182 レオンと包あん機
マダム・ヴェルト、セシリー・イソ・イエローはそう呼ばれていた。
イエロー帝国皇帝第二夫人にして、植物育成魔法の使い手。スティーブの品種改良の手法を真似て、数々の植物の品種改良を行い、帝国の農業を躍進させたことで、彼女は緑の貴婦人という意味でマダム・ヴェルトと呼ばれているのである。そして、彼女は帝国の農業における最高権力者となっていたのである。
そんなセシリーは皇帝との間に子供はないため、姪であるイザベラのことを子供のように可愛がっていた。
なので、突然の訪問であっても快く迎えてくれる。
そして、スティーブもイザベラも帝国貴族となっているので、帝城での扱いも丁寧である。問題なくセシリーのいる離宮に案内された。
「お義兄様、それにイザベラようこそ」
「突然訪れてしまい申し訳ありません」
スティーブが頭を下げる。
本当に突然来たわけではなく、一度転移してセシリーを訪問したい旨を伝え、彼女のスケジュールを確認した上で、イザベラを連れて再び転移してきている。
「よいのです。私を頼ってきてくれたのでしょう」
「はい。帝国産の小豆を、どうしても輸入したいのです」
イザベラはセシリーを真っすぐに見た。セシリーの権限ならば、カスケード王国への輸出を決定することが出来る。それを期待していた。
「こちらでも、フロベール商会が色々と小豆の動きを監視しているようね」
フロベール商会は現皇帝がカスケード王国から戻ってくる際、クーデターを起こした勢力ではなく、皇帝を支援した。そのおかげで、現在は帝国随一の商会となっている。そして、その商会のオーナーはソーウェル家であった。
なので、カスケード王国内で小豆を買い占めるにあたり、帝国からの輸出にも目を光らせていたのである。ただ、こちらでは買い占めるような動きはしていない。
あくまでも、カスケード王国で小豆が値崩れするような輸出量がないかを監視しているだけである。
そのことはセシリーの耳にも入っていた。
イザベラは続ける。
「カスケード王国国内の小豆は、すべて買い占められたと言っても過言ではありません。だから、今の相場を売り崩すためにも、帝国産の小豆が必要なんです」
そう言われて、セシリーは困った顔をした。
「帝国産の小豆は収穫時期が殆ど10月よ。そこからカスケード王国に輸出するとなると、11月くらいかしら。それで間に合うのかしら?今の価格高騰を何とかしたいのでしょう」
カスケード王国では、小豆は9月から収穫がはじまり10月に終わる。その二月の収穫量は似たようなものであるが、帝国ではほとんどが10月の収穫となる。
これでは10月限の清算日には間に合わないのだ。
イザベラもそれはわかっている。それなので言葉に詰まってしまった。
「ただ、これは帝国にとってもチャンスなのよね。帝国産の小豆を大々的にカスケード王国に売り込むチャンスだわ。誰かさんが包あん機とやらを売ってくれないものだから、小豆が余り気味なのよね」
セシリーはちらりとスティーブを見た。
「あまり需要を食ってしまいますと、後継機が売れなくなりますのでね。僕の魔法を使わない包あん機こそ、本当に売りたいのですよ」
とスティーブがこたえる。
「購入したものは研究に回しているため、どうしても実際に菓子をつくる量が少ないのよ。それを何とかしてくれるなら、こちらとしても、小豆を早く輸出してあげてもいいわ。可愛い姪の為にはこんな条件は付けたくないけど、あまり肩入れするとすぐに悪く言う人が出てくるでしょう。帝国のメリットが輸出以外にもあった方がいいの」
皇帝を助けた忠義の騎士であるセシリーも、年月とともにその功績を忘れて悪く言う者が出てきていた。それを黙らせるために、カスケード王国の技術をスティーブ経由で帝国に持ってきている。包あん機もその一つであるのだが、研究用にまわしてしまうと、実際に使えるものは少ない。
なので、それを増やすことで、帝国にもメリットがあると示したいわけである。
包あん機はアーチボルト製菓が独占するのもよくないということで、カスケード王国国内の同業他社にも販売している。しかし、スティーブが言うように、産業機械の魔法を使わずに作った包あん機を売るために、スティーブ謹製の包あん機の数は絞っていた。なので、それが他国向けとなるとさらに数は少なくなる。帝国でも自前で包あん機を製造するために、数少ない機械を研究用としている事情がある。
スティーブはイザベラを見た。
「あと一か月で作れるかな?」
「やるしかないわ」
諸々のスケジュールを考えると、来月までに包あん機を納める必要があった。
間に合わなければスティーブが魔法で作るつもりであったが、敢えてそれは口にしない。イザベラもスティーブを宛にするつもりはなかった。
翌月、包あん機を納入することを約束し、その日は帰ることになった。
ただ、家には帰らず、アーチボルト自動機に向かう。
そこで、関係者とニックを集めて、先ほどの約束のことを伝える。
「来月、魔法を使わない包あん機を帝国に納品します。これが出来れば帝国は小豆を輸出してくれることになっています。今の小豆の買い占めを崩し、子供たちに甘いお菓子を届けられるかどうかがこれにかかっていると肝に銘じて仕事に取り掛かりなさい」
それを聞いてニックも前に出て、社員の方を向く。
「いいか、お前ら。これから一か月ここは戦場になる。寝ても覚めても仕事のことを考え、夜中だってアイデアが浮かべば仕事だ。親の死に目にもあえないと思え。だから、そういう仕事をするつもりのない奴は参加しなくていい。別に罰を与えようとかは思っちゃいねえ。ただ、中途半端な気持ちじゃ出来ねえってことくらいわかるだろう。だから、始まる前に別の仕事に移ってもらう」
そう宣言するも、誰も辞退しない。
「ってことだ。お嬢、いや社長、俺もつきっきりで面倒を見るから、何とかなるんじゃねえか」
「わかりました。それで、重工からの支援は必要?」
イザベラの質問に、ニックは社員たちの顔を見た。
重工とはアーチボルト重工のことであり、この国の製造業のトップに君臨するエリート集団である。その中でも、工機部門や生産技術となれば、持っている知識や技術はアーチボルト自動機とは雲泥の差である。
そこの支援があれば仕事が進むのはわかっているが。
レオンが前に出てくる。
「加工しづらいところは設計変更を入れます。例えば、長くてそりが出るようなら、部品を分割して中間で締結するようにしたりとか」
ここにきて、妥協をしなかったレオンが妥協したことにニックは驚く。加工者たちもざわついた。
「ま、話し合いは必要だが、簡単に作れるようなものは直ぐに真似されちまう。現物を見たって、どうやって加工したかわからねえようなものが出来るようになってもらわねえとな」
安易な方向に逃げないようにくぎを刺すニック。ただ、設計者と加工者の話し合いが進むことには期待をしていた。
そして、あまり時間もかけていられないと、すぐに仕事にとりかかった。
残ったイザベラとスティーブとニックは社員たちに聞こえない声で会話をする。
「で、若様加工の方はどうにかなると思いますか?」
「そうだねえ、考え方を変えればなんとかなるんじゃないかな。時間があれば、材料から見直しできるんだけどね」
「ねえパパ、材料の見直しってどうするの?」
「例えばだけど、ステンレスにリンと硫黄を添加するんだ。そうすると切削性が上がる。ただ、それだと食品用機械としては腐食の問題もあるから、加工後に分離の魔法でリンと硫黄を分離して取り除くとかね。今加工精度が出ないのを解決するなら、そういう方法もある」
スティーブの考えは魔法がある世界ならではの方法であった。現在の日本でいえばSUS303の切削加工のしやすさと、SUS304の耐食性を併せ持つ金属をつくるというわけである。
「それを教えてあげないの?」
「ニックが許してくれないからね」
スティーブはニックを見た。
ニックは頷く。
「こういうのは自分でやって体感して、そこから考えないと駄目なんでさぁ。工作機械を使っていても、その手に削る感覚が伝わってきて、初めてわかるもんでしてね」
「ああ、それならわかるわ。銃で人を撃った時に、致命傷かどうか伝わる感覚があるのよね」
イザベラの言葉にスティーブは渋い顔をした。
「イザベラ、パパはあんまりそういうことをしてほしくないんだけど」
「向こうが襲ってくるんだから仕方がないじゃない」
あっけらかんとしたイザベラ。彼女は仕事で地元のマフィアや貴族と対立することも多い。貴族の方はスティーブが怖いので手を出さないが、マフィアの方はイザベラがどんな家柄かなど気にしないので、何度も暗殺者を送り込まれていた。
近距離なら剣、遠距離なら銃でそれらを全て撃退しているのだが、スティーブとしてはあまり強引な手法で対立するのを改めてもらいたいと思っていたのである。そこはミハエルも同じであるが、イザベラがいうことをきかないのだった。
それから数日後、スティーブとアーサーが一緒に仕事をしていると、アーサーが手を止めてスティーブに話しかけた。
「ここ最近、父上は楽しそうですが」
「そうかな」
「ええ。母上がニックとまた遊んでいると怒ってましたよ」
アーサーの言う母上とは、当然クリスティーナのことであった。
「遊んでいるわけじゃないんだけどねえ」
「それはわかりますが、父上はニックと何かを始めると、他のことをないがしろにすることが多いです。母上もそれで拗ねておられます。少しご機嫌をとったらいかがですか?」
アーサーに指摘され、スティーブは困って頭を搔いた。
あれからというもの、夜もアーチボルト自動機に顔を出し、進み具合を確認したり、加工が終わったものを測定したりして、家に帰るのが夜中になっていた。
泊まり込みのニックに比べればマシであるが、家族をないがしろにしているのはその通りである。ただ、社員がそうしているのに、自分だけが家族と過ごす時間をとるというのは、スティーブには出来ないことであった。
それが出来ているなら、そもそも前世で死ぬようなこともなかったはずであり、転生してもその性格は変わっていなかった。
「もう少し、だな。それまではアーサーに任せる」
「そうおっしゃると思っていました。母には空手形を切りますので、尻ぬぐいはよろしくお願いします」
「頼んだよ」
こうしてスティーブも家族を犠牲にした結果、3週間で包あん機は完成した。
皆、疲労困憊しているが、笑顔であった。
「よくやったな」
機械を前にニックが褒めると、加工者の一人が照れ笑いした。
「もう、一生分の頭を使いましたよ」
「馬鹿言うな。これからもずっと考えながら仕事をしていくんだよ。これで終わりだと思うな」
「うへぇ。でも、しばらくは考えたくない」
そうニックに怒られると笑いが起こる。
また、別の者が口を開く。
「なんだかやっていける自信が持てました。金をためたら、工作機械を買って自分の工房を開こうかな」
「メンテナンスから納品まで、全部自分でやれるならな」
スティーブが町工場の経験から、それは止めた方がいいと遠まわしに説得するが、夢と希望を持った加工者の耳には届かない。そして、この気持ちこそが自分で会社を興した前世の父の気持ちだったのかと、前世の父を懐かしむ。
少し泣きそうになったので、慌ててイザベラに話を振る。
「で、社長。こうして期日までに包あん機は完成したんだ。こいつが後の世まで語られるような、小豆相場の結末を見せてくれるんだろうな?」
「そこは任せて。あ、そう言えばこの機械の名前はどうするの?折角だから名前を付けて売りたいわ」
イザベラがそう言うと、誰かが
「設計者のレオンの名前を付けてください」
と言った。
ここまで、設計者であるレオンは加工者の意見を聞き、実際の加工現場を見て設計変更をしてきた。時には徹夜して朝から加工できるようと仕事をしていたのである。加工者もそれを見て、レオンのことを信頼する様になっていた。
なので、皆がそれを賛同したが、それに反対する者がいた。
スティーブである。
「それは止めておきなさい」
「何でよ、パパ。みんなが賛成しているでしょ」
意見を言えるのはイザベラくらいなものであり、だからこそ彼女が反論する。
だが、スティーブは意見を変えなかった。そして、その理由は誰もわからないままだった。
包あん機にレオンって名前は付けられない。理由は調べればわかります