135 シェリーに口づけを
時刻は深夜。スティーブはメイザック王国のカール王太子の離宮に来ていた。もちろん姉のシェリー救出のためである。いつものように虫や小動物を使って軟禁されている場所を特定し、見張りに幻覚を見せて気づかれずに部屋に入る。
「姉上、助けに来ました」
「遅いわよ」
シェリーはスティーブが来ることを予測していたので驚きはなかった。遅いと苦情を言ってはみたが、助けに来てくれた弟には感謝していた。
「何もされていませんか」
「毎日王太子の話し相手をさせられている以外は特にね」
「本当に?遠慮してませんか?」
「大丈夫よ。それに、乙女にそういうことをしつこく聞くのは嫌われるわよ」
「相手が乙女の時はそうします」
そう答えたスティーブに対し、シェリーは手元にあったティーカップを投げつけた。スティーブはそれをキャッチする。
「お静かに」
「誰のせいだと思っているの」
シェリーが怒るとスティーブは頭を下げた。
「女はいくつになっても乙女なのよ」
「胸に刻みました」
「よろしい」
スティーブはシェリーの怒りが収まったところで脱出を提案する。
「みんなが心配しているのですぐに戻りましょう」
「ちょっとまって、外交団の人たちも一緒に助けてあげて」
「そっちもついでですから、助けましょう。ただし、歴史の目撃者になってもらいます」
スティーブの口から不穏な単語が出てきたので、シェリーは不安になった。
「歴史の目撃者?」
「大袈裟に言いすぎましたね。メイザック王国が二度とメルダ王国とカスケード王国に手出ししないような経験をさせてあげようということです」
「スティーブ、私とっても不安になってきたんだけど、一緒にいてもいいかな?」
「駄目です。義兄殿がとても心配しているので、今すぐ姉上だけは連れて帰ります」
「そう。でも、私もそれと同じくらい歴史の目撃者っていうのが心配なのよ」
シェリーは真剣だった。彼女の第六感がとても悪いことが起きることを告げていたからである。
しかし、スティーブはそんなシェリーの願いは聞かずに、彼女と一緒にメルダ王国の王宮に転移した。そこでは深夜であるにもかかわらず、寝ずにシェリーのことを心配していたエイベル国王がいた。
「エイベル、心配をかけたわね」
「シェリー、何もされてない?怪我をしてない?」
エイベルはシェリーに体を穢されたかというのを聞く勇気が無かったので、怪我という質問をした。
「安心して、何もされてはいないわよ。心配なら今から二か月間は子供を作るようなことはしないでおきましょうか?」
「いや、君を信じるよ。それはしなくていい」
姉夫婦の惚気が始まりそうなので、スティーブは戻ることにした。
「それでは義兄殿、僕はメイザック王国に戻りますね。落とし前をつけてきます」
「頼んだぞ、義弟殿」
こうしてスティーブはメイザック王国に戻った。
そしてまずスティーブがしたのはシェリーに変身することである。幻覚ではなく変身だ。理屈は簡単で、まずは自身を水銀化して、その水銀に色を付けるだけである。この着色も魔力で行う。
メルクールの魔法で作った作業標準書をみていたところ、水銀に色を付けられそうだと思ったスティーブがためしてみたところ、着色に成功したというわけである。
その結果、思い通りの人物に変身することが出来るようになったのである。
シェリーに変身したスティーブは、軟禁されている部屋のドアを破壊した。魔法を使ってドアを吹っ飛ばしたのである。
当然見張りの兵士たちはそれに気づいた。
「王妃様、それ以上はいけません。止まってください」
シェリーに向かって剣を向ける兵士たち。中身はスティーブであるが。
「貴様たちごときで私を止められるとでも?」
スティーブはそう言って一番近い兵士を蹴った。兵士はその蹴りに反応できず、まともにくらって後ろに飛ばされた。
カール王太子からは手出しはするなと言われていたが、目の前の王妃をここで止めないとまずいと思った兵士たちは、一斉にスティーブに斬りかかった。
スティーブはその攻撃を躱そうとしない。なぜなら彼は今水銀であり、物理攻撃は効かないから。シェリーの形をしてはいるが、叩かれればその形は簡単に変形する。兵士たちはそれを見せつけられた。
暖簾に腕押し、水銀に打撃。スティーブに当たった剣はそのまま体に呑み込まれた。そして、手ごたえはない。
「化け物か」
「酷いわね。他国の王妃に対して化け物って言い方はないでしょう」
スティーブはシェリーの怒った顔を作り出した。
「仲間を呼ぶんだ!」
兵士がそう叫んで逃げ出す。それを追わずにメルダ王国とカスケード王国の外交団の救出に向かうスティーブ。外交団の軟禁されている部屋のドアを壊して中に入る。
「助けに来たわ」
「王妃様!」
疲れ切った一行はシェリーの顔を見て疲れが吹き飛んだ。そして、うれしさのあまりシェリーが誰一人名前で呼ばない違和感に気づかなかった。なにせ中身はスティーブなので、一緒に来た外交団の名前を知らないのである。
そして、アレックス殿下も外交団と一緒に軟禁されており、スティーブ扮するシェリーに助け出される形になった。アレックスはドアを吹き飛ばしたシェリーに違和感を感じており、すぐに中身はスティーブであろうと予想した。それを口に出すことはしなかったが。
再会を喜んだのもつかの間。すぐに部屋にはメイザック王国の兵士が集まってきた。そんな兵士たちの中にスティーブは素手で飛び込んでいき、手当たり次第に殴り倒していった。兵士たちはカール王太子の命令を忘れ、目の前の脅威に対して攻撃をする。しかし、その攻撃は全てダメージを与えることは出来なかった。
「魔法使いを呼んで来い!」
警備隊長らしき兵士がそう叫ぶ。数名の兵士がどこかに走っていき、魔法使いを連れて帰ってきた。
そのころにはスティーブによって兵士は無力化されていた。
鉄の鎖につながれた警備隊長に対し、スティーブは不敵に笑う。
「魔法使いごときでこの私をどうにかできるとでも思っているのか?」
「まあ無理でしょうな。しかし、これも職務ですから」
警備隊は既に諦めていた。圧倒的な強さを見せつけられて、この王妃を止められる者は国内にいるとは思えなかったのである。剣や槍の攻撃は無効化されてしまったが、魔法なら通用するかもしれないなどという期待は持てなかった。なにせ、自分をつなぐ鉄の鎖は魔法で作り出しているのである。そんな人物が魔法でどうにかできるとは思えなかった。
そしてやって来たのは火属性の魔法使い。スティーブめがけて火球を放つ。味方の被害もお構いなしの攻撃であった。しかし、それらは全てスティーブの火球に迎撃された。同じ威力の火球をぶつけて相殺したのである。
魔法使いはむきになって火球を出してきたが、そのすべてが迎撃されて消滅した。
焦りの色が出てきた魔法使いに対し、スティーブは命令を強制する。
「魔法を使うな」
その魔法の効果が発揮されると、魔法を使おうとした魔法使いは苦しみだした。そして、魔法を使うことはなくなったのである。
新たな兵士の登場が無くなったところでスティーブは警備隊長に命令する。
「さて、王太子のところに案内してもらおうか」
「殿下はここにはいない」
「では、どこにいるのかな?」
「それについてしゃべる気はない」
「あ、そう。じゃあしゃべりたくなってもらおうか」
スティーブは警備隊長に王太子の居場所をしゃべるように命令を強制した。すぐに警備隊長は口を割る。
「殿下には王宮に避難していただいております」
「最初から素直にしゃべっておけば苦しまなかったものを」
スティーブは警備隊長に憐憫の眼差しを向けた。警備隊長は不覚にもその顔を美しいと思ってしまったのである。まあ、シェリーの顔に対しての感想なのだが。
「よし、王宮に乗り込もう」
スティーブがそう言うと、外交団は驚いた。
「王妃様、今こそ逃げ出すチャンスではございませんか」
「いいや、こういう連中は一度はっきり力で上下関係をわからせないと、また同じことを繰り返す。やるなら徹底的にだ」
王妃の言うことには逆らえるはずもなく、一行は王宮を目指すことになった。もちろん歩いていくようなことはせず、スティーブの転移の魔法で一瞬で王宮まで移動した。
深夜ではあったが、離宮でシェリーが大暴れしている話は王宮にも伝わっており、兵士たちは厳戒態勢であった。シェリーにはそんな力はなく、スティーブが乗り込んできたと思っていたからである。そして、それは正しかった。ただし、彼らがスティーブを認識することはなかったが。
「メルダ王国王妃、シェリー。お礼参りに来た」
スティーブは隠れもせず大声を出して進む。目指すは国王だ。夜行性の虫や小動物を使役し、国王の居場所を特定してそこに向かう。
都合も良く、そこにカール王太子もいた。
玉座の間である。
そこに乗り込んだスティーブは、高らかに宣言する。
「我が体を拘束した罪、償わせてくれる!」
この段階になっては、カール王太子も手を出すなとは言えず、兵士たちがシェリーを攻撃するのを見ていた。剣や槍がシェリーの体を貫くが、血が飛び散ることは一切なく、代わりに兵士たちが飛ばされていた。
恐れをなして逃げる兵士が出る。王宮の近衛騎士団長は逃げる兵士を斬った。
「逃げるな!戦え!」
斬られた兵士は床に倒れるが、即座にスティーブの治癒魔法によって傷がふさがり立ち上がる。
「味方を攻撃するとは愚かな。哀れな兵士は私の魔法で治癒した」
「あれ、俺生きてる?」
斬られた兵士はキツネにつままれたような呆けた顔になっていた。ざわついていた玉座の間も、その光景を見せられて静まり返った。
他にも逃げようとして近衛騎士団に斬られた兵士たちもいたが、同様に傷が治癒されていた。
近衛騎士団長はスティーブを睨みつけて歯ぎしりした。
「化け物め」
「まったく、この国はなんで私を化け物扱いしたがるのかしら」
シェリーの姿で肩をすくめてみせるスティーブ。そして、魔法で鋼の塊を作って、それを射出して壁を壊した。大穴が開いた壁からは王宮の庭が良く見える。
そこにある一本の木に成長の魔法を使って、木を急成長させた。
みるみるうちに成長していく奇跡を見せつけられ、誰も言葉を発することが出来なかった。
「治癒魔法に、植物の育成。女神って言われるならまだしも、化け物だなんて私泣いちゃうから」
そう言ってウソ泣きをしてみせた。みんながシェリーを神の化身ではないかと思い始めていたが、台無しである。
全員が唖然とする中、恍惚の表情のカール王太子が前に歩み出る。
「美しい。貴女はまさしく女神だ。どうか私にその口づけを」
それを聞いてスティーブはウソ泣きを止めると、カール王太子の頬を引っ叩いた。その勢いに負けて床に倒れるカール王太子。気を失ったカール王太子の体を踏みつけてスティーブは国王を睨んだ。
「さて、この落とし前、どうつけてくれます?」
「王太子の廃嫡で」
「それだけ?」
王太子の廃嫡を持ち出した国王であったが、シェリーのものすごく不満そうな顔を見せつけられ、すぐに追加の条件を提示することになる。
「国土の割譲と賠償金も差し出します。しかし、今は大臣たちがおりませんので明日にでも会議を開催して、すぐにご報告させていただきます」
「中途半端な条件を提示したら、首と胴が泣き別れするから、そこんところをよく考えてね」
「はい」
女神感台無しのセリフである。
だが、この場にいる全員が思った。
(怒らせたら本当にこの国が地図から無くなる)
と。
そんな話をしているうちに、スティーブによって治癒された兵士たちが拝み始めた。
「女神様ありがとうございます」
「今日のことは決して忘れません」
「国王が女神様に剣を向ければ、我らは国王に対し剣を向けます」
新たな宗教の誕生の瞬間であった。
スティーブとしてはここまでするつもりは無かった。圧倒的な力の差を見せて、二度と不届きな考えをしないようにするだけのつもりであったが、治癒と豊穣の力を見せたことで、女神認定されてしまったのである。途中で本人が悪乗りして、女神って言われるならまだしもと言ったのも影響しているが。
ちょっとやりすぎたかなと思ったスティーブは、外交団を連れてメルダ王国に転移することにした。
そして、やったことをシェリーに伝えて盛大に怒られるのであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。