20 現引き
バルリエ商会にはサリエリ商会で買った銅を持ち込む商人で溢れていた。商会の金庫だけでは現金が足りず、カーシュ子爵をはじめとする派閥の貴族から現金をかき集めて、その売りを受けている状態だ。
そして、当然大量の銅を置く場所もないので、これまた貴族たちのタウンハウスに現物を置かせてもらっている。下手なところに置いて盗まれてそれが市場に出回るくらいなら、貴族への借りを作ることになるとしてもタウンハウスで保管した方がよいのだ。
ただ、あらかじめ準備をしていたサリエリ商会と違い、バルリエ商会では荷馬車が足りていないので、売買契約書を持って各タウンハウスに行くように商人には話してある。
そのようにして買い占めを継続していたが、最終売買日まであと3日というところまできて、遂に現金が枯渇することとなった。そこで慌てて買い方の本尊であるカーシュ子爵は派閥を集めて緊急会合を開催した。
会合の冒頭でカーシュ子爵は怒りをぶちまける。
「いまだにサリエリ商会は銅の現物を大量に売りに出しているではないか。誰か、奴らの在庫量を調べた者はおらんのか!本当に勝つつもりはあるのか!」
自分が調べると言ったことを棚に上げて、情報を掴めていない貴族たちとバルリエをしっ責した。ここで反論してもよいことは無いので、貴族たちは誰もしゃべらなかった。
それが益々カーシュ子爵を苛立たせる。
そのような状況で最初に口を開いたのはバルリエであった。
「閣下、こうなったら現物の買い占めを諦めて先物で勝負をいたしましょう」
「バルリエ!現物が下落したら先物も下がるであろうが!」
カーシュ子爵は物凄い剣幕でバルリエを怒鳴る。が、バルリエはそれに臆する事なくその狙いを説明した。
「閣下、現物の価格などどうでもよいのです。既に建玉は国家の一年間の取引量と同等になっております。ここでさらに買いを入れた場合、相手は受渡期日に売る約束をした量を用意出来ない事でしょう。そうすれば、現物の損など直ぐに取り返す事が出来ます」
「なるほど、その手があったか」
カーシュ子爵はバルリエの説明に納得した。先物のレバレッジは100倍である。つまり、現物の1/100の資金で買い注文が出せる。手持ちの現物を放出して現金を作れば、まだまだ十分に戦う事が出来る。
そして重要なのが受渡期日が迫っているということ。今現在サリエリ商会が売った銅はおよそ1,000トン。これを市場に放出したところで、先物で売っている量には遠く及ばない。ましてや、銅を売った金で先物をさらに買い増しするので、相手が用意しなければならない量はさらに増える。
他の貴族たちもバルリエの提案に賛同した。
この決定により、即座に買い占めていた銅が市場に流れ始めた。こうなると市場はパニックに陥り、皆が抱えていた銅の現物を投げ売りする。
ではそれが暴落になるかといえばそうでもない。先物を買い支えるバルリエ商会は当然金貨350の売りに買いをぶつける。それを見た冷静な商人たちは、下落する銅の現物を購入して、同数の先物を売ったのである。アービトラージ、鞘取り戦略であった。例えば、銅を1トン金貨200枚で購入して、先物を1トン分金貨350で売る。これで清算日に現渡し、つまり持っている現物を先物を買っている相手に渡すことで、その差額金貨150枚の利益を得ることが出来るのだ。
本来は先物と現物には大きな乖離はないのだが、今回はカーシュ子爵が無理に先物を買い支えているので、簡単に鞘取りをすることが出来たのだ。
そういうわけで、売り方はサリエリ商会に加えてアービトラージ戦略をとる商人も加わった。
資金力で劣るバルリエ商会は結局金貨350枚での買い支えが続かず、取引最終日の前日に350の買い注文を出せなくなって、先物価格が一気に暴落をした。
ストップ安という仕組みが無いため、先物価格は一気に金貨10枚まで下がる。
これにより、バルリエ商会は証拠金不足となり、追証という追加の証拠金差し入れを求められることになる。
が、追証の差し入れは翌々営業日までとなっており、最終日にはまだ証拠金を入れなくてもよいのだ。
これもバルリエの作戦であった。限界を超えて借金をし、更には追証となっても最終日をまたいでしまえば強制決済されることはない。あとは、サリエリ商会が現物を用意出来なかったらば、それを責め立てて違約金を回収する計画であった。
明日の最終日を前にカーシュ子爵は再び会合を開く。冒頭でバルリエが状況を説明した。
「最終的に建玉は40,000枚まで膨らみました。国内取引量2年分の建玉ですので、これの現渡しは不可能でしょう。こちらも追証となっておりますが、最終日の取引が終わってしまえば強制決済されるのは、市場内ではできませんので、あとは相手の現渡し不能との交渉となります」
「交渉となれば、こちらも一歩も引かなければよいだけのこと。買うから現物をよこせと主張するだけだな」
カーシュ子爵が笑いながら言う。ここまでくればオーロラが現物を用意出来ないのは確定。あとは現渡しをしてから金を払うと言っていればよいのだ。本当に払える現金がなくとも、商品を渡す方が先になるので問題ない。
派閥の貴族たちも直ぐに換金できるものは換金して、尚且つバルリエ以外の商人から借金をして先物を買い支えていた。彼らにしても、カーシュ子爵と一緒に現渡しを要求するつもりであり、多数の貴族が主張する事でオーロラを抑え込めると考えていた。
「明日は辺境伯令嬢も取引所に来るとか。最終日の売買を邪魔させないためにということです」
「まだこちらが何かを仕掛けると思っているのか。愚かな事だな。こちらの仕込みは既に終わっているというのに。よし、明日は俺も取引所に行って、奴の泣きっ面を見てやろうではないか」
明日の取引最終日は、これだけの大相場の取引なので、無事に引ける事を確認するという名目で、オーロラが取引所に来ることが通達されていた。売りの本尊が来るのであれば、買いの本尊であるカーシュ子爵も締めくくりとして、最終日を見に行きたいとなった訳である。
市場内での決着は受け渡し日に持越しとなるのだが、節目としてのセレモニーであった。
翌日、市場が開く直前に取引所の職員から仲買人に通告がある。
「銅先物の建玉が多すぎる事もあり、解け合いとさせていただきます」
その通告を聞いた場内にはどよめきが起きる。
解け合いとは市場が急激な混乱にさらされたときや、やむをえない事情がある場合などで決済不能に陥った場合、緊急手段として双方に一定の価格を提示し決済することをいう。
建玉が2年分の取引量相当となっているので、現物の置き場もなくそういう処置に出たわけだ。
勿論、それに大反対したのはバルリエとカーシュ子爵であった。
「そんなこと納得できるか!今になって解け合いだと!」
貴族であるカーシュ子爵は遠慮もなく職員に詰め寄った。相手が貴族であるので、職員は抵抗することも出来ずに胸ぐらを掴まれたままとなる。そして、泣きそうな顔でオーロラに助けを求めた。
「子爵、そうは言ってもこの建玉の現物を置く倉庫が無いんだもの、仕方がない事ではなくて?」
オーロラが助け舟を出すと、カーシュ子爵は納得がいったという顔をした。
「つまりは、それを理由に現在の先物価格で清算してしまおうという汚い作戦だったわけだ」
「あら、汚いというのは心外だわ。置き場がないという相談を受けて解け合いという知恵を授けただけよ」
「では、代わりの置き場を認めようではないか。倉庫での受け渡しが基本だが、置ききれなければ別の場所で受け渡しでもよいが」
「あらそう。ではそうしましょうか。ただ、解け合いがよかったという人は、個別で注文を受けてもいいわ」
ここでオーロラは自分の居城を指定した。そして、解け合いがよいというものについては、市場外での先物注文を受けた。安くなった先物をリバウンド狙いで買った仲買人は、現渡しされて引き取る手間を考えたら、解け合いで金銭的なやり取りにした方が被害が少なくて済むからだ。彼らはカーシュ子爵と違って、オーロラを相手に交渉を出来るような度胸を持ち合わせていない。
結局最終日には市場内での売買はなく、市場外のみでの相対取引だけが成立した。
その日の夜、カーシュ子爵が再び会合を開く。
「乗り込んで正解だったな。まさか解け合いを持ち出してくるとはな。俺がいなければ今頃押し切られていたことだろう」
上機嫌のカーシュ子爵。それもそのはずで、オーロラの目論見を潰したと思っているからだ。直ぐに派閥の貴族たちがおべっかを使う。
「閣下の勢いに押されてごり押しを諦めましたな」
「あの女を追い落としたら、我らで取引所を運営すれば、莫大な利益を産みますぞ。此度のようなルールも我らで自由に使えますしな。勿論、閣下の威光があってのことですが」
「受け渡し日までに土下座をしてくるのではないでしょうか」
その言葉を受けてカーシュ子爵はますます上機嫌になる。
その日は深夜まで前祝いが続き、ソーウェル辺境伯家の持つ利権の分配まで話し合われた。
二日後の商品受け渡し日当日、オーロラ、ハリー、カーシュ子爵一派、サリエリ、バルリエ、取引所の職員がソーウェル辺境伯の居城に集まっていた。スティーブはその様子をオーロラの執務室で遠目に見ている。
尚、スティーブとエマニュエルの建玉は解け合いもどきの市場外取引で解消していた。こちらの注文はオーロラが受けてくれている。なお、この利益についてはオーロラとの裏取引とは別口であり、二人がまるまる受け取れるものとなっていた。
「現物は用意できましたかな?」
カーシュ子爵は嫌味ったらしくオーロラに訊ねる。
「ええ。置き場は城の裏手になるわ」
「何?」
オーロラから予期せぬ返答が来たため、カーシュ子爵は驚いた。ここで用意できませんでしたという詫びが入ると思っていたからである。他の貴族たちも同様に驚いた。
オーロラはその様子を見てニッコリとほほ笑む。
「さあ、こちらに案内させていただきますわ」
オーロラが案内した先には銅が山となっていた。勿論、スティーブが毎日魔法でせっせと作っていたものである。
取引所の職員は困惑した表情でオーロラに申し出る。
「閣下、これ程の量ですと直ぐに真贋と重量の確認をすることが出来ませんが」
「こちらも無理は言わないわよ。終わったところから現渡しして頂戴。現引きする人達がそれでよければね」
オーロラがちらりとカーシュ子爵たちを見る。しかし、全員が固まっており、オーロラの視線になど気づかなかった。
「バルリエ商会はそれでよろしいでしょうか?」
職員に質問され、そこでバルリエは頷いた。
「わかりました。現引きの順番は顧客と相談いたします」
そう返答をして、固まっている貴族たちに確認をとる。が、現引きするだけの現金を持ち合わせていない貴族たちは何も言えず、ただただカーシュ子爵に縋るような視線を送るだけだった。
そのカーシュ子爵は地面に両手両膝をついてうずくまる。
「馬鹿な、こんな事が……」
ぶつぶつと独り言を言っていたが、やがてがばっと起き上がり、職員に詰め寄った。
「真贋を確実に見よ!国内に流通する銅の量を全部集めたとしてもここまでにはならんぞ。きっと偽物が混じっているに違いない」
「あら、公の場で私が偽物を混ぜたなんて言っていいのかしら?」
オーロラが眼光鋭くカーシュ子爵を睨みつけた。普通のものであれば萎縮してしまうような視線だが、カーシュ子爵はひるまない。
「あんな馬鹿気た量を用意など出来るものか」
「そういうのであれば、陛下にお願いして調査をしてもらっても良いわよ。陛下も貴方のやり方にはお怒りのようだし、きっと協力してくれるでしょうね」
「何故陛下が俺に怒るのだ?」
オーロラの言う事に心当たりがなく、カーシュ子爵ははったりだと決めつけていた。
「陛下が研究のためにアーチボルト領に銅を送ったのよ。それを貴方の領地で止めているでしょう。国家の発展を阻害していることにお怒りなのよ。私のところにも何とかしてくれと書簡が来たわ」
「なんだと――――」
カーシュ子爵は絶句した。これはスティーブの仕掛けた罠であった。シリルにお願いして、国王の為に銅を使った珍しい製品を作って献上したいという書簡を王都に送ってもらった。そして、国王の許可をとって銅をアーチボルト領に送る事になったのである。が、その銅には王家との関わりを示すものは無かった。なので、カーシュ子爵領の役人は銅の領地通過を認めなかったのである。
そして、シリルは再び書簡を王都に送る。銅が届かないと。
王都から派遣された兵士がその理由を調べた結果、カーシュ子爵領で不当に止められているという事が発覚し、それが国王に報告されたというわけだ。
「そのうち事情を説明させるために、王都に召喚されるんじゃない?」
オーロラはクスクスと笑った。




