157 ハンフリー・ガスター
王都でスティーブが怪談の講演を開催したので、カーター殿下とアレックス殿下はそれぞれの派閥の取り巻きを連れて、それを見にやってきていた。
怪談が終わって劇場を出るところで、カーター殿下とアレックス殿下はばったりと出会う。それぞれの取り巻きたちは目線でバチバチと火花を飛ばすが、当の二人はそれほどまで対立意識を表に出さなかった。
「兄上も観覧されておりましたか」
と、アレックスの方から声をかけた。
「話題の怪談とやらを一度観てみたくてね。やっとチケットが取れたのが今日だったわけだよ」
「兄上も私と同じというわけですか。十個の話のうち、どれが一番怖かったですか?」
「やはり最後のやつだな。湖に騎士が調査に行った時点から、鳥肌が立っていた。アレックスはどれだ?」
「私は話が終わって、アーチボルト卿がロウソクを消すときでしょうか。どんな化け物が出てくるのかと思うと、直視しづらいものがありました」
劇の感想をお互いに述べる姿は、仲の良い兄弟そのものであった。少しだけそうした話をして、お互いは自分の離宮へと帰っていく。
その帰り道、同じ馬車に乗っているアレックスはカッター伯爵に話しかける。
「兄上は私が南方でやっていることについて気づいていないのだろうか?」
「会話の中には探りを入れてくる様子はありませんでしたな」
アレックスは王立研究所を辞めた研究員をこっそり雇用して、南方で研究をさせていた。実は、南方で分離の魔法使いを見つけ、マッチを越える研究成果を求めて研究員をヘッドハンティングをしたというわけである。
研究員の名前はハンフリー・ガスター。天才であるが思想が危険だということで、王立研究所では扱いに困っていた研究員である。アレックスはそのガスターに代理人を使って接近し、資金と場所を提供するので研究をしてみないかと誘ったのである。
一方、カーター殿下もその情報は掴んでいた。こちらも帰り道の馬車で、側近であるフィンリー侯爵にはなしかける。
「アレックスの態度からは特に余裕が感じられなかったが、まだ何ら成果は上がっていないということかな」
「まだそのような報告は受けておりません」
「陛下からアレックスが王立研究所の問題児であるハンフリー・ガスターを引き抜いたと聞いたときは、随分と大きな賭けに出たなと思ったが、その賭けも失敗に終わってくれるかな」
ハンフリー・ガスターの言動はしばしば問題となっており、王立研究所の所長も危険人物として国王に報告をしていた。そんな彼が王立研究所を退職するとあっては、監視をつけないはずがない。アレックス自身がガスターと接触することは無かったが、ガスターの行き先から次のパトロンが誰であるかは一目瞭然であった。
国王はその情報を把握すると、それをカーターに伝えた。カーターを贔屓するわけではないが、国王の身に万が一のことがあれば、今ならばカーターが後を継ぐことになる。なので、国王は情報を共有したというわけだ。
ただ、国王が全ての情報をカーターに渡してくれる保証など無いため、カーターもフィンリー侯爵を使って独自にガスターを監視していた。
フィンリー侯爵はガスターの情報を知り、その思想を毛嫌いしていた。
「マッチなどとは比較にならないくらいの炎で、人も焼き殺せるものをつくるが彼の口癖だったらしいですな」
「今が戦争中ならいざ知らず、平和な時代となればそんなものに価値はない。いずれまた戦乱の時代が来るかもしれないが、その前に研究すべき課題は沢山あるからな」
ひと時かもしれないが、平和な時代が訪れている今、軍事目的の研究を優先するメリットは無い。そして、それをしていることが他国に知れた場合、余計な緊張を生むことになる。なので、王立研究所の研究も民生品という言い訳がつきそうなものにしたいのだ。後々軍事転用が出来るとしても、露骨に軍事目的の研究は避けたかったのだ。
例えば気球。これは偵察や空からの攻撃に使えるのだが、そうした用途を主目的とはしておらず、観光や冒険のためというのが公の理由なのである。
それと比べて人を焼き殺せるものなど、どうやっても民生品とは言えない。
王立研究所ではガスターには別の研究テーマを与えていたのだが、彼はそれに納得できずに不満を募らせていたというわけである。
「勉強ができたところで、偏屈であれば使い勝手は悪い。そして組織の中にはいられないのであれば、結局のところ頭が悪いということですな」
「そうなるな。私の手元には置きたくないが、かといって他の誰かのところで手柄を挙げられても困る。もっと言えば、コントロール出来ない状態の暴走が一番厄介か」
「作ったら使ってみたいと思うのが研究者ですからな」
カーターは意識はしていないが、自然と南方の方に視線を向けていた。馬車の車内なので当然見えはしないが。
同時刻、講演の終わったスティーブは、クリスティーナやナンシーたちと談笑していた。
「今日は両殿下が見えていて緊張したよ」
「そうですか?とても緊張しているようには見えませんでしたが」
「うむ。旦那様はむしろ両殿下が怖がる様を見て喜んでいるように見えたが」
「それは怪談だもの、怖がってくれたら嬉しいじゃない」
そう言って、スティーブはカーターとアレックスが怖がっていたのを思い出してクスリと笑った。
「王族、貴族を堂々と怖がらせられる機会などめったに無いからね」
「スティーブ様はいつも怖がらせていると思いますよ」
「それは動いた結果であって、こうした怪談みたいにわざと怖がらせるというのとは違うよ」
過去の行動を思い返すと、怖がらせるというか不安と恐怖を植え付けるようなことばかりだった。ただし、それはこう動けば相手が怖がると考えてのものではない。国王が恐怖するのを喜んだということは無かったはずだ。それと、恐怖の内容も全然違う。
「普段は感情を表に出さないようにしている貴族たちが、旦那様の話と魔法で悲鳴をあげるのは確かに新鮮で、怖がらせようとしている側からしてみれば快感ですね」
「そうなんだよね。クレーマン卿は何度も足を運んでくれているけど、ソーウェル卿は来てくれないんだよね。怖がるところを見てみたいんだけど」
ここまでくると、流石に露骨に避けているなとスティーブでも気づいた。そして、その理由も簡単に推測できる。
「怖い話が苦手なのでしょうね」
「招待状を送っても、理由をつけて来ないからね」
「そこはダフニーと一緒だな」
ダフニーも相変わらず怪談には近づこうとしていなかった。ダフニーのところには部下からチケットを取れないかというお願いがかなり来ていた。王都のデートスポットになっており、入手が難しいチケットではあるが、近衛騎士団長という立場と、スティーブとの関係を知っている部下たちは、ダフニーにお願いをしているのである。
そんなお願いをスティーブに伝えて、チケットを優先的にまわしてもらっているのだが、本人は一度も来ていないのだった。
「情けない。敵に死霊魔法の使い手がいたらどうするつもりなのか」
ナンシーはからかうわけではなく、騎士としての視点から大真面目に怒る。
「仕事になればやるんじゃないかな」
スティーブはダフニーをかばう。
「訓練で出来ぬ者が、本番で出来るとは思えませんが」
ナンシーはスティーブの言うようなことにはならないだろうという考えだ。そこでクリスティーナが二人の意見の間をとる形で
「ならば、抜き打ちで試してみるのはいかがでしょうか。陛下の許可をとって、護衛時に死霊魔法で襲い掛かってみれば、本番でどう動くのかわかるでしょう」
と提案した。
「それなら陛下の許可を取らずに、ダフニーに幻惑の魔法を使って、そういう状況を作り出すよ」
「それもそうですね。レジストのマジックアイテムを着けていない時を狙わなくてはなりませんが」
「それが面倒だねえ」
国王の護衛である近衛騎士団長が、敵の精神魔法によって操られるような事態は避けねばならないため、ダフニーは四六時中マジックアイテムを身につけている。そのため、スティーブの幻惑の魔法が通じないのだ。
「まあ、ダフニーの確認は絶対にしなければならないわけじゃないから」
本来のオーロラの話からそれてしまったため、スティーブは話を元に戻す。
「ソーウェル卿をいかにして怪談に呼ぶかだね」
「そうでした。ただ、あまり無理に怖がらせた場合、仕返しが怖いですね」
「確かにそうだね。姉上からメルダ王国でも怪談を披露してほしいと言われているし、ソーウェル卿が運営している劇場でやるから、是非とも一緒に来て欲しいとか言えばいいかな」
「それが妥当でしょうか。断られそうですが」
「レオ殿にも協力してもらおうか。怪談に興味があるみたいだし」
オーロラの夫であるレオは怪談を見てみたいと思っていた。しかし、妻であるオーロラから一緒にはいかないと宣言されてしまい、いまだに大人気となっているスティーブの怪談を見ることが出来ていないのだった。
単独で見に行ったのが他の貴族に見られた場合、余計な噂が立つのでそれは避けたかったのだ。
という事情があるので、スティーブたちとしては搦め手として、レオから攻めようというわけである。
なお、シェリーは怖がってはいるが、怪談自体は気に入っており、メルダ王国でも流行らせたいと思っていた。スティーブの話した怪談を本にまとめて、それを参考に話を考えさせているところだ。舞台演出などは専門家に任せるつもりであるが、怪談も文化の一つとして育てるつもりであった。主に自分の趣味としてという理由なのだが。
そんな話をしているスティーブたちは、ガスターという男が南方で新兵器の研究をしているとは全く気付いていなかった。
そのガスターであるが、分離の魔法使いである少年のニルスと共に研究室にいた。ニルスはメルダ王国に隣接するこの地で生まれ育った少年である。平民であるため10歳の魔法適性の調査が行われなかったが、アレックスが自分で費用を出して行った調査で、その魔法の才能を発見された少年である。
ガスターは王立研究所時代に、分離の魔法使いを使わなくても還元などで物質を分離させる方法を学んでいたが、それでも完ぺきではないため、研究には分離の魔法使いが必要だったのである。
そして、アレックスは分離の魔法使いであるニルスを発見したことで、王立研究所の研究員をヘッドハンティングすることにしたのだった。
ガスターは王立研究所の他の研究員の研究結果を書類として持ち出すことは出来ていないが、彼の優秀な頭脳はその多くの内容を記憶していた。その中でもマッチの燃える仕組みについては、時間とともに忘れるのを防ぐため、覚えていることを紙に記録している最中だった。
そうした作業と並行して、ニルスへの指導をしているのが今だ。
分離の魔法使いと言っても、頭で想像できないことは分離しづらい。鍍金の仕組みや元素記号を知らないのに、金鍍金のストライク処理として使われている銅を分離しようとしても、それがうまくいかないというようなものである。
ガスターはニルスへのそうした指導が面倒だなとは思ったが、自分のやりたいことのためには仕方ないかと我慢していた。
そして、ニルスは教育を受けたことが無い平民であるため、文字から教える必要があった。幸いにしてニルスは覚えが良く、文字は直ぐに覚えることが出来た。そこから研究でよく使う単語を教えていき、化学反応がどういうものであるかというのを実験を通じて覚えさせていった。
「赤燐が摩擦熱により白燐に変化して燃える。ここまでは覚えたな」
「はい。灰燐から赤燐を分離することも出来るようになりました」
灰燐は毒性が強いため、大量の生産は出来てはいない。実験で少量作るのが精々だ。それに、大量の灰燐があったところで、ニルスの魔力が足りないため、それから全て赤燐を分離させることは難しかった。
それでも、ガスターが自分の研究を進めるには十分であった。赤燐が出来れば次は白燐をと考えていた。発火温度や毒性で赤燐よりも取り扱いが難しく、まずは赤燐からやっていこうというわけであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。