175 暗殺
その日取引所で出されたフレミング商会の売り注文は異常だった。
9,999ドラで3,000,000株の売り。10,001ドラで6,000,000の売り注文が出たのである。
フレミング商会の発行済み株式数は11,000,000株。実に82%が売りに出されたのである。株主の構成はフレミング男爵が5,000,000株、エリザベスが2,000,000株、イザベラが1,430,000株。それ以外は上場時に売りに出されている5,000,000株だ。大株主が売ることはないため、市場に出た株を全部売ったとしてもありえない注文なのである。
そして、これはカッター伯爵が出した注文であった。フレミング男爵が借金の担保として銀行に差し出した持ち株を、アンリ商会が調達してカッター伯爵に貸しているのであるが、それでも不足する分はネイキッドショートと言われる、無い株を売る注文であった。
空売りといっても二種類あり、他人の株を借りてきて売るものと、そうした手当もないままに売り注文を出すものをまとめて空売りと呼んでいるので紛らわしいのだ。
ネイキッドショートは一応ルールでは禁止されているのだが、口約束で借りる契約をしたという言い訳などで、事実上は行われているのである。
何故こんな注文を出したのかといえば、10,000ドラにならなければフレミング商会は二か月後に倒産するし、10,000に到達したところで、本尊はそれ以上買いあがる資金がないと判断したからであった。
カッター伯爵が仕入れた情報では、エリザベスが単独で動いていることで、背後にメルダ王国はいない。ジャスミンを脅して聞き出したのと、独自の情報網で調べた結果が同じだったので、間違いないと確信している。そして、ここ数日バルリエが少しずつ売り注文を出して、利益確定をしているのを把握していた。
本尊の資金状況をしっているバルリエが降りたということは、ここいらが限界ということだ。
そして、10,000ドラになったら社債が強制的に株式に変換される。そうなると、新規に1,000,000株が誕生するのだ。これらが売り圧力となり、株価は下がるのが定石。
だからこそ、二段構えの売り注文を出して勝負に出たのだ。
この注文はバルリエによってイザベラたちに伝えられる。学校にバルリエ商会の使用人がやってきて、このことを告げて、放課後商会まで馬車を出すと言ってきた。
三人はこれに従い、放課後バルリエ商会にやってきた。
そして、バルリエから説明を受ける。
「というわけで、10,000ドラを挟んで大量の注文が出されております」
「目標の10,000ドラまで3,000,000株。まずはこれをどうにかすることかしら」
エリザベスがバルリエを見た。
何か意見はないかと視線でうったえる。
「信用取引であれば、持ち株を担保に8掛けの3倍まで買えますな」
信用取引は資金の3倍の取引が出来る。だが、それは現金に限ったこと。株を担保にする場合は株価の8割を担保として計算し、その3倍まで注文が出せるのだ。
「それなら倒産回避の10,000ドラっていう目標は達成出来るわね」
イザベラが頭の後ろで手を組んで、椅子の背もたれに体重をかける。
外でやればはしたないと言われるが、ここではそんな注意をする者はいなかった。
「問題は、どうやって持ち株を売り抜けるかだけど」
ミハエルの問に誰も答えられない。
元々今の保有数程度までの想定だったのだが、予想を超えた売り注文の対処法など考えていなかったのだ。
「考えて株価が止まっていると、さらに売り注文が出るかもしれないわ。まずは10,000ドラに乗せて、フレミング商会の倒産を回避しましょう」
イザベラがそう判断すると、他の二人も頷いた。
バルリエはそれを確認し
「それでは明日から注文をだすように、エマニュエル商会に連絡しておきます」
と言った。
「頼んだわよ」
その日はそこで解散となる。
そして翌日、フレミング商会の株価はついに10,000ドラに到達し、倒産が回避されることとなった。
1,000,000の新株と引き換えに。
それでも一応一つの区切りということで、フレミング商会でささやかなお祝いとなった。
「ありがとうございます。一時はどうなることかと」
フレミング男爵が頭を下げた。
この時ジャスミンは何事もなかったことに安堵した。どこかでジャクソンからの妨害があると思っていたが、すんなりと社債の償還問題をクリアー出来てしまったのである。
ただ、それは問題が社債の償還から、株の売り抜けへと変わっただけであり、イザベラたちが悩むことになるのだが、ジャスミンにはそれがわかっていなかった。
そしてここで、カッター伯爵がダメ押しに出る。
彼はジャクソンを呼んだ。
「お呼びでしょうか、父上」
「うむ。アレックスの息子と帝国からの留学生を確実に処分しようと思ってな。その二人がいなくなれば、メルダ王国の姫も恐怖からこちらに歯向かうことはなくなるだろう。今度は学生などではなく、本職を雇った。明日、学校に潜入させて放課後お前に接触させる。そこでターゲットを指示してくれ」
カッター伯爵は本尊のうち二人を殺して、この相場を勝つ算段をしていた。ミハエルはいつでも殺せるが、もう一人の少女は行き帰りに護衛がついているというので、校内で殺してしまおうと考えたのである。
帝国からの留学生が殺されれば外交問題になるであろうが、それは自分には関係ないことと割り切っていた。
また、ジャクソンも今度こそ溜飲が下がるとほくそ笑む。
そんな企みなど知らない三人は、どうやって売りぬけようかと悩んでいたのだった。
翌日、放課後となる。
ジャクソンは使われていない教室で暗殺者を待っていた。そこは経済革命クラブの部屋が見える場所であった。
すると、いつの間にか暗殺者は隣に立っていた。白衣を着た無表情の男であった。
「うぉ」
驚くジャクソン。
そんなジャクソンにお構いなく、暗殺者はターゲットを訪ねる。
「誰をやるか指示を」
「あ、ああ」
ジャクソンは深呼吸すると、窓から見えるイザベラとミハエルを指さす。
「あの二人だ」
「他の二人は?」
他の二人というのはエリザベスとアーサーである。
そこでジャクソンはアーサーも殺してしまおうと考えた。生まれた家が良かっただけの男。それがジャクソンのアーサーに対する評価であった。そして、卒業後の就職先を探さなければならないジャクソンの嫉妬でもあった。
だから、標的にアーサーも加える。
なに、自分が全く分からないうちに隣に立っていた実力者だ。アーサーも殺して素早く消え去るだろうと思ったのだ。
かくして、アーサーも殺すように指示をする。
「あの男もついでに殺してくれるか?」
「いいだろう」
暗殺者は快楽殺人の虜であった。なので、カッター伯爵の依頼以上に殺したかったのである。それも、未来ある若者ならなお楽しいと感じられた。
ターゲットを確認した暗殺者は部屋を出ていく。廊下を歩いていても、白衣のお陰で何らかの教師ではないかと思われ、特に通報されずに歩くことが出来た。
自分たちが狙われていると知らないイザベラたちは、帰宅するため経済革命クラブの部屋を出る。暗殺者はイザベラたちを校門近くで待ち構えていた。殺して直ぐに逃げるためである。この時、ベラも校門でイザベラを待っており、仮に暗殺が成功したとして逃げられるようなものではないのだが、暗殺者はそれを知らなかった。彼も裏社会で実績を積んだ人間であり、騎士を相手にしても引けを取らないと自負していたので、この場に自分より強いものがいるなどとは思っていなかったのである。
そして、彼我の距離が10メートルとなった時、暗殺者の両袖からナイフが出てきた。
最初にそれに反応したのはイザベラだった。距離が近いので水の魔法で弾丸を作り、暗殺者を攻撃する。
だが、その瞬間イザベラは暗殺者を殺すのを躊躇った。そして、頭ではなく、腕を攻撃したのである。
その結果、暗殺者はナイフを投擲することが出来てしまった。
二本のナイフはイザベラとミハエルに向かって飛ぶ。
イザベラはそのナイフを叩き落としたが、ミハエルはそんな芸当が出来ずに、腹部に突き刺さってしまった。
「ミハエル!!」
イザベラが叫ぶのと同時に、パンという発砲音が響いた。
ベラが持っていた銃で暗殺者を攻撃したのである。弾丸は頭部に命中し、暗殺者は仰向けに倒れた。
ミハエルに駆け寄るイザベラと、そこに駆けつけるベラ。
ベラは周囲を警戒した。襲撃犯が一人とは限らないからである。
そして、アーサーがエリザベスに指示を出す。
「リズ、うちの者に父上に連絡をするように言ってきて」
「わかったわ」
馬車で下校する貴族の子供たちを待つ停車場は門の外にある。
エリザベスはそこに向かって走った。
アーサーの判断では、この場で狙われる可能性が高いのが自分かイザベラであり、エリザベスが狙われた可能性は低かった。だから、エリザベスがこの場を離れても安全だということで、連絡役にしたのである。
「ミハエル!」
イザベラの呼びかけにミハエルは弱々しくこたえる。
「僕はいつか君を守れるように、なりたかったけど、結局それは、叶わないか」
「喋っちゃダメ」
「いや、いいんだ。最期に言っておきたいことがある」
「何?」
「君のことが好きでした」
「へっ?」
突然の告白にイザベラの思考が停止する。
イザベラのなかではミハエルはエリザベスのことを好きなはずだったからである。
そうして固まっている間にも、ミハエルの体からは血が流れ続けていた。
そして、体が痙攣する。
「ミハエル!」
「楽にしましょうか?」
ベラは冷静に訊ねた。
しかし、イザベラは激怒する。
「パパが来れば助かるんだから!楽に死なせるなんて言わないで!お願いよ、ミハエル。治ったらキスでもなんでもしてあげるから、死なないで!」
そう叫んだ時、祈りが通じたのか、目の前にスティーブが出現した。
「パパは、学生のうちは清い交際しか認めない」
すごく不満そうなスティーブであった。
「パパ!早く!」
そして、娘に怒られる。今までで一番本気で怒られたスティーブは、ショックを受けながらもミハエルを治癒した。ナイフを抜いて直ぐに治癒魔法を使うと、血が止まる。
「失われた血は作れないから、急に動かないように」
「はい」
突然現れたスティーブに、それをパパと呼ぶイザベラ。それに理解が追い付かないミハエル。なので、雰囲気に押されてただ頷くだけであった。
「何でパパがここにいるの?」
「ユリアがこの時間に学校の校庭に行くようにっていう天啓があったっていうから。時代が変わるかもしれないんだって」
「ユリアさんの天啓なの⁉」
イザベラは驚く。ユリアはスティーブの妻であり、聖女として天啓による予言が出来る。その彼女の天啓でここにスティーブが来たということは、すなわち神による運命なのだ。
だが、どうして。それを考えていると、スティーブがポンと肩に手を置いた。
「とりあえず面倒なことになる前に帰ろうか」
スティーブはそう言うと、死んだ暗殺者に死霊魔法を使う。
頭を吹っ飛ばされた暗殺者の体がむくりと起き上がった。
「ヒィッ」
ミハエルが悲鳴をあげる。
目の前で死者が起き上がれば当然の反応であった。悲鳴こそあげないものの、イザベラとアーサーも直視は出来ない。
スティーブは気にせず死体に誰の差し金かを問う。
すると、死体は空き教室からこちらを見ているジャクソンを指さした。
「彼は誰だ?」
「ジャクソン・カッター。カッター伯爵の息子です」
アーサーがこたえる。
「なるほどね。なんとなく見えてきた。さて、ここじゃ目立つから家で話そうか」
スティーブは戻ってきたエリザベスも含めて、自宅へと転移した。
ただ、転移の直前にジャクソンを睨む。
ジャクソンはスティーブに睨まれたことでビクッとなったが、次の瞬間にスティーブたちが消えると一目散に自宅へと向かった。




