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15 期近

 シリルを迎えて技術的な話をするので盛り上がっていたスティーブであったが、オーロラに頼まれていたカーシュ子爵の銅価格操縦についての対応も忘れてはいなかった。本日はソーウェルラントのエマニュエルの商会にいるが、数日前からソーウェルラントに転移してきては、仲買人たちに銅先物の売りを指示していた。

 本日はその建玉の確認だ。午前中の取引が終わったところである。


「サリエリ商会が中心となって503枚の売り玉が建ってますね。平均建値は金貨200枚。まあそこに売り注文を指していたのを、バルリエたちが全部買ったわけですが」


 エマニュエルがそうスティーブに報告した。サリエリ商会とはモルガン・サリエリという商人が会頭を務める、ソーウェル辺境伯の御用商人である。先物の1枚は1トン分の注文。レバレッジは100倍なので、1キロ分の証拠金を積めば注文できる。ざっと証拠金金貨1000枚分の勝負であった。


「初戦としては十分だね。エマニュエルはどれくらい手張りで張ったの?」

「うちは10枚ですよ。他の仕入れもあるので、あまり資金をつぎ込めませんでした」

「まあそうだよね。これだけで商売している訳じゃないものね」


 なお、スティーブは現在先物を30枚売り建てしている。本当はもっと売りたかったのだが、ブライアンにやめてくれと止められたのだ。ブライアンとしては息子の勝利を信じたいが、万が一があった場合を考えると家の財産全部を突っ込むのは躊躇われたのだ。


「まあ、お願いしていた注文が通っていてよかったよ。これから辺境伯のところに行ってくるけど、後場から値崩れすると思う。買戻しのタイミングは指示するからね」

「承知いたしました」


 そういうとスティーブはエマニュエルの商会を出て、人通りのない裏路地へと足を踏み入れた。そこから転移の魔法でオーロラの執務室に移動する。

 室内にはオーロラとハリーが待っていた。


「お待たせいたしました、閣下」


 スティーブが慇懃な態度で挨拶をすると、オーロラは笑顔で応える。


「私と貴方の間ですもの、そういった態度はいらないわ。それに時間通りだから待ってもいないし」

「正面から伺いますと、どうしても身分の確認やらで時間を取られますからね」


 ソーウェルラントまで転移の魔法で移動しているスティーブは、家の紋章が入った馬車を持っていない。なので、オーロラに会いに来ても門番による確認で時間がとられるのだ。それを回避するために、執務室への転移の許可を貰っている。

 オーロラはスティーブが当然時間通りに来ると思っており、テーブルに用意されたお茶からは湯気が立っていた。温度は飲みごろとなっている。スティーブがソファーに腰かけ、お茶を飲んだところで会話が再開する。


「それで、もうすぐ期近の最終売買日なんだけど、うまくいくの?」


 オーロラがスティーブに訊ねた。期近とは直近の期限の先物であり、ここでは当月末価格確定、翌月3日受け渡し分のものを指す。


「お願いしておいたように、銅の在庫の準備は出来ておりますでしょうか?」

「ええ。サリエリが後場から現物を売りだす手筈になっているわ。それに、価格安定のためにうちの在庫を放出するという噂も一緒にね。そんな噂で効果があるのかしら?」

「不安は人の判断を誤らせるものですからね」

「まあいいわ。お手並み拝見といきましょうか」


 そしてスティーブはオーロラと連れだって、取引所へと出かけた。

 取引所ではオーロラが来たことで一瞬ざわついたが、取引開始と共に直ぐに売買へと気持ちを切り替える。その辺はみなベテランの商人であった。

 そして、現物市場でサリエリ商会が持ち込んだ銅が大量に売りに出された。ある商人が驚いて隣の商人に話しかける。


「おいおい、銅の値上がりが確実だっていう時に、随分と大量に売りに出してきたな。あれを買ってもいいんだよな」


 すると話しかけられた商人がこたえる。


「なんでも、銅価格の上昇が庶民の生活にも影響するとかで、辺境伯閣下がご自分の備蓄在庫を放出すると決定されたようなんだよ。ほら、サリエリ商会がここ最近先物も売っていただろう。あれは閣下から現物放出の相談をされていて、早耳情報として知っていたから先物を売ったらしいんだ」

「なんてこった。閣下に睨まれるくらいなら俺も手持ちの銅を売るしかねえじゃねえか」


 これは仕込みである。この商人はオーロラが用意したいわばサクラ。周囲の商人に聞こえるように、売りがオーロラであると喧伝しているのである。ましてや、ここにオーロラ本人が来ているとなると、それは本当のことではないかと思われた。ここで一気に相場が売りに傾いた。現物を直ぐに用意出来ない者は、とりあえず先物を売ってヘッジを掛ける。差益を狙う投機家たちもここぞとばかりに売りに回った。

 この時、バルリエは運悪くソーウェルラントにいなかった。今月の相場での勝利は間違いないと判断し、カーシュ子爵のところに利益の一部を届けるため、部下に商会を任せてソーウェルラントから出ていたのだ。

 バルリエの部下はここで買い支えるという判断が出来ず、損失を最小限にとどめるため、先物の反対売買を行った。手堅い判断ではあったが、ミスはミスである。買いの本尊であるバルリエ商会の売りによって先物相場は大きく崩れた。そして、それに追随する形で現物も投げ売りとなる。現物が準備できた者から市場で売りを出したのだが、こうなると買い手がつかない。

 そこからは連日、巨大な売り注文が出されて約定がないまま、当月最終取引日を迎えることになる。売り注文のオーバーシュートにより、1トン金貨200枚だった銅価格は金貨60枚まで下落した。そしてこの日の引け間際に巨大な買い注文が出る。

 もちろん、スティーブの指示によるサリエリ商会の手仕舞いの買いだ。さらには売りに出されている現物も拾う。ただ、先物の反対売買の手口がばれていたことと、他の売り方も現渡しするための現物確保のために、安くなった現物を買おうとしていたので、サリエリ商会が購入した銅は10トン程度に留まった。

 他の商人から見たら大勝利ではあるが、カーシュ子爵一派を叩くという目的は達成できていない。バルリエ商会は早々に手仕舞いしたのでダメージは少ない。それに、所有している銅はカーシュ子爵領で産出された銅なので、仕入れ価格は常識的な金額だった。ただ、逃げ遅れたカーシュ子爵の派閥の貴族たちはそれなりの損失を負った者もいる。

 オーロラは当月の売買が終わった後で、自分の執務室にスティーブを呼びつけた。


「まずは初戦で勝利したといえるけど、これでは当初の目的を達成したとは言えないわね」


 オーロラはスティーブに次の作戦の説明を求めた。期限はあと一か月であり、次の限月もおなじやり方では、相手の損失などたかが知れている。それに、スティーブが見せてくれた銅を作り出す魔法がまだ使われていない。


「閣下、これは相手を勝負の場からおろさないための挑発ですよ。相手は我々が銅の現物を買った事を知っています。それを見れば銅価格を下げるのが目的だという噂は間違っていると気づくでしょう。なにせ、我々が銅を買えばまた流通量が減って価格は上昇しますからね」

「そうね。騙されたと気づくでしょうね」

「となると、次はサリエリ商会や閣下の手持ちの銅の量を把握しに来ると思います。そこで、今度は実際には銅の現物はほとんど持っていないというのを相手に掴ませます。こちらはその情報が相手に伝わったことを知らない素振りをしていてください」


 スティーブがそこまで言うと、オーロラはおおよその狙いがわかった。そして、獲物を見つけた蛇のような笑みを浮かべる。


「わかったわ。そこでこちらは相手が何も知らないと高を括って、先物を同じようにどんどん売っていくわけね」

「はい。相手はこちらが資金力にものを言わせた先物売り崩しを狙っていると思うでしょう。こちらに現物が無ければ、子爵は受け渡し日までパンクせずに堪えれば勝てると思うはずです」


 改めての説明となるが、先物の売りとは受け渡し日にその分の現物を売るという約束である。現物が無い場合には先物を買うことによりポジションを解消するか、どこかから現物を入手してくるしかない。まだ先物取引が始まったばかりで前例はないが、万が一現物を用意出来なかった場合は莫大なペナルティを負うことになる。

 こういうルールであれば、銅の流通量をコントロール出来るカーシュ子爵が、価格を吊り上げようとして先物を買った場合、売り方は圧倒的に不利な状況になる。ましてや、カーシュ子爵には金があり、先物の証拠金に困るような事は無い。誰がカーシュ子爵の立場であっても、負ける事など想像できないだろう。


「確実に勝てる条件に加えて、前の限月でこちらの策に嵌って儲け損ねたという怒り。プライドの高い子爵ならば、何としてでも今回は勝利しようとかけ金を上げてくるという訳ね」

「はい。それに自分の派閥の貴族の資金も投入させることでしょう。特に、今回大きな損失を負ってしまった連中は、取り返そうとして借金をしてでも子爵に提灯をつけるはずです」


 スティーブの話にオーロラは呆れた顔をする。


「貴方、本当に10歳なの?私だって10歳の時にそこまで他人の心理を読めたりはしなかったわよ。どういう教育をしたら、そんなねじ曲がった性格の子供に育つのか、親の顔が見てみたいわね」

「閣下に忠誠を誓う父の顔をお忘れですか?西部閥一の忠臣であると自負する父が悲しむ顔が思い浮かびます」

「そうだったわね。ご尊父様のご芳名とご尊顔を思い出したわ。貴方と会話をしていると、ついつい他の事が頭から抜け落ちてしまうのよ。あまり驚かせないでほしいものね」


 オーロラはおどけてみせた。しかし、その裏では鋭い観察眼でスティーブを見ていた。実際オーロラでもブライアンがどうやってスティーブをここまで育て上げたのかがわからなかった。騎士としては優秀だけど、政治家としては無能ではないがそこまで優秀というわけではない。

 そもそも、ブライアンが優秀であればいままでアーチボルト領が赤貧にあえぐような事はなかっただろう。スティーブに魔法の才能があったとはいえ、それは内政の能力とは関係ない。全ての魔法使いが内政を出来るわけではないからである。

 スティーブに前世の経験と記憶があるという答えに辿り着かないため、オーロラはスティーブの能力の根源は謎のままであるので、それがえも言われぬ不快さを彼女にもたらしていた。

 長くそばに仕えているハリーは、そんな彼女の不快さをひしひしと感じ取っており、いつ爆発するかと冷や冷やしていた。


「そうだ、次の限月は閣下には船で銅を調達するような素振りをお願いしたいのです。まあ、そういう噂が流れるだけでよいのですけど」


 スティーブはそんな不快感にはお構いなく、オーロラにそうお願いをした。


「そうね、それは指示をしておくわ。こちらが困っている様子を見れば、相手は喜んでかけ金を吊り上げてくるでしょうね。他には何かやる事はあるかしら?」

「いや、僕の方で考えている他の作戦がありますが、そちらはこちらでやります」

「あら、つれないわね。私とあなたの仲でしょう。どんな作戦なのかを教えてくれてもいいじゃない」

「いえいえ、これはこれの話ですから」


 そういってスティーブは人差し指を立てて天井を指した。これは国王を指し示すゼスチャーである。国王がらみとあっては流石のオーロラもそれ以上は追及しなかった。


「呆れたわ。この戦いに陛下を巻き込もうというのね。とても10歳かそこらが考え付くような事じゃないわ」

「閣下、むしろ僕のような子供であるからこそ、非常識な事を思いついて実行するのですよ」

「子供は非常識を非常識と思わないから、常識外れな行動をとるものよ。貴方は少なくとも辞書にあるような意味の子供ではないわね。貴方が何をしようとも構わないわ。でもね、陛下を巻き込むことについては私は関知しないし、責任も取らないわよ」


 オーロラはスティーブに釘をさした。いかに西部地域一の大貴族とはいえ、国王と争うとなればその勝敗は最初から決定している。下手に利用したことがばれて逆鱗に触れるようなことになれば、どんな被害が発生するかわかったものではない。むしろ聞かなければよかったとさえ思った。


「その点はご心配なく。何も玉体に行幸願う訳でもありませんし、王家を詐称するわけでもありません。ただ、ちょっとばかり、国家機密に関わることになりますので、ここではお話出来ないというわけです」

「安心は出来ないけど、そこは信用するわ」

「それでは自分も諸々の準備がありますので、本日はこれにて失礼させていただきます」

「ええ。次に会う時を楽しみにしているわ」


 スティーブはそう挨拶をすると転移の魔法で領地に戻る。

 部屋に残ったオーロラとハリー。ハリーがふぅと大きく息を吐いた。


「相変わらずかの少年には驚かされますな。まさか陛下を使うとは思いもよりませんでした」

「本当よ。カーシュ子爵をやり込めようと思ったけど、とんでもない相手と手を組んでしまったようね。うちの子もあんな風に育てられると思う?」


 オーロラは頬杖をつきながらハリーに訊ねた。


「無理でしょうな。家庭教師が優秀ですから、きっちりと常識を教え込むと思います。そして、常識を知っているが故に、そこから外れたことをしようとは思わないでしょう。ソーウェル辺境伯家を継ぐとなれば、そうでなくては困りますが」

「そうよねえ。うちの子にはあれを使いこなす能力を持たせないとね。何もこちらが非常識になる必要はない。ただ、あれを御するのも難しいでしょうけどね」


 彼女の頭の中は、どうやってスティーブを御すればよいかでいっぱいになっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 彼女の頭の中は、どうやってスティーブを御すればよいかでいっぱいになっていた。 ↑ 制御する必要はないんだけど 多分、中世の大貴族の思考ではわかんないだろうなぁ... 貴族としてはふつうに配下…
[一言] 先物の原理が分からん! 商売ってムズイなぁ…
[良い点] 滅茶苦茶面白い!好きな設定でより楽しめます。
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