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154 禁忌

 スティーブのところにシリルが報告にやって来た。内容は熱気球の実験の事である。スティーブは家族と過ごしていたが、シリルの来訪とあってはそちらを優先した。

 スティーブの家族もいるところで、シリルはスティーブに向かって興奮気味で話す。


「王立研究所から、実験室での浮遊に成功したという連絡がありました」

「理論上は可能だからねえ」


 スティーブは特に驚くことはなかった。なぜなら熱気球を前世で知っていたから。

 

「あまり驚かれないのですね」


 と、シリルは冷静なままのスティーブに訊ねた。もっと喜ぶような感情か驚きを見せると思ったのである。


「あ、科学の進歩として嬉しく思うよ。人が空へ進出するきっかけになるだろうからね」


 空への憧れは古今東西、異世界であっても変わりない。だからこそ、熱気球の話に予算がつくのだ。

 スティーブのその言葉に、シリルは頷いた。


「ただ、問題はやはりフライス聖教会でして」

「異端って言ってきた?」

「いえ。しかし、言われる前になんとか理論武装しておきたいと」

「幸いにして、ここには聖女様もいることだし、空が神だけの領域ではないという話をして、横やりを入れられないようにしておこうか」

「お願いします」


 シリルが報告に来た目的は、その成果よりもこれから有人飛行が出来そうだとなったので、フライス聖教会をどうするかという相談だったのだ。

 スティーブのほうから先に、そのことを言ってくれたのでほっとしている。フライス聖教会との話し合いに乗り気でなかった場合、無理にお願いをすることになってしまうからだ。


「ベラ、そういうわけで聖女様にアポをとってくれるかな」

「わかった。呼んでくる」

「僕の都合は今すぐじゃなくてもいいんだけど、まあ、今すぐでもいいか」

「どうせこっちから行くって言っても、向こうが押しかけてくると思う」


 ベラはそう言ってアーチボルトラントの教会に向かった。

 ベラからの話を聞いたユリアは飛び上がらんばかりの勢いで喜ぶ。


「今すぐ伺いましょう」

「いえ、主人がこちらに伺うつもりなのですが」

「ご遠慮なさらずに。カミラ、今すぐ出発の準備をして」


 ユリアの行動を見て、ベラは予想通りかと思ってため息をついた。どうせスティーブもユリアがやってくることを予想して、準備をしているだろうと思い、ちらりと屋敷の方向を見る。

 教会の壁で屋敷は見えないのだが、苦笑しているスティーブの姿が想像できた。

 こうしてベラはユリアとカミラを連れて屋敷に帰ってきた。

 なお、メルクールとユピターは留守番になったことに不満を持った。ただ、カミラと違って聖女の護衛でもない彼女たちは、ユリアに同行する理由が無かった。

 屋敷を訪問したユリアはスティーブに深々と頭を下げる。


「本日はお招きいただきありがとうございます」

「ようこそ」


 そう言ったスティーブであったが、なんで連れてくるんだというのを目でベラに伝えた。ベラはわかっていたでしょと目で返答をする。

 スティーブはユリアたちを招き入れて、熱気球についての議論をすることにした。ユリアの後ろに控えるカミラはスティーブを見て顔が赤くなったのだが、それをベラは見逃さなかった。クリスティーナとナンシーに報告すべきかと考えたが、カミラがスティーブに対して恋心を抱いているのは二人とも知っているので、余計なことかと思い、報告はしないことにした。


「ベラ、技官殿を呼んできてくれるかな」

「わかった」


 シリルも今回は呼ぶ。

 ベラが出て行って、代わりにお茶が運ばれてくる。


「今技官殿がきますので、それでまでお茶でも飲んでいてください」

「技官殿も同席されるのですか?」


 内心残念がるユリアだったが、表情にはそんな感情は一切出さない。


「ええ。今回は人類が空に行く話ですので、技官殿にも加わってもらいます」

「空へ、ですか」

「そうです。教会の教義では空は神の領域となっておりますので、技術の発展と教義の共存の道を探ろうとおもいまして」


 スティーブがそう言うと、ユリアは驚いて目を丸くした。

 人が空を飛ぶというのは、魔法使いが飛行の魔法で短時間飛ぶ程度であった。その常識を打ち破ろうというのである。驚くなというのは無理な話であった。


「人が空を飛ぶことは可能なのでしょうか?」

「科学を使えば可能です」


 人は鳥と違って自分の力で飛ぶことは出来ない。地球の歴史と同じように、崖の上から鳥の羽をまとって飛んで死んだ事例もあるくらいには、人は空を飛ぶことに憧れていた。

 ユリアが気になるのは、空を飛ぶことではない。飛んだ先に神と出会えるかということだった。


「それはつまり、神の国まで行けるということでしょうか?」

「それはないと思う。教義では神は天にいるとされているし、その天は空の上を指している。だから、人が空を飛ぼうとすれば、神の怒りに触れて神罰が下るだろうし、飛ぼうとすること自体が異端であるとなるだろうね」


 スティーブはユリアをまっすぐに見る。

 彼女は頷いた。


「教会の認識ではそうなりますね」

「だけど、空を飛んでいる鳥には神罰はくだらないのはどうしてだろうか?」

「それは神がそう作りたもうたからでは」

「そうなると、人よりも鳥の方がより神に近い存在であることを許されたとなりませんかね。そして、そんな鳥を捕獲して食糧としているのはかなりの問題だ。しかし、実際には鳥を食べても人は神罰が下らない」

「たしかに」


 そこまで話したところでベラが帰ってきた。


「技官殿をお連れ致しました」

「ご苦労」


 ベラが連れてきたシリルも会話に加わる。

 使用人がシリルの分のお茶を持ってきたところで会話が再開した。


「技官殿、ちょうどいま空を飛ぶことと神のありかたについてを聖女様と話していたところです」


 スティーブは余所行きの言葉でシリルに今の状況を伝えた。


「王立研究所といたしましても、研究と教会の教義がぶつかることは望みません。それに、研究員も信者であり、休みの日には教会に祈りを捧げにいきますからね」


 カスケード王国ではフライス聖教会が国教のようなものであり、国民の殆どが信者である。それは研究員も例外ではなく、教義に反する研究については避ける。

 ユリアはシリルに微笑んだ。


「教会も今までの教義と神の御心が同じなのか、もう一度点検をしているところです。天におわす神に人が近づくことが禁忌なのかも含めてですね」

「それは非常にありがたいことです。王立研究所としても異端認定されてまで研究をするわけにもいきませんので」


 ユリアとシリルの会話が終わったところで、スティーブは先ほどの鳥の話に戻った。


「鳥が空を飛ぶことを神に認められているし、その鳥が神に出会ったという話も聞かないということは、神がおわす天上界というものが、じつは空にはないということですかね。高いところにいるというのは次元的な話であり、それを人々が空だと誤解しているとは考えられませんかね」

「次元が高いとは?」


 ユリアが理解できずにスティーブに説明を求めた。


「我々が認識できるのは縦横高さに時間を加えた四次元まで。しかし、全知全能の神はもっと違うものも認識している。そして、そうした世界に住んでいるという考えです。宇宙は10次元または11次元で出来ているというはなしもありますしね」

「11次元となると、縦横高さ以外に何があるというのでしょうか?」

「それが我々にはわからないんですよね。だからこそ、人は神にはなれないのでしょう」


 スティーブの理論は神は高次元の存在であり、人は次元の制約があってそれを認識できないというものであった。神を特別視する教会の教えに反しないように考えた理論である。

 ユリアもその理論ならば受け入れられた。


「つまりは、凡下である我ら人は神のおわす空間を認識できないがゆえに、認識できる高いところということで空を代替としたということですね」

「そういうことだね。人のスキーマではそこが限界だからね」


 スキーマというのは我々の持つ知識の範囲である。例えば、猫しか知らない子供にライオンというものを教えるとき、その猫から情報を膨らませてライオンに近づけていくわけである。

 高次元に存在するというのも、理解できるように高いという風に置き換えたならば、空ということになるのだ。

 シリルはスティーブの次元という考えが気になって、そちらに食いついた。


「その高次元というのはどうしたら確認できるのでしょうか?」

「一般的には重力を使った観測が考えられている」

「一般的?」


 スティーブはシリルの問いに失敗したと後悔した。重力という概念がそもそもカスケード王国では一般的ではない。重力がブラックホールに吸い込まれるのを観察するなど、どうやっても一般的ではない。


「重力の話はまた今度にしましょう。本日は人が空を飛ぶことが、神の領域を侵さないということの証明ですから」


 脱線しそうになったので、スティーブはシリルを止めた。残念そうなシリルであったが、今回の聖女との話し合いはシリルの望んだものであったので、今日のところは引き下がることにしたのだった。

 シリルが諦めたのを確認して、スティーブはユリアの方を見た。


「そういうわけで、人が空を飛ぼうとすることに対して、神は神罰を下さないと思うのですが」

「おっしゃることはわかりました。しかし、それは我らがそうであろうと考えていることであり、実際に神がどうお考えなのかがわかりません。人が空を飛んだことで、神罰が下ることはないのでしょうか?」

「そのためには、実際に飛んでみる必要がありますね。そして、そうするためにまずは教会と意見のすり合わせをしておきたかったのですよ。これで神罰が下るようであれば、王立研究所にも空を飛ぶことを諦めてもらいます」


 ユリアやシリルは人が空を飛ぶことで、神の怒りを買う可能性を考えていた。スティーブだけがそんなことはないと確信していたのだが、それについては実際の飛行で試すということにした。

 多分、この試みに挑戦しようという者は皆無だろうから、スティーブ自身が試験飛行にチャレンジするだろうと考えていた。なお、地球の歴史でもまずは神罰の確認をしようということで、気球に動物を乗せて試験飛行させている。


「スティーブ様のお考えはわかりました。私としても人類が空を飛ぶというのを、教義だからという理由で否定したくはありません。しかし、教会内での討議の時間もいただきたいのです。どれくらいの時間で空を飛べるようになりますか?」

「どうですか、技官殿?」


 ユリアにされた質問を、スティーブはシリルに投げた。

 シリルは王都の状況を正確に把握しているわけではない。なので、正確な返答は出来ない。


「少なくとも、実際に空を飛ぶのは一年以上後のことだと思います。今はまだ、温めた袋が宙に浮くのを確認出来た程度ですから」


 と、王都から来ている報告を元に、一年以上はかかることを伝えた。


「それくらいの時間があるならば、教会としても十分に討議出来ることでしょう。早速教皇をこちらに呼びますね」


 ユリアはシリルの返答に頷いた。


「ちょっと待って、教皇様をアーチボルトラントに呼ぶの?」

「問題がありますか?」


 スティーブは驚いた。てっきり、今の話をユリアが聖国に持っていくものだとばかり思っていたのである。それが、教皇をここに呼ぶことになるとは思ってもいなかった。


「宗教行事で忙しいと思いまして」

「確かに各国に呼ばれますので、忙しいとは思います。しかし、この件を話し合うことも宗教としての意義を持ちますので」


 スティーブからしてみれば、フライス聖教会の教皇をアーチボルトラントに呼びつける形になるのは、自分の方が偉いと見せつけているように思えた。

 そして、ユリアの認識もそうであった。使徒様の方が教皇よりも上だと考えているのである。それは教皇も同じであった。なので、使徒様のお傍にいることが使命の聖女が、アーチボルトラントを離れることの方が問題なのである。

 スティーブはそれをわかっていなかった。

 こうして、ユリアは教皇に連絡を取り、アーチボルトラントでフライス聖教会の上層部を集めて討議をする準備をすることとなった。


 これに頭を痛めたのが領主であるブライアンである。スティーブから報告を聞いて頭を抱えた。


「フライス聖教会の上層部がアーチボルトラントに集まるというのか」

「はい。父上」

「陛下に報告をしなければ」

「あ、それは教会の方からしてくれるそうです。我が家が招くわけではなくて、向こうが勝手に集まってくるだけですから」


 のんきに構える息子に対して、ブライアンは教育を間違ったなと後悔した。聖国からフライス聖教会の上層部が来て、万が一その身に危害が加えられるようなことがあれば、外交問題となるのは明らかだ。そうならないように領内に目を光らせる仕事を思うと、ブライアンは頭と胃が痛かった。軽く考えているスティーブがおかしいのだ。

 どうにもならない場合は国軍の派遣もあるのだろうが、そうなってしまっては領主としての能力無しと言われるようなものであり、ブライアンはそれを避けたかった。


「それだけの主要な人物が集まるとなれば、警備にも人を割かねばならんだろう。滞在日数が長くなれば、それだけこちらの負担も増える。領軍はまだまだ新設したばかりだし、従士の数も足りない状況だ」


 アーチボルト領軍は創設されて間もない。なぜなら、元々食糧事情が悪くて軍など持てなかったのだ。工業製品の輸出と、農業に適した領地が増えたことで、やっと常備軍を持てるようになったのである。といっても、百人規模など到底無理であり、三十人と従士が常備軍となっている。

 その主な仕事は害獣の駆除であった。戦争もなければ領内に盗賊もいないので、もっぱら畑に現れては農作物を食い散らかし、時には領民に危害を加えてくる害獣の駆除の仕事をしているのである。

 そして、それは広い領内を移動しながら行っているので、要人警護に人を割けば、害獣の駆除がおろそかになってしまうのである。


「では、僕が害獣の駆除を引き受けましょうか」

「逆だろう。要人の警護というか、その時だけはアーチボルトラントを隅から隅まで監視していてくれ。スティーブとナンシーがいれば、たとえ周辺国と戦争になったとしても勝てるだろう。それが賊ならなおさらだ。お前たち夫婦には、領軍が束になっても敵わないしな。ただし、いくら強いといっても所詮は二人だけの目だ。その隙間を搔い潜ってこようとする賊の可能性も考慮して、領軍も半数はアーチボルトラントに滞在させる」

「教会の連中、僕を見る目が怖いんで嫌なのですが」

「そこは我慢してくれ」


 使徒様という目で見られるので、スティーブは教会の上層部と会うのが嫌だった。しかし、ブライアンは無理やりスティーブを警護担当にした。

 こうして、教皇たちを迎えることになったのである。


いつも誤字報告ありがとうございます。

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