第199話 資金難
カヴェンディッシュ建設には激震が走っていた。
レミントン辺境伯邸の瑕疵を皮切りに、貴族からの受注案件が軒並み品質問題に直面したため、入金が止まってしまったのである。もっとも、それ以外の入金はあるので、ゼロというわけではないが。
リリアとアーサーは、カヴェンディッシュ建設の他の現場に対しても、瑕疵の確認を買って出たのである。当然遅延損害金が支払われるため、多くの貴族たちはリリアたちに依頼をした。
それが株式市場にも伝わると、カヴェンディッシュ建設の株は大きく売られていった。バルリエ商会の大勝利というわけである。
この事態にカヴェンディッシュ侯爵は激怒した。
「アンダーソンを呼べ!」
が、執事は申し訳なさそうに口を開く。
「アンダーソン部長は退職いたしました……」
そう、アンダーソン部長はストレスで仕事を続けられなくなり、辞めてしまっていたのである。
「使えぬやつめ!」
侯爵は腹立たしさから、インクの入った瓶を掴むと、それを力いっぱい壁に投げつけた。
「出かけてくる!」
「どちらへ?」
「公共事業の入金を前倒しさせる。当面の運転資金はそれで何とかするんだ!」
「承知致しました」
こうして侯爵は馬車で出かけて行った。
侯爵が居なくなると、執事はため息をつく。
「あの女を諦めてくださればよいのだが……」
周囲に人がいないのを確認して、執事はそう呟いた。
彼の言うあの女とは、ナタリアの母親であるヘレナ・グランヴィルのことである。かつてカヴェンディッシュ侯爵はヘレナを愛人にしようとしていた。というのも、とある夜会で男爵令嬢のヘレナを見て一目ぼれ。結婚するには家格が違い過ぎるので、第二夫人というわけにはいかなかった。
別に法律で爵位による結婚の規制など無いのであるが、カヴェンディッシュ侯爵家としては、男爵家の令嬢を妻に迎えるなどというのは認められなかったのである。
だが、ヘレナは侯爵の誘いを断りサミュエルと結婚してしまう。侯爵もそれで諦めていたのであったが、そのサミュエルのグランヴィル工務店が、自分の経営する会社の下請けとなったことで、焼け木杭には火が付いたのである。まあ、侯爵が一方的に火がついただけなので、この表現が正しいかは議論の余地がありそうではあるが。
そうした事情から、グランヴィル工務店を締め付ければ、資金繰りの見返りとしてヘレナと、若いころのヘレナにそっくりなナタリアを、自分の愛人として囲うつもりで嫌がらせをしていたのである。
ナタリアが経済革命クラブに相談をしていなければ、この目論見は成功していたことだろう。
しかし、現実には手痛い反撃にあっている。
アーチボルト家がグランヴィル工務店の後ろ盾になった時点で、諦めればよかったのであるが、恋は盲目というように、侯爵は欲望に負けて判断を誤ってしまったのであった。
長年カヴェンディッシュ家に仕えている執事だからこそ、こうした事情を知っており、また、諌めることも出来ずに苦労しているのである。
一方、当の侯爵は建設大臣と面会していた。
「大臣、ボンデ川の護岸工事の支払いを前倒ししてはくれぬか?」
「閣下、それはちと厳しいですな。あれはまだ工事が終わってない。工事完了前の支払いとなれば、それなりの理由が無いと、会計院の監査で指摘を受けます」
「それがわかっているから、こうして直接大臣のところに伺ったのだ。孫の嫁入り先には、多少の便宜をはかった方が良いとは思わぬかね?」
建設大臣の孫娘は、カヴェンディッシュ侯爵の孫に嫁ぐ予定になっていた。
これは、公共事業を牛耳るカヴェンディッシュ侯爵による政略結婚であった。大臣としても、自分の任期中に問題を起こしたくはないのと、後々自分も利権にありつくつもりで、この政略結婚を承諾していたのである。
だからこそ、侯爵もこうしてひざを突き合わせてお願いすれば、支払いの前倒しは可能だと思っていた。
本来、大臣の権限でそれも出来たかもしれないが、今回それを拒否しているのには訳があった。レミントン辺境伯家が建設大臣に対して、過去の公共事業の支出についての洗い直しをにおわせてきたのである。全てが清らかなどということはなく、叩けばどこかからは埃が出るのは世の常。建設大臣はレミントン辺境伯家の調査力を恐れ、屈してしまったというわけである。
(今後も付け入られる隙を見せれば、糾弾されることになる……)
前倒しの支払いについても、国王や宰相を納得させるだけの理由が必要であった。その二人さえ納得してくれれば、レミントン辺境伯の追及も躱せるのであるが、今すぐにそんな都合の良い理由など見つかるはずもない。
しばらくすると、侯爵は怒って席を立ってしまった。
「無駄な時間を過ごしたようだな!孫娘が可愛くないとみえる!」
そう脅したものの、建設大臣はレミントン辺境伯に睨まれている家に、可愛い孫娘を嫁がせなくても済むならそれでいいかと思っていた。




