第197話 青菜に塩
ネイサン子爵邸を出て、待たせてあった馬車に乗ったアーサーとリリア。
二人きりになると、リリアは大きなため息をついた。
「はぁ、緊張した。貴方随分と落ち着いていたようだったけど、緊張とかしないの?」
「これくらいの事、祖父や父の仕事を手伝っていれば、頻繁にありますからね。それに、母は自分よりも若い時に、父と一緒に株の仕手戦で、株価を吊り上げるために大勢の前で演技をしていましたしね。それに比べたら大したことではないですよ」
アーサーが言うのはトンプソン男爵とドローネを相手にした仕手戦の事であった。あの時クリスティーナは、実家のマッキントッシュ家を巻き込んで、ステンレス製の像の価値を高めるために、大勢の貴族の前で演技をしていたのだった。
それを聞いて、リリアは自分とクリスティーナを比べてしまう。
アーチボルト家で会った時のオーラは、そうした経験から作られるものであり、自分がそこまでになれるのかと自問自答する。
元々がアーサーが婚約者としてふさわしいかを見極めるために近づいたのに、今では自分が相応しいのか考える立場になっていたが、彼女はそのことに気づいていない。
考えるのを止めてアーサーを見ると、その顔が急に頼もしく見え、リリアの顔は赤くなった。
「何か?」
アーサーに訊かれて、リリアはハッと我に返る。
「別に――」
そういって、視線を窓の外に移した。
車窓から見える王都の街並みは、いつもと変わらぬ賑わいを見せていたが、リリアはそんな景色は頭に入ってこなかった。
そうしているうちにも、馬車はバルリエ商会に到着する。
応接室に案内されると、そこには会頭のバルリエと、経済革命クラブのメンバー、それにナタリアが待っていた。
イザベラがアーサーに訊ねる。
「どうだった?」
「予定通り。魚が餌にくいついた状態だ。だから、この後も計画通りにいく」
アーサーの返答に笑顔になったのはバルリエである。
「では、これからカヴェンディッシュ建設の空売りをはじめます。しかし、毎回我が商会に注文を出していただいて、エマニュエル商会には申し訳ないですな」
「仕方ないよ。エマニュエル商会で空売りを仕掛けたら、あっという間に提灯がついて儲けが少なくなるからね」
そうアーサーがこたえると、エリザベスが身を乗り出した。
「今度こそママに利益を取られないようにしないと」
ぐっと拳を握りしめる。
前回のカッター伯爵とのフレミング商会をめぐる仕手戦では、その利益を親に没収されたエリザベスが、今度こそはと燃えていた。
利益は没収とはいうが、実は経済革命クラブでの使用は認められている。エリザベスが個人的に使うのが禁止されているだけなのだ。だから、今回の空売りの原資についても、エリザベスの物ではないのだが、自分の手持ちでも空売りをして、それで利益を得るつもりでいたのだった。
「リズ、あんまり大きく張ると、逆に動いた時に泣きを見るわよ」
イザベラが注意するも、エリザベスの頭の中はまだ見ぬ利益でいっぱいになっていた。相場で失敗する投資家そのものではあるが、今はアーサーとイザベラが味方に付いているので、失敗することなど考えられなかった。
そんなイザベラをミハエルはあきれ顔で見ており、心配するリリアとナタリアとは対照的であった。
特に不安が大きいのはリリアである。
「次は私が主役なのよね……」
弱気な顔でメンバーを見るリリア。
イザベラが鼻で笑う。
「経済革命クラブに乗り込んできたときとはえらい違いね。青菜に塩をかけたって、もう少しシャキッとしているわ」
「水分がぬけてしおしおだよ」
ミハエルは苦笑いしてイザベラの言葉を訂正する。
アーサーとエリザベスは笑うが、リリアはとてもそのような気にはなれなかった。
しかし、それでもリリアが主役となる場面はやってくる。




