174 温泉施設
水魔法を使ったことで、イザベラに株価を上げるアイデアが浮かんだ。
放課後、エリザベスとミハエルにそのアイデアを話す。
「ねえ、フレミング商会でお風呂を運営したらどうかしら?」
「お風呂?」
二人は怪訝な顔をした。
「そうよ。ただのお風呂じゃないわ。温泉の美肌効果と、それにバラの香りを足すの」
「ああ、それはいいわね。でも出来るの?」
「勿論よ。いつもそれでお風呂に入っているから」
「ちょっと、なんで私を誘ってくれないのよ!」
エリザベスは頬を膨らませた。
水属性の魔法使いは、温泉をつくることが出来るので、貴族のあいだで大人気なのである。
これはスティーブが考案したものであり、アーチボルト領には人口の温泉があって、観光地にもなっていた。その娘であるイザベラは、当然温泉水を作ることが出来る。
「え、イザベラって魔法が使えるの?」
ミハエルはまずそこを知らなかったので驚いた。
「そう。言ってなかったわね」
「すごい。剣も強くて魔法を使えるなんて、帝国のスートナイツみたい」
母も叔母もそれですとは言えないイザベラ。エリザベスも思わず苦笑いとなる。
ミハエルはそれに気づかず続けた。
「そうだ、それに更なる付加価値をつけて売り出せたらすごいことになるんじゃないかな」
「付加価値?」
「そう。例えば竜頭勲章閣下のお気に入りとか」
「あー」
ミハエルの言うことを理解した二人。
そして、頼めばやってくれるというのもわかるが、この相場は自分たちでやり遂げたいという思いから、スティーブに頼むという選択肢はない。
他には誰かいないかと思いを巡らせると、二人ほど候補が出てきた。
「西の魔女と東の魔女。そのどちらかのお墨付きをもらえたらどうかしら?」
エリザベスがそう言って二人の顔を見る。
西の魔女とはオーロラのことであり、東の魔女とはイヴリンのことである。本人を目の前にして魔女などと言えばどうなるかわかったのものではないが、陰ではそう言われていた。
二人ともそれぞれの地域の貴族をまとめ上げる派閥の領袖であり、その巧みな手腕が人間離れしていから魔女と言われていた。
ただ、イヴリンはオーロラの真似をしているだけなのだが、常人はその真似をすることすら難しく、イヴリンの才能だと思われていたのである。
イザベラとエリザベスは当然面識があるのだが、どうも苦手であった。ミハエルは雲の上の人過ぎて、頼めるなどとは思っていない。
「それは無理だよ」
「いや、無理じゃないんだけど苦手なのよね。でも、そんなことも言ってられないわね」
エリザベスは覚悟を決めた。
「私は東をあたるから、イザベラは西をお願い。ミハエルはフレミング男爵を説得して、温泉の運営を認めさせて」
「わかったわ。王都にいればいいんだけど」
いないことを祈るイザベラであったが、運よくオーロラは王都にいた。それを帰宅後にしることになる。そして、すぐにアポがとれたのである。
翌日、意を決してオーロラに会うイザベラ。
オーロラは執務室で仕事をしながら会ってくれた。彼女は年齢不詳であるが、三十代と言われても信じられる肌艶で、男を惑わす妖艶さを身にまとっている。横にはすっかり歳をとったハリーがついていた。
「悪いわね、仕事をしながらなんだけど」
「いや、無理を言ったのはこちらなので」
「それでどんな用かしら?」
目線を書類に落としたままオーロラが問う。
「温泉のレシピを買ってもらおうと思いまして」
「レシピ?でもうちの魔法使いも十分色々な種類をつくれるわよ」
「でも、温泉にバラの香りをつけるなんて出来ませんよね?」
その言葉ではじめてオーロラが顔をあげた。
「詳しく聞きましょうか」
その目は獲物を見つけた猛禽類のようであっる、とイザベラは感じた。
そして、現在フレミング商会の立て直しの最中であり、その目玉としての温泉施設を考案。大貴族のお墨付きが欲しいという事情を説明した。
「御父上である閣下ではだめなの?」
「親の名前を使いたくないんです」
「そう。それと、説明が不十分ね。フレミング商会の立て直しじゃなく、株価の上昇ねらいでしょ。そこを説明しないと不誠実だわ」
「うっ」
イザベラは現在実施中の仕手戦については、オーロラに話したくなかったため、そこには触れなかったのであるが、オーロラは当然その情報を持っていた。
「ま、私が売りに回る可能性を恐れたっていうのもわからなくもないけど。10,000ドラが遠くて困っているのでしょう。私が値切るかもしれないけどいいの?」
「値切るならこの話は無かったことにします」
イザベラがきっぱりと言い切ったことにオーロラは驚く。
「あら、いいの?」
「はい。この話は竜翼閣下にも持って行ってますので、そちらで契約が成立すれば十分です」
「あの女に、ね。随分と小癪な交渉を持ち掛けたわね。あの女も私への対抗心から拒否はしないでしょうね」
小癪といいながらもどこか嬉しそうなオーロラ。それがイザベラには不思議であった。
オーロラが嬉しそうなのには訳がある。彼女はイザベラを値踏みしていたのだ。単にお墨付きを与えてほしいというお願いだけなら期待外れ。それだけの人物だと見切りをつけるつもりであったが、交渉にイヴリンを持ち出したことで、これなら見どころがありそうだとなったのである。
「いいわ。急ぐんでしょ。建設費もこちらでもつわ」
「よいのですか?」
「先行投資。貴女がうちの養子になってくれるなら、もっとサービスするけど」
「それは遠慮しておきます」
「あら、残念」
戦闘力でいえば圧倒的に強いはずのイザベラであったが、どうにもこのオーロラには勝てる気がしなかった。
そして、早いところここから立ち去りたかったので、ここで切り上げることにした。
「それでは、フレミング男爵を説得して、温泉の運営を認めさせたらご連絡いたします」
「それがだめでもレシピはいただくわよ」
「はい」
そう言って部屋から出ると、イザベラは大きく息を吐いた。
「ふう。これでこっちはなんとかなったわね。リズはどうかしら?」
と、クレーマン邸の方を見る。
勿論、実際に見えるわけではないのだが、同じようにイヴリンと交渉しているエリザベスの事が心配だったのだ。
翌日、その交渉結果を知ることになる。
さて、その結果を知る前に、イザベラは別の悩みを抱えることになった。
アーサーが一緒に行動する様になって、同級生からの視線が痛いのである。
男子生徒からは好奇の目、女子生徒からは怨嗟の目で見られていた。予想はしていたが、思春期のイザベラにはそれがとてもつらかった。
流石にトイレまでは一緒ではないので、アーサーがいなくなると、さっそく女子生徒が近寄ってくる。
「貴女、勘違いしないでよね。アーサー様は帝国女なんかに興味がないんだから」
と言われ、笑いたくなったが必死にこらえた。
勘違いしているのはその女子生徒の方であり、イザベラはアーサーと結婚するつもりなど全くなかった。というか、兄弟なので結婚が出来ない。カスケード王国でも近親婚は余程のことがない限りはしないのである。スティーブもそれを認めないであろう。そもそも、男として見ていないアーサーと結婚などするわけがないのだ。
だが、事情を知らなければそうは思わない。
そんな好奇の目から逃れられたのが授業が終わった後である。
三人はいつものように経済革命クラブの部屋に集まった。そこにはアーサーもいる。
ミハエルはスティーブの息子であるアーサーがいることで落ち着かなかった。
「あの、アーサー様はどうしてこちらに?」
「あ、アーサーって呼び捨てにしてくれていいよ。同級生なんだから。僕がここにいるのは、一応関係者だからだね」
アーサーの言うことが理解できないミハエル。
「関係者、ですか」
「あの魔女たちにすぐ会えるように手配してもらったの。交渉が上手くいったのは、アーサーの名前があったからかも」
イザベラはあらかじめアーサーと話し合って決めていた理由を説明した。
ミハエルは疑うことなくそれを信じる。
「持つべきものは従兄弟よね」
とエリザベスも相槌をうった。
「っていうことは、お墨付きをもらえたの」
「そう。だけど困ったことになって」
「困ったこと?」
ミハエルはイザベラの言う困ったことが何なのかとても気になった。そして、エリザベスをそれを知っているようで、イザベラと一緒にため息をつく。
そして、イザベラの口から説明があった。
「ソーウェル辺境伯閣下と竜翼勲章閣下がお互いに建設を任せろって言ってねえ。なんかすごい張り合っているの。どっちの顔も立てなきゃいけないから大変なのよ」
二人の交渉に時間差を持たせなかったことで、二人ともお墨付きを与えたいと言い出し、建設についても自分がと言い出したのだ。
魔法使いも動員して、一週間で作り上げてくれるというのだが、どちらが主導するかで張り合っていて、現場も困っているのだ。
「ははははは」
ミハエルも乾いた笑いしか出なかった。
そんなこんなで温泉の運営の話が出ると、株価は再び上昇を始めた。
そして、温泉が完成する。
初日はオーロラとイヴリンが自分の派閥に所属する貴族の夫人や娘を連れて施設を訪れた。彼女たちはイザベラが用意したバラの香りの温泉を見て、歓喜の声をあげる。
貴族でも水属性の魔法使いを雇えるのはごく一部であり、本日来ている者たちはそうではない。それが、王都で温泉を楽しめるとあって、大喜びなのだ。
まして、泉質はオーロラとイヴリンのお墨付き。また利用したいとなるのは当然。
その日、開業初日にして半年先まで予約で埋まった。
これにより株価は再び上昇して、翌週には遂に9,500ドラに到達した。もう少しと喜ぶイザベラたちとは別に、この状況を手ぐすねを引いて待っていた人物がいた。
カッター伯爵である。フレミング商会の倒産回避をかけた仕手戦は、いよいよ最終局面を迎えた。