16 将来への仕込み
一旦領地に戻ってきたスティーブは、シリルとニックと一緒に糸巻機の生産に取り掛かっていた。魔法で作った最初の一台はシリルが国王に報告するために、既に王都に発送してしまっている。なので、もう一度魔法で作り出して、その部品を採寸して新たに自分達で作ろうというわけだ。
素材が木であるため、調達は可能である。あとは丸い部品が多いので、旋盤を使いながら加工をしていく。シリルも旋盤の扱いに徐々に慣れてきて、今では三台の旋盤が稼働している。勿論、スティーブも加工を行っているからだ。
スティーブは前世ではNC旋盤がメインであり、汎用旋盤の経験は浅い。なので、新鮮味があって楽しいのだ。
休憩時間になり、椅子に腰かけながらシリルがスティーブに話しかけた。
「しかし、国中に糸巻機をばら撒くとなると、この生産ペースでは間に合いませんね。サンプル品を元に王都でも作る様ですが、向こうは手加工ですのでもっと時間が掛かる事でしょう。何か良い方法は無いものですかね」
旋盤はスティーブの魔法でしか作れない。仕組み事態(自体)はわかっているので、それもシリルは報告書にしてあるが、初めて作る工作機械となると、かなりの時間が掛かる。今頃やっと王立研究所では報告書を読んで、予算をどうしようかという話になっている事だろうから、国中に旋盤が行き渡るのはまだまだ先だ。
なお、スティーブの魔法で作った旋盤は、移動させても使用可能であるが、シリルはそのことを知らない。ここに据え置きとなって使用できると思っているのだ。
「今、ソーウェル辺境伯に領民の移住の許可をお願いしているところです。許可がおりれば領民が増えるので、生産能力は向上しますよ」
「そうはいっても、適性のある領民がどれほどいるかは未知数ではないですか?」
シリルは領民が増えたからといって、今自分達がやっているような加工を出来るものがどれほどいるのだろうかと思った。シリルに限らず、カスケード王国というか大陸での一般的な考えでは、領民とは農業に従事するのものであり、金属加工や木工などは職人が行うというものであった。
実際に、鍛冶仕事は今行われている農作業よりも、経験値を積まなければならない量が多い。
「今考えているのは、領民には単能工になってもらうというものです」
「単能工とは?」
スティーブのいう単能工というものが何なのか、シリルはわからなかったので質問した。
「一つの作業に特化した作業者ということですかね。今我々はフライホイールやプーリーを作って組立をしています。材料となる木材の準備から出荷までを考えるとかなりの工程となるわけですが、それらの工程をバラバラにして一つの工程に一人の作業者とするわけですね」
「つまり、木材を切り出す作業者はそれだけを、フライホイールを加工する作業者はそれだけを、組み立て作業をする作業者はそれだけをというわけですか」
「はい。そうすることで全てを覚えなくても製品が完成するようになります。それをやっていく中で見どころのある作業者は多能工として育成し、色々な工程を出来るようにすればよいのです。最初に覚える事が少なくて済むので、十分に可能だと思いますよ」
「なるほど」
スティーブの説明にシリルは納得した。これは現在の大量生産でよくみられる生産方法である。覚える事が少ないため、作業者を雇用した当日または翌日から生産ラインに投入できる。職人として育成する期間が必要ないのがメリットだ。
しかし、それを聞いてシリルには新たな疑問が生まれた。
「領民をそうした作業に従事させた場合、食糧生産はどうするのですか。非農業従事者が増えた分だけ、農民も増やさないとならないと思いますが」
「そのための先物取引です。領地に必要な分の小麦を先物取引で買っておくのです。そうすればエマニュエル商会が買い付けを出来なかったなんていうことも回避できますからね」
スティーブは本来の目的で先物取引を使うつもりだった。期先の限月に買い注文を入れておくことで、不作や戦争といった突発の事態に左右されること無く、安定して小麦を買う事が出来るのだ。ただ、現在はまだ小麦は先物取引は開始されていない。
ここでカーシュ子爵を打ち負かし、恣意的な買い占めをする者が大損するという前例を作って、先物取引の安全を取り戻さなければ、それは実現しないだろう。
「確かに、王都も王都の農業生産だけで人口を賄っているわけではなく、各地から輸送してきてあの人口を支えていますからね」
「輸送といえば、将来的に熱交換器が発達すれば、海でとれた魚を魔法を使わずに、新鮮な状態で各地に運搬できるようになりますよ。まずは冷媒を見つけるところからですが」
「それは凄い。確かにスティーブ殿から聞いた原理を使えば、肉や野菜を冷蔵・冷凍することが可能ですよね」
スティーブはシリルに熱交換器の原理を説明してある。しかし、それを実現するためにはコンプレッサーや冷媒が必要なのだ。それは直ぐには出来ないため、今はシリルの報告書に将来的に実現可能であるというのが書かれているのみである。
「ところで、その移住の許可がおりる見込みはどれほどでしょうか?」
「そうですねえ、ほぼ確実なところまで来ているのですが、最後のひと押しが必要かなと思います。それをシリルさんにも手伝ってもらいたいのですが」
スティーブは悪だくみをしている顔になる。それを見たシリルが不安になった。
「わ、私に出来る事でしょうか?」
「ええ。それほど難しい事ではありません。ちょっと王都に手紙を送ってほしいだけです」
そこでスティーブはシリルに耳打ちした。
「というのをお願いしたいんですけど」
「それくらいならお任せください」
シリルはスティーブからの依頼を快諾した。
「ところでシリルさん、砂型鋳造の規格作成についてはどうでしょうか」
「王都からの連絡では抜き勾配についての一般公差決めで揉めているようです。各工房での独自のやり方でやってきた歴史があるので、それならそんなものは公差は無くせばいいという意見が強くて」
抜き勾配というのは鋳造品についている傾斜である。型から製品を抜くときにこの傾斜がないと、摩擦抵抗が大きすぎて製品が抜けないのである。設計者がその抜き勾配をいくつに設定するのかの目安として、一般公差を決めよという話になったのだ。
勿論、一般公差であるので、製品によっては厳しい抜き勾配を設定することもあるだろうが、特別な指示が無ければその公差で鋳造をするという約束事をつくるのだ。
その抜き勾配について鋳造を行う工房の意見を集約しようとしたが、各工房でノウハウが違うために簡単には決まらない状況になっている。
これはなにもカスケード王国の抜き勾配だけの話ではない。日本でも例えば電気自動車やスマートフォンの充電規格や、モニターとパソコンを繋ぐケーブルの規格なども、様々な規格があって統合することが出来ていない。発電された電気のヘルツ数も西日本と東日本で異なる。既にものが出来てしまっているところに、新規格を作ろうとすれば既製品とぶつかるのは当然のこと。
そんな事情を王立研究所からの手紙で知ったシリルは、アーチボルト領で技術の習得という役目で良かったと心底思っていた。純粋に技術を追求する事は好きなのだが、喧々諤々のところをまとめるというのは苦手なのである。
「私は本当に運が良かった。ここに常駐するのではなく、王都で規格を作成する仕事であれば、多分今頃嫌になって辞めていたかもしれません」
「人には向き不向きがありますからね。加工が上手な人がお金の計算も得意なわけではないですからね」
「そうですね。適材適所となるようなやり方も規格化できれば良いのですが」
そんなものは千年経っても無理だろうとスティーブは心の中で呟くが、顔には出さない。そして話題を変えた。
「この後は旋盤を作るための部品を鋳造するための木型を作ってみましょうか」
「いいですねえ。歯車を鋳造して旋盤で仕上げて、それがまた旋盤になるんですよね」
「そうです。フレームも鋳造してみたいけど、ここにはそれだけ大きなものを鋳造する設備がないので、歯車くらいにしか出来ませんね」
それを聞いていたニックが苦笑いをした。
「あんまり大きなものは鋳造したこと無いんで、俺に仕事を発注しないでくださいよ」
そんなニックをスティーブは挑発した。
「ふうん。ニックともあろうものが難しいことに挑戦しないとはねえ。いつもの腕自慢はどうしたんですか?」
「若様、きついこと言わないでくださいよ。それだけデカいものを鋳造するとなると、木型についてもちゃんと考えないとならねえんですよ。どういう姿勢の木型をつくるかで、出来栄えがかわってくるんですから。それに、湯口の数や場所、冷やしの当て方だって簡単じゃあねえんです。これについては、教会の鐘を作っているような工房にでもお願いしないと、ノウハウの無い俺じゃあいつ完成するかわかりませんぜ。それに、それにかかりきりなったらこの領地の鍛冶が止まります」
鋳造は簡単に言えば、溶けた金属を型に流し込むという加工だ。しかし、溶けている金属をコントロールするのは極めて難しい。金属を流し込む湯口の作り方で、材料の回りかたが変わるし、空気が型のなかに残ってしまうこともある。それに、不純物のたまる場所も変わってくる。
また、ニックのいう冷やしの当て方でも、製品の巣の出方が変わるため、ノウハウがない者が型を作ったところでうまくはいかない。
スティーブは前世で鋳造を経験したことがなく、この分野についてはアドバイス出来ることはなかった。
「旋盤の製造販売を基幹産業にするにはノウハウが足りないかぁ」
「鋳造したフレームを購入するというやり方もあるんじゃないですかね」
気落ちするスティーブにシリルがそう提案した。
「ノウハウを得るまではそうするしかないですね」
解決策が出来たところで、ニックが昼食を食べていかないかと誘ってきた。
「うちの奥さんが二人の分も昼飯を作るって言うんですが、食っていきますか?」
その誘いをシリルはすぐに断った。
「いや、自分はアイラが用意してくれているので、一度帰りますよ」
「僕がアイラに要らないと伝えてきましょうか?」
スティーブがそう言うと、ニックがニヤニヤ笑う。
「若様、それは野暮ってもんですぜ。人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死ぬって言いますから、止めたほうがいいですよ」
「こ、恋路だなんて」
恋路と言われたシリルは顔が真っ赤になった。
男を落とすなら胃袋からというのをアイラは実践しており、シリルの食事は三食ともアイラが作っていた。シリルの様子を見れば、既に胃袋はアイラに握られているのがわかる。
スティーブとしては、領民が技官と結婚するようなことになれば、何かと便利だなという思いがあった。ブライアンからもシリルとアイラの話はきいていたが、ここまで発展していたとは思ってもおらず、嬉しい誤算であった。
「ちょっと、外に用たしにいってきます」
恥ずかしくなったシリルが用をたすと言って外に出ていった。シリルが出ていったので、スティーブはニックにきく。
「よくニックがそんなことを知っていたね。二人の関係がそんなことになっていたなんて知らなかったよ」
「若様、噂なんてのはだいたい女連中のおしゃべりで広がるもんですぜ。うちの奥さんが洗濯するときに顔を会わせるよそのかみさんたちから仕入れてくるんですよ」
「だとしたら、うちは領民の女性たちとの接点がないから、その話が伝わって来ないんですね」
「でしょうね。若様の婚約者のクリスティーナ様がうちの奥さんと会話してたら、下品がうつっちまいますからね。隔離していたほうがいいってもんですよ」
ニックがそう言った時、タイミング悪くニックの妻が冷たい水を三人分持ってきた。
「あら、下品がうつるからあんたの分は下げるわね」
当然会話が聞こえており、妻はニックに対して怒りをあらわにする。ニックは慌てて謝ったが後の祭り。
用を足してきたシリルが戻ってきて目にした光景は、ニックが彼の妻に土下座をしているというものだった。一瞬訳がわからずにポカンとしてしまう。そんなシリルにスティーブが耳打ちした。
「ニックがクリスティーナと奥さんを比較して、奥さんのことを下品だって言ったのを聞かれたんですよ」
「ああ、それでこの状況ですか」
理由を聞いてシリルは納得した。結局その日はニックが奥さんの機嫌をなおすために、そこで作業が終了となった。