167 転生
ベッドに横になったニック。そのベッドの傍らにはスティーブがいる。
ニックは骨と皮だけのような弱々しい有様で、それを見ているスティーブも髪の毛の多くは白く染まっていた。二人とも時の流れには逆らえなかったのである。
スティーブはニックに語り掛けた。
「今日の分の治療は終わりだよ」
「毎日申し訳ねえですね、若様」
「気にしないでよ。今までの仕事の報酬だから。ただ、僕の魔法でも若返りまでは無理だから、これが限界だけどね」
スティーブは毎日、体の弱くなったニックに治癒魔法を使っていた。もう自由に動けないニックは、体力以外に病気への抵抗力も弱っており、スティーブが毎日治癒魔法を使っていた。
別に、毎日使う必要もないのであるが、いつ逝ってもおかしくないニックとの時間を少しでもとろうと、毎日の日課に入れていたのである。
スティーブ自身も既に当主を隠居した身であり、以前ほどは仕事はないので、ニックのために時間をとることは難しくはなかった。
「別に若様が気に病むことでもねえですよ。自分でも長生きしすぎたくらいだと思っていますから」
「そう。じゃあ、早く向こうにいる奥さんに会いに行ってあげないと」
ニックの妻は五年前に他界していた。
スティーブにそう言われると、ニックは弱々しく手を振って拒否の意思を示す。
「どうせなら、向こうの世界でもっと若くて性格の良い女を探しますよ」
「奥さんに地獄に落とされそうだね」
スティーブは笑う。ニックは一瞬笑顔になるが、その後真面目な顔になった。
「本当のところは、あいつには次はもう少し家庭をかえりみる奴と一緒になって、幸せになってもらいてえんですよ。俺みたいに、仕事ばっかりで家庭をかえりみないような男と一緒になったところで、幸せにはなれねえでしょうから」
「それについては僕にも責任がある。ニックに仕事をさせ過ぎたね」
「いや、俺にとっては幸せな人生でしたよ。単なる村の鍛冶師が、金属加工の神様だなんていわれて、国中どころか、世界中から弟子入り希望が来たんですぜ。こんなうれしいことはねえでしょ」
ニックは工場長を引退したのちも、弟子入り希望の者たちに金属加工を教えた。旋盤やフライス、ベンダーにプレスといったスティーブの作り出した工作機械は前例がなく、それを一番最初に使ったニックが第一人者となったのである。
当然、そんなニックの元には大勢の弟子入り希望者が集まってきたというわけだ。寝たきりになる直前まで、弟子たちの指導にあたっていた。
ニックはそうした人生を歩めたことで、スティーブに感謝していた。スティーブの魔法があってこそだからである。
「出来ることなら、もう一度自分の手で旋盤を動かしたいですが」
ニックは寂しそうにぽつりとこぼす。
「体調が良くなったら、体力を回復させる運動でもしてみようか」
「そうですね」
二人はそう約束をしたが、お互いにもうそういう時が来ないことはわかっていた。
「そろそろ帰るよ」
とスティーブが言うと、ニックは天井を見たままでスティーブに質問した。
「若様、転生ってあると思いますか?」
「生まれ変わりっていうこと?」
「ええ」
スティーブはニックの質問にどう答えるべきか悩んだ。自身が転生者なので、転生があると答えてしまえば楽なのだが、今までずっとそれは隠してきたことであり、今わの際にあるニックにさえそれを伝えて良いものかと悩んだのだ。
そして、ぼかすことにした。
「たぶんあると思うよ。だけど、それを確認する手段がない」
「そうですか。生まれ変わりがあるなら、名残惜しいってこともなく旅立てるんですがね。俺はまだまだやってみたいことがあるんですよ。こうして寝ていても、こんな加工をしたらどうだろうかとかね。転生出来るんだったら、またそこで試せるじゃないですか。それが出来ないとなると口惜しくてね」
「それならそのアイデアを教えてくれたら試してみるよ」
「駄目ですよ。そんな面白いこと、他人に任せるわけにはいきません」
ニックは弱々しく笑う。スティーブは何も言い返せず、しばらくニックの様子を見ていたが、やがてニックが眠ってしまったので、帰ることにした。
それから一週間後、ニックは天へと旅立った。
そこから時は百五十年が経過する。
スティーブの設立した工場は、株式会社アーチボルト重工として存続していた。アーチボルトホールディングスの中核企業である。アーチボルトホールディングスとは財閥であり、様々な企業を抱えていた。銀行や商社、旅行代理店に鉄道、食品加工などもある。
オーロラが亡くなった後、ソーウェル家では優秀な人材に恵まれず、その隙間を埋めるようにアーチボルト家が一気に勢力を拡大したのだ。
今やアーチボルト領は西部で最大、カスケード王国でも王都に比肩するほどに発展していた。かつてのように、領民が飢えるようなこともなく、商人が弱小商会しかこないようなところではない。
領主としての仕事はクリスティーナの血筋が代々担い、ホールディングスの社長、各子会社の社長などはナンシー、ユリア、カミラの血筋が担っていた。株式会社であり、アーチボルト家が大株主なので、子孫に優秀な人材がいなければ、経営者は他所から招聘することもあった。株を手放さない限りは経営権は握ったままであるので、後に優秀な子孫が出た時は、再びアーチボルト家が社長に就くということが出来る。
ただし、ホールディングスのトップだけは、代々イザベラの子孫が就任して、グループ企業に睨みをきかせていた。
そんなアーチボルト重工に新入社員として、ニックという名前の青年が入社した。
ニックというのはアーチボルト領やカスケード王国では多く名づけられている名前だ。
初代工場長であるニックにあやかろうという親が多いためである。なお、流石にスティーブという名前は畏れ多いということで、その名前は永久欠番のようになっている。
ニックは多くの新入社員たちと一緒に、アーチボルト重工記念館を案内されている。総務が行う新人教育の一環で、アーチボルト重工の歴史についての展示がある記念館で、会社の歴史についてを説明するのだ。
総務の男性が展示してある旋盤の前で説明をする。
「この汎用旋盤は、初代工場長の愛用で、創業社長と一緒に数々の試作を行ったものです」
その説明を聞いて、新入社員たちからおおっという歓声があがる。
創業社長とはスティーブのことである。もはや伝説となった二人の偉業に使われた汎用旋盤ということで、新入社員たちの関心は一際高い。
ニックも興味深くその汎用旋盤を眺める。見れば見るほど、不思議と懐かしい気持ちになった。
すると
「おかえり」
という声が聞こえた。
その声を聞いたとき、ニックの目から大量の涙があふれ出す。そして、人目もはばからずに号泣した。
それを見て心配した総務の男性がニックに声をかける。
「どうした、大丈夫か?」
「はい。なんだかとても懐かしい気がして、涙が止まらないんです」
ニックは涙を拭きながらこたえた。
総務は親が子を見るような顔になった。
「そうか。毎年この汎用旋盤を見て感動する者はいるが、ここまで泣いて感動する奴は初めてだ。その感動を忘れずに、仕事に励んでくれよ」
「はい」
頷くニックの脳裏には、遥か昔にスティーブと一緒に旋盤を使っている風景が浮かんでいた。
いつも誤字報告ありがとうございました。一応これで最終回です。一昨年亡くなった協力メーカーの社長の追悼で書き始めた作品でしたが、多くの方々に読んでいただけました。また、いくつかのコンテストでは一次選考突破となり、題材として理解が難しい作品なのによく評価されたなと驚いております。と言いながらも、次回作はAPQPを異世界で使うという、もっと難解なテーマなんですけどね。いままでありがとうございました。
【追記】2024/3/25現在、ファンタジー部門日間ランキング11位と思ったら8位まで上がりました、ファンタジー部門完結済み日間2位となりました。ありがとうございます。
【追追記】2024/3/26現在、ファンタジー日間完結クラス1位!(日産っぽく。ファンタジー部門では7位→6位まで来ました)。2024/3/27、ついに5位。
【再追記】2024/4/1ファンタジー部門日間4位まで。
一応国名の元ネタを
カスケード王国 滝澤鉄工所、作者の会社にも旋盤あるよ。
フォレスト王国 DMG森精機、ここの紙テープ使っているNC旋盤がまだ現役の会社がありまして。
イエロー帝国 ファナック、黄色。
クリプトメリア王国 スギノ、ここの旋盤使ってます。
パスチャー王国 牧野フライス製作所、センサー多いから異常検知の件数多いですね。金型用じゃないので、いくつかセンサー殺したい。
メルダ王国 三菱電機、ワイヤー買いました。
パインベイ王国 松浦機械製作所、高速切削のイメージです。
ビーチ王国 浜井産業、ここのラップ盤は見たことないけど、マシニングは行く先々の会社にあるという。浜井のマシニングなんてマイナーなのにね。
パレスフィールド王国 ミヤノ、無くなってしまいましたね。
メイザック王国 ヤマザキマザック、この複合旋盤で世界的に有名な商品の試作やりました。
サチュレート王国 豊和工業、オークマ豊和の縦旋盤とかいうマニアックな旋盤使ってました。まあ、売られた方の豊和だから別なんですが
っていう工作機械メーカーです。
ミドルネームは、色々な規格の名前が元ネタです。