144 身分詐称
ルモワーニュの証拠金が到着するまでは薄い売りだったが、証拠金が到着してからは怒涛の売りが入った。しかも、オーロラはもう注文を隠すつもりはなく、サリエリ商会とバルリエ商会を使って売り崩しに入ったのである。
ルモワーニュがソーウェルラントに派遣していた使用人は、自分と預かった証拠金ではこの売りに対抗することは出来ないと判断し、ルモワーニュに連絡を取った。
王都でその連絡を受けたルモワーニュは追い詰められた。
「危険だが、ソーウェルラントにヤコブを連れて行って、その場で綿花について買うと言わせるしかないか」
と、商会の会頭室で外を見ながらひとりごちる。
ルモワーニュが考えたのは、ヤコブを先物取引所に連れて行き、そこでスティーブになりきらせて、綿花の買いを発言させようかというものであった。
今までは、偽物であることがばれるのを避けるため、公の場では発言はさせていなかった。しかし、これ以上の証拠金を用意するのが難しくなった今となっては、提灯に上値を買わせるためにも危険を冒さなければというところまで追い詰められたのだった。
そうと決心すれば、一刻も早くソーウェルラントに行き、相場を支えなければということで、地下室からヤコブを連れ出して、一緒にソーウェルラントに向かうことにした。
地下室にやって来たルモワーニュは、どすのきいた声でヤコブを脅す。
「今から一緒に長旅に出る。旅の途中で余計なことを言うんじゃねえぞ。言ったらその場でお前を処分する」
ヤコブはルモワーニュの言葉におびえて、黙って頷いた。
それからルモワーニュはヤコブと三人の護衛を兼ねた使用人たちと一緒に、蒸気機関車でソーウェルラントに向かった。
旅の途中では何の問題もなく、ヤコブもスティーブとして扱われるので、貴族としての最上級のもてなしを受けた。
一行がソーウェルラントの駅に到着すると、西部地域では有名人のスティーブであるため、駅員たちがヤコブに向かって頭を下げた。途中の移動についても、町の人たちがスティーブに向かって頭を下げる。ヤコブはそんな人たちに愛想よく手を振った。
ルモワーニュは一緒にいるスティーブが、実はヤコブであるというのがばれるのではないかと思ったが、話しかけてくるような者はいなかったため、道中で別人だとばれるようなことは無かった。
そうして一行は先物取引所に到着する。
中に入る前にルモワーニュは小声でヤコブに命令する。
「ここだ。ここで綿花を買いと発言するんだぞ」
「わかってますよ」
三人の護衛に左右と後ろを囲まれて、逃げ場のないヤコブはそう答えるしかなかった。
そうした短い打ち合わせも終わり、五人は取引所の中へとはいる。スティーブはここでも有名人であり、中に入ったとたんに職員や仲買人の視線が集まった。
スティーブの姿を見つけたエマニュエルが走ってきた。
「ようこそお越しくださいました、閣下。本日はどのようなご用件でしょうか」
「綿花の取引をしに」
とヤコブは手短に答える。
「承知いたしました。二階の特別席の方へご案内いたします」
「ご苦労。この者たちも一緒に」
「はい」
エマニュエルは五人を二階の特別席へと案内した。五人が二階に上がると、そこにはオーロラが待ち構えている。ルモワーニュは王都にやってくるオーロラを何度も見ており、目の前の婀娜な女性がソーウェル辺境伯の娘であり、代理人といいながらも実質当主である貴族であることは知っていた。
彼女は五人が目に入ると真っ赤な唇を動かした。
「あら、アーチボルト閣下もいらしていたのね」
「どうも」
「今日は随分とそっけないのね」
オーロラは不満を口にする。ただし、表情からそれが本心かどうかは推し量れなかった。
この時ルモワーニュの心臓の鼓動は、高回転エンジンのように早く脈打っていた。なにせ、目の前の相手はオーロラだ。
自分がつれてきたスティーブが偽物であるとばれる可能性は非常に高いだろうと思い、ばれた時の対応を必死に考えていたのだ。
今日は随分とそっけないといういつもと違う対応に気づかれており、そこから不安が広がってしまったのだ。
元々ばれた時に自分も騙されていたと言い逃れするつもりであったが、いざそのような場面が近づいてくると、肝をすえてそう行動できるものではなかった。
ルモワーニュも海千山千の商人であるが、命を賭けたやり取りには慣れていなかった。これが、盗賊に頬をきられて間もないころであれば、また違ったかもしれないが。
そんなルモワーニュとは対照的に、ヤコブは落ち着いてスティーブを演じる。
「今日はいつもと違う客人をつれているので、そうなってしまったのかもしれませんね」
「それもそうね。私が新しい商売の邪魔をしてしまっては悪いわね」
「お気になさらずに」
立て板に水といった感じで進む会話であるが、焦っているルモワーニュはそれに違和感を感じなかった。
オーロラはスティーブに対して会話を止めない。
「閣下、綿花の価格が不自然に上がりすぎだと思わない?」
「どうでしょう。僕自身はそこまで綿花相場の値動きを監視しているわけではありませんから。でも、コットン生地を使った新商売については色々と考えておりますよ。今のジーパンに満足せずにね。だから、どこかからその情報が洩れているのかもしれませんね。期待が先行して買われているのかもしれません」
「そういうこともあるでしょうね。それで、それはすぐにでも商売になるのかしら?」
「いいえ。そんなことにはならないでしょうね。工場を拡張するにしても時間がかかりますし、人を揃えるのだってすぐには出来ないでしょう」
そう会話が進んだところで、ルモワーニュもやっとそれが異常であることに気づいた。アドリブにしても出来過ぎている。事前にこんなことを話せなどとは命令していない。
「何を言っているんだ?」
ルモワーニュは慌ててヤコブに訊く。
「閣下に向かってその口の利き方はなんだ。貴様は王族か?」
オーロラは即座にルモワーニュの言葉遣いにかみついた。
ルモワーニュはしまったと後悔した。スティーブの正体がヤコブであるため、つい強い口調で言ってしまったのである。しかし、公には貴族と商人であり、使っていい言葉ではなかった。
「も、申し訳ございません、閣下」
後で絶対にぶん殴ってやると思いながらも、ルモワーニュは頭を下げて謝罪する格好を見せた。
そんなルモワーニュに対して、ヤコブは頭を上げるように言う。
「まあまあ。こんな事じゃ僕は怒らないから」
「ありがとうございます。閣下の温情に感謝いたします」
「でもね」
とヤコブは続けた。
「僕のそっくりさんを使ったことは許せないんだ。怒ってもいるからね」
「っっっ!!!」
いきなりの爆弾発言にルモワーニュは言葉を失った。しばし思考が止まってしまい、うまい言い訳を考えつかなかったのだ。
そして、やっと口を開く。
「何をおっしゃいますやら」
「僕が何も知らないとでも?マッキントッシュラントの大工であるヤコブを王都に呼び、酒に酔わせて貴族の身分を偽ったという嘘の罪で脅していたよね。僕がそれを知らないとでも?」
王都から連れてきたヤコブだと思っていた男は、本物のスティーブであった。地下室から出される直前に入れ替わっていたのである。
ヤコブを使って人々を騙そうとしていたルモワーニュが、実は騙されていたのだった。
「おっしゃる意味が解りませんが」
「そう。別にわからなくてもいいけど、しゃべらないなら取り調べは苛烈なものになると思うよ」
護衛たちは剣の柄に手を持っていくが、スティーブの魔法で作った鉄の鎖で動きを封じられた。
そして護衛を睨みつける。
「護衛の三人。抜けば更に罪は重くなる。さて、それでもという度胸があるなら拘束を解いてもよいが」
こうまで力の差を見せつけられると、護衛たちは諦めておとなしくなった。
ルモワーニュも鉄の鎖で動きを封じられる。
「さて、ここはソーウェルラントですから、捜査についてはソーウェル卿にお任せいたしましょうか」
スティーブがそう言ってオーロラを見ると、彼女はにこにこしながら引き受ける。
「承知いたしました。関係者も全て拘束いたしますから、その間先物の建玉は動かせなくなりますわね。損失を埋めるだけの資産があるといいわねぇ」
オーロラの視線はルモワーニュを捉えていた。この時ルモワーニュは自分がオーロラに狙われていたと理解した。全ては自分をはめるための罠だったのである。
ただし、ルモワーニュは諦めずに足掻く。
「殿下に、アレックス殿下に連絡を取ってください。殿下が私の身を引き受けてくれることでしょう」
それを聞いたオーロラは笑い出した。そして、後ろに控えているハリーに手を差し出す。ハリーはその手に手紙を置いた。
それをオーロラはルモワーニュの眼前に突き付ける。
「その殿下から、ルモワーニュの罪に関しては弁解の余地が無いから好きにするようにとお手紙をくれたのよ」
「そ、そんな…………」
オーロラはアレックス殿下と連絡を取り、ルモワーニュを料理する許可を取っていた。余計な横やりを入れられたくないので、事前に確約をとっていたのである。実にオーロラらしいやり方であった。
退路の断たれたルモワーニュは今度こそ観念する。
ハリーが奥に隠れていた兵士たちに指示を出して、ルモワーニュと護衛を連行していった。
残ったスティーブとオーロラは椅子に座って出されていた茶を飲んだ。
二階の様子を見ていた取引参加者たちは、事情を理解して雪崩を打ったように売り注文を出した。
ここに、綿花相場は完全に終了した。
スティーブは優雅に茶を飲むオーロラに話しかける。
「これで全部終わりましたね」
「まだまだよ。ルモワーニュの資産を差し押さえしないとね。それに、あなたの方も義兄と平民の後始末があるでしょう」
「そうでした。義兄殿は姉上に任せますが、ヤコブの方は僕がくぎを刺しておかないとかなあ」
スティーブは屋敷に匿っているヤコブのことを考えた。
ヤコブは地下室からスティーブの屋敷に転移させられ、そこで匿われていたのだ。クリスティーナとナンシーもヤコブのことは知っているため、特に詳しい説明をする必要もなかったので、受け入れ自体は楽であった。
しかし、ヤコブに今後同じようなことを考えるようなやからが近寄ってくる可能性があるため、そこのところをキチンと説明しておかなければならないのだ。
ヤコブのことを考えているスティーブに対し、オーロラは声をかけた。
「そっちの方は手伝えないけど、建玉の現金化は協力するわよ」
「無い資産からどうやって現金化するつもりですか?」
スティーブはヤコブのことから頭を切り替える。
ルモワーニュはどうやっても、先物の損失に対して支払える能力は無い。
すべてがルモワーニュの建玉ではないため、売り方全員が金を受け取れないというわけではないが、逆に言えば誰かはとりっぱぐれになるということである。
スティーブの質問に対してオーロラは意地悪く笑った。
「商人の財産は金銭だけではないということよ」
「信用を現金化するとでも?」
「正解。ルモワーニュ商会をまるまる乗っ取って、その商売を引き継ごうっていうわけよ。ただし、バルリエやジョセフみたいに、ルモワーニュを使うわけにはいかないわね。だって、貴方の名前を勝手に使ったわけでしょう。死罪は免れないわ。だから、サリエリに任せるつもり。サリエリ商会の王都支店とでもいえばいいかしらね。アレックス殿下からも変わらぬご愛顧を賜る約束になっているわ。ただし、ルモワーニュみたいに上納金を納めるつもりは無いけど」
「その代わり派閥に加入するとか、王位継承争いで支援するとかですか?」
「そんなことになるならリスクとリターンが合わないわよ。カーター殿下を積極的に支援しないっていう要求だけだったわ。アレックス殿下としては、私を取り込むのを早々に諦めて、相手に取り込まれるのを防げればいいっていうふうに考えたみたいね」
アレックスは今の時点ではオーロラを御せる自信が無かった。なので、派閥に取り込むことは諦めて、カーター殿下を応援しないで欲しいという条件を提示したのだった。
オーロラは元々どちらかを応援するつもりなど無く、王になった方を王と認めるつもりであった。マキャベリの君主論では最も愚かとされる中立ではあったが、オーロラからしたらスティーブとの対立をするよりはそうした方がマシだと判断したのである。
スティーブがついた陣営が次期国王となるであろうし、場合によってはスティーブが新たな王朝を築く可能性もあるので、態度を明らかにしたくなかったのである。
当のスティーブ本人は、王位継承争いには関わりたくなかったし、国王になりたいなどとは思っていなかったのだが。
そうしたわけで、今回オーロラは労せずしてルモワーニュ商会の販売網を手に入れたわけである。先物の利益など、無くても痛くはないし、諦めたほうが長く利益を生むのだ。
他の債権者たちはオーロラの気分次第でその取り分が決まることになる。
「そうそう、あの殿下はあなたのことを派閥に取り込もうとしているから気をつけなさい」
「僕をですか?」
「カーター殿下に後れを取っているから、起死回生の一手を狙っているのよ」
「王位継承争いに加わるつもりは無いんですけどね」
「まあそうでしょうね。でも、相手はそれを許してくれないかもしれないわ。どうせなら自分で国王を目指してみる?」
オーロラのセリフにスティーブは一瞬キョトンとなって、すぐに首を振って否定する。
「今の領民を統治するだけで精一杯なのに、国民全部なんて無理ですよ」
「欲が無いわねえ。あなたが王を目指すというのなら、応援するのに」
オーロラの話を聞き続けると危なそうなので、スティーブはヤコブを迎えに行くことにした。
いつも誤字報告ありがとうございます。