141 またしても姉襲来
スティーブはブライアンに呼び出されて、ブライアンの屋敷に来ていた。スティーブとブライアンあての来客があったのである。
それはスティーブのよく知る人物であった。
「姉さん、事件です?」
「大事件よ」
来客はフレイヤであった。パーカー準男爵も一緒である。
「どうしましたか?」
「これがまた先物に手を出して大損したの」
フレイヤはパーカー準男爵を指さしてこれ扱いである。
「義兄殿は勝手にお金を使えないんじゃなかったでしたっけ?」
パーカー準男爵は株での失敗から、領地の運営をフレイヤがやることになって、予算については一切手出しできなくなっていたのだ。少なくとも、スティーブの記憶では。
「反省したかと思ってちょっと気を許したら、また手を出したのよ」
フレイヤはパーカー準男爵が反省したと思い、最近では領地経営を一緒にやっていた。そんな準男爵がソーウェルラントに行ったとき、綿花の相場がにぎわっていると聞いたのである。しかも、義弟であるスティーブが新規の事業をはじめるとかで、それが綿花を大量に使うのだろうという噂も出回っていた。
そこで、パーカー準男爵は買いで建玉を作ったのだった。スティーブがジョセフに会う直前の話である。
オーロラとイヴリンが吊り上げた高値で見事につかんでしまったのだった。しかも、わりと多めに。
そこから綿花の価格は下落の一途となり、元の価格を目指して下げているのはスティーブも知っていた。
「それで、またお金を借りたいの」
フレイヤは本題を伝えた。
ブライアンは悲壮感漂う娘に訊く。
「どれくらいだ?」
「金貨十万枚」
「随分だな」
「先物の損はそこまではないけど、思い切った改革をしようと思うのよ。シェリーに負けていられないわ」
フレイヤは妹のシェリーへの対抗心から、大規模な領地改革をしようと考えていた。
技術者を招聘して領民を教育し、新たな産業を育成しようというつもりである。
「ふむ」
ブライアンはスティーブの方を見た。
「父上の自由にされたらよろしいかと。領地の資金管理は父上の権限ですから、僕が口を出すつもりはありません」
スティーブはどうして自分が呼ばれたのか不思議だった。金を貸す貸さないはブライアンの権限である。ましてや、メルダ王国から立て替えていた賠償金の一部が返金されたので、今は財政に余裕がある。金貨十万枚程度なら影響はないのだ。
「わかった。借用書は書いてもらうが、返済はいつでもいい」
「ありがとう、パパ」
フレイヤはブライアンに抱き着いた。スティーブはこれで解決だなと思って、席を立とうとしたところで、フレイヤに呼び止められる。
「スティーブちゃん、待った」
「何でしょう?」
「今回もスティーブちゃんの噂があったから、うちの人が高値を掴んじゃったの。わかる?」
「それはわかります」
「だから、今回も何とかして。まだ決済してないから」
「噂を流したのはどうせソーウェル卿ですから、苦情ならそちらにお願いいたします」
「無理よ」
フレイヤは弟のスティーブになら言えるが、オーロラには言えなかった。それでもまだスティーブに言えるだけましで、綿花をはめ込まれた他の貴族たちは完全な泣き寝入りである。
そんな泣き寝入りの中に王都の商会も含まれていた。
ジェシー・ルモワーニュが会頭を務める、ルモワーニュ商会である。ルモワーニュ商会は大手ではあったが、カーター殿下の派閥に入ることが出来ずに、逆張りでアレックス殿下の派閥に属していた。所謂、アレックス殿下の御用商人だったのである。
ルモワーニュはアレックス殿下の懐具合が温かくなったことで、自身の商会も潤っていた。そんなときに聞きつけた綿花価格の上昇。アレックス殿下の功績が出来るきっかけとなったスティーブが関わっているらしいという噂に、調べてみればスティーブとかかわりの深いオーロラとイヴリンが買い本尊だというので、疑うことなく買いを入れていたのだった。
ジョセフの売りが出た時も本人は王都におり、ソーウェルラントにいた代理人が綿花を買い支えようとポジションをふやしてしまっていたのである。
買い増しではなく手仕舞いであれば良かったのだが、下落途中でさらに建玉を増やしたことで窮地に立たされていた。
オーロラがそんな情報を見逃すわけもなく、どうやって料理してやろうかと、バルリエとサリエリに相談しているところだった。
今はスティーブが知らぬ事情ではあったが。
スティーブはパーカー準男爵に軽蔑のまなざしを向けた。
「まあ、この状況じゃむりだよ」
「綿花を使った事業じゃないの?」
フレイヤは食い下がる。
「そうだよ。でも、そんなに大量には使わないんだ。売れて事業を拡大するにしても、何年も先の話だしね」
「じゃあどうしろっていうのよ」
「現引きして僕に売る?ただし、綿花の状態じゃ買わないけど」
「それなら自分のところでやるわよ。パパから借りたお金で繊維業をやってみようと思うの。ミシンだって購入するつもりよ」
「それなら解決じゃないですか」
「何年先になるかわからないわよ。今の先物をどうするかっていう話だからね」
自分で言ったのにと言いたかったスティーブであった。それでも姉が必死なのはわかったので、少しだけ動いてみようかという気になった。
「まあ、ダメもとでソーウェル卿に相談してみますよ」
「よかったわ。玉移動してもらえるなんて」
「そこまでは言ってません」
こうしてスティーブはパーカー準男爵の尻拭いに巻き込まれることになったのだ。
なお、この話し合いの最中、パーカー準男爵は一言も発しなかった。
そして、スティーブはオーロラの元を訪れる。
「ようこそ。珍しいわね、閣下の方から訪ねてくるなんて」
「ちょっと、綿花で困ったことになりましてね」
「身内が相場で失敗して、泣きつかれたとか?」
「話が早くて助かります」
オーロラは高値で掴んだままの人物を確認していた。その中にパーカー準男爵の名前があったので、スティーブが綿花で困ったことがあったと発言したことから、パーカー準男爵のことであろうとあたりをつけたのだった。
「もう一回高値まで持っていけませんかね?」
「嫌よ。含み損を抱えている連中を助けてあげるボランティアなんてしたくはないわ」
「そうですよねー」
スティーブとしては、オーロラがもう一回相場を仕掛けるようなことは無いだろうと思っていた。それでも、何かしらのヒントはあるかと思っていたのである。
「でも、私以外なら可能性はあるわ」
「その話を詳しく」
「王都の商会でルモワーニュ商会っていうそこそこ大手があるんだけど、ここも高値で掴んじゃっているの。このままだと破綻しそうだから、なんらかの手を打ってくると思うわ。最終取引日までまだ二か月あるわけだし」
綿花先物の限月は三か月区切り。毎月清算日があるわけではなかった。
スティーブはオーロラが自分にその情報を教えてくれた真意を推し量る。
「つまり、そのルモワーニュ商会の資産が狙いっていうわけですか」
「そうね。今売りで潰しても大した利益にはならないから、もう少し頑張れるなら美味しくいただこうっていうわけよ。だから私は今は何もしない」
「僕としても縁もゆかりもない商会ですし、特にどうこうできるわけでもないかな。今回は義兄殿には損失確定してもらいましょうかね」
「それがいいと思うわよ。一応ルモワーニュ商会に動きがあれば、その時は伝えるけど」
スティーブがオーロラとそんな会話をしていたころ、ルモワーニュ商会会頭のジェシー・ルモワーニュは必死に考えていた。
「どうにかして綿花の価格を支えなければ。いや、支えるだけではなく上昇させなければか。アレックス殿下に上納する利益をしばらく後に伸ばしてもらい、その間に対策をしなければ」
ルモワーニュはアレックス殿下に支払う上納金の支払いをしらばっくれて、期日を守らないつもりであった。適当な理由をつけて綿花の価格が回復したらば、その時に支払おうと思っていたのである。
金まわりの良いアレックス殿下であれば、多少の期日遅れなど目をつぶってくれるだろうという甘い考えだったのである。
「元々アーチボルト閣下が綿花を使った商品を発売するという話だったのだ。それが世の中に出れば、少しは潮目もかわるか」
ルモワーニュはスティーブの出す新商品に期待した。というか、それくらいしか材料が無かったのである。今年の綿花は例年通りの収穫が見込まれている。豊作でもなければ不作でもない。だから、値動きは新商品による綿花の需要にかかっていた。
そして、待ち望む新商品のジーパンは直ぐに王都で発売された。
近衛騎士団長であるダフニーとナンシーがおそろいでジーパンを穿いて、王都を歩けば話題になった。仕立てるのではなくて、既製品を購入する販売方法なので、あっという間に初期入荷分は売れた。
作業着としての需要ではなく、ファッションとして受け入れられたのである。
スティーブはクリスティーナとナンシーを連れて、工場の縫製部門を視察していた。
「王都での人気が予想を超えたね」
「ダフニーの知名度のおかげというのが納得いきませんが」
ナンシーは話題性でダフニーに負けたことが悔しかった。どうしても近衛騎士団長という肩書には勝てないのだが、剣の腕でも容姿でも自分の方がダフニーより上だという自負があった。
スティーブはナンシーに対して言葉を間違うと面倒なことになりそうだと、クリスティーナの方に話を振る。
「しばらくは増産はせずに、品不足による需要と供給のアンバランスで、人気を演出しようと思うんだけど」
「それがよろしいかと。それに、工場の増員もすぐには厳しいですしね。無理をすれば品質に跳ね返ってきますし」
裁縫部門はもともと仕事があった。そこにジーパン製造を入れたので、人員不足なのだ。ジーパンを作るのを決定した時に、人形制作の方を減らして、さらには別部署からの配置転換も行ったが、基本的には人員不足である。
急な増員は品質が不安定になるため、スティーブもクリスティーナも増産に踏み切るつもりはなかった。
品薄の方が話題になって、余計に需要が増えるというのも狙っている。
冷間鍛造のリベットは、その生産速度からジーパンの生産数をはるかに上回っており、リベット単体での販売も行うことにした。衣服にリベットを使うという認識の広まりにより、一定の需要があったのである。それに、各地の仕立て屋が自分たちもジーパンを作ってみようという気になったのだった。
特に、貴族はスティーブのつくる既製品に満足できず、自分専用の特注品を持ちたがった。そうした需要はスティーブは拾うつもりは無かったので、リベットだけでも売って利益にしたかったのである。
こうしたジーパンの人気を見たルモワーニュは、スティーブを利用して綿花の価格を上げられないかと考えた。
そして、アレックス殿下にスティーブを紹介してほしいとお願いしたのだが、
「あれには関わるな」
とくぎを刺されて、断られてしまった。
「殿下、そこをなんとか」
「くどいぞ、ルモワーニュ。あれは諸刃の剣だ。軽々に近づけば己も傷つく」
食い下がってみたルモワーニュだったが、アレックス殿下に厳しく言われてそれ以上はいかず、引き下がった。
ルモワーニュが引き下がった後で、アレックスはどうしてあれほどまでにルモワーニュがスティーブとつながりを持ちたいのか気になった。
そして、その背景を部下に探らせることにした。
一方、アレックス殿下にスティーブを紹介してもらうのを断られたルモワーニュは途方に暮れていた。西部地域からもたらされる綿花相場の価格は、ジーパンの発売開始により少し上昇した。
これは、ジーパンの売れ行きによって、綿花の需要が上がるのではないかと考えた商人たちが買いを入れたからである。ただし、ルモワーニュの含み損が解消されるような上昇ではなかった。
徐々に清算日が近づくルモワーニュは焦っていた。
そこに、使用人から情報がもたらされる。
「会頭、マッキントッシュラントでアーチボルト閣下にそっくりな平民が見つかったという話があります」
「本当か!」
ヤコブのことである。ルモワーニュはその情報に歓喜した。
本物が駄目ならよく似たそっくりさんでもいい。貴族の身分を偽れば死罪であるが、偽ったのはその平民ということにすれば、自分は罪にならない。そう考えたのである。
「すぐに連れてくるんだ。金はこちら持ちでいいからな」
こうしてヤコブが王都にやってくることになった。
いつも誤字報告ありがとうございます。