21 おうどう
カーシュ子爵とその一派は現引きすることが出来ずに、多額の借金を負う事になった。銅については契約違反という事で、先物の差額を支払うことになり、現物はオーロラが保有したままということで清算処理がなされた。これが更にカーシュ子爵を苦しめることになる。自分の手持ちの銅を売ろうとしても、オーロラが大量に現物を市場に放出したため、銅の価格が過去最低を記録したのだ。
オーロラへの支払いに窮してバルリエ商会への支払いを踏み倒そうとしたが、バルリエ商会も経営難からその経営権をオーロラに握られてしまった。結局どの支払いを止めようとも、オーロラに頭を下げなければならないし、踏み倒すことも出来なくなったのだ。
これはカーシュ子爵派閥の貴族たちも同じである。厚顔にも商人への支払いを踏み倒そうとしたが、商人たちはその債権をオーロラに売ったのだった。その結果、今後100年はオーロラに支払いを続けなくてはならない状況となり、派閥は解体することとなった。
大方の処理が終わった時、スティーブはオーロラに呼び出された。
いつものように執務室に転移すると、そこにはバルリエがいた。
「お久しぶりです、閣下」
スティーブが挨拶すると、オーロラは着席を指示する。スティーブがソファーに腰かけたところで話が始まった。
「今回の件もあらかた片付いたわ。取り分が9:1だからいいようなものの、折半だったらもう少しこちらの事務手数料を欲しいと交渉していたところよ。それに、現金は殆ど入手出来なかったしね」
オーロラがぼやく。
カーシュ子爵とバルリエたちは、手持ちの現金で買い占めをしていたので、取り立てようにも現金を持っていなかったのだ。差し押さえた銅の現物も、価格の暴落によって価値は殆どなくなっていた。
「その苦労を見越して、最初に取り分をご提示させていただきました。って、そういう会話をしてもよいのですか?」
スティーブがちらりとバルリエを見る。オーロラは頷いてみせた。
「今回の影の立役者ですもの、会話を聞いてもなんの問題も無いわ」
「立役者などとは畏れ多いことでございます。閣下にお声をかけていただかなければ、今頃は川に身を投げていたことでしょう」
オーロラとバルリエの会話が理解できず、スティーブは説明を求めた。
「事情が呑み込めないのですが。説明をいただいてもよろしいでしょうか」
「現物を買い支え出来なくなった時に、私がバルリエをこちらの陣営に誘ったのよ。貴方の計画でも十分にカーシュ子爵にダメージを与えられたけど、バルリエが先物を更に買うように子爵に提言して、見事に買い増しさせる事に成功したのよ。そのおかげで、当初の計画の倍以上の損害を与えることが出来たわ」
その説明でスティーブはなにがあったのかを理解できた。
現物の買い占めが失敗した時点でバルリエは敗北を受け止めていたが、オーロラがバルリエだけが生き残れるように救いの手を差し伸べたのだ。ただし、救う条件はカーシュ子爵に先物を買い増しさせること。
バルリエは破綻の土俵際で踏みとどまり、カーシュ子爵を裏切ってオーロラにつくことを選んだのだ。どのみち、カーシュ子爵たち貴族は損失をバルリエに押し付けて逃げるというのもわかっていたので、裏切る事に後ろめたさも無かった。
「表向きは閣下に雇われた会頭という立場ですが、今までの対立をご宥恕いただき、経営には大幅な裁量をふるう許可をいただきました。私の損失も閣下に肩代わりしていただけましたし、これ以上ないほどの待遇でございます」
「私の後ろ盾が無いと、カーシュ子爵たちに嫌がらせをされそうだしね。表向きは私が経営者っていうことになっているけど、実際には利益の一部を納めてもらうだけで、黒字なら口出しするつもりはないわ。カーシュ子爵の派閥を潰せるなら安いものよ。これで西部での当家の地位は百年は安泰ね」
そう言ってオーロラはティーカップを手に取り、優雅にお茶を飲んだ。
この時スティーブは、自分など政治の世界ではまだまだだなと認識した。自分の計画のさらに上を行くのが目の前のオーロラであり、伊達に西部の派閥を率いているわけではないと思ったのである。
「あら、怖い目で睨まないでよ。泣いちゃうわよ」
とオーロラはおどけてみせた。スティーブは今回出し抜かれたという事を考えていたら、ついついオーロラをきつい目線で見ていた。それをオーロラに指摘されたのである。
「あ、すいません」
「別に貴方の計画に不満は無かったのよ。ただちょっと、もう少しこうすれば更によくなるのにって思ったから、少しだけ変更を加えたの。出された料理に自分の好みで調味料を加えるようなものね。元々美味しい料理を作ってくれる人がいなければ、その調味料の出番も無いのよ」
その言葉にバルリエも頷いた。
「私もこのような少年に手玉に取られていたとは思いもしませんでした。カーシュ子爵がこれを知ったら憤死するかもしれませんね」
「年齢に相応しくないとはよく言われます」
そういうと、スティーブは気持ちを落ち着かせるために、目の前のお茶を飲んだ。
「そうよ。普通の10歳は陛下を使って子爵に嫌がらせをしようなんて考え付かないわ。私も結果を聞くまで思いつかなかったもの。子爵は銅の流通を恣意的に止めていたことで、王都に呼び出されて陛下直々に説教されたそうね。しかも、タウンハウスを換金のために売り払ってしまったせいで、貴族が泊まるのにはふさわしくないような安宿で何日も過ごしたそうよ。タウンハウスだけじゃなくて現金もないんだもの、当然よね」
オーロラはクスクスと笑った。
カーシュ子爵は借金の返済の為、王都にあるタウンハウスを売ってしまった。その売ったお金は借金の返済に消えてしまい、手持ちの現金が殆どないので安宿に泊まるしかなかったのである。
勿論これが、国王陛下の怒りを買ったという状況でなければ、親しい貴族のタウンハウスに泊めてもらうことも出来たであろうが、カーシュ子爵のしでかした悪事は、枯草についた火種よりも早く燃え広がって、貴族社会に知れ渡ったのである。
そうなるように仕組んだのはオーロラであるが。
結果として、カーシュ子爵と付き合おうという貴族はいなくなった。それで安宿しか選択肢がなかったのである。
オーロラの笑いが止まるのを待って、スティーブは報酬の件を切り出した。
「それで、報酬の件ですが」
「わかっているわ。まずは現金が金貨100万枚。端数切り上げでいいわよね。あなた専用の部屋に置いておくから、好きな時に持って帰って」
「切り上げなら文句のいいようもありません」
「それと移住については早速私への支払いのために増税をした貴族の領地からの転居を許可するようにするわ。転居を邪魔するようならば、こちらで責任を持って実力行使で止めるわよ」
「ありがとうございます」
利益の1割と住民の移住の許可という約束した報酬が得られたことにスティーブは満足した。好きな時に持って帰るとは、金貨が置いてある部屋に転移して、それを持って自分の家に再び転移するということである。流石に金貨100万枚ともなると、スティーブでも一度に運ぶ事が出来ないので、他の者の目につかないように、オーロラが居城の一室をスティーブのために開けたのだ。
「ただ、移住を希望する住民があなたの領地に行くところまでは保証できないわよ」
「それは承知しております」
「何か策があるということ?」
「はい。今回得た報酬と自分の売買の利益で5年間領地を無税とします」
「あらあら、それじゃあみんな移住してしまいそうね」
「なので、移住には人数制限を設けようとおもっております。当面は100人程度を受け入れて、新規に村を作ってみようかと。元からいる住民と新規の住民の対立も、村が違えばそう問題になることもないでしょうから」
オーロラはスティーブの計画を聞いて一先ず安心した。無税にして移住の受け入れを無制限としたら、西部からどれだけの移住希望者が集まるかわかったのもではない。そうなった場合、今回反目した貴族以外にも被害が及ぶ可能性が高い。それが避けられるとわかったことは大きかった。
そして、その移住する住民はカーシュ子爵領を優先的にしようと考えていた。カーシュ子爵からの借金の返済よりも、二度と歯向かえないていどに抑えつけておくことの方が重要だった。それは、他の貴族に対する牽制でもある。
歯向かった者には容赦しないという姿勢が、他の貴族への抑えになる。
オーロラとの話し合いが終わると、スティーブはエマニュエル商会に立ち寄った。オーロラとの最後の話し合いが終わったことを報告するためである。
商会ではエマニュエルが待っていた。二人はいつもの打ち合わせ部屋に移動し、そこで今回の結末を話した。
「なるほど、バルリエ商会が辺境伯に寝返っていたことで、最後のあの巨大な建玉となったわけですね」
バルリエのことをスティーブが話すと、エマニュエルは驚いた。エマニュエルにとっても意外だったわけだ。基本的に御用商人は最後まで貴族を裏切らない。踏み倒されるリスクをとってでも付き合おうと決めた相手だからだ。
「まったく、閣下も一言くらい相談してくれてもいいのにね」
「ここだけの話ですが、おそらくは閣下はスティーブ様に一矢報いたかったのでしょう。全てスティーブ様の思惑通りに進んだことが、後に発覚した場合はメンツが丸つぶれですからね」
とエマニュエルはオーロラの胸の内を推測した。
「そういうもんか。でも、そのおかげで上機嫌の閣下が移住の話を許可してくれたんだし、よしとするか。エマニュエル、前に話していたように新規の村を作ろうと思う。住宅の建設をはじめてほしいんだ」
「承知いたしました。問題は、移住希望者が殺到したときでしょうね」
「そうだね。基本的に圧政に苦しむ人たちが来るわけだから、なるべく移住を受け入れてあげたいところだけど、うちの領地も人口が増えてもそれを養うだけの産業がないからねえ。最初の100人が上手くいけば二次募集をかけるんだけど」
「スティーブ様のことですから、直ぐに二次募集となることでしょう」
「かいかぶりだよ。万事うまくいく事なんてまずないから」
エマニュエルはスティーブのお陰でソーウェルラントではサリエリ商会に次ぐ資産規模の商会となっていた。人材についてはまだまだこれからであり、既存の大規模な商会に従業員の質と数で負けてはいるが、今回の相場での活躍で有名になり就職希望者が殺到している。
就職希望者の多くは破産した商会の従業員や、借金で首が回らなくなった貴族の使用人だった。今はそれらの中から有望な人物を選ぶ作業で忙しい。
そんなエマニュエルの快進撃は、勿論スティーブあってのことであり、エマニュエルはスティーブに足を向けて寝られないと思っているのである。だからこそ、スティーブがする事であれば、必ず成功すると考えていた。
「それじゃあ領地に戻るからね」
「またお会いできるのを楽しみにしております」
スティーブはこれでソーウェルラントでの用事が終わり、自分の家へと帰った。相場は終わったといっても、オーロラとの交渉がどうなるかとみんなが気をもんでいた。ブライアンをはじめ家族全員がスティーブの帰りを今か今かと待っていたのだ。
「父上、閣下との交渉も終わり、無事報酬をいただいてきました」
金貨と共に転移して帰って来たスティーブは、ブライアンに結末を報告する。受け渡し日にも話をしたのだが、その時はブライアンに凄く怒られた。最終的にはオーロラが指示したからというので、ブライアンもしぶしぶながら納得したが、次回は事前に相談するようにと釘を刺されている。
しかし、人は現金なもので、ブライアンもスティーブが持ち帰って来た金貨を見たら笑顔がこぼれる。
「報酬はどの程度になったのか?」
「金貨100万枚と住民の移住の許可です。移住に関してはまずは100人を受け入れるとお伝えしてあります」
「き、金貨100万枚か。これがそれか」
ブライアンがスティーブの周りにある金貨をさす。
「いいえ、全てを一度に持ってくる事が出来なかったため、これはそのほんの一部です」
「ほんの一部か」
ブライアンをはじめ、アビゲイルもシェリーも金貨の量に息を吞む。クリスティーナも驚いていたが、そこは顔に出さないための教育を受けており、はた目には平然としているように見えた。
金貨に駆け寄って触ってみたシェリーがアビゲイルに質問をする。
「お母様、金貨100万枚を持っている貴族って子爵くらいの爵位かしら?」
「それくらいになると伯爵クラスでも怪しいわね。建物や領地の価値を足せばもっと持っているけど、金貨だけでとなるとねえ。って、シェリー、金貨の上で寝ないの。はしたない」
金貨の上で寝転ぶ娘をアビゲイルは窘める。
「これにエマニュエルにお願いしていた売買の利益も加わりますので、みんなで一度王都に行って買い物でもしましょうか」
スティーブの提案に女性陣は賛成する。無駄遣いは良くないというブライアンの意見は、多数決によって否決された。
この提案は、伯爵家からアーチボルト家に来ているクリスティーナに、以前のような生活水準を与えたいというスティーブの思いからであったが、クリスティーナだけを特別扱いすると、母と姉から苦情がきそうなので、みんなでということにしたのだ。
後日、王都では仲睦まじいスティーブとクリスティーナの姿が目撃されることになる。
そして、スティーブは相場に関わっていて中々会話のできなかったシリルのところにも顔を出した。
「大仕事お疲れ様でした」
とシリルに言われたので、スティーブは協力への謝辞を述べた。シリルの協力があって、カーシュ子爵の銅をせき止めていた件は、国王陛下からの懲罰というおまけがついたのだ。
「シリルさんの協力についてお礼をしたいのですが」
「お礼だなんて。私の方こそ新しい知識をいつもいただいており、この程度の恩をお返ししても足りません」
「そうか、でもそれじゃあ申し訳ないなあ。あ、じゃあアイラとの結婚式は領の予算で執り行うように父上に言っておきますね」
スティーブがそう言うとシリルが顔を赤くした。そういった話に耐性がないのである。なお、アイラとの仲は順調。というか、もうアイラの手料理以外の料理は食べたくないと思うくらいには、アイラに支配されていた。
「仕事の方は順調ですか?」
スティーブはアイラとの話から話題を変えた。
「銅が安くなったことで、庶民にも手に届く値段になることでしょうね。需要と供給が価格を決めるという話は目から鱗でした。その計算式を考えるのは大変ですが、これが出来れば適正価格の算出が可能になります」
「その計算式を考えるのも技官の仕事とは、数学者も兼ねてますね。僕が計算式まで知っていればよかったのですが」
「いえいえ、学問に王道なしです。楽をしていては身につきませんので」
シリルはスティーブから理論はおおよそ計算式であらわすことが出来ると教えられていた。それは現代の知識があるスティーブだから言える事である。この文明レベルでは計算式よりも経験則の方が強い。天文学や建築学なども、一部計算式を教えているものもあるが、その多くは先輩たちの経験を学ぶものとなっている。
「おうどうといえば、銅が安価に出回っておりますので黄銅も安くなるのかな」
「スティーブ殿、黄銅は銅鉱山の一部から産出されるものですから、今のような銅とは別物でしょう」
「別物?黄銅は銅と亜鉛の合金じゃないの?」
スティーブは黄銅は銅と亜鉛の合金であることを知っているが、カスケード王国では亜鉛の精錬技術がなく、そもそも亜鉛が単体の金属であることが知られていない。黄銅は銅鉱石に多量に亜鉛が含まれているものが出回っているだけだ。
スティーブはそのことを知らず、前世の知識で語ったため、シリルと話がずれているのだ。
「亜鉛というのはなんでしょうか?」
「そういう金属があるんだけど、うーん」
スティーブは少し考えて、鋼作成の魔法で亜鉛メッキ鋼板を作って、それをシリルに見せた。
「これは鋼の板に亜鉛メッキを施したもの。亜鉛はさびにくいからメッキとして使うにはいいんだ。金属どうしだからこうしてメッキが出来るんだよ」
スティーブはそう説明した。ただ、金属同士だからメッキが出来るというのは間違いである。プラスチックにメッキをしている事例は数多くあり、スティーブがその事を忘れているだけである。前世が金属加工主体の町工場であり、メッキといえば金属という思い込みによる間違いであった。
「それでね、この亜鉛を銅と混ぜる事で黄銅になるんだ。話の様子だと今は亜鉛の比率が高い銅鉱石からしか黄銅を作れていないようだけど、亜鉛の精錬が出来るようになれば黄銅をもっと沢山生産出来るようになるね」
「そうなれば錬金術師から恨まれそうですね」
黄銅はその色から金が含まれているのではないかと言われており、錬金術師がその研究をしているのであるが、それが亜鉛という金属だということになれば、その研究予算は無くなってしまう。
「彼らは金属の専門家ですから、精錬技術の確立で活躍してもらえばいいでしょう。失業しなくて済みますよ」
こうして、シリルから亜鉛の存在が王立研究所に伝えられ、黄銅の研究にも予算が大きく組まれた。これは銅鉱山を持っている貴族を助けることとなった。何故ならば、大量に出回って価格が暴落したせいで、鉱山経営が赤字となってしまったのである。
しかし、亜鉛を含む銅鉱石が必要となれば、国家予算で銅の採掘が出来る。閉山の淵にあった銅鉱石はこれで息を吹き返したのであった。