176 親
自宅に帰ってきたスティーブはイザベラ、アーサー、エリザベス、ミハエルに加えて、妻たちも呼んだ。
妻たちが来るまでの間、イザベラはミハエルに事情を説明する。
「実はここが私の実家なの。驚いた?」
「うん。とても」
ミハエルは国内貴族のトップであるスティーブの屋敷に来たことで戸惑っていた。次の言葉が出てこない。
なので、イザベラが続ける。
「騙すつもりじゃなかったの。ただ、アーチボルト家の名前を出すと色々と変なのが寄ってくると思って。私、学校生活を楽しみたかったの」
「クロムウェルっていう家名は嘘なの?」
「いいえ。それも本当。叔母さんが子爵をくれたから、ママの家名を名乗れるのよ」
「あの、叔母さんって……」
「イエロー帝国、皇帝第二夫人ね」
「ええええ!!」
スティーブの娘というだけでも驚きなのに、さらには帝国の皇帝第二夫人が叔母さんという事実でさらに驚いた。
そんな二人のやり取りを見ているスティーブは不機嫌だった。
それをベラに注意される。
「スティーブ」
「あ、うん」
今の一言で注意されたとわかるくらいに、二人の仲は親密であり、ミハエルはベラがスティーブの愛人なのだと思った。なので、それには触れないようにしようと胸に誓う。
そうしているうちに、クリスティーナ、ナンシー、ユリア、カミラがやってきた。
ユリアがミハエルを見て、ニコッと笑う。
「どうやら間に合ったようですね」
ミハエルはその意味が分からず戸惑う。
「あの、どういう意味でしょうか?」
「貴方を救うようにと天啓がありましたから」
天啓と言われて、目の前の女性が聖女ユリアであると理解するミハエル。
聖女がスティーブと結婚したのは知っていたが、その自宅で会うなどとは想像もしていなかった。
恐縮するミハエルとは対照的に、スティーブは不機嫌にだった。
「まったく、神はろくでもない。もっと別のタイミングだってあったろうに」
「何があったかは存じませんが、すべては神の御示しになったこと」
その会話を聞いて、イザベラがリンゴかゆでだこかというくらい真っ赤になった。
「パパ、さっきのは忘れて」
恋人との会話を親に聞かれるなど、思春期の少年少女からしたら消したい過去ナンバーワンである。イザベラの心拍数と血圧はかつてないほど上がっていた。
「パパも忘れるから、ミハエル君にも忘れてもらおうか」
「それはダメ」
即否定であった。がっくりと肩を落とすスティーブ。
それを見たナンシーが眉を吊り上げる。
「二人とも、まじめに。命を狙われたんでしょ」
「はい」
怒られて小さくなるスティーブ。
ミハエルにはそれが新鮮だった。国内の貴族トップの竜頭勲章閣下は、家でも威厳があると思っていたのに、実際にはそんな感じが全くないのである。
スティーブは咳ばらいをすると、イザベラたちの顔を見た。
「フレミング商会の相場からは手を引きなさい」
「何で」
とイザベラは言うが、理由はわかっていた。
「相手は命まで狙ってきている。たぶん、あれはカッター伯爵がお前たちを狙ったものだ。これから調べるが、多分間違いないだろう。もうこれ以上は子供のすることじゃない。それに、資金だって限界だろ。後はパパにまかせなさい」
スティーブは子供たちの資金状況を把握していた。だから、これ以上株価を維持できないこともわかっていたのである。
言い返せないイザベラとエリザベス。
だが、ミハエルは違った。
「閣下、どうか最後までやらせてください」
「言ったろう。危険だし、なにより資金がない」
「いいえ、資金が無くても株価を吊り上げる方法を思いついたのです」
まっすぐにスティーブを見るミハエル。スティーブはそれに何かを感じ取った。
「強い意志だね。その意志のわけを聞こうか」
そう言われてミハエルは頷くと意志を持った理由を話す。
「私の父は閣下の力を使おうとして失脚しました。私がここで降りれば、父と同じように閣下の力をもって、この相場にけりをつけたことになります。親子二代で閣下の力なしにはなにごとも成し遂げられないという不名誉にはなりたくないのです」
ミハエルは覇気のない父の姿を見るのが嫌いだった。そして、自身も生きる意味を見出せずにいたミハイルだったが、この学校でイザベラと出会い、フレミング商会の仕手戦で生きることの楽しさを見つけたのだった。
だから、この仕手戦だけは自分の手で仕上げたかったのである。さらに、そこに父がかつて利用として失敗したスティーブが出てきたとなれば、自分はそのスティーブの力を使わずにやり遂げてやるという意志が生まれるのも当然であった。ミハエルは今まさに少年から大人に変わろうとしていたのである。
スティーブもそれを聞いては、簡単にダメとは言えなくなった。
「それはわかった。しかし、株価を吊り上げる方法次第だ。それがダメそうなら許可はしない」
「それでは、私の考えた方法をお話しします」
ミハエルは自分の考えた方法をスティーブに語った。それを聞いて悩むスティーブ。
イザベラはスティーブの口が開く前に、心配になって先にお願いをした。
「パパ。お願い。ミハイルに任せてみて」
「わかった」
スティーブは子供たちが仕手戦を継続するのを認めた。イザベラに言われなくても認めるつもりであったが、返答が遅れたのはカッター伯爵にどうやって致命的なダメージを与えるかを考えていたからである。
「ありがとう!パパ大好き。でも、学校でのことは忘れてね」
「忘れません」
「やっぱり嫌い」
イザベラがそう言うと笑いが起きる。
それが収まったところでスティーブはミハエルに話しかけた。
「今日はもう遅いから、私が送っていこう」
「閣下がですか」
ミハエルは何度目かの恐縮をした。
「君の父上とも話さなくてはならないからね」
「わかりました」
ミハエルはスティーブが送ることとなった。そしてテイラー邸に到着すると、スティーブはアレックスと二人で話す。
「お久しぶりです。殿下」
「もう殿下と呼ばれる身分ではありませんよ、閣下。本日はどのようなご用件で?」
「実はご子息がうちの娘と付き合うことになりまして。色々と邪推する連中がいるでしょうから、私が王宮での説得をしようと思います。それと、子供たちが級友を助けるために株式相場で仕手戦を行っておりまして、相手はあのカッター伯爵です」
カッター伯爵の名前を聞いて、アレックスは遠い目をした。
「あのカッターか。いや、それよりうちの愚息が閣下のご令嬢とですか」
「親としては、学生のうちは恋愛は早いと思うのですが」
まだ不満のあるスティーブであった。が、それはそれで話を続ける。
「カッター伯爵はなりふり構わずで、暗殺者を差し向けられました。かなり危険ですが、子供たちはどうしても最後までやりたいというのです。私の方で責任をもって保護しますので、どうかご子息が仕手戦を継続するのを見守ってあげてくれませんか」
「閣下がそう言うのであれば。こちらこそ愚息をよろしくお願いいたします」
アレックスは深々と頭を下げた。
そこには過去のわだかまりなどはなく、息子のことを心配する父親がいるだけであった。
スティーブが帰った後、アレックスはミハエルを呼んだ。
「ミハイル」
「何でしょう、父上」
「学校は楽しいか?」
「はい」
アレックスはそれだけ訊くと、それ以上はなにも言わなかった。
彼は息子がイザベラと結婚し会社経営に乗り出すと、その会社の株を購入する。そして経済新聞で株価の値動きや、会社の動向を知り一喜一憂した。
アレックスの考えでは、社長とは国王であり、社員は国民。売上や株価は領土であり国力である。そして、戦争などせずとも他国へと勢力を伸ばし、そこでまた社員を雇えば領土が広がったと同じ事。かつて自分が出来なかったことを息子がやっているのを見るのが楽しみとなったのであった。
一方、暗殺に失敗したジャクソンは、それを父親のカッター伯爵に報告していた。
「父上!竜頭閣下が、失敗で、こちらを見て」
要点を得ない説明に、カッター伯爵が一喝した。
「落ち着け。何があったか順をおって話せ」
それによりジャクソンは若干の落ち着きを取り戻し、学校で起こったことを説明した。
「暗殺者がテイラーと帝国女を殺そうとしてナイフを投げましたが、帝国女はそれを叩き落とし、テイラーにだけ刺さりました。そうしたら、帝国女の護衛が銃を撃って暗殺者を殺したのです。そこに竜頭勲章閣下が現れて、テイラーを治癒し、死んだ暗殺者を蘇らせて何かを喋った後でこちらを見たのです」
帝国女の護衛が銃を撃ったというところでカッター伯爵は嫌な感じがした。
護衛といえども、王都で銃の携帯など認められない。そして、話の様子からしたら直ぐに銃を撃ったようだが、現在主流なのは火縄銃であり、それを必要としないのはスティーブが魔法で作った銃だけである。
そして、そこにスティーブが出現したとなると、ジャクソンが殺そうとした帝国女が只者ではない気がしてきたのである。
「その帝国女の名前は何といったかな?」
「イザベラ・クロムウェルです」
「クロムウェル!」
カッター伯爵は以前ジャクソンから名前を聞き、一応クロムウェル子爵家について調べたが、カスケード王国からでは大した情報を得られなかったのだった。
それもそのはずで、帝国であったとしても出来たばかりの子爵家など、知っている方が少ない。だから大したことないと判断したのだった。
しかし、今思い出す。クロムウェルという家名はスティーブの妻のものであると。戦死したことになっていて、表に出てこないのですっかり忘れていたが、今それを思い出したのだ。
そして、ジャクソンに八つ当たりする。
「馬鹿者!それは竜頭勲章閣下のご息女だ!クロムウェルは母方の家名。何故それを調べておかぬ!」
「ヒッ」
父親のあまりの迫力にジャクソンは後ずさりした。
これではついでにアーサーも殺そうとしたなどとは言えない。黙っておこうと決めた。そして、それを言っていれば、この場で殺されていた。
カッター伯爵はジャクソンを勘当する。
「貴様など勘当だ!金輪際我が家の家名を名乗ることを許さん」
「父上それは……」
「これ以上屋敷にいるというのなら、お前の首を閣下に届けるぞ!」
伯爵にそう言われてしまって、ジャクソンは着の身着のまま家を出た。
そのやり取りを天井から見ている蜘蛛が一匹いたことに、ふたりは気づかなかった。カッター伯爵はなおもその部屋でスティーブへの言い訳を考え続ける。
そしてジャクソンは家を出ると、暗い道をとぼとぼと歩く。貴族街であるので治安は良く、物取りに出くわすことはなかった。が、もっと恐ろしいものに出くわした。
ボトリ
何かが後ろで地面に落ちる音がした。
驚いてそちらを見ると、死んだ暗殺者の死体があった。それが動き出し、ジャクソンの方へと歩いてくる。
その姿を見たジャクソンは小水を垂れ流しながら走って逃げたのだった。
それを物陰からみている二人の影。
スティーブとベラであった。
「この程度?殺してこようか?」
「いや、いい。子供の命を取るまではしたくない」
「でも、怒ってる」
「そりゃまあね」
子供の命を狙われたスティーブの仕返しであった。
また、この日からスティーブの身内のようなものとなったミハイルは後に述懐する。
「義父は外では神格化された自分という役割を演じており、その反動か家では人であろうという思いが強かったように思う。外で見せる近寄り難さというのを家の中で感じたことは無かった」
ただ、それに追加する言葉がある。
「イザベラとの結婚の許可をもらいに行った時だけは別だったけどね」
と。
ナンシーより緊急連絡。娘が結婚相手をつれて自宅に接近中