14 技官銅管熱交換
アーチボルト領に王都から技官がやってきた。彼の名前はシリル・シス・エアハート。エアハート侯爵の三男であり、軍家のエアハート家には珍しい学者肌。年齢は18歳。三男ということもあり、親は軍人にすることを諦め王立研究所の研究員としての道を歩ませることにした。
なお、本人は細身であるが、兄二人はいかにも軍人といういかつい体格であり、初見で兄弟とはわからない程に似ていなかった。
そんなシリルをブライアンとスティーブが出迎える。
「ようこそ。こんな辺鄙な領地においでくださいましてありがとうございます」
「いえいえ、閣下。こここそが最先端であるから、しっかりと学ぶようにと陛下からは言い遣っております。これからお世話になります。スティーブ様もよろしくお願いします」
騎士爵ではあるが、序列的には侯爵家の三男で王立研究所の技官であるシリルの方がブライアンよりも上になる。ましてやスティーブならば尚の事序列には差がある。ここで丁寧な言葉遣いをするのは、シリルが序列を気にしていないからだ。気が弱いこともあり、どうしてもそれが態度に出てしまう。
「まずは、エアハート殿の逗留する場所へとご案内いたしましょう」
「はい」
ブライアンが先導し、シリルを宿に連れていく。宿は領主屋敷から直ぐの場所に建っていた。本館はいまだ建設中であり、こちらは木造の造りとなっている。それに対してシリルを案内したのは本館のすぐ隣の別館。スティーブの土魔法で壁と屋根を作り上げた宿だ。簡易な住宅といっても差し支えない。
「食事については建設中の宿で提供できます。建設中とはいっても、簡易宿泊は出来ますので、食事も提供することが出来ます。もちろん自炊されるのであればそれでも良いですが」
「料理は苦手なので、宿でとらせていただきます」
「承知いたしました。それと、使用人とまではいきませんが、身の回りのお世話をする者を用意いたしました。洗濯や買い物、我々への連絡などにお使いください。村の娘であるアイラです」
ブライアンがシリルの身の回りの世話係として、本村の領民の中からアイラという娘を選んだ。年齢は16歳であり、独身で婚約者もいない。仮にシリルが手を出したとしても、特に問題にならないという人選であった。アイラには簡単な礼儀作法を教え、無礼にならないようには教育をしてある。
「あ、よろしくお願いします」
アイラを見たシリルは、彼女と目を合わせずに挨拶をした。女性に不慣れなシリルは、平民であるアイラに対しても、正面から見て会話をするというのは難しかった。
スティーブはそれを見て、これなら男女の関係で問題になる事もないかと考えた。
一通りブライアンによる説明が終わったところで、スティーブがシリルに話しかける。
「さて、技官殿。長旅の埃を落としに行きませんか?アイラにお背中を流させましょう」
「ということは風呂があるのですか?」
「はい。それも技官殿の仕事として見る価値のあるものです」
「そうと聞いては断る理由もありませんね。あ、でも背中を流すのは結構です。どうにも女性に裸を見られるのが苦手で」
シリルも侯爵家の三男である。着替えや風呂などは全て使用人がやっていたはずで、そういった事をする使用人といえば女性なのだが、それが苦手とはどういう生活をしてきたのだろうかと疑問に思うスティーブであった。
実際のところ、シリルは思春期になると使用人といえども女性に裸を見られたくないと親である侯爵にうったえ、全てを自分でやる許可をもらっていたのだ。これが長男や次男であれば侯爵も許可しなかっただろうが、幸いにして上の二人が跡継ぎとして問題ないので、シリルについては好きにさせていた。言葉遣いを直させなかったのもそのためだ。
スティーブとシリルが風呂のあるニックのところへ行く後ろ姿を見ながら、アイラがブライアンに話しかけた。
「私、技官様に嫌われましたかね?」
「いや、あれは女性に不慣れなだけだな。上手く手玉に取れば玉の輿だぞ」
「領主様、私が貴族の夫人になれるってことですか?」
「そうだな。侯爵家は彼の兄が継ぐであろうが、研究所の技官は領地こそないが貴族となる。チャンスではあるな」
「えへへ、じゃあ頑張ります」
アイラは大きな野望を胸に秘めた。貴族と平民の女性の結婚というサクセスストーリー。カスケード王国でも前例は無くはないが、極めて稀なケースである。ブライアンとしては技官が自分のところの領民と結婚して、縁が出来るならそれもいいかと考えていた。
さて、そんな肉食女子に狙われているなどとはつゆともおもわず、シリルはスティーブに案内されてニックのところへやってきた。そこでニックと挨拶をかわして風呂の場所へと連れていく。
風呂はニックの工房の裏にある井戸に併設されていた。スティーブが魔法で土を成形して作った風呂であり、バスタブの底は地面から膝の深さくらいとなっている。
不思議なのはそのバスタブに銅管がついている事。シリルが銅管の先を目で追うと、ストーブというか大きな焼却炉に銅管が入っていた。その焼却炉からまた銅管が出ており、その先には大きな器がついていた。シリルにはわからないが、銅管は外径φ6ミリ、厚み1ミリである。
「お湯がありませんけど今からお湯を立てるのでしょうか?」
シリルが興味津々に銅管を見る。
「ええ。でも、まずはこのストーブに薪をくべて火をつけます」
スティーブが火をつけ、それが大きくなるのを待つ。待つことしばらく、火が強くなったところで銅管の先についている器に、井戸から水を汲んで入れ始めた。当然ながら、水は銅管の反対側からバスタブへと流れ出る。
シリルが水から湯気が上がっているのに気が付いた。
「スティーブ殿、これはお湯ではありませんか」
「そうです。これが僕が技官殿に見せたかったものです」
「技官殿というのは堅苦しい。シリルとお呼びください」
「それではシリル様――――」
「いや、様もまだ堅苦しいかな」
「ではシリルさんでいかがでしょうか」
「ああ、それでお願いします」
シリルはそれでもこそばゆいのか、後頭部を無意識に搔いていた。そんなシリルにスティーブが説明を続ける。
「これは熱交換器というものです。薪を燃やした熱を水に伝えてお湯を作る。うちの領地の主要出荷製品の冷蔵庫の真逆ですね。あちらも熱交換器ですが、冷やす方になります」
「秘密はその焼却炉、いやストーブの中にあるということかな?」
「はい。ご覧ください」
スティーブに促されて、シリルは銅管の入っている穴を覗き込む。熱気が凄いので、あまり近くからは見えなかった。
「熱くてよく見えないですね」
「あ、失礼しました。今模型を作りますね」
スティーブは銅作成の魔法で今回の熱交換器に使用している銅管のミニチュアを作った。掌にコイル状になった銅管が出現する。
「魔法使いだとは聞いていましたが、銅管を作る事が出来るのですね」
「ええ。しかしこれは機密ですので他言無用でお願いします」
「心得ております」
シリルとて侯爵家の子。魔法使いの使える魔法がどれほど重要な機密かは重々承知している。それをむやみやたらと他人に話すつもりはなかった。
「この管を熱して、水を流し込むことでお湯になります。グルグルと巻いてあることで、熱する時間を調整しているわけです。これが鍋であれば、ずっと加熱されてしまうので、丁度良いタイミングで火から離す必要がありますが、管であれば勝手に流れ出てくれます。器に水を入れさえすれば、後は勝手にお風呂にお湯が注がれるという訳ですね」
「原理としてはわかりますが、銅管の形状を作るだけのノウハウが無いから再現は難しいですね」
シリルはこれを自分の知っている技法で再現するとなれば、短い曲がっている銅管を鋳造して、それをろうづけか鋳がけでつなぐくらいしか思いつかなかった。そのどちらにしても、継ぎ目からの漏れがないかを確認する気密検査が必要になり、その設備を作る技術もない。
「パイプを作る技術もそうですし、塑性加工をする技術もこれからですね」
今度はここで産業機械Lv2の魔法でパイプベンダーを作り出す。NCのパイプベンダーではなく、油圧を掛けて曲げていく汎用機である。構成は曲げ型、締め付け型、圧力型と油圧シリンダー。
それに銅管をセットして実際にベンドの塑性加工を見せるスティーブ。加工条件にはパイプの送り、ひねり角度、曲げ角度などがある。最初に見せた熱交換器は丸いコイル状であったが、パイプベンダーではそういう加工ができないため、四角く曲げてコイルっぽい形状を作っていく。
加工条件については、測定の魔法でパイプのセット位置を確認できるスティーブが、その魔法を使って手で位置決めをしてはベンドをする。ホームセンターやネットで購入できるパイプベンダーではひねりが取れないものが多い。一曲げであればそういった物でも問題が無いが、曲げ点が複数になるものを加工しようとしたら、そういった物では用が足りない。
ベンドが終わったパイプをスティーブがシリルに手渡した。
「心金が入っていないので、曲げたところがつぶれているでしょう。2D、つまり直径の倍の曲げですら偏平率は22%になってしまいます。これが銅管を加工するうえでの難点。もっと小さな曲げRの金型に変更したら、パイプがつぶれて水が通らなくなってしまいます。行く行くはこうした塑性加工も出来るようにしていきたいですね」
「心金とはなにかな?」
曲げられた個所を指で触り、潰れ具合を確認しながらシリルがスティーブに訊ねた。
「銅管が潰れないように、中に金型を入れるのです。金型の代わりに水や砂を入れてもいいですけど、その場合は銅管の両端部に栓をしないと漏れちゃいますね」
心金とはマンドレルとも呼ばれる、潰れ防止のための金型だ。これが無いとパイプの偏平が大きくなるのだが、形状によっては心金を入れられないものもある。
「初日から難易度が高いね。これをどうやって報告書にまとめるかが悩ましいよ」
「塑性加工よりも熱交換器の方がわかりやすいですかね。このお風呂をセット販売出来ないかと考えているんですよ。さあ入ってください」
「そうだね」
スティーブに促されてシリルは風呂に入る。スティーブとニックは湯加減の調節があるため、ストーブの近くに立っていた。
「そうそう、もっとわかりやすい産業機械で糸車があるんですよ」
再びスティーブは産業機械Lv2の魔法を使い、糸車を作り出した。カスケード王国における紡績は手紡ぎである。周囲の国家も糸車を開発出来ておらず、手紡ぎを行っていた。そこに手回し式の糸車が登場するとなれば一大革命である。
シリルは興奮のあまり、湯船から素っ裸で飛び出して糸車のところに駆け寄った。
「これは、どう使うものですか!」
「シリルさん、説明はしますからまずは服を着てください。着任早々風邪をひかれては困りますでしょう」
そこでシリルは自分が裸であることに気づいて、赤面して慌てて服を取りに行く。体を拭いて服を着たところで、改めて糸車を観察した。残念ながらここには綿が無いので、実演をすることは出来ないが、スティーブは空運転で動きを見せた。
フライホイールにつながるハンドルを回すとフライホイールが回転し、その動きがプーリーに伝わる。そして、それがボビンを回転させる。シリルはその動きを見ながら、綿があったらどうなるかを想像した。
「これって大発明じゃないですか!」
「まあそうですよね」
大興奮のシリルに対してスティーブは冷めていた。それはスティーブは前世の知識で糸車を知っていたからである。初めて見る感動とあって当然という気持ちの差であったが、シリルはそんなことを知らないので、世紀の大発明をしながらも平然としているスティーブが凄い精神の持ち主だと勘違いした。
「これなら魔法無しでも作れますよね。あ、軸などの加工は旋盤っていう工作機械があると便利ですよ。それもお見せしましょうか」
「旋盤……ですか」
聞き慣れぬ言葉にシリルはそれがどんなものであるか想像もつかない。しかし、きっとまた驚かされるのであろうという期待はあった。
火の始末をして三人はニックの工房へと移動する。シリルはそこで今度は旋盤を見せられて、再び驚く。
「何ですかこれ。これも見たことない。魔法ですか?」
「魔法なんだけど、魔法無しでも作れるかな。まあ、精度は悪くなるだろうけどね」
魔法により主軸の回転は真円が出ているが、これを今のカスケード王国の加工技術で再現しようとすると、精度がとても悪くなる。ただ、作った旋盤でまた旋盤の部品を作るのを繰り返せば精度は良くなっていく。
今の段階ではシリルにはそこまでの計画を立てる余裕は無いが、アーチボルト領で過ごしていくうちにそのことについて考えていくことになるだろう。
「これは本当にどこから報告すればよいのか。とりあえず睡眠時間が足りなくなることだけはわかりました」
というシリルに付き合わされて、スティーブも睡眠時間が短くなるのであった。前世では徹夜で部品加工をしたこともあったが、子供の体力では流石に夜は眠くなる。何度もシリルに付き合っては彼の隣で寝てしまっていた。
こうして記念すべきシリルの第一回目の報告書は、糸巻機と銅を使った熱交換器となり、糸巻機は現物が王都に送られることとなった。