150 行動
カーター殿下派の会合で、マクヴィー伯爵、ドイル男爵、ライス子爵の顔は明るかった。スティーブが送った家の紋章入りのステンレス像やガラス製のグラスセット、入浴剤と化粧品などが功を奏して三家の間にひびが入ることは無かった。
むしろ、その話を聞いた他の貴族たちが、自分のうちの子供も婚約破棄にアーチボルト閣下が関わらないのかと願ったくらいである。
上機嫌のマクヴィー伯爵とドイル男爵にライス子爵は一応頭を下げた。
「この度は愚息がご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございません」
「いやいや、若者の行動力には驚かされるばかりですな。私も若いころは自由な恋愛をしようとしたのを思い出した」
「閣下がですか?」
そこでマクヴィー伯爵の昔話に花が咲く。ドイル男爵も笑いながらその話を聞いていた。
一通り話が終わったところで、三人はスティーブからの贈り物の話になる。
「怪我の功名というか、今回アーチボルト閣下からの謝罪の贈答品のおかげで妻の機嫌がよい」
マクヴィー伯爵がそう言うと、ドイル男爵も頷いた。
「我が家もですな。ただ、入浴剤を気に入って温泉に行きたいだの、水魔法の使い手を雇って毎日温泉に入りたいだのとせがまれるようにはなりましたが」
「うちもですよ」
とライス子爵も相槌を打つ。カスケード王国内で見つかった温泉は少なく、どこも僻地なので行くのが大変なのである。いくら貴族だといっても、簡単に行けるようなものではなかった。
スティーブなら原価ゼロで温泉を作り出せるのだが、毎日それをやるほどまでの謝罪をすることは無く、夫人たちの欲求は満たされなかったのだ。マクヴィー伯爵たちにとっては頭の痛い問題ではあったが、派閥の亀裂に比べれば家庭内で済む問題だったので笑い話である。
さて、そんな状況が面白くなかったのはカッター伯爵であった。カーター殿下派に亀裂を作る作戦であったが、それが不発に終わってしまったのだから当然である。アレックス殿下によい報告が出来ないことに焦っていた。
彼は今、執務室に執事と一緒にいて、今後の作戦について話し合っていた。
「これ以上三家に波風をたてようとしても難しいか」
「閣下、まだ手が無いわけではございません」
執事は主人のためにさらなる計略を提案する。
「どのような手が有るというのだ?アーチボルト閣下からの謝罪の品を均等に受け取ったことで、三家の間にはわだかまりはないと聞くぞ」
「それは当主の間のはなし。結婚の話が流れてしまった当の本人、バーソロミュー・ドイルをそそのかして、話を蒸し返すというのはいかがでしょうか」
「なるほど。その手が有ったか」
カッター伯爵は執事の話を面白いと思った。面子が重要な貴族社会において、婚約予定の女性をとられたとあっては、その後なめられることになる。
そうした焦りの気持ちをくすぐってやり、バーソロミューをけしかけるというのはありだなと思えた。
「すぐに取り掛かれ」
「承知いたしました」
執事はカッター伯爵の命令を受けて、すぐに工作に取り掛かる。
アレックス派の貴族の子供たちで、バーソロミューと年齢の近い者たちを集め、かかわりがあるかを確認して、数人を選りすぐり指示をだした。
彼らは結婚の話の流れたバーソロミューを慰めるという名目で、王都の近郊の森に狩りに出かけた。
そこで執事の指示通りに、繁みで隠れ潜んで獲物を待っているあいだ、バーソロミューに話しかける。
「バーソロミュー、今回のことは残念だったけど、なんらかの落とし前はつけるんだろう?」
「父はそんなことは考えていないから、僕も何もするつもりは無い」
「しかし、そうなると君は今後貴族社会でなめられることになるぞ。それでもいいのか?」
「そういうものかな?」
バーソロミューはいわれるまで貴族社会がそういうものであるとは知らなかった。父からもそうしろとは言われていなかったので、自分の中ではベッキーとのことは終わったものだと思っていたのである。
そうした態度を見せたバーソロミューに対して一気にたたみかける。
「そうだ。結婚する予定だった女性を取られても、何も行動しない腰抜けだって陰口をたたかれて、反撃してこないっていうレッテルを貼られることになるんだ。なにかしらの行動をとるべきだと思うよ」
「ありがとう。考えてみるよ」
バーソロミューのその言葉を聞いて、指示を受けていた者たちはホッとした。ひとまず指示を達成することが出来たからだ。
その日、狩りが終了するとバーソロミューは帰宅してから言われたことを頭の中で反芻した。
ベッドに寝転んで天井をみながら、ずっとどうすればよいのかを考える。
「行動か」
翌日、バーソロミューは王都のアーチボルト家のタウンハウスを訪れた。使用人がバーソロミューに対応する。
「どちら様でしょうか」
「バーソロミュー・ドイルと申します。ドイル男爵家の者なのですが」
バーソロミューがそう言うと、使用人は困った顔をした。
「面会のご予定は主からはなにもありませんでしたが、お約束はありますでしょうか。本日は王都におりませんので、会うことは出来ませんが」
使用人に言われて、バーソロミューは当然だなと思った。約束はしていないし、今は社交界シーズンでもなければ、王都で貴族が集まるようなイベントもない。今日訪問して会えるとは思っていなかった。
「じつは、スティーブ・ティーエス・アーチボルト閣下にお会いしたくて、直接足を運んだ次第。約束などありませんが、私がお会いしたいとお伝え願えるでしょうか」
「ご用件をうかがってもよろしいでしょうか?」
「ベッキー・マクヴィー嬢のことでと言ってもらえれば伝わると思います」
使用人もマクヴィー伯爵とドイル男爵、ライス子爵の話は知っていた。なので、当事者であるバーソロミューが来訪したというのはただ事ではない予感がしていたのである。
「承知いたしました。連絡がつきましたらいかがいたしましょうか」
「会っていただけるのであれば、私が再びこちらを訪れましょう」
「ご要望承りました」
バーソロミューはここで一旦引き下がった。
そして、この話が後日スティーブに伝わる。
その日、スティーブはニックと一緒に自鳴琴の量産化に向けた金型を作っていた。
「四角い板を丸めるのは工数がかかるから、円盤状にすることを考えつくとは、流石若様」
「その分商品が大きくなっちゃうけどね」
スティーブが考案したのは円筒のドラムではなく、レコード状のディスクを回転させて演奏するものにしたのだ。これによってドラムのように丸める工程を省略できる。
「ま、これで十分でしょう。俺本人としては自鳴琴よりも、時計を作ってみたいですけどね」
「自鳴琴の応用だからねえ」
地球の歴史では時計が先で、その技術がオルゴールに使われている。しかし、時計よりも先にスティーブが自鳴琴を作ったことで、カスケード王国ではその歴史が逆転していた。そして、スティーブが何気なくぜんまいを使用した時計の話をシリルにしたところ、シリルはそれに思いっきり食いついたのであった。
スティーブはなんとなくのムーヴメントの仕組みしか知らないので、それっぽい何かを作ったのだが、現在それを王都に送って研究中なのである。
なお、カスケード王国の時間は1年365日、1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒となっている。なので、スティーブが作り出す工作機械のタイマーは地球のものそのままなのだ。
話を元に戻すと、加工が好きなニックは、時計のムーヴメントを見て一発で虜になった。そして、出来ることなら自分もそれを作ってみたいと思ったのである。
そして、スティーブが腕時計の構想を話したら、ニックはスティーブにせがんで拡大鏡を作ってもらっていた。極小の精密部品を作るためである。
ただ、流石に時計の量産は無理なので、自鳴琴の量産に向けた仕事をしているというわけだ。
そんな二人のところにベラがやってくる。
「スティーブ、王都のタウンハウスから連絡があった。バーソロミュー・ドイルっていう人が会いたいんだって」
その名前を聞いてスティーブは不安になる。
「話はついたと思っていたけどなあ」
「新しく来た作曲家の相手だっけ?」
「そんな感じ。正確にはデズモンドの結婚したベッキーと、本来結婚する予定だったドイル男爵の息子だよ」
「逆恨みかしらね」
「そこは全部話が付いたはずなんだけど」
スティーブはマクヴィー伯爵から、ドイル男爵家との話もすべてついたと聞いていた。それに、バーソロミュー・ドイルとベッキーの話は最近持ち上がったものであり、昔からの許嫁であったわけではない。バーソロミューにしても、それほど思い入れがあるとは思えなかった。
逆恨みされるような状況ではないと思っていたのである。
「直接会って話を聞いてみる必要がありそうだね」
「そうね」
「じゃあ、今から王都に行こうか。ニック、悪いけど今日はここまでだ。クリスティーナとナンシーに王都に出掛けてくると伝えておいて」
スティーブに頼まれたニックは慌てた。
「ちょっと待ってくださいよ、若様。俺がそんなことを言ったら、二人が機嫌が悪くなるでしょう」
「僕が言っても同じだから」
「嫌な役割を押し付けないでください」
「それじゃあ」
と言ってスティーブはニックの抗議を受け付けず、ベラを連れて転移した。クリスティーナとナンシーならば、他人の恋愛事情に興味を持って、自分たちも直接バーソロミューから話を聞きたいと言い出すのはわかっていた。
それが面倒なので、スティーブは二人に直接言わずに王都にいくことにしたのである。
そして、それを伝えて不機嫌になる二人の相手を押し付けられたニックは、いなくなったスティーブに愚痴を言うのであった。
「まったく、面倒なことばかり押し付けるんだから。給料上げてもらいますからね。それとボーナスも。上がらなかったら辞めますよ」
そうして、諦めてクリスティーナとナンシーのところに向かうのであった。
一方、王都に到着したスティーブは、使用人にバーソロミューに連絡を取るように指示をした。すぐに使用人はドイル男爵の屋敷に向かう。
その日は運よくドイル男爵夫妻は不在だった。この時、ドイル男爵が屋敷にいれば、アーチボルト家からの息子あての使者を不審に思ったことだろう。そして、息子が自分に何の断りもなく、スティーブに会うことを画策していたことに気づけたはずであった。当然その後、それを止められることになる。
しかし、バーソロミューにとって運よくそれがなかったのである。
そして、バーソロミューは直ぐにアーチボルト家のタウンハウスに向かった。そこでスティーブに会うことが出来た。
「自分はドイル男爵の嫡男、バーソロミュー・ドイルであります」
そう挨拶する若者を見て、スティーブは随分と細いなと思った。バーソロミューは痩せてひょろっとしており、後ろから襲われたとしても脅威にならないと判断した。それはベラも同じである。自分が片腕でも倒せると見ていた。そして、バーソロミューは襲い掛かる気配もない。
「閣下、それに奥様にお会い出来て光栄です」
「あ、ベラは僕の護衛で妻ではないよ」
「大変失礼いたしました」
ベラを奥様と言ってしまったことで、バーソロミューは慌てた。あまりの慌てぶりに、スティーブは大丈夫かなこの人と心配になる。
いつも誤字報告ありがとうございます。