130 相変わらずの冤罪
メルクールとユピターがアーチボルトラントに来た翌日、スティーブは彼女たちと再び会うことになった。それは異端調査部門のトップであるゾンネの危険を排除するため。
教会で暮らすことになった彼女たちに会いに行くと言うと、ナンシーも護衛のために一緒に行くと言い出した。護衛するのはスティーブ本人ではなく、彼の貞操であるが。
スティーブからは恋愛感情ではなく、信仰の気持ちだからユリアみたいなものだよと言われていたが、妻二人はそのユリアの態度も気に入らなかったので、そういうことになった。クリスティーナは安全を優先してお留守番である。
ナンシーは教会でメルクールとユピターを見た瞬間に、これは危険であると感じた。実力、外見、信仰心のすべてが危険だと感じたのである。ベラからは報告を受けていたが、実際の二人を見てその危険度が最上級であると認識できたのである。
なお、ベラは良くも悪くも脚色をしていない。
スティーブは二人にナンシーを紹介した。
「妻のナンシー。この町の治安維持をお願いしているから、面通しをしておこうと思ってね」
という理由であった。
旅人は多数いるのだが、住民となると実はまだそんなに多くはない。ナンシーがその全員を覚えられるくらいには少ないのだ。そこに新たに加わる二人も覚えたいといえば、至極当然の理由に聞こえた。
メルクールとユピターはスティーブの命を狙ったことをナンシーにも謝罪した。その件についてはナンシーも許す。ただし、次に手を出したら承知しないと言った。もちろん、手を出すというのは命を狙うだけの意味ではないのだが、二人はそういう意味にしか捉えていなかった。
残念なことにナンシーの真意は伝わってなかったのである。
それはそうと、本日の目的を果たそうと、スティーブは二人にゾンネのことを訊こうとしたが、先にメルクールから質問されてしまった。
「スティーブ様、昨日私の右足を金に変えたのも神の決めた法則なのですか?」
その目は期待と尊敬に満ちていた。
が、ナンシーの目は疑いに満ちたものとなる。
「スティーブ様?名前で呼ぶことを許可したの?」
「あ、うん。ほら、ユリアたちと同じ扱いでっていうから」
「随分と親しい間柄になっているようね」
そんなナンシーの厳しい目線に、メルクールは悪意なく答える。
「愛は誰に対しても平等なのです」
「ほら、宗教的な意味だから」
とスティーブは付け加えた。
ジト目のナンシーがどこまで信じたのかはわからないが、話を進めるためにメルクールの質問にこたえることにする。
「そう。神は陽子の数で物質が何であるかを決められた。水銀の陽子は80個。金は79個。つまり、水銀から1個の陽子を抜き取れば、それは金になるんだ。これは神の決めた絶対の真理なんだ」
「神の真理、素晴らしいお言葉です。しかし、どうして神はそれを人に伝えなかったのでしょうか?」
「そこには人では理解できない神のお考えがあるはず。それを知ろうとするのが修行なんだろうね」
「昨日、あの後ずっと聖女様とお話ししたのと同じことですね。私は今までずっと勘違いをしてきました。教会は神のお考えが伝えられていると思っておりましたが、まだまだ私たちに伝えられていないこと、間違っていることがあるのだと知りました。これから真のお言葉、お考えがなんであるかを研究していくことがこれまでの贖罪」
「そうだね。ともに真理の研究をしようじゃないか」
「はい」
ともにというところでナンシーの眉毛がピクリと動いて、ベラは何やってるんだかと呆れた。
まあそんなことはあったが、メルクールの質問が終わってスティーブは本題に入る。
「僕はこれから異端調査部門の考えを正して来ようと思うんだ。でも、話し合いで解決しない場合があるから、相手の能力を教えてもらいたいんだけど」
その質問にはユピターが答える。
「部長のゾンネの魔法の属性は火の魔法。魔法を使わなくとも、剣の腕前はイエロー帝国のスートナイツのエースと同格。その他には主要なメンバーが7名おります。全てが魔法使いであり、個々の戦闘能力はゾンネには及びませんが、我らと同等です。魔法が主体の攻撃となりますが、剣の腕前も中々のものです」
主要なメンバーは土属性のヴェーヌス、エルデ、ザトゥーン。火属性のマルス。聖属性のウラヌス。水属性のネプトゥーン。毒属性のプルートだという。全員が男であると聞いて、スティーブとナンシーはホッとした。
ついでではあるが、メルクールは水銀属性、ユピターは雷属性である。
なお、名前はコードネームであり、異端調査部門に所属した時に世俗の名前は捨てる。引退した時にはホーリーネームを新しくもらえるというのだが、今回メルクールとユピターはその扱いがどうなるかは未定だ。なにせ、異端調査部門の部長命令を無視しているわけで、引退という扱いになるのかどうかもわからない。
「正面から乗り込んで説得は難しいか。精神系の魔法も効かないよね」
「魔法の効果を打ち消すためのマジックアイテムについては、任務で動くとき以外は持ち出し禁止となっておりますので、余程こちらが攻め込む情報でも漏れていない限りは、迎え撃つ準備をしていないと思いますが」
異端調査部門は常在戦場というわけではなかった。そのため、聖国にある本部に乗り込む時に、その動きを察知されなければ、無防備の相手を攻撃することが出来る。メルクールとユピターの失敗の情報が伝わっていない今がチャンスなのである。
一応いまのところスティーブが考えているのは無力化と説得なので、いきなり攻撃して殺すようなことはしないつもりだ。メルクールのように拘束を抜けるような魔法を持った者はいないということなので、いつものように土魔法で拘束して説得する時間が出来ればいいなと思っていた。状況的に見れば説得ではなく脅迫なのだが。
攻略方法を考えているスティーブに。ナンシーは教皇による説得を提案した。
「旦那様、異端調査部門とはいえ、フライス聖教会の中の組織。教皇に説得をお願いし、それに応じなければ神敵になると言われれば、考え直すのではないかな?」
「カルトはそうなると変な団結力と、さらなる先鋭化をしてくるから困るんだよね。部下たちも周囲が理解してくれないから、自分のことをわかってくれるのはこの部署だけとか感じるんだよ。それを悪用してわざと他部署で極論を言わせ、教会の中でも批判されるというのを経験させて、自分の居場所がここにしかないと思わせることで団結力を強化するなんてのもあるからね」
スティーブが言うのはカルト宗教の信者の団結力を高める手段である。しばしば世間から批判されるようなことをするのは、そうした自分たちの主張をわかってくれるのはカルト宗教だけだと認識させるためである。
そんなことから、教皇による破門か恭順かを迫るやり方は、更なる暴走があるのかもしれないと思っていた。
「それじゃあスティーブならどうするの?」
「相手との妥協点を探すために会話するよ」
そうはいっても、妥協点を見つけられるかはわからない。非常に頑固な職人たちとの経験でも、相手は1ミリも譲るつもりがなく、交渉にならなかった経験があった。わからずやほどすべての要求を呑ませようとする。交渉にならないのだ。
本来なら襲撃失敗の情報が伝わっていない今、すぐに乗り込んで説得したいところだが、少し考えをまとめてからにしようと思った。
教会から出て、ナンシーに
「ダフニー殿との稽古を忘れてはいませんよね?」
と言われ、そのことをすっかり忘れていたスティーブは、しまったという顔をした。
「ああ、今日だったね」
「忘れてましたよね?」
「うん」
今でもダフニーの稽古は継続しており、ナンシーがダフニーの相手をしている。スティーブはこのところの水銀の実験で色々なところから声をかけられており、忙しさからつい稽古の日を忘れていたのだ。
「仕事に加えて襲撃ですから、お忘れになるのもしかたありませんね。妻として支えられるのは少ないですが、せめて私の知っているスケジュールくらいはお伝えいたしますよ。それに、仕事から離れられるのは、ちょうどよい気分転換になるのではないでしょうか」
「ありがとう。助かるよ」
ナンシーの内助の功に感謝して、スティーブはダフニーのところに転移した。
本日は休暇日であるダフニーは、自宅でスティーブたちを待っていた。到着すると心配そうな顔を見せる。
「昨日教会で襲われたと聞きましたが、ご無事なようで」
「まあ、あの程度の相手なら後れをとるようなことはないよ」
教会での襲撃事件については、公にはされていない。ただ、国王には報告が行っており、昨日は勤務だったダフニーの耳にも入ったというわけだ。たとえ休暇だったとしても、教会の一部勢力がカスケード王国に牙をむいたとなれば、近衛騎士団長の耳には入ることになっただろうが。
「解決はされたので?」
「根本はこれからかな。襲撃してきた二人は説得して改心してもらったけど」
「王都のど真ん中で貴族への襲撃ですから、どう判断しても死罪は免れないのですが、改心で赦されるとはずいぶんとお心がご寛大なようで」
「敵対者を毎回殺していたら、死体の山の処理が面倒だよ。それに、まともな神経じゃいられない。一人殺せば殺人者だけど、百万人殺せば英雄だって誰かが言ったみたいだけど、英雄って呼ばれているやつは精神異常者だね。一人の死は悲劇であるが、それが万を越えれば統計としか感じられなくなる。ま、僕も今まで殺してきた相手のことを考えていたら、何もできなくなるだろうからやってない。そういう意味では既に異常者なのかもしれないね」
ダフニーはまた新しい女ですかという意味で言ったのだが、スティーブから返ってきた言葉が思いの外重たかった。そのため、すぐに何かを言うことが出来なかった。
スティーブは言い過ぎたかなと反省して、話題の方向の修正を試みる。
「今回の黒幕は襲撃者の上司らしいんだけど、彼をどうやって改心させるか悩んでいてね。せっかく生まれ変わろうとしている教会の邪魔をさせたくはないんだ」
「どうしてその上司は襲撃を計画したのでしょうか?」
「今までの教義を変えられたくないんだって」
「であれば、過去の教義と新しい教義で作る未来が違うことを見せれば、きっと考えを変えるのではないでしょうか」
「そうか」
スティーブはダフニーの言葉でやるべきことが見えてきた気がした。
表情が途端に明るくなったスティーブであるので、ダフニーはその気持ちの変化に容易に気づく。
「解決の糸口の一助となれたようですね」
「ありがとう」
「差し支えなければどのようなことをお考えになったのか、教えていただきたいのですが」
「黒幕に過去・現在・未来を見せて、今のまま行けば悲惨な未来を迎えるとわからせようと思うんだ。ほら、それって神様っぽいでしょう」
スティーブが考えたのはゾンネに幻覚で過去・現在・未来を見せて、教義を変えなかった場合には酷いことになるというのを認識させようというものだった。
神様っぽいと言ったが、根底にあるのは海印三昧、仏となって全てが見通せるという思想からであり、つまりは神ではなく仏なのだ。まあ、そんな説明をするのも大変なので、全知全能の神なら出来るという認識に甘えて、そういうことにしているのだった。
「さっそく行ってくるね。すぐに帰ってくるから」
そういうと、スティーブは聖国へと転移した。
残ったダフニーとナンシーはお互いの顔を見る。
「置いていかれましたね」
「妻の私も中々隣には立たせてもらえませんので」
ナンシーが妻のというマウントをとると、ダフニーも負けじと言う。
「私のアドバイスから、糸口をつかまれたようでしたね。これはもう内助の功といっても過言ではないかと」
「過言でしょう。どうやら、本日の稽古は手加減が不要なようで」
「元から手加減は不要でしょう」
ダフニーとナンシーの間には見えない火花が、グラインダーで鋼を研磨するときのようにバチバチと飛んでいた。
いつも誤字報告ありがとうございます。