143 冤罪
スティーブは王都に到着すると、すぐにルモワーニュ商会を調べる。太陽は既に城壁の下へと顔を隠し、人々はお互いの顔を判別しづらくなっており、平民の服に着替えたスティーブがルモワーニュ商会の周辺をうろついていても、彼のことを竜頭勲章だとは気づかなかった。
いつものように虫と小動物でルモワーニュ商会の中を調べてみると、すぐにヤコブを発見できた。地下の部屋で軟禁状態にされていたのだ。
「なんか、思っていたのと違うなあ」
スティーブはヤコブの置かれた状態に首をかしげる。
予想ではヤコブがスティーブの真似をして、ルモワーニュとグルになって相場を操縦していると思っていたのだが、ヤコブの扱いを見る限りはそうでもない。
こんな扱いをしていれば、いつ裏切られてもおかしくはないはずだ。
ヤコブが見つかったので、スティーブはルモワーニュを探す。しかし、ルモワーニュらしき人物は見つからなかった。スティーブはわからなかったが、この時ルモワーニュは自宅に帰っており、商会にはいなかったのだ。
スティーブがルモワーニュを探しているうちに、ヤコブに食事が運ばれてきた。軟禁されているから扱いが酷いかと思いきや、食事は裕福な商人が食べるような味付けの濃いものであり、囚人に提供されるような粗末なものではなかった。
これは、ヤコブが痩せてしまうと、スティーブっぽい外見でなくなってしまうため、食事はそれなりのものを出している為だった。
ヤコブの食事が終わるころには、王都も夜の闇に包まれていた。スティーブは頃合いだなと思い、ヤコブの軟禁されている部屋に転移した。
「うわぁっ!」
スティーブの突然の出現にヤコブが声をあげて驚く。
「大きな声を出さないように」
スティーブに注意されて、ヤコブは慌てて自分の口を手で押さえる。
そんやヤコブにスティーブは質問した。
「どうしてこうなったの?」
「…………」
ヤコブはスティーブの質問に答えず目をそらした。
スティーブはため息をつく。
「クレアがヤコブの身を心配して、僕に連絡を取って欲しいと陳情してきたからここに来た。それなのに何もしゃべらないというのは、彼女の気持ちに対しての裏切りじゃないかな」
スティーブの言葉がヤコブの胸に刺さる。借金で縛られていることもあるが、一度はまじめになろうと決意したのであったが、酒の誘惑に負けて泥酔した挙句の大失敗。
正直に話せばスティーブによってこの場で殺されるかもしれない事態に、正直に話すことも躊躇われた。
「強制的にしゃべらせてもいいんだけど」
スティーブはヤコブにそう言って自白を迫る。
ヤコブはスティーブならそうすることも出来ると聞いているので、そうされる前に約束を取り付けることにした。
「正直に話しますが、命を取らないと約束してもらえますか?」
「そんな悪いことしたの?殺人や放火をしているなら約束は出来ないけど」
「そんなことじゃないです」
ヤコブは慌てて両手を振って否定した。
「じゃあどうして命を取られると思ったの?あっ、貴族の身分を偽ったからか」
「はい」
ヤコブは力なく頷いた。
「身分を偽ったといっても、この状況を見る限りでは脅されていたんでしょ。それなら情状酌量の余地はあるよ」
「それが、この状況になる前のことでして――――」
そう言うとヤコブは、諦めて全てを自白した。
スティーブはそれを聞いて状況を把握した。
「つまり、酒で酔った勢いで僕だと言ってしまったことをネタに、ルモワーニュに脅されて協力してしまったと」
「はい」
スティーブはヤコブの話で泥酔して記憶のない時に、本当に自分がアーチボルトであると言ったのかが気になった。カスケード王国では酒に酔っていたからという理由で、貴族の身分を偽った罪が軽くなることは無い。
ヤコブの話が本当であるならば、スティーブとしても助命出来ることは無かった。これで助命してしまえば、酒に酔っていたからという言い訳で、身分を偽った犯罪が増えてしまうからである。
しかしながら、ヤコブが本当に酔った勢いで身分を偽ったかどうかは議論の余地があった。状況証拠とルモワーニュの証言だけが証拠であり、その後のヤコブの扱いを見る限りでは、最初から仕組まれていた可能性が高い。
「あの、俺はやっぱり殺されるんでしょうか?」
泣きそうな顔で、というか、実際少し涙目のヤコブが、蚊の鳴くような声でスティーブに訊いてきた。
「どうだろうね。ルモワーニュの話も訊いてみないとわからないよ。もうしばらくはここでおとなしくしておいて」
スティーブはそういうと、ヤコブをそのままにしてルモワーニュ商会から立ち去る。そして、ダフニーの元を訪れて、ルモワーニュの家を教えてもらった。
アレックス殿下の御用商人ということもあり、ダフニーはルモワーニュの家を職務の都合で知っていたのである。
スティーブはダフニーに礼を言うと、ルモワーニュの家に忍び込んだ。
ルモワーニュは家にはおり、そこに妓楼の経営者が訪ねてきているところだった。スティーブは虫を使ってその情報を掴んでいた。二人の会話の内容から、ルモワーニュの相手が妓楼の経営者だと判明した。
二人は応接室におり、室内の会話を虫を通じて見聞きする。
妓楼の経営者が持参した金をルモワーニュに渡していた。
「ルモワーニュ殿、頼まれていた金貨だ。確認してくれ」
「すまないな」
テーブルの隣には布の袋が20個置いてあった。そのすべてに金貨が入っている。
「確認させてもらうよ」
「いいだろう」
ルモワーニュのところの使用人と、妓楼の経営者の従者が別室に移動し、金貨の確認作業に入る。
スティーブはそちらにも虫を送り込んで、その様子を見ていた。
「なるほど。あれが先物の追加の証拠金になるのかな」
スティーブはひとりごちる。
金に窮したルモワーニュの金主として、妓楼の経営者が現れたという訳であった。
ただし、現在のような送金システムがあるわけではないので、これを西部の先物取引所にいる仲買人に届けるのに時間がかかってしまうのだが。
注文自体は伝書鳩だったり、金を払えば光通信網を使わせてもらうことも出来るので、比較的早く注文が出来るのだが、証拠金については現金を運ぶしかないので、蒸気機関車を使ったとしてもタイムラグが出来てしまう。
「それで、地下に軟禁している男はどうするのだ?」
妓楼の経営者がルモワーニュに問う。
「こちらが無事に売り抜け出来たら処分しますよ」
ルモワーニュとしても、危険極まりない証拠であるヤコブは早いところ処分したかった。ただし、綿花を高値に吊り上げたままにしておくためには、もう少しスティーブの威光を借りたかったのである。
「まあ、最悪こちらも騙された被害者だと言えば、処分されるのはあの男だけでしょうが」
そう言ってルモワーニュは笑った。
「まったく、お前も酷い男だな。酒を飲ませて泥酔させて、やってもいないことをやったと言って脅すんだから。起きたら貴族が着るような服を着ていただけで、身分を偽ったと思うあの男も間抜けだが」
「馬鹿ほど騙しやすい相手はおりませんからな。商売も相手がみなそうであってくれたらどれだけ楽か」
二人の会話を聞いて、スティーブは完全に事態を把握した。
ヤコブは冤罪であるが、本人がそれを知らないためにいいように利用されているだけであった。
二人の会話が終わったころに、金貨の確認を終えた使用人が再び応接室にやってくる。
「旦那様、金貨は間違いなく6千枚ありました」
「ご苦労。では、借用書にサインをしましょう。これを明日ソーウェルラントに送って、追加の証拠金に充てれば、更なる買い増しができそうです」
「金利はひと月で五分。間違いが起きないことを祈ってるぞ」
「そこはお任せください。商人は信用第一ですからな」
「そうあってもらいたいものだ」
虫の目を通して見るルモワーニュの顔は、若干の焦りがあるように思えた。妓楼の経営者ともなれば、マフィアとかたぎの中間くらいであり、ひとたび敵対すれば命を奪うことにも躊躇しない雰囲気があった。
スティーブはここまでの情報で一区切りだと判断し、夜遅かったがオーロラのところに転移することにした。
スティーブがオーロラの居城を訪れると、オーロラはまだ起きて仕事をしており、急ぎの面会となった。
「夜遅くまでの仕事は健康の大敵ですよ」
「今夜は閣下のお誘いがある気がしていたから特別よ。どこか夜景の素敵なところに連れ出してくれるのかしら?」
「疑り深い妻を持つ身としては、要らぬ誤解を招くようなことは避けたいですね。それがソーウェル卿のような素敵な女性を前にしていたとしても。さて、本題ですが、ルモワーニュの裏をとることが出来ました。僕そっくりの平民を罠に嵌めて、僕を演じさせています。で、明日追加の証拠金をこちらに発送するそうなので、三日くらいしたら悪事をばらしてやろうかと思います」
「まだ追加の証拠金を用意出来たのね」
オーロラはスティーブのそっくりさんの情報には驚きもしなかったが、追加の証拠金には驚いた。そのことにスティーブは気づかない。
「妓楼の経営者が金主になっているようですね。そこから月利で五分で資金を調達しています」
「じゃあ、それをそっくりいただいちゃおうかしら」
「僕も明日から売りを入れていこうと思います」
「パーカー準男爵の損失は埋められそうね」
「ええ、なんとか。これに懲りてもう相場から足を洗ってもらいたいのですが」
「仲買人には通達を出すわよ。パーカー準男爵の注文は今後一切受けないようにとね」
「よろしくお願いいたします。ただし、明日の売り注文が通ってからで」
こうしてパーカー準男爵は二度と相場に手を出すことは出来なくなった。スティーブは全部が終わったらフレイヤに報告しようと思った。なにせ今はパーカー準男爵の名義で売り注文を出すため、注文を受けてもらえないと困るのだ。
「そこはわかっているわよ。来週には新規建て禁止で、持っている建玉の決済注文だけを受けるようにするわ」
「この前こうしておくべきだったのでしょうけど」
「まあ、貴族の当主に対してこうした措置をするのは中々無いわね。公に無能の烙印を押すようなものだから」
「自業自得とはいえ、かなり厳しい措置ですね」
「私としても、反抗的ではない寄り子が相場で破綻するのは困るのよ」
オーロラからしてみたら、金に困った寄り子が、筋の悪いところに領地の一部を差し押さえられたり、犯罪の片棒を担がされたりするのは困る。一度、カーシュ子爵の時に経験してこりているので、パーカー準男爵のような者が相場で金を溶かすのは看過できなかった。
「それでは僕はこれで」
「もっとゆっくりしてくれてもいいのに」
「遠慮しておきます」
そう言うと、スティーブは自宅に転移した。
部屋に残ったオーロラはハリーを呼ぶ。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「閣下にはまだばれていなかったわ。それで、明日いよいよ仕上げに入るとなったの」
「それは何よりですな」
「ルモワーニュ商会の混乱に乗じて、こちらが情報を提供した使用人を消しなさい」
「承知いたしました」
資金に窮したルモワーニュに、スティーブのそっくりな平民が見つかったという情報がもたらされたのは偶然ではなく、オーロラによって仕組まれたものであった。
ルモワーニュの人となりを確認したオーロラは、高値で綿花を掴んだルモワーニュならば、犯罪に手を染めてでも価格を吊り上げてくるだろうと読んだのだ。
そして、スティーブそっくりなヤコブの情報をルモワーニュの使用人に渡し、ルモワーニュがそれを悪用するように仕向けていたのだった。ただ、それを追及されたところで、オーロラが犯行を唆した事実はどこにもなく、彼女が批判されるようなことではなかった。
当然、それがばれるような雑なことはしていないが。
そして、念には念を入れて、情報を渡した使用人を消してしまうつもりであった。こうすれば、情報の出所を辿ることは出来ない。オーロラとしては、スティーブにそこまでたどり着いてもらいたいという気持ちもあったのだが、それは危険な火遊びであった。
スティーブからの報告を受けて、そうしたことは止めようと決意し、一切の痕跡を消すことにしたのである。
翌日から、綿花先物には薄く売りが入り始めた。王都でスティーブがルモワーニュ商会と組んで、綿花を使った商売を始めるという噂が消えてはいないので、薄く出てきた売りは直ぐに買われて消えた。
しかし、何度も細かく売りが出るのが続いたのである。
売り注文を出しているのは、エマニュエル商会、サリエリ商会、バルリエ商会ではなかったので、市場参加者たちはこれは何かあると思い始めることは無かった。実は、これは提灯がつくのを嫌ったスティーブとオーロラが、いつも使っている仲買人を使うのをしなかったのである。
こうして綿花相場もいよいよ最終局面へと入っていったのだった。
いつも誤字報告ありがとうございます。