184 父の決意
ヘイムダルは直ぐに領地に帰ると、全てを父に打ち明けた。
「父上、私はとんでもないことをしでかしてしまいました」
「どうした?」
息子の様子にただならぬものを感じるオーズ。そして、全てを聞いてしばらく黙る。
そして口を開いた。
「全ては私の仕業。それ以外の事実はない」
「それは……」
「これからフレイヤと話をしてくる。アーチボルト家に行かねばならぬしな」
「父上がですか?」
「そうだ。幸い私はもう領主ではない。私の犯罪であれば命は取られるかもしれないが、領地の責任までは回避できるかもな。なに、頭を下げるのは慣れている気にするな」
オーズはそう言うとフレイヤのところに向かった。
それから1時間。ヘイムダルはどうなるのかとオロオロしながら父が来るのを待っていた。すると、父は来ずに、フレイヤがやってきた。その目は真っ赤になっており、直前まで泣いていたのがわかる。
「これから父さんはアーチボルト家に向かいます」
「わたしのせいでございますか?」
「いいえ、全てはオーズの独断」
「しかし――――」
「黙りなさい!全てはオーズの独断。それ以外の事実はないと言われたでしょう!」
フレイヤの怒気に気圧され、ヘイムダルは黙った。
そして、オーズはブライアンに自主した。
その場にはスティーブとアーサーも同席させられている。
「この度は私の独断でご迷惑をおかけいたしました」
オーズが深々と頭を下げる。
アーサーは隣のスティーブをちらりと見たが、これほど不機嫌な父を見た記憶がないというくらいの顔をしていた。
ブライアンがオーズに問う。
「何故このようなことを?」
「過去の除虫菊と小豆の収穫量から、豊作不作の関係性を見つけました。私自身が相場をはることはしませんが、この小豆相場で買い方を勝たせたいと思いまして」
「その結果がこれだが」
「後悔はしておりません。ずっと負け続きだった私が、最後の最後で勝てたのです。できれば、先物を買っておきたかったですね。あと、甥たちを出し抜けなかったのは残念ですが」
オーズはもっともらしい理由を述べた。
「ふむ。婿殿が犯人で間違いないようだが、覚悟はできているかな?」
「はい。これで思い残すことはありません。結果処刑されたとしても」
「我が家の損害は小さい。命までは取らぬが、もう二度と牢から出ることは出来ぬぞ」
ブライアンがそう言うと、アーサーが口を挟んだ。
「おじい様!」
だが、それをスティーブが止める。
「アーサー、領主の決定に口を挟むな」
「しかし……」
「くどい!領主の決定だ。従いなさい!」
スティーブにきつく言われ、アーサーはそれ以上言葉を発することは無かった。
代わりにオーズが再び頭を下げ口を開いた。
「私のしでかしたことで、ソーウェル閣下から違約金を請求されてしまいました。500億ドラと遅延金。我が家では到底支払うことが出来ません。どうか、息子に貸してはいただけませんでしょうか?私の負債を息子に押し付けるようで心苦しいのですが」
「それについては私が請け負いましょう」
スティーブにそう言われて、オーズはホッとした。
今度はスティーブに頭を下げる。
「義弟殿、ご迷惑をおかけいたします」
「ほかならぬ義兄殿の頼みですから」
そこで今度はブライアンがスティーブに訊ねる。
「さて、ソーウェル閣下はこの犯罪を我が家で裁くことをお認めになるかな?」
「なんとしても認めさせます」
やはり、スティーブの言葉には怒気が込められており、アーサーは自分たちのやり方が間違いであったと後悔した。
そして、オーズには縄がうたれ、牢につながれることになった。
アーサーは自室に戻る途中でスティーブに謝る。
「父上、この度は申し訳ございません」
「何に対しての謝罪かな?」
「私がもう少しうまくパーカー殿の裏切りをあしらっていれば」
「いや、それはここまでになるまで放置した自分の責任だ。アーサーが気に病むことじゃない」
スティーブにそう言われて、アーサーはそれ以上何も言えなくなった。
父親が自責の念にかられていることに対し、どう言葉をかければよいのかわからなかったのである。
スティーブはその後すぐに動いた。まずは、パーカー準男爵領に転移し、債務を引き受けるという契約書を交わす。
それが終われば、今度は違約金を用意し、書面とともにソーウェル辺境伯の居城に届けた。その際、オーロラのところにも顔を出す。
スティーブが帰った後で、オーロラはロキを訪ねた。
「今、閣下が来たけど随分と怒っていたわ。あれだけ怒ったところを見るのは久しぶりね」
「母上、閣下の暴挙を止められませんか?」
「暴挙?何があったの?」
オーロラは息子に訊ねた。そこには呆れが含まれていたが、ロキは気が付かない。
「パーカー準男爵の違約金を肩代わりし金を払ったのですが、だから小豆を返せというのです。それも、パーカー準男爵領のものだけをと」
「それは当然でしょう。違約金が支払われたなら、契約は無し。返品するのが義務よ」
「ですが、他領、他国の物が混じっていてはならぬというのです」
「だって受け取ったものを返すだけでしょう。何が暴挙なの?騙し取った小豆で違約金まで取ろうとする方がよっぽど暴挙じゃない」
オーロラに言われるも、ロキは自分が悪いとは思っていない。だから、小豆か金のどちらかを手にするのは当然であり、両方とも諦めるという考えは無かった。
オーロラは小豆も違約金も正当な手段で得たわけではないのだから、諦めるより他に無いというのがどうして理解できないのかと苛立つ。
「小豆は既に倉庫の中で産地を問わず混ざっております。そこからパーカー準男爵領のものだけを抽出するなどできませぬ」
「それはおまえがやってしまったことでしょう。仕方がないわよ」
「それに、我が領内で犯罪を犯した前パーカー準男爵を裁く権利をよこせというのです。被害があったのは自分たちだからと」
「まあ、気持ちはわかるわね。違約金をもらったのだから、こちらは損害はないもの」
「これは明らかに領主の権限への侵害です」
ロキはこれについては母親も賛同するだろうと思っていた。しかし、期待は裏切られる。
「メルダ王国の王妃のために、国と戦争しそうになったのよね。身内のためならやるわよ。それで、先ほど私にお別れを言いにきたのだから。おまえの判断次第では戦争ね」
「まさか。道理はこちらにあります。それに、西部の派閥も敵にまわすことになるというのに」
ロキの計算の出来なさにオーロラは呆れた。
国家ですらスティーブを止めることが出来ずに恐れているというのに、この愚息にはそうした危機感が全くないのだ。
「おまえは動物園の猛獣の檻の中でも同じことが言えるの?西部の派閥や道理などおまえの首を取ってから考えるかもしれないというのに。それに、西部の派閥がおまえをどれだけ支持することか」
「どういうことですか?」
「パーカー卿を切ったやり方を見て、それでもおまえのために戦う者がどれだけいることか。部下を簡単に裏切って捨てるような者に付き従うほど愚かな貴族がいるとでも?」
「あれはパーカーが勝手にやったことで、私も被害者です」
ロキは派閥の貴族ですら使用人のように考えており、一人を捨てたところで他に影響はない。自分に従うはずであると考えていた。
これにはオーロラも育て方を間違ったと過去の自分を恨むしかなかった。
「公式にはそうかもしれぬが、それを信じるものがいるとでも?仮にいたとして、そんな愚か者など使い物にならぬ」
オーロラはだんだんと口調が強く、厳しいものになる。こうまで状況判断が出来ない愚息につい感情が表に出てしまう。
「それに、貴族だけではない。閣下が出版したあんパン騎士の絵本を知っているか?」
「いえ」
「その絵本では世界からあんパンを奪い取る悪者を、魂を持ったあんパンの騎士が倒し、人々の手にあんパンを取り戻すというもの。これが売れていて、世間では悪者のモデルがソーウェル家であると言われているのだ」
「そのようなことを言うものは処罰せねば」
「国中の民をか?それこそ、民まで敵にまわす行為。貴族も民も従わぬ存在になってなにをするつもり?」
そう言われてロキは黙る。そんなことは無理であることがわかっているからだ。
「では、せめて絵本を発禁に。我が家を貶める目的なのですから」
「絵本にむきになるなど末期ね。おまえは歴史を学んだの?過去に滅んだ国は、みな末期になると風俗を規制した。少しでも政の批判に繋がりそうなら、反乱のきっかけになると恐れたのよ。もっとも、規制すれば余計に恨みを募らせ、終わりを早めたのだけれど」
オーロラに言われ、またもロキは黙った。
そんなロキにオーロラがため息をつく。
「それで、どうするつもりかしら?西部地域の領袖の地位を捨てても、前パーカー卿を裁きたいの?」
「母上、私はどうしたらよいのでしょうか?」
「それを訊く?この程度のことを自分の考えで乗り切れないようなら、おまえを領主の座からおろして、別の者を座らせることになるけど」
そう言われたロキは、オーロラに殺意を抱く。この母は、息子であろうと容赦なく切り捨てる。国王よりも多い富を有した家の主の座を失いたくはない。
だから、引きずり下ろされる前に殺そうかとなったのだ。
「ところで、私を殺そうとか考えてる?」
「いえ、そんなことは」
あわてて否定するも、心の中を読まれたかと焦るロキ。
「そう。よく考えることね。おまえごときに殺されるとは思ってないが、万が一殺された場合、誰が閣下との手打ちの交渉をするのか考えることね。ま、私が死んで戦争するなら、開戦後5分でおまえの命はないと思いなさい。いや、死なないまま未来永劫苦しむことになるかもしれないわね」
ロキはこの言葉をきいておいて良かったと思った。
今、ソーウェル家でスティーブと交渉出来る者はオーロラしかいない。
交渉術もそうだが個人的な関係を築いているのが大きい。
それを失っては手打ちは難しい。そして、スティーブのドクトリンは転移による相手のトップの制圧。
家柄だなんだと言っても、自分が死んでからアーチボルト家が制裁されたのでは意味がない。
結局、ロキは自分だけでは良いアイデアも浮かばず、領主の座を放り投げて交渉をオーロラに任せることにした。
最後にオーロラが言う。
「後世の歴史家に、私を子殺しと書かせなくて良かったわね」
ロキはもう少しで自分が殺されていたことを悟った。
長らく、ソーウェル家の繁栄が続いて、オーロラがその獰猛さを表に出す必要が無かったので忘れていたが、この母には親子の情など無いのだ。そこにあるのは家の利益のみ。
そして、もう一度欲を出して当主への返り咲きを狙えば、確実に消されるとも理解し、以後表舞台に出ることは無かった。