160 動き出す兵器開発
オーロラにアポの取れたスティーブは、彼女の元を訪問した。
オーロラはいつもと変わらぬ妖艶な笑みを浮かべて、スティーブを出迎えた。
「ようこそ。行方不明になった元王立研究所の研究者の情報が欲しいとのことで」
オーロラの真っ赤な唇が動く。
「ええ。行方とまでは言いませんが、研究内容などがわかれば、そこから何かしらを辿れるのではないかと思いまして」
「そういうことであればお安い御用と言いたいけど、結構高いわよ」
「致し方ありませんね。それではとっておきの懐中時計を対価としてお渡しいたしましょう」
スティーブは懐中時計を亜空間から取り出した。ぜんまいばねの懐中時計はカスケード王国でも試作されている。歯車の精度で時間を刻む正確さが変わってくるが、スティーブが魔法で作り出した懐中時計は正確な時間を刻んでいた。なお、歯車の設計は王立研究所の研究員が行っており、スティーブはそれを元に魔法で作っただけである。
懐中時計の表面を覆うガラスも魔法で作ってあり、一点の曇りもなく中の文字盤が見えている。
まさしくとっておきの品物であった。
オーロラはそれを受け取ると、鑑定するようにじっくりと観察した。
「自鳴琴の技術を使った時計、それも、持ち運び出来るほど小さいもの。これなら、公の場に持っていけば羨望のまなざしを受けること間違いないわね」
「装飾については、どうぞご自由に。研究用として作ったものですから、デザインの面では不十分かと」
「これだけのものを頂いたのであれば、情報の対価としては十分。むしろ、おつりが出ますわね」
「では、それは次回への繰り越しということで」
「あら、残念ながら一回ごとの精算ですわよ」
オーロラはにっこり笑って時計を机に置いた。そして、彼女の机の上にある書類の中から、ガスターについての報告書を選び出す。
「これはうち独自に調べた情報だけど、件の研究者が研究していたものは、マッチのような燃える薬品。それも火力の強いもの。買い集めていた材料は、硝石、硫黄、リン鉱石、鉄鉱石、銅鉱石、苦土、複数の油、草生水ね。この辺は素人なんだけど、これで何か作れるのかしら?」
「作れると思いますね。燃焼実験をどの程度やっていたかですが、軍隊で使用可能なレベルまで到達していたかもしれません」
オーロラが羅列した材料は、火薬を作るためのものであった。スティーブはそれを聞いて、ガスターが爆弾か火器の製造に成功していたかもしれないと推測する。
そのため、顔が険しくなった。オーロラは当然それを見逃さない。
「どうせ国でも王立研究所に同じ情報を持ち込んで、何が出来るのかを確認していることでしょうね。これが万が一国内で使用されたら、アレックス殿下は一生幽閉生活かもしれないわ」
「今、そうなんですか?アレックス殿下が幽閉されている状態だと?」
「そうよ。既に噂になっているけど知らなかった?」
「全く」
スティーブの返事にオーロラは軽い溜息をついた。
「そうね。閣下はそういったことに興味がありませんものね。王都ではアレックス殿下派の切り崩しで盛り上がっているそうよ」
「貴族同士の勢力争いについては、領主である父の仕事ですからね。僕にはまだ早いかと。それに、僕が動けば父の頭痛の種が増えますから」
それを聞いてオーロラはフフッと笑った。
「御父上に同情を禁じ得ないわ」
「伝えておきましょう」
「それで、話が戻るけど、今の原材料で新兵器作成は可能なの?」
「僕の予想ではおそらく。実験室も確認出来ればいいんですけどね」
「それは国の管理になっているから難しいでしょうね」
「あとは、これらの材料を大量に買っている動きがあれば、そこにガスターがいるか、研究成果を持ち出した奴がいるっていうことになりますね」
「流石に周辺国全ては把握できないわよ」
オーロラはスティーブにそう言うと、報告書をたたんで机に戻した。
「十分です。由々しき事態だというのがわかりましたので」
「お役に立てたようでなにより」
「それではこれで失礼します」
「また、いつでもいらしてください」
スティーブは挨拶をすると、転移の魔法でどこかへと消えた。
部屋に残されたオーロラは、ハリーに指示を出す。
「大至急今の材料を買って、新兵器の開発を行うように」
「承知いたしました。しかし、閣下に恨まれることになりませんか?」
ハリーはそれを心配した。ガスターが買っていた材料から、新兵器が作れるとスティーブが判断したのにのっかり、オーロラがそれを作ろうというのだ。判断を勝手に使われたスティーブが怒るのではないかと考えたのだ。
「領主としては、恨まれてもやらなければならないこともあるでしょう。私だって恨みは買いたくないわよ」
ハリーはそういうオーロラから、嬉しそうな気配を感じ取った。
彼女の中ではこの状況すらも楽しめるのだと感心したが、よくよく考えてみればスティーブとの駆け引きだからこそ楽しいのだろうと思った。
「マッチの研究を止めて、こちらを優先させなさい。分離の魔法使いは場合によっては、マッチの生産量を減らしても、研究に付き合わせなさい」
「はっ」
「それから、これが万が一にも漏れないように細心の注意を払って。坊やだけではなく、陛下に知られても睨まれるでしょうから。材料の購入については、複数の商会を入れて色々な都市で少しずつ買うように。当然ガスターの行方を調べているから、これらの原材料の購入にも目が光らされているはずだから」
ガスターの行方を追っている国の捜査官も、当然、ガスターが研究に使っていた材料が購入されるかどうかを見張っているはずであり、そんな状況下で原材料を仕入れるとなれば、オーロラのたくらみは簡単に露見する可能性があった。
しかし、そこは長年ソーウェル辺境伯家に使われてきたサリエリ商会であるので、オーロラの期待に応えてくれるはずだろうと考えて、行動を起こすことにしたのである。
ただし、サリエリ商会がガスター失踪の情報を持っていない可能性が高いので、オーロラはそこが心配だったのだ。
こうしてソーウェル辺境伯領でも火薬の研究が始まったのであった。
同じころ、王立研究所の所長であるアイザック・ホリデイは、ガスターの研究内容を確認して頭を抱えていた。ガスターが研究のために購入していた材料を使って実験をしたところ、爆発を確認することが出来たのである。国王はそのことに危機感を覚え、火薬とそれを使った兵器の研究を最優先にするようにという指示を出したのである。
今や王立研究所は研究テーマが溢れかえっており、手のついていないものが沢山あった。そんな状況で研究の優先順位を無理やり変更するというのである。
誰がそれを出来るというのであろうか。
もちろん、優秀であることが大前提となる。少なくとも、ガスター以上の実績を出せる程度には、実力が無くては国王の期待にはそえない。
「エアハートを呼び戻すか」
ホリデイはぽつりと呟いた。
シリルには明確な研究テーマがない。スティーブのところで、彼の考え出す新しいことを報告するのが仕事だ。つまりは、その報告をしなくてよいとすれば、シリルの手が空くのである。
ただし、そうなればアーチボルト領は首輪の外れた犬のようなもの。気づいたときには王国が全力で研究しても追いつけないほどに、技術が発達してしまう可能性もある。
しかし、火薬の実用化が万が一他国に遅れた場合、どんな責任を取らされるかわかったものではない。
結局ホリデイ所長はアーチボルト領の技術革新の監視と、他国との兵器開発競争というのを天秤にかけて、兵器開発競争を優先することを選択した。
すぐにシリルに王都の王立研究所に戻ってくるように異動命令書を出す。
たまたま仕事で王都に来ていたシリルは直ぐに命令書を受け取る。それを受け取ったシリルは困惑した。
研究内容はスティーブの嫌う兵器開発である。シリルも組織の人間であるので、組織の命令は絶対だ。王立研究所を辞すれば命令に従わなくても良いのだが、そうした場合貴族としての特権もなくなる。アイラと子供も路頭に迷うことを考えると、命令に従うしかなかった。
王都への異動はすぐにという命令であり、シリルはひとまず単身でこのまま王都に留まることにした。後からアイラと子供がやってくることになる。
王都に異動する前に、スティーブに挨拶をしておきたいと思ったが、戻る余裕もないので手紙を送ることにしたのである。
その時スティーブはメルダ王国の姉夫婦のところにいた。スティーブはエイベル国王とシェリーに、ガスターの研究内容を伝えに来ていたのである。
二人を前に、スティーブは状況を説明する。
「カスケード王国の王立研究所の元研究員が、アレックス殿下の資金援助を受けて、旧メイザック王国領で兵器の開発を行っておりました。ところが、その研究員が突如として行方不明となったのです。研究の状況からみて、兵器の開発は完了しているか、完了目前といったところでしょう」
スティーブの話を聞く姉夫婦の顔は険しい。
エイベル国王はスティーブに質問する。
「義弟殿、兵器というのはどんなものかな?」
「おそらくは爆発を起こすようなものであると推測されます」
「それならば、火属性の魔法使いと大して変わらないのではないかな?」
「魔法使いは数も少ないですし、魔力という上限があります。しかし、爆発を起こすのは薬品であり、起爆方法さえ覚えてしまえば、誰でも使うことができます。しかも、一日に何度でも。その脅威は魔法使いの比ではありません」
スティーブに聞けば聞くほど、エイベルとシェリーの顔は険しくなる。
「その魔法使いが東部から消えたと。それで、どこに行ったのかはわからないの?」
「姉上、それも今カスケード王国で調査中です。僕は部外者なので情報は入ってきません。ただ、こうした新兵器の使用される可能性が高いのが、メルダ王国の周辺なのでこうして忠告に来たのです。なにせ、転移の魔法は距離が伸びれば魔力の消費量も増えます。それに、大陸の端にある国が、わざわざこの地域に大規模な諜報網をしいているともおもえませんし。周辺地域の情報を探っていたら、アレックス殿下が研究者を雇ったという情報にぶつかったと考えるべきでしょう」
スティーブの考えは距離に理由が置かれていた。連れ去るにしても魔力に限りがあるし、そもそもの情報を得るのに、金のかかる諜報網を遠くの国までというのは考えにくい。現在の地球であれば移動手段や通信手段があるので、地球の裏側までも諜報網をしくことは出来るが、馬車で何日もかけて移動するような世界で、遠くの国に諜報網をしいたところで、情報が伝わるのが二か月、三か月後では鮮度が落ちる。
というのが、スティーブの考えの根拠であった。
「でも、警戒しろって言われても、どうすればよいかわからないわね」
「考えられるのは要人の暗殺か、戦争での使用でしょう。戦争で使おうとすれば、挑発をしてくるのではないかと思います。ま、暗殺に関しては常に転移の魔法使いを傍に置くとかでしょうかね」
「気の休まる間も無いわね」
シェリーは天を仰いでため息をついた。
そんなシェリーをエイベルは抱き寄せた。
「ひとまず国境を警備する兵士たちには、敵国が挑発してきても手を出さないように伝えておく。暗殺に関しては難しいね。外遊は控えるようにするけど、訪ねてくる外国の要人に会わないわけにはいかないからなあ」
エイベルは困った顔でシェリーを見た。シェリーも困った顔でスティーブを見る。
「うちの国内に潜伏しているということは無いかしら?探すための手掛かりが欲しいんだけど」
「僕の持っている情報ですと、特にはありませんね。似顔絵も入手出来ておりませんし」
「手掛かりなしはきついわね。でも、そうは言いながらも何か考えているのでしょう」
「研究で使っていた原材料の購入から追うっていうのはありますが、僕の力だと難しいですね」
「どんなものを使うのかしら?」
「それについては機密事項ですので」
スティーブがそう言って原材料を明かさないので、シェリーは心の中で舌打ちした。オーロラ同様に、シェリーもその新兵器とやらを作ってみたいと思っていたのだ。ただし、メルダ王国がそれに着手すれば、カスケード王国からどんな制裁をくらうかわからないが。
それでも、他国が強力な兵器を手にするのであれば、自国でもその研究くらいはやっておきたいと思っていたのだ。
そして、スティーブはメルダ王国から帰還してしばらく後、王都に行っていたシリルからの手紙で、しばらくは王都で仕事をすることになったと知るのであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。