169 クラブ活動
翌日、イザベラが教室に入ると、先に来ていたジャクソンたちに睨まれた。が、彼女が拳を強く握るポーズをとると、彼らは目をそらした。
教室の座席は決まっていないので、イザベラとエリザベスは前の方に並んで座る。その隣にはミハイルが座った。そして、授業が始まり何事もなく午前が終了する。
昼休み、三人で食堂に来て、テーブルに座るとイザベラが大きなため息をついた。
「どうして学校の授業ってこんなにつまらないのかしら。勉強が苦痛だって思ったのははじめて」
「初等教育が楽しすぎるのよ。家庭教師の授業だってこんなものよ」
エリザベスが苦笑いしながらこたえた。
読み書きと簡単な計算については、多くの国民が学んでいる。しかし、勉強とはつまらないものであり、それを多くの国民に学ばせるためにはどうしたらよいかという研究がなされていた。
そこでの研究結果から、初等教育においてはゲームなどの教材を用いて、興味を持たせるということになっていた。言語や歴史はカルタで札を多く集める競争をしたり、計算では教室での模擬店で買い物をさせたりということをやっている。
それらがあることで、単に将来の為という子供には理解できないような目的を言うより、はるかに理解が進んでいた。そんな教育の最先端がアーチボルト領であり、そこで育ったイザベラにとっては、教師が教科書を読むだけの授業というのは退屈なものであった。
エリザベスも母親のシェリーが実家から持ち込んだ教育方法で育っており、楽しみながら学ぶというのに慣れているため、家庭教師の授業がつまらなく感じていたが、彼女はイザベラよりも大人な考えなので、それを我慢するということが出来た。
「帝国でも、王国のような教育が一般的なんですか?」
二人の会話を聞いていたミハイルがイザベラに質問した。
うっかり帝国からの留学生という設定を忘れていたイザベラがハッとなる。
「ええ。うちの国もここの最先端の研究を取り入れているの」
慌てて取り繕うのをエリザベスがジト目で見る。
ミハイルは疑う様子もなく、イザベラが言ったことを信じた。
「やはり、ジョージ・ウィルキンソン教授の論文でしょうか?」
「そう。ジョージ……ウィルキンソン教授の」
危うく名前だけで呼びそうになるイザベラ。
ジョージと妻のララはアーチボルト領で教育の研究をしながら、王都の賢者の学院で論文を発表し、教授の地位を与えられている。
その論文は周辺国でも高く評価されており、教育現場へと取り入れられていた。
アーチボルト領で雇っていることから、イザベラは小さいころからよく知っており、ウィルキンソン夫妻を名前で呼んでいたのである。だから、今回も思わず名前で呼びそうになったのだ。
それを知っているエリザベスは、笑いをこらえるのに必死だった。
「よく教授の名前を知っているわね」
エリザベスはイザベラをフォローする形で、ミハイルに質問する。
「はい。自分は何かしらの職に就かなければならないのですが、出来ればこの国の発展を支えている教授たちのようになりたいと思いまして」
「他には誰のようになりたいの?」
「シリル・シス・エアハート教授です」
「へえ、シリルか」
エリザベスはシリルのことを知っている。
夫人のアイラがアーチボルト領出身ということで、里帰りの際に一緒に来て、領主館に挨拶に来ていたからだ。
領主館によくいたエリザベスは何度も顔を合わせている。
ただ、シリルが兵器の開発を担当するようになってからのことであり、スティーブとの間に出来た溝のせいで、彼女が生まれる前のような親密さは薄れていた。
スティーブが避けていたわけではなく、シリルがスティーブとの関係を壊したくないということで距離を取っていたのである。今までのような距離であれば、開発で悩んだ時にスティーブにアドバイスを求めてしまい、兵器を嫌悪するスティーブに嫌われると考えていたのだ。
スティーブもそんな雰囲気を感じ取っており、無理に昔のような距離に戻ろうとはしなかった。それでも、シリルのことを嫌っていることは無く、いつかまた、昔のように戻れるのではないかという期待をしていた。
ミハイルはシリルと関係のあるエリザベスに尊敬のまなざしを向ける。
「やはり、メルダ王国の王女ともなると、我が国の偉人たちとも関係があるのですね」
「まあ、おじさんのお陰だけどね。あ、閣下って言わないとか」
スティーブは家では厳しいということは無く、イザベラはパパと呼んでいるし、エリザベスもおじさんと呼んでいた。これが厳しい家庭であれば、閣下やご主人様と呼ばされているところである。
これは、スティーブの前世の記憶から、そうした呼び方に違和感を感じていたためである。しかし、公の場ではそうした呼び方をするようにとは言われていた。
「やはり竜頭勲章閣下の関係者はすごいですね。あんな雲の上の教授と知り合いなのですから」
興奮気味に語るミハイルとは対照的に、イザベラは冷めていた。
父親の数々の功績は聞いているが、それは物心つく前のことであり、どうもそうして耳から入ってくるものよりも、普段目で見ている情報の方が印象が強いためである。
スティーブは子供たちに激甘であり、家の中では威厳を保つようなことはしていなかった。そんな父親が国内トップの貴族であり、周辺国からも一目置かれているなどと言われてもピンと来ないのである。
ミハイルがそんな冷めた様子に気づく。
「あ、すいません。つまらない話でしたか」
「そんなことないわ。ただ、想像がつかないだけで」
「そうですよね。僕らが生まれる前や物心つく前の話ですから」
そこまで話したとき、昼食が運ばれてきた。貴族学校なので、食堂には給仕がおり、高級レストランなみのサービスを受けることが出来るのだ。
食事が終わるとイザベラは話題を変えた。
「ねえ、クラブのことなんだけど、私たちで新しくつくるのはどうかしら?」
「三人いれば申請できるんだっけ」
エリザベスが生徒手帳を見ながら、クラブの規則を確認する。
そこには言った通り新規のクラブを作る場合は、メンバーを三人以上あつめた上で学校に申請することとなっていた。
「出来るみたいね。それで、どんな活動内容にするか決めてあるの?」
「運動系のやつはもうおおかたあって、目新しいものにはならない。でも、文化芸術なんかも思いつくのはあるのよねえ」
イザベラは頬杖をついて考える。
すると、ミハイルが意見を言った。
「経済を研究するというのはどうでしょうか?」
「経済?」
「そうです。竜頭勲章閣下は10歳にして今の金融市場の基礎を考案されました。そして、銅価格を不当に釣り上げていたカーシュ子爵に対し、売り向かって大勝利をおさめられたのです。僕らにそこまでの事が出来るのかはわかりませんが、でも、経済を研究するっていうのであれば、僕でも参加できるかなと思って」
スティーブとオーロラの銅相場の仕手戦は、今でも金融関係の仕事をしている者たちの間だけではなく、広く一般でも語られていた。これは、価格高騰で生活が苦しくなるのをスティーブが防いでくれるという信仰のようなものであった。
カスケード王国の東部では、帝国が仕掛けてきた杉先物の仕手戦で、住民も一体となって戦ったという歴史を、子供たちにも学校の授業で教えている。
そんな話にあこがれて、金融関係の仕事に就こうとする若者たちも多かった。
ミハエルの案にイザベラとエリザベスも賛同する。
「いいわね」
「そうと決まったら名前はどうしましょうか?」
三人はクラブの名前でしばし悩む。
しばらくの後、イザベラが閃いた。
「経済革命クラブっていうのはどうかしら?新しい考えを生み出すっていう目的にぴったりだと思うの」
「いいわね」
「それにしよう」
名前も決まり、三人は放課後に新規のクラブの申請をした。
学校側もそれを即時承認し、空き部屋が与えられる。
三人は使われておらず埃のたまっていた部屋をみて、まずは明日、掃除をしましょうと決めてその日は下校することになった。
今日もベラが迎えに来ている。
「おかえりなさい」
「おまたせ」
「何か嬉しいことでもあった?」
「そう見える?」
「ええ」
幼いころよりイザベラのことを見ているベラは、イザベラの感情を読み取ることなど造作もなかった。というか、イザベラが隠そうとはしていなかったのである。
「学校生活が楽しくなりそうなの」
「それはよかった。その理由は?」
「秘密よ」
ベラはイザベラの監視をまかされており、何か危なっかしいことをしようとしているのなら、それを未然に防ぎたかったので、理由を聞いておきたかったのだ。
だが、イザベラはそんなことは露知らず、子供がやったいたずらを隠すみたいに笑ってごまかした。
ベラがもう少し話術に長けていれば、上手く聞き出すことが出来たのかもしれないが、残念ながら彼女にそうした能力はなかった。
そして、スティーブはベラではなく、アーサーからイザベラが新しいクラブを立ち上げたことを聞く。
「父上、イザベラが新しいクラブを立ち上げました」
「何か問題でも?」
「内容よりもメンバーでしょうか。エリザベスも一緒なのですが、もうひとりおりまして」
「誰かな?」
「アレックス殿下のご子息であるミハエルという男子生徒です」
それを聞いてスティーブは大きく息を吐いた。
「イザベラが娘だと知って近づいてきたのかな」
スティーブの目つきが鋭くなる。
アレックス殿下とは多少の因縁があり、次期国王となるためにスティーブの力を使おうとしたのだ。結果的に国王にはなれず、公爵の地位もなくなり、一代限りの子爵となったのである。
その息子がスティーブの娘に近づいてきたとなれば、心配にもなる。
「そのような気配はありません。昨日いじめられていたところをイザベラが助けたのがきっかけでしょう」
「そうか。それで新しいクラブはどんなものかな?」
「経済を研究するとのことです」
「そうか、経済をねえ」
暴力的とか冒険的なクラブでなかったことで、スティーブはホッとした。
「名前を経済革命クラブといいます」
アーサーの報告を聞いて、スティーブは椅子の上でずっこけた。
その経済革命クラブであるが、思いもよらない事態に巻き込まれていくことになる。