168 イザベラ
書籍化決定でということではなく、スティーブのモデルになった社長と子育てが大変だよねっていう話をしたので、子供たちの話を書いてみようかと。設定資料が消えたので、本編と矛盾するところが有るかもしれませんが、外伝ということで大目に見てください。
その日イザベラは死んだ夫の墓参りに来ていた。
アーチボルトの姓は名乗っているが、本家からは離れた分家であり、それは代々の当主が眠る墓地とは別にあった。
代々といっても、ブライアンとスティーブ、それにアーサーとその妻たちが入っているだけなのだが。代々と言う割には歴史が浅い。
「やれやれ、毎年ここに来るのが辛くなるねえ。私もそろそろ貴方のところに行くかもね」
イザベラは今年99歳になる。
だが、未だに背筋はピンと伸びており、杖もついてはいない。そしてその動きも老人のものではなかった。
イザベラ・クロムウェル・アーチボルト。スティーブ・ティーエス・アーチボルト竜頭勲章とその妻ナンシーの子として生まれ、成人後は夫のミハエル・アーチボルトと一緒に次々と事業を起こして成功させ、アーチボルト財閥の初代総帥となった女性だ。
幼い頃より父と母に加え、護衛役のベラに鍛えられて、その実力は近衛騎士団長すら凌ぐと言われた才女である。
そして、叔母でありイエロー帝国皇帝の第二夫人であるセシリーが皇帝に働きかけて、子爵の爵位をもらっている。これは母違いの兄弟であるアーサーには爵位が与えられるのが決まっていたが、イザベラにはそれがないのを可哀想に思ったセシリーからのプレゼントであった。
だが、そんな彼女には敵が多く、命を狙われたことは両手の指では足りない。
そして今もまた。
彼女の護衛はおらず、数名の秘書がついているだけ。そこに黒づくめの刺客が五人、襲い掛かってくる。
「死ねい!」
銃を抜いて構えようとする刺客たち。
しかし、その銃から弾丸が発射されることは無かった。
水で出来た弾丸が彼らの眉間を撃ちぬいたのである。
「馬鹿だねえ。襲い掛かるなら何も言わずにさっさとやればいいものを」
倒れた刺客たちを見下ろしながらイザベラが呟く。
水属性の魔法を使う彼女は、手に持った鉄パイプの中で水を作り、それに高圧をかけて射出したのである。
その威力は狙撃銃なみの威力であった。当然、命中したほうは生きてはいられない。
「こんな婆が死ぬのを待っていられないなんて、せっかちな連中だねえ。ライバル企業の連中かい?それとも、利権に群がろうとして断られた貴族の逆切れかい?まあ、世代交代が待てない子供たちってこともあるかもねえ。まったく、もうすぐ死ぬんだから大人しく待ってな」
それを聞いていた秘書たちは、貴女まだまだ死なないでしょうと思っていた。
そんな事には気づいていないイザベラは、はるか空の上に視線を送る。
「ミーシャ(ミハエルの愛称)もパパもママも、アーサーもベラも。みんな先に死んじまって。今頃空の上から私の事をみんなで見てるのかい?」
悲しそうに呟くイザベラは、若かったころを思い出していた。
――――
イザベラは14歳になり、王都にある貴族学校に入学していた。そこではアーチボルトと名乗ると面倒なことになりそうなのと、自分の実力を試したいということで、母親の姓であるクロムウェルを名乗っていた。
外見は母親のナンシーとそっくりの顔立ちに、長身であり、つまりは叔母のセシリーとも似ている。そのため、皇帝の第二夫人の親戚という設定のみを全面に押し出し、他のものを納得させていたのである。
なお、現在も母親のナンシーは公式記録では死亡となっており、その存在は一部にしか知られていない。
同級生にはアーサーと従妹のエリザベスがいた。エリザベスはスティーブの姉であるシェリーの娘であり、メルダ王国の王女である。彼女は留学生として来ていた。
メルダ王国の王都とアーチボルト領及びカスケード王国の王都では距離があるのだが、そこは父親のスティーブが使う転移の魔法で瞬時に移動できるため、親が政務で忙しいエリザベスはカスケード王国に来ており、イザベラと一緒にいる時間が長かった。ほぼ姉妹であると言っていいような環境で育ったのである。
入学式の翌日、教室での顔合わせも終わり、イザベラはエリザベスと一緒に廊下を歩いているた。
「リズ(エリザベスの愛称)、ここは口うるさいのがいないから楽でいいわよね」
「そうね。私の国だとママが神様みたいに崇められているでしょ。娘にもそうした期待の目が向けられるから、常に気を張ってるんで疲れるのよね。変なことすると皆から怒られるし」
イザベラとエリザベスには教育係がつけられていた。跡継ぎではないが、家柄的に社交の場に出ることもあり、知識だけではなく、マナーや仕草まできっちりと教え込まれていたのである。とくにエリザベスは王女であり、母親のシェリーの国民人気の高さから、エリザベスに向けられる期待も相当高いものであった。
息がつまる、と本人は嘆いているのである。
「料理の教育を受ける王女なんて、世界中探しても私くらいなものよ」
「貴族令嬢でも稀少種ね。おばあ様の決めたことだから、誰も逆らえないけど」
二人の祖母であるアビゲイルは、一族の子供には料理のやり方を覚えさせると決めていた。これはそばの商品開発でシェリーが役に立たなかったことを反省してのことである。
いつまた、お金のない状況に戻ったとしても、手に職があればなんとかなるという思いもあった。
しかし、生まれたときから不自由しない暮らしで育った二人には、アビゲイルの危機感は伝わらないのであった。
「それに、アーサーは料理も上手で比較されるから辛いの」
「あー、それはわかるわ。勉強もできて、剣も強くて、料理も上手い。優秀な弟がいると比較されて大変よね」
「まったくよ。で、教室に行けば女の子たちにキャーキャー言われて」
「なにそれ、嫉妬?」
エリザベスが王女らしからぬ顔でニシシと笑う。
イザベラは手を振ってそれを否定した。
「まさか。そうなりたいなら、家名を隠したりしないわよ。それに、家名につられてよってくる奴はお断り」
「それもそうね」
エリザベスはイザベラの意見に同意した。自身も王女という立場だけを見て寄ってくる男にうんざりしていたのである。
そんな二人がさらに歩いていくと、複数の男子生徒が一人の男子生徒を囲んでいるのが見えた。
「リズ、あれなんだと思う?」
「いじめにしか見えないわね」
イザベラはその男子たちの顔に見覚えがあった。
いじめられているのはミハエル・テイラーという少年である。
彼の父はかつての第二王子であるアレックスである。現在は形ばかりの子爵となっており、家名もテイラーを与えられていた。王位継承権をはく奪されたことで、王家の姓を名乗ることが出来なくなったのである。
いじめている側は様々な派閥の親を持つ者たちであったが、その中で中心的な役割をはたしているのがジャクソン・カッターであった。
父親はかつてのアレックスの右腕のカッター伯爵である。
イザベラは親たちの確執など知らないのだが、ジャクソンは親が権力争いで負けたことで、家の勢いがなくなった悔しさを、ミハエルにぶつけていたのである。
「どうする?」
エリザベスはイザベラに訊ねた。
「素通りするわけにはいかないわね。其の鬼に非ずして之を祭るは諂いなり。 義を見て為さざるは、勇無きなり。パパがよく口にする言葉よ」
「おじさんなら、どうにかできる力があるものね」
「あら、私だって力ならあるわよ」
イザベラは幼いころより父親と母親に鍛えられており、今の実力は騎士団に所属出来る程度にはなっていた。いや、所属出来るというレベルではなく、団長を狙える実力であった。
流石に、近衛騎士団長であるダフニーには及ばないが、それ以外の団であれば神速の剣を使えるイザベラにかなう者の方が少ない。
さらには、水属性の魔法も使えるので、盗賊団であっても敵ではなかった。そんなイザベラであるから、貴族学校の生徒など恐れるに足りぬ存在である。
なので、遠慮せず最初からガツンとかます。
「大勢で一人を苛めて。恥ずかしくないの?それとも、恥をママのお腹に忘れてきたのかしら?」
「なんだと?」
全員が一斉にイザベラを見る。
「誰だお前ら?」
ジャクソンはイザベラとエリザベスのことを覚えておらずそう言うと、隣の男子が彼に教えた。
「小さい方がメルダ王国の王女で、でかいのは帝国からの留学生です」
「はっ。属国の姫と半分属国の貴族の娘か。そんな連中が俺に意見をするな。俺の親は伯爵だぞ。それがどういうことかわかるだろう?」
ジャクソンは二人を鼻で笑う。
それを見て、イザベラとエリザベスは顔を見合わせた。
ジャクソンの考えはこの国の保守派の一般的な考えではあるが、それもスティーブの功績あっての事である。それを、彼の娘と姪に向かって言うのは滑稽であった。
なので、二人は顔を見合わせたあと、思わず笑いだした。
ジャクソンは笑われたことに腹を立て、怒鳴る。
「何がおかしい!」
エリザベスがそれにこたえる。
「だって、それって竜頭閣下の功績あっての事でしょう。あなたの手柄じゃないわ。それを、何を偉そうに。だいたい、あなた自分の家を継げるの?そうでもなければ、いずれ平民よ。いつまでも親の権威が使えるわけでも無いのよ。今からでも親の権威に頼らない生き方をするべきだわ」
「リズ、何を言っても無駄よ。恥じらいだけじゃなく、知性もママのお腹に忘れてきたようなかんじだもの」
イザベラは左手をエリザベスの肩におき、右手を自分の額にあてやれやれといった仕草を見せた。
それがジャクソンの癇に触る。
「女っ!」
ジャクソンはそう叫び、イザベラを殴ろうと右こぶしをつき出す。
しかし、イザベラにとってそれはなんら驚異ではなかった。
左手でその拳をつかむと、右手でジャクソンの頬にパンチを見舞う。
「ぎゃん」
ジャクソンは短く声を上げて倒れた。
「犬みたいな声で鳴くのね。それとも犬なのかしら?人の知性を持ってないみたいだし」
余裕の表情でジャクソンを睥睨するイザベラ。
その時、一人の男子が叫ぶ。
「一斉に襲いかかれ!」
すると、彼らは一斉に襲いかかれば勝てると勘違いし、イザベラに攻撃し始める。しかし、かれらは1分と立たずに廊下の冷たさを顔で感じることとなった。
「ちからずくでどうにか出来ると思ったら大間違いよ」
得意げに仁王立ちするイザベラ。
しかし、次の瞬間、廊下の向こうからの気配を感じて慌てる。
「げっ、やばい。アーサー。早く行くわよ」
イザベラはポカンとしているミハイルの手を握ると、いそいでアーサーの気配と反対に走り出す。
エリザベスもその後を追う。
「ちょっ」
ミハイルは戸惑いながらも、握られた手を振りほどくことも出来ず、引っ張られていったのであった。
そして、アーサーが現場を目撃する。
「イザベラの気配がしたけど……」
目に入ってきた状況と、イザベラの気配からなんとなく事情を察し、これをどう父親に報告しようかと悩むアーサーであった。
一方、現場から離れたイザベラたちは、空き教室に逃げ込んでいた。
そこでイザベラはミハエルに質問する。
「ねえ、あなたどうして連中にいじめられていたの?」
訊かれたミハイルは息を切らしており、すぐには返答できない。
エリザベスが二人の間に入る。
「まあまあ。息が切れていてまともに会話できそうにないわ。もう少し待ってあげたら?」
「この程度で?」
「私たちを標準で考えないの」
イザベラほどではないが、エリザベスも幼少より鍛えられているため、この程度の運動では息が切れることはない。
しかし、彼女はそれが普通ではないことを知っていた。
ミハイルは息が整うと、親の失態から今までの没落、そして、格好のいじめのターゲットになったことを説明してくれた。
「僕の名前はミハエル・テイラー――――」
一通り話を聞いたイザベラは憤慨する。
「何それ。親の権力を笠に着て、やり返せないからってやりたい放題しようっていうの!」
「どうせ、領地を持たない王都の貴族の子供たちでしょ」
エリザベスはため息をつきながら、イザベラをなだめる。
エリザベスの発言の背景には、領地持ち貴族たちは現在人手不足であり、貴族学校で跡継ぎではない優秀な生徒と良好な関係を作り、彼らをいかに自分の領地に仕官させるかという役割を持っていた。
新しい発明や社会制度に適応するためには、優秀な人材が不可欠であり、それに乗り遅れるというのは、他の領地に対して発展が遅れるということであった。
なので、いじめに参加でもしようものなら悪評がたってしまい、他の生徒からも遠慮される可能性があるので、そうしたことはしないように気を付けているのである。
だが、王都に住む領地を持たない貴族は違う。
その子供たちも就職のことを考えれば、品行方正で学業優秀をアピールした方が得なのであるが、彼らの親が時代の流れに乗り遅れており、子もまたその価値観を引き継いでいるため、旧態然とした貴族社会のヒエラルキーを学校に持ち込んでいた。
「何かあったら言って。また守ってあげるから」
「ありがとう。でも……」
イザベラに対してミハイルは言いよどむ。
「でも何?はっきり言いなさいよ」
イザベラはミハエルのうじうじとした態度が我慢できず、強い口調となってしまう。
ミハイルはその口調に脅される形で、思っていたことを喋った。
「授業中はいいけどクラブの時までは助けてもらえないよね?同じクラブに入ってもらうのも悪いし」
「ああ、そんなのがあったわね」
エリザベスがポンと手を叩く。
学校ではクラブ活動が推奨され、生徒たちはどれかしらに所属しなければならない。入学して一週間以内に、所属するクラブを決める必要があるのだ。
授業中であればイザベラの目も届くが、クラブとなればそれは別。
「まだ一週間あるんだし、ゆっくり考えましょう」
エリザベスがそう言って、その日は別れた。
下校時、王女であるエリザベスには護衛が迎えに来ており、イザベラはそこで別れる。
イザベラにしても迎えは来ていた。
「おかえりなさい」
「ただいま、ベラ」
迎えに来ていたのはベラであった。
その目的は護衛というより監視である。
並の監視役ではイザベラについていくことが出来ないので、スティーブがベラをイザベラの監視役としてつけたのだ。
ベラがイザベラの卒業まで他の業務が出来ないのは痛いが、それでもスティーブは親としての考えを優先させた。優等生のアーサーと違い、イザベラは目を離すと何をするかわからないので、ベラをつけることにしたのである。
二人は歩いて帝国の大使館を目指す。帝国からの留学生というていを取っているので、帰宅先もそこになっていた。帰宅後は、スティーブが転移の魔法で迎えに来ることになっており、それで王都のアーチボルト家の屋敷に戻るのだ。
直ぐ近所なので、スティーブがいないときは、人目につかないようにして屋敷に戻ることになっている。これも、スティーブの子供だと知られないための措置であった。
「ごめんね、ベラ」
「何が?」
イザベラの謝罪に対し、ベラはその意図がわからなかった。
「ベラはパパと一緒に仕事をしたいでしょ。それが私の護衛なんてしているんだから。護衛なんていらないのよ」
「それなら納得しているので、気にしないで」
「我慢してない?」
「してない」
ベラにとってはスティーブの考えが最優先であり、そのスティーブが娘が心配だから監視してほしいと言ったのであれば、その仕事を出来ることが喜びであった。
なので、イザベラの考えは見当違いなのである。ただ、イザベラにはその考えが理解できていないが。
イザベラはベラがスティーブのことを好きなのを知っている。彼女が望めば、スティーブは妻として迎えるであろうこともわかっていた。しかし、ベラはそれを望まずにいる。好きな人と結婚して子供をつくることを望まないのがどうしても理解できなかったのだ。
ベラとしては、子供を妊娠出産する間はどうしても仕事が出来なくなるので、そうしたことでスティーブの役に立てない自分を見たくないという思いから、それを望まなかったのである。
結婚だけが愛の形ではないというのが、昔からの彼女の考えであった。
そして、そうした気持ちで仕事に取り組んだ結果、彼女は家族を除けばスティーブから一番信頼されるようになった。いや、家族と同等の信頼であり、アーチボルト家の秘密の全てにアクセスできる権限を与えられるまでになっていた。
なお、イザベラは生まれた時からベラが護衛についてくれており、母親と同じくらい信頼している。
その後、二人は特に会話もなく帰宅した。
その夜、アーサーから学校であったことを聞いたスティーブは、頭痛に悩まされることになった。