146 労働安全衛生
スティーブはニックとシリルと一緒に工場の試作棟にいた。
彼らの目の前には縦型プレス機があり、そこには金型と鋼の薄板がセットされていた。薄板は大きく金型とプレス機からはみ出している。さらには人型のアイアンゴーレムがプレス機に有線で繋がれている。なお、線の材質は鋼であった。
そんなゴーレムをニックはぺしぺしと叩いた。
「こいつが安全装置ですか」
「そうだよ」
スティーブはゴーレムに命令出来る指輪をはめて、片手で鋼の薄板を手で持った。
「押せ!」
スティーブの命令でゴーレムがプレス機のスタートボタンを押す。上型が下りてきて下型と鋼の薄板を挟んで上に戻る。
次に、スティーブは鋼の薄板を持っていない方の手を下型の上に置いた。
「押せ!」
再び命令を下すが、ゴーレムがプレス機のスタートボタンを押すことは無かった。
スティーブはそれに満足する。
「ほらね。手を挟む可能性があるときは、ゴーレムがそれを判断してスタートボタンを押さないんだ。エリアセンサーを使えない時はこうすればいいかなって」
エリアセンサーとはそのセンサーの範囲内に物があったら、工作機械が動かないという安全装置である。基本的に全てのプレス機についているのだが、製品レイアウト的にエリアセンサーの設置が難しい製品も多い。
スティーブの魔法でプレス機を作った時に、エリアセンサーの再現も出来ることがわかったのだが、エリアセンサーを使えない製品の場合を想定して、ゴーレムにスタートボタンを押させるようにしてみたのである。
有線で接続しているのは、どのプレス機に対応したゴーレムなのかを分かりやすくするためだった。
そして、ゴーレムには自分の担当するプレス機で、作業者の指がつぶれそうな場合は、スタートボタンを押さないように予め命令が組み込んであった。
「若様」
「何かな?」
「逆じゃダメなんですか?」
「ゴーレムの旋回範囲に人が入って怪我する可能性があるからダメだよ」
ニックの疑問ももっともであった。指を潰す可能性があるのだから、危険な作業はゴーレムにやらせればよい。しかし、スティーブの経験上、産業用ロボットの可動範囲に入って怪我をした事例というのは沢山あった。
なので、ゴーレムはボタンを押すだけの動作にしたのだ。
ニックはスティーブに言われて納得した。
すると、今度はシリルが質問してくる。
「そもそも危険な作業をゴーレムにやらせるのではだめなんですか?」
「そうなると領民の仕事がなくなるんだよね」
無人化の弊害である。単純作業であれば産業ロボットに置き換えることも出来るが、そうなると、そこで働いていた作業者が不要になる。会社経営者としては非常に喜ばしいことかもしれないが、スティーブの立場からすると不要になった作業者である領民に、次の仕事を用意してあげないと、失業者となって社会不安の種になってしまうという悩みがあった。
そうしたことから、敢えてすべての作業をゴーレムにやらせるということはしなかったのである。作業者不足の時はそうするという選択肢もあるが、それについても作業者が解雇される不安を抱くかもしれないと考え、踏み切れないだろうと思っていた。
シリルはスティーブの話を聞いて、領主の目線であればそうなるのだと理解した。
「それにしても、物語に出てくる魔王の居城みたいになっちまいますね。工場がゴーレムだらけになるんでしょう。警備員の仕事もさせたらどうですか」
「領民を侵入者だと誤認したとき面倒だからそれはしないよ」
と言いながらも、魔王城を想像するスティーブ。
「魔王は工場には住んでないよね」
想像した結果、産業ロボットみたいなゴーレムに囲まれた工場では、魔王らしさの欠片も考えられなかった。ニックは笑う。
「まあ、魔王みてえな強さの人は社長としていますけどね」
「魔王としては部下の給料は人間の生き血にしようかと思うんだ」
「部下が吸血鬼なら泣いて喜ぶことでしょうが、あいにくと自分は人間ですから」
二人がそんなふざけた会話をしている時でも、シリルは真剣にプレス機の安全について考えていた。日本であればプレス機についても労働安全衛生法により規定がある。しかし、カスケード王国にはそうした法律が無いため一から新規で作らなければならないのだ。そして、労働安全衛生法は過去の事故の積み重ねの結果であり、カスケード王国ではそうした事故の積み重ねが無かった。
なので、どういうことが危険であり、法律やルールで規制しなければならないのかを考えるのが難しいのである。
「ゴーレムを簡単に再現することは難しいと思いますが、安全面を考えたルールは作らねばなりませんね」
「そうだね。労働災害という定義を作ってそれを国に報告させることで、仕事で怪我をした時の状況を集めるところからかねえ」
ニックはそれは無理だと考えた。
「若様、そりゃあ無理ですぜ」
「どうして?」
「普通の工房っていうのは怪我をした方が悪いって考えですぜ。俺だって若いころ怪我をすると、親方にお前が悪いって言われて終わりですから。それに、届け出ることで罰があるんじゃないかって思って、怪我を隠す奴だって出てくるでしょう」
「それもそうか」
ニックの言うように、職人の世界では怪我をするやつが悪いという考えが当たり前だ。さらには、日本においても労働災害は隠されることが多い。スティーブの前世で付き合いのあった設備メーカーでは、客先の工場に設備を納入する際に怪我をした時は、一度家に帰って私服に着替えてから病院に行って、自宅でDIYをしていたら怪我をしたと偽ったという話を聞いていた。
客先で労働災害を発生させれば迷惑をかけるし、次回から発注が来ない可能性もあるためだ。
実際に、大企業の工場で設備メーカーが死亡事故を起こした際は、警察も入ってきて工場が数日稼働を停止した。そのことから、その設備メーカーは発注選定先から除外されてしまったのである。
ただ、優秀な設備メーカーだったので、商社が受注する形をとって、実際の仕事は元の設備メーカーがやっていたという話も聞いていた。
そういうわけで、事故を隠されるという可能性は十分に理解できたのである。
「確実に把握できるのは、うちの工場と王立研究所で発注した仕事で、研究所内で作業してもらっているやつくらいか」
「そもそも、プレス機なんて一般には出回っていませんからね。若様が作ったやつくらいなもんでしょう」
「いまはそうだね。でも、そういう時にルールを作っておけば、将来指を無くす人もいなくなるじゃない」
「そうですね。今くらいの台数なら若様も把握できているし、指を落としても治してもらえるんでしょ」
ニックは自分の指を曲げたり伸ばしたりして、無くなった指が再生するのをジェスチャーで示す。
「うちの従業員ならね。国内の怪我人を全部治そうとしたら、それだけで他に何もできなくなるからやらないよ」
「そりゃそうか。まあでも、プレス機やグラインダーは痛いって言っても止まってくれねえですからね。これが自分で使うノコギリなら、痛けりゃ止めれば指は無くならねえんですけどね。慣れない素人には扱わせたくないですよ」
「むしろ慣れてからの方が注意が散漫になるかもしれないよ。初めての時は怖いから慎重になるじゃない」
「言われてみりゃあその通りです。俺も初めての時は熱い鉄にびびって腰が引けてたのを思い出しました。親方にビビるなって怒られたけど、火傷したのは慣れてからでしたね」
「ほらね。そういうものなんだよ」
グラインダーで旋盤のバイトを研いでいる時に指を無くした職人たちも、新人のころにそうした事故をやったというのはあまり聞かない。大抵は慣れたところで注意力が散漫になって、指を無くす事故をやってしまっているのだ。
スティーブが作り出した産業機械は画期的ではあるが、その分安全の積み重ねが国内に無い。それをどうするかというのは大きな課題であった。
「ところで、ゴーレムは人型である必要は無いですよね」
シリルはゴーレムの体を触りながら質問した。
「そうだね。単にわかりやすいっていうだけで、ボタンを押す手だけあればいいんだよね」
ゴーレムは目がついていなくとも魔力で視界を確認できるので、わざわざ人型にする必要はない。これは単にスティーブの趣味で人型になっているだけなのだ。
「若様、それじゃ味気ねえですよ。美人で胸が大きいゴーレムだったり、イケメンのゴーレムがいたらみんながやる気が出ると思います」
「むしろ、気が散って不良が多発すると思うけど」
邪な考えでゴーレムを見るニックに対して、スティーブは冷たい視線を送る。
「そうですかねえ。俺は常々美女が後ろで応援してくれたら、仕事をもっと頑張れると思っているんですが」
「奥さんに報告しておこうか?」
「やめてください」
「それじゃあ、奥さんそっくりなゴーレムを工場に配置しておこうか?」
「もっとやめてください」
「職場では真面目にね」
「はい」
この時はそう言ってニックを諦めさせたが、後日ニックは従業員と結託して、職場のゴーレムは美男美女の人型がいいという多数の声をスティーブに届けて、その目的を達成するのであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。