166 その後
メイザック王国への救援後、ブライアンは胃が痛くなった。
その原因はもちろんスティーブである。
お腹をさすりながらため息をする姿を、目の前の息子に見せる。
「はぁ、胃が痛い」
「腹痛であれば治癒魔法を使いましょうか?」
「いや、原因は病気じゃないから、治癒魔法では治らんだろ」
「最近はお酒の量も増えているようですし、ご自愛ください」
「誰のせいだと思っているんだ?」
ブライアンは原因である息子を見た。
「父上に圧力をかけてくる人々ですかね。国王陛下、宰相閣下、ソーウェル卿にシェリー姉上、イエロー帝国皇帝」
スティーブは名前をあげては指折り数えた。今名前をあげたのは、皆銃の作り方を知ろうとして、ブライアンに圧力をかけてきた人物たちだ。スティーブに拒否されたので、ブライアンに矛先を変えたのである。
しかし、いくら圧力をかけられたとしても、ブライアン自身は銃についての知識がなく、現物も所有していないので、何も答えられなかった。
どんなに拷問されても、知らないことは答えられないのと一緒である。
「銃の製法を公開するつもりはないか?」
「ありませんね。自力で開発されたら諦めますが、自分の作ったものは作り方を教えません」
遥か先のターゲットを射抜く威力、か弱い女性でも引き金を引くだけで屈強な男を屠る利便性。それらを世界中にばらまくつもりにはなれなかった。ただし、研究の禁止までは踏み込まなかった。人が野生動物と戦うのであれば、それが必要なこともあるからである。
「わかった。しかし、技官殿も火薬づくりが終わったと思ったら、今度は銃か。もうここには戻ってこられないかもしれんな」
ブライアンは王都から帰ってこないシリルのことを思う。シリルは火薬の製法を確立した。本来であればそこまでで一区切りであり、いったんはアーチボルト領に帰ってくるはずであった。しかし、銃の存在が明らかになったことで、次の仕事が舞い込んできたのである。しかも、今度はスティーブの助言が一切期待出来ないものである。
「王都に行ったときにでも、顔を出してみますよ」
「そうだな。折角アイラとくっつけたのに、このままでは地縁を活かすことが出来ない」
こうした会話があったので、スティーブは王都に顔を出したときにシリルと個人的に会う時間を作った。元々、王立研究所での仕事があったので、その後少し話す程度ではあるが。
なお、スティーブが王立研究所に行った目的は、電気についての話をするためである。銃の開発に全力を注がれないように、電気というものを教えたのである。
電気に関しても、王立研究所は凄い食いつきであった。
この電気については、他国にも情報を公開するとして、他国からもアーチボルト領に多くの技術者がやってくることになった。
銃を作ったとしても、スティーブがいるカスケード王国に戦争を仕掛けるような、判断ミスをするような周辺国は今のところないのだが、それでも銃の開発を遅らせようと考え、他の優先課題を与えることにしたのである。
この策は、アーチボルト領に好況をもたらした。何せいっきに訪問者が増えたので、宿や食堂が大繁盛となったのである。インバウンドの経済効果は絶大であった。
そういう背景があっての、王立研究所からの招きであったのだ。
用事を終えたスティーブは、シリルに与えられた研究室に顔を出す。
コンコン
ノックをすると中から返事があった。
「はい。どちら様でしょうか?」
「スティーブ・ティーエス・アーチボルトです」
そう名乗ると、中からドアに向かって走ってくる跫音が聞こえてくる。
「お久しぶりです。汚いところですが」
ドアが開いて中から出てきたシリルは、無精ひげと目の下にくまがあった。そして、ドアから覗くと室内は散らかっていた。謙遜ではなくて本当に汚いのである。
余程研究に打ち込んでいるのだな、とスティーブは思った。
中に入って、来客用の椅子の上に乗っている書類をどかし、そこに座って会話を始める。
「忙しそうですね」
「ええ。おかげさまでというか、銃の製法がわかりませんので、中々前に進まない状況です」
「原理はわかっているのでしょう」
スティーブの問いにシリルは頷く。
「筒の中で爆発を起こし、その力を使って弾丸を飛ばすというのは。しかし、爆発させる火薬の種類や、爆発させる方法、数キロメートル先の標的を寸分の狂いなく撃ち抜く精度となると、自分の考えついた方法では再現できません」
シリルはそのあと、教えていただけませんかといいたいのをぐっと吞み込んで我慢した。
スティーブとの友情に亀裂が入ることがわかっていたし、その代償を支払ったとしても、自分の望む答えが返ってこないことがわかっていたからである。
シリルは火縄銃と同じところまでは再現できていた。
銃に火薬と弾丸を仕込み、火薬を爆発させて弾丸を撃ちだす。ライフリングのない滑腔砲であるために、スティーブの作り出した銃と比較して、命中精度と威力に劣っている。それでも、滑腔砲までたどり着くのは、シリルが優秀だからではあるのだが、本人も国もそれには満足していなかった。
そんな性能であっても従来の弓矢よりも兵士の育成が楽だということで、生産が開始されていた。
スティーブがフライス聖教会に寄贈したレプリカには、ライフリングが刻まれていないため、いくらそのレプリカを観察したところで、ライフリングの発想に到達しないのである。
そんな悩むシリルを見て、スティーブも友人として手助けをしたい気持ちはあった。だが、銃が広まってしまうのは避けたいという気持ちの方が強いため、こちらも助言を我慢して吞み込んでいる。
「その様子ですと、しばらくはアーチボルト領に戻ってこられそうにないですね。父もシリルさんの顔を見たがっておりましたが」
「そうですね。これが終わるまでは、王立研究所が私の長期の外出を許可しないでしょう。それに、仮に銃の開発が終わったとしても、次は電気が待っています」
そう言ってシリルは引きつった笑いをした。
「あっちも研究範囲は広いですからねえ」
他人事のように言うスティーブではあるが、そうなった犯人はスティーブである。電気という存在と、それを使用した様々な製品、重電や弱電についての構想を伝えたのである。インバーターやコンバーターの開発も含めて、膨大な研究対象が与えられたのだ。
それは、地球の歴史400年以上を一気に研究するようなものであり、ウィリアム・ギルバートから平賀源内、ニコラ・テスラ、マイケル・ファラデーなどの成果が一度に発表されたのと同等であった。
しかも、それを他国にも無償で公開している。
どこの国もこの開発競争に後れを取るわけにはいかないと、多額の研究開発費をつぎ込んでいた。
「出来れば、電気のような人の役に立つようなものを研究したかったですね」
今度は寂しそうな顔でそう呟く。
それを見たスティーブも、似たような顔になった。
「僕の作った銃は、人を殺すために特化していて、あれで完成形なんですよね。機能美、機能を追求してたどり着いた最終形状は美しい。不謹慎ですがね。僕もその存在を嫌いながらも、その美しさには惹かれるんです。本当なら人の役に立つものの美しさを追求すればいいんですけどね」
銃や日本刀は人殺しの道具であるが、それゆえに、そのことに特化した形状となっている。時代とともに多少は進化をしてはいるが、基本的な構造については遥か昔に完成しており、大きな変化はない。日本刀などはその美しさから美術品にもなっており、そうした目的での売買もされているくらいだ。
スティーブもその造形の美しさに惹かれていた。
「出来ればその美しさを保つために生産は、アーチボルト領にお願いしたかったのですがね」
シリルの言葉にスティーブは首を横に振った。
「僕の生きているうちは、工場で兵器は作らせないつもりです。まあ、他国に攻められて国家存亡の危機にでもなれば、その時は作りますけどね」
「そうなる前に、スティーブ殿が解決することでしょう」
「そこまではわかりませんよ。敵の兵器が僕の能力を超えるものであれば。敵の作戦で僕が動けなくなれば。そうした事態が起きない保証はないので」
スティーブも生身の人間である以上、死亡することもあれば怪我もする。それに、人質をとられて動けないということだってあるかもしれない。さらに、敵が多数の銃を配備して攻めてくれば、一人ですべてを倒せるわけもないので、協力することもあるということであるが、現実的にそうなる可能性はほとんどない。
「一人で研究しているんですか?」
スティーブはシリルに訊ねる。
「いいえ。火薬についてはガスターがやってくれています。本来であれば二度とここの門をくぐることは出来ないのですが、彼の研究成果と現在他国も銃や火薬の研究をしている状況を考えると、その知識を活用しない方が損失になるとの判断からですが」
ガスターは現在王立研究所に復帰し、火薬の研究をさせられていた。本人も望んでいるのでさせられているという表現が正しいかは議論の余地があるが。
「それに、近衛騎士団長も実際に銃を見たことがあるというので、話を何度か聞かせてもらって、試作品を見せていますけど」
シリルは申し訳なさそうに報告する。
ダフニーはスティーブに銃を見せられたことを国王に報告していた。そのことでシリルに呼ばれて、見たことを話すように言われたのである。
スティーブはそんなダフニーに対して、特別に感情を抱くことはなかった。彼女の職務からしたら当然の事であり、それを承知でスティーブが見せたのだから。
「近衛騎士団長としての立場なら当然でしょうね。特に気にしてもおりませんよ」
「それを聞いて安心いたしました。ぜひ、近衛騎士団長にもお伝えください。気に病んでおりましたから」
「それでは後でそちらにも顔を出してみようと思います」
結局スティーブはシリルに銃の開発についてのアドバイスはしなかった。
そして、その後数十年はスティーブがいることで、周辺国で戦争は起こらなかった。そんな中でもシリルの研究は継続したが、その実績が評価されるのは死後、銃が実戦で使われるようになってからのことであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。