だけじゃないよ。それを今から見せてあげる」
スティーブはニックを呼んで、今あったことを話した。
「若様申し訳ねえ。俺の方からきつく言っておきますんで」
「いや、それはいいよ。本当に理解したかを確かめるにはそれじゃあ駄目なんだ」
「じゃあ殴りますか?」
ニックが拳を握って見せるが、スティーブは首を横に振る。
「そんなことは命令しないよ。ニックには意地悪テストをしてもらいたいんだ」
「意地悪テストですか。なんですそれは?」
「あの作業者が作業中に話しかけて欲しい。本当に言ったことを理解しているならば、次は1サイクル終了するまではニックに対しても受け答えをしないだろうからね。それがもし、受け答えをした場合は再指導をお願いするね」
「お優しいことで」
「そうでもないさ。出来るようになるまで何度でもやらせるんだから、途中であきらめるよりも厳しいと思うよ」
相手が嫌になっても止めないというのは、見捨てるよりも厳しいとスティーブは考えていた。
移住者から脱落者を出さないためにも、指導は厳しく行う。その厳しさは恐怖という意味ではない。同じものを何度でも作れるようになるロボットのような役割。それを出来るようになる対価が、カスケード王国の平均的な平民よりも高い給金である。
ただ、そうした作業に向かない人間もいるので、工場や食堂以外の働く場所も作らなければと思っていた。それはまだ手もついていないが。
だからこそ、今は厳しくてもルールを守って不良品を作らないようになってもらうしかないのだ。
「見捨てるよりも厳しいですか」
クリスティーナは自分がスティーブの代わりを務めなければならない時、同じように指示が出せるか自問自答してみた。が、結論は出なかった。
「クリスティーナ様、若様はきっとクリスティーナ様にも何度も同じ事が出来るかを確認すると思いますぜ」
「仕事とプライベートは別だよ」
ニックがからかうので、スティーブはむすっとして言い返した。
「1サイクル終了するまでは、作業の手を止めない。素晴らしい考えですね。言われてみれば納得ですが、ついついやっていました。スティーブ様、私がそうした場合も意地悪テストをしていただけますか?」
「クリスが望むならね。でも、そんな仕事を任せるような時が来るかなあ」
「書類の仕事でも、途中で手を止めてしまえばミスをすると思います。だから、全ての事に共通しているんだと」
「まあそうだよね。仕事中に電話が来たら、売り上げをどこまで入力したか忘れちゃうしね」
「デンワ?」
スティーブがついうっかり、前世の知識から電話と言ってしまう。勿論、カスケード王国には電話などないので、クリスティーナは聞いたこと無い単語に戸惑う。
「伝書の鳥でデンワね。ほら、鳥は一羽二羽って数えるじゃない」
「ああ、そういう言葉があるのですね」
クリスティーナはスティーブの言い方に違和感を感じたが、そういうものなのだろうという事で処理した。
一方スティーブはうっかり前世の知識を口にしたことを反省した。クリスティーナには前世の記憶があることがばれても問題なさそうではあるが、いらぬトラブルの種を自分で蒔くこともしないにこしたことはない。
「作業の途中で手を止めないようにするには、作業者だけでなく周囲の人も話しかけないような注意が必要なんだよ」
「料理の味付けの途中でも、話しかけられるとお塩をいれたかどうかわからなくなりますものね」
「そうそう。シェリー姉上なんかがつまみ食いに来たのを注意すると、忘れの原因になりますよね」
ふたりは笑いながら会話をしたが、その時家にいたシェリーがくしゃみをしたのは偶然なのか。
基本製造業のお話なので、これが本流のストーリーのはず