134 可愛いシェリーのために
アレックス・ジス・カスケードはカッター伯爵と自分の離宮で会っていた。派閥の話でもあるのだが、王都の工業ギルドについてだ。
「最近工業ギルドが相談相手をこちらからソーウェル卿に乗り換えたな。おかげであそこから得ていた利益が無くなったよ」
アレックス殿下の言葉には若干の怒りがこもっていた。カッター伯爵はそれを察知して工業ギルドへの牽制を提案する。
「工業ギルドに圧力をかけますか」
「やめておけ。そうなればまたソーウェル卿を頼る事であろう。ますますあちらに気持ちが移ってしまう。ソーウェル卿が解決できないようなことが起こって、こちらを頼ってくるまで待つんだ」
オーロラがスティーブの作る金箔の国内流通を止めてくれてからというもの、王都の工業ギルドはことあるごとにオーロラに相談を持って行った。オーロラは金銭的な謝礼を受け取らないため、工業ギルドとしてもお願いの敷居が低かったのである。実際には金銭よりも多くの利益につながるような、規制の撤廃を要求していたのだが、それも急激な要求ではないため工業ギルドは受け入れていた。徐々にむしられていくことになるのだが、そうと気づかせないところがオーロラの狡猾さである。
そして、そのせいで割を食っていたのがアレックス派であった。領地が無い貴族が多いため、王都の工業ギルドからの依頼は貴重な国から以外の収入源であった。それが絶たれてしまって、不満が出ているのである。
しかし、アレックスとしても、オーロラに喧嘩を売るほどの度胸は無かった。第二王子といっても、西部地域の派閥の領袖ほどの力はない。仮にここでもめたとしたら、王位継承争いで西部地域の貴族は皆カーターの方につくことになるだろう。なので、正面切っての争いはしたくなかったのである。
なので、カッター伯爵もオーロラにではなく、工業ギルドに圧力をかけようかという提案だったのである。
アレックスはそれすらも止めたが。怒りはあるものの、計算が出来ないほどではない。カッター伯爵もそこまでアレックス殿下が愚かであれば、担ぐのを躊躇していたかもしれないが、怒りに任せて行動しないような分別があるので、そこについては安心していた。
「ここいらで少し殿下の手柄が欲しいところではございますな。それと、出来れば新たな利権でしょうか。派閥の求心力を維持するためにも」
「そこで、ちょっと気になることがあるのだ。メルダ王国から外交の許可願いが来ている」
「ほう」
メルダ王国はカスケード王国の属国であり、独自の外交は禁止されている。なので、その都度カスケード王国に許可を願い出ることになっているのだ。
今回は金箔を使った料理の宣伝のため、シェリー王妃と外交団が周辺国に出掛けるというのである。当然許可を出すにしても、それのお目付け役が必要になる。その仕事がアレックスに打診されているのであった。
外交の内容を聞いてカッター伯爵も可能性を感じた。
「メルダ王国のシェリー王妃といえば、あのアーチボルト閣下の実姉。それに、金箔の料理の宣伝であるならば、工業ギルドの件とも関係しておりますな」
「禍を転じて福と為す。工業ギルドからの収入を失ってしまったが、その結果、俺が外交団に付き添いなんらかの手柄を得れば、それで良いのではないかな」
「はい」
具体的に何が出来るというものではなかったが、何かと話題の王妃とその弟であるので、一緒に行動していれば何らかのチャンスがあるとは思っていた。どのみち現状のままではアレックスも手詰まりであり、動くしかなかったのだ。
本来であれば国内で足場を固めたいところであったが、国内でやれるべきことが見つからない以上は、国外にいくのもやむなしということで、メルダ王国のお目付け役を引き受けようと思ったのである。
カッター伯爵もそれには賛成であった。彼もアレックス同様に手詰まりを感じていたのである。
こうして、メルダ王国の外交には許可が下り、お目付け役としてアレックス殿下が同行することになった。
メルダ王国の東にはメイザック王国という王国があった。そのメイザック王国の王太子、カール・ティス・メイザックは現在20歳。既に結婚して子供もいるのだが、そんな彼はシェリーを自分の妻として迎えたいと思っていた。
カスケード王国に敗れて属国となったメルダ王国に送り込まれてきたカスケード王国出身のお飾りの王妃。最初のころこそそうと思っていたのだが、国土を削られ主要な港も取り上げられたメルダ王国が、あっという間に力を取り戻したのは彼女の実績と知り、王太子は興味が出た。
そんな王太子はメルダ王国に外交団として訪れた時にシェリーを見た。シェリーは男性を誘惑するようなプロポーションではないし、顔も整ってはいるが国一番の美人というわけでもない。
しかし、そんなシェリーが輝いて見えたのである。他国出身の王妃でありながらも、メルダ王国の役人たちは彼女のことを敬愛しているのはよくわかった。そして、外交の場においても指示は的確。王都の様子を探らせれば王妃の国民人気は高い。
それもそのはずで、シェリーの考えた政策によりメルダ王国は好景気に沸いていた。それと、敗戦による怪我の功名である既得権益の破壊。平民であっても役人になることができ、実績次第で高級官僚への道もひらけたとあって、平民からの支持は絶大なものであった。
今やメルダ王国ではメルダ王国の至宝とまで呼ばれる存在だったのである。
そんなシェリーのことを、カール王太子は是非とも手に入れたいと思った。そんなことをすれば戦争になるのは目に見えていたが、そうしてでも手に入れる価値はあると思っていた。
恋は盲目とでもいうか、カール王太子はシェリーに恋をしていたのである。横恋慕ではあるが。
その時はおとなしく帰国したカール王太子であったが、どうにかしてシェリーを手に入れたいと思っていた。そのことを父である国王に相談する。
もちろん、人妻を好きになったとは言えないので、シェリーを手に入れればメルダ王国が弱体化するという建前でだ。
しかし、国王は反対した。
「カールの言うことはわからなくもない。しかし、シェリー王妃の弟はあの竜頭勲章だ。手を出して無事で済んだ国はない。それどころか、大陸中に信仰を広げており、王や皇帝よりも権力があるとされているフライス聖教会ですら、その存在には一目置いている。聖女がやつの領地の教会にいるのも、特別扱いの現れだとか。メルダ王国に手を出すのはまずい。特に王妃は絶対にだめだ」
メイザック王国国王は周辺国がカスケード王国に手を出した末路を見て、関わらないことを選んだのだ。現在のメイザック王国とカスケード王国の関係は、友好国ではないが敵対国でもないというもの。カスケード王国の国内事情を探らせたところ、急激な国土の拡大で人材不足となっており、対外的な野心はいまのところないというものだった。
だからこそ、わざわざ事を荒立てるようなことはしたくなかったのである。
国王に反対されてカールは一度さがった。しかし、燃え上がった恋の炎は簡単には消えることは無かった。ましてや、障害があるほど恋の炎は大きく燃えるもの。
自分一人でなんとかシェリー王妃を手に入れてやろうという強い思いを胸に抱いて、引き下がったのである。
そして、そんなカール王太子の元に、メルダ王国の外交団がやってくるという連絡が入った。
しかも、その外交団を率いるのはいとしのシェリー王妃である。
カールは千載一遇のチャンスだとばかりに、この外交団の来訪を利用することにした。自分の配下の者たちを使って外交団を軟禁してしまったのである。
メイザック王国国王は息子のしでかしに焦って、なんとか軟禁をとこうとしたが、王太子の離宮に兵士を突入させれば、シェリー王妃と一緒に死ぬと脅してきたのである。
シェリー王妃に万が一のことがあれば、確実に国が亡ぶと理解している国王は、兵士たちに一切の手出しを禁じた。そして、すぐにメルダ王国とカスケード王国に使者を送ったのである。
使者からの報告を受け取ったエイベル国王は激怒し、ウィリアム国王は焦った。メルダ王国は敵国に攻められた場合は自衛のための戦争を認められているが、それ以外の侵略戦争については許可制となっていた。今回の場合がどちらになるのかという議論になるが、メルダ王国の王宮ではシェリー王妃救出のための自衛の戦争であるという声が大きかった。
ならば即出兵というわけにもいかないのは、人質になっているシェリー王妃に万が一のことがあってはならないということで、全員が慎重になったからである。なお、万が一のことがあればメイザック王国の国民を根絶やしにする勢いであった。
一方、カスケード王国の王城では、スティーブに連絡がつくまで何もあってくれるなという願いを国王も宰相も神にしていた。シェリー王妃に万が一のことがあった場合、スティーブの怒りがどこに向くかわからなかったためである。外交を許可したカスケード王国の責任だと言われれば、反論をするつもりではあるのだが、そんな理屈が通じなかった時が困るのだ。
そして、最悪の続報がやってくる前にスティーブに連絡がついた。
王城でシェリーが人質になったことを知らされたスティーブは、すぐにメイザック王国に行くと宣言する。
「ちょっと、姉を救出に行ってきますが、よろしいでしょうか?」
「許可する」
「御武運を」
一応外国との戦いになるのでスティーブは国王の許可を求めた。
ここで反対する理由もないので、国王もすぐに許可を出す。宰相が御武運をと言って頭を下げ、再び頭を上げた時には、既にスティーブの姿はそこにはなかった。
そのように、カール王太子の身勝手な行動でみんなが振り回されている時、当のカール王太子はシェリーを軟禁している部屋にいた。シェリーとふたりきりで。
カール王太子はシェリーに何度目かの同じ要求をした。
「俺の妻になれ。そうすれば外交団の他のものは解放しよう」
シェリーは呆れてため息をつきたかったが、そうすることでカール王太子が自棄になって、外交団の人員を傷つけてしまうのを防ぐため、そういう態度を見せなかった。
代わりにシェリーから質問をする。
「私が貴方の妻になったとして、どんなメリットがあるというのでしょうか?」
「俺は王太子だ。いずれこの国は俺のものとなる。そうなれば、今よりももっと良い暮らしが出来るぞ。メルダ王国の財政では、贅沢な暮らしはできないであろう」
カール王太子はぜいたくな暮らしを約束するが、それではシェリーの心は動かなかった。
「足るを知る者は地に臥せて寝るような貧しい生活でも満足しますが、足るを知らぬ者はどんなにぜいたくをしようとも不満を抱くもの。それでは貧しい者と変わりがありません。私は今の生活に満足しておりますので、これ以上のぜいたくは望みません」
「では、何が望みだ?」
ぜいたくを望まないシェリーに対して、カール王太子は何が望みなのかを問う。
「そうですね、例えば竜の首の珠や、火ネズミの皮衣のような見たこともないものであれば心が動くかもしれません」
「そんな伝説に出てくるようなものが入手できるとでも思っているのか?」
「はい。私の弟であればそのような物でも入手してくることでしょう。私を無理やり手に入れようとすれば、絶対に弟とぶつかることでしょう。王太子はそれを乗り越えられますでしょうか?」
シェリーに言われてカール王太子は考えた。はたしてスティーブと戦って勝てるだろうかと。そして、勝てるという結論になった。もちろん、それは脳内で都合の良いシミュレーションをしたからである。
カール王太子はスティーブの活躍を話半分だと思っていた。なぜなら、本当にそんな力があれば、自分ならとっくに大陸を征服して大帝国を作っているからである。
まさかスティーブがそんな気持ちが全くなく、領地の経営を黒字化したいだけとは思ってもみなかったのである。
「我が国の兵士たちは精鋭ぞろい。弟君がどんなに強かろうとも、個人対国では結果は火を見るよりも明らか」
「その精鋭が我が弟に対して何分もつのかが楽しみです」
「逆であろう。我が愛しの君の弟であろうとも、我が国に攻め込んでくるなら容赦はしない。精々命のあるうちに降伏するように説得することだ」
カール王太子はシェリーの言うことが冗談だと思っていた。そして、スティーブの実力を思い知ることになるのはもう少し後のことであった。
いつも誤字報告ありがとうございます。