129 新たな狂信者
スティーブは転がっているメルクールの首を覆うガラスの瓶を作った。水銀となったメルクールはガラスの瓶を壊そうと、瓶の内側から顔の形を変形させて、円錐状の触手で攻撃してみたが、ガラスの瓶に傷をつけることは出来なかった。
スティーブはガラスの瓶を拾い上げると、笑顔で話しかける。
「強化してあるガラスですから、そう簡単には壊れませんよ」
メルクールの攻撃の威力はそんなに強いものではない。彼女は体を水銀にすることにより、物理攻撃を無効化して敵に近づき、防具の隙間から刺突して敵を倒すという方法で今まで任務を果たしてきた。そんな彼女の攻撃は柔らかい人の肌を貫くことは出来ても、スティーブの作った硬いガラスを貫く程の力は無かったのである。
「さて、魔力が切れる前に胴体と頭部がくっつかないと、このまま元の姿に戻りますから死んじゃいますね」
スティーブは悪魔の笑みとなる。
作業標準書で確認した結果、急所としてそういう記載があった。水銀化の魔法は質量を新たに作り出せるわけではない。少しでも欠ければ、元に戻った時にその分の質量を失う。
水銀化を維持するのに魔力を消費しているため、永遠に水銀となっていられるわけではない。ガラスの瓶から抜け出せず、ユピターも拘束されている状態では詰みであった。
「水銀化したメルクールの体に物理攻撃が効くはずない!」
事実を受け止められないユピターが、スティーブに向かって怒鳴った。
スティーブはユピターを残念な子を見るような顔で見た。
「確かに液体の彼女への攻撃は通用しませんでしたが、冷やして凍らせれば物理攻撃も通用するんですよ。水銀はおよそマイナス40℃で固まりますから、そこまで冷やせばいいだけです。氷の弾丸を彼女の体内にとどめたのもそのため」
水銀は常温では液体の金属である。しかし、融点があり冷やせば固まる。メルクールの魔法で作り出す水銀も例外ではなく、そうした物質としての水銀の性質を持っていた。スティーブはそれがわかっていたので、凍らせて斬るという作戦を実行したのである。
メルクールはスティーブの説明を聞いて納得した。入国前に思っていたスティーブが幻覚の魔法で人を騙しているなどということは無いのではないか。そして、自分とユピターの攻撃が全て読まれて通用しないのは、本当に使徒様なのではないか。本当に使徒様であれば、自分たちは取り返しのつかないことをしてしまったのではないかと考え絶望していた。
絶望に打ちひしがれるメルクールであるが、スティーブはそんなメルクールの入ったガラスの瓶を地面に置くと、さらなる行為で彼女を絶望へと導く。
「さて、それでは本日の本来の目的である水銀から金を作るというのをお見せいたしましょう」
スティーブはそう言うと、メルクールの右足を凍らせて切断し、右足部分の水銀を金に変えた。
一瞬で金に変わった自分の右足にメルクールは驚愕と絶望を覚えた。なぜ絶望したかといえば、水銀から別の物質に変化したものが、元の体に戻るかどうかわからなかったし、多分元には戻らないだろうという予感がしたからである。
そして、その予感が正しいことをスティーブに告げられる。
「さて、こうして金が出来上がったわけだけど、水銀化の魔法だと別の物質に変わったものは元には戻らないんだ。だから、首をガラスの瓶から出して胴体にくっつけたとしても、右足は失うことになる。これを他の部位にもやったらどうなるかな」
この時、メルクールはスティーブが使徒であると確信した。その確信は間違いなのだが、目の前で起こったことは使徒であると確信するに十分なことだったのである。
なお、一瞬で水銀が金塊に変わったのは、魔法で作り出した水銀がすべて同じHg-198であり、同位体ごとに金に変換する必要がなかったためである。
メルクールはガラスの瓶の中で水銀の涙を流した。
「申し訳ございません、使徒様」
そう謝罪するメルクールに対し、ユピターは困惑する。
「メルクール、どういうことだ?」
「水銀から金を作るというのは嘘ではなかったのです。そして、我らの攻撃は全てその仕組みを把握されており、無効化されてしまいました。我らは神の代行者であり、その攻撃は悪魔にでも届くけど、それが届かないのは神だけ。つまり、このお方は神が地上に遣わした使徒様なのです」
スティーブは随分と飛躍した考えだなと思ったが、そう考えてもらえるなら戦いは終わりそうだと考えて、否定することはしなかった。
そして、ガラスの瓶に穴をあけてメルクールを外に出す。
メルクールはスティーブの行動に驚いた。
「私を外に出していただけるのですか?」
「魔力が尽きる前に戻しておかないとね」
メルクールの魔力にはまだ余裕があったが、感情の揺らぎによって魔法が解除された場合、即死してしまう。スティーブはその可能性を嫌って彼女の首を瓶から出したのだった。
ベラは相変わらず甘いなと思って、スティーブの後ろでため息をつく。
メルクールは凍った箇所を避けて、胸のあたりから元の体にもどり、そこから人の形を作り直す。
「水銀化の魔法を解くときは教えて欲しい。右足を治すから」
「そんなことも出来るのですか!?いや、使徒様なら当然ですね」
メルクールは驚いたが、すぐにスティーブが使徒であることを思い出して納得した。その納得も勘違いなのだが、スティーブも否定はしなかった。
そして、元の体に戻る。
失った右足の部分から出血するが、すぐに魔法で右足を再生されて、地面に赤い血の跡だけが残って右足を失った過去を伝えるのみだった。右足だけを見れば、失ったなどとは誰も信じないだろう。
その奇跡を見せられ、メルクールはスティーブに対して尊敬のまなざしを向ける。それはユリアと同じものであった。
そんな彼女を見て、ユピターはメルクールに呼びかける。
「メルクール、騙されるな!」
「黙りなさい、ユピター。不敬です。不敬とは何事ですか。我らには精神系の魔法が効かないことはわかっているでしょう。つまり、目の前で起こった奇跡は現実なのです。この金塊は本物であり、それを否定するというのであれば、貴女が悪魔に魅入られたということではないですか」
メルクールは自分の元の右足を拾い上げて、ユピターに見せつけるように体の前に突き出した。
ユピターもスティーブが幻覚で騙していることはしていないとわかっていながらも、それを受け入れることが出来なかったのである。元々の神の教えが変わってしまうのは、それまでの自分を否定されるようで納得できないというのは今でも変わっていなかったからである。
その点、メルクールはスティーブの起こした事象を受け入れるのに、そこまでの抵抗がないので使徒であると直ぐに信じることになったのだ。
「使徒様、不敬なユピターの首を私が落とします」
「いや、そこまでしなくとも」
メルクールは決意に満ちた目でスティーブを見た。そこには一欠けらの冗談も混じっていない。
スティーブの感想は狂信者だった。ちょっと前まで生死を共にした仲間であっても、神敵とみなせば一切の迷いなく殺せる。
「よろしいのですか?」
そう言うメルクールの目には不満も安堵もない。スティーブの意のままに動くという気持ちだけであった。
「うん。その代わり、どうして僕を狙ったのかを教えて欲しい」
「承知いたしました」
メルクールは異端調査部門のトップであるゾンネの指示で、スティーブの排除のためにカスケード王国を訪れたことを話した。ゾンネははっきりとは言わなかったが、最近の教義の見直しが気に入らず、その中心人物であるスティーブを排除したかったのだろうとも話した。
「そういうことか」
「ユピターの考えはゾンネ部長に近いです。お命じくだされば、ユピターの首と一緒に、ゾンネ部長の首も使徒様の前に並べますが」
真顔でメルクールは提案した。
「その、ゾンネ部長って強いの?」
「異端調査部門の中では実力も一番上です」
「じゃあ、首を獲れないんじゃないかな」
「私の信仰心があれば、神が味方してくれます。あちらは異端、神敵ですから問題ありません」
それはたぶん問題あると思うよとは思っても、言えないスティーブであった。なので話題を変える。
「どうして教会で待ち伏せして襲う計画を立てたの?家族を人質にとったり、王立研究所の職員を巻き込んだりすれば、僕はもっと苦労したと思うけど」
「それは、神敵を討つのに我が信徒を犠牲にしたくないからです。調べた結果では、ご家族は聖女様の説法を定期的に拝聴されており、また、研究者も神を否定するつもりもなく、休みの日には教会に足を運ぶ者も多いとありました。そのような者たちを巻き添えにすれば、神は悲しむだろうと考えたのです」
調査部門というだけあって、事前の調査も行っていた。そこで関係者はスティーブの悪影響を受けたり、仲間だったりする可能性を調査したが、きわめて一般的な信者であるという結論だったのである。
なので、スティーブ以外は最初から排除の対象にはなっていなかった。だから、スティーブだけを攻撃できるような状況を作り出したのである。
「いたずらに被害を出さないようにする気遣いが素晴らしいね」
「お褒めいただき恐縮です」
「折角だから、どうして僕が教義の見直しをしようとしているかを話そうか。教主の存在は知っている?」
「教主とは?」
メルクールは教主を知らなかった。教主の件は上層部だけの秘密となっており、異端調査部門のトップであるゾンネは知っていたが、部下たちはそれを知らされていなかったのである。
スティーブはメルクールの反応を見て、やはり知らなかったかとため息をついた。
「そこが誤解の始まりだね。教義っていうのはフライス聖教会を作った教主と、その後の利権に目がくらんだ者たちが作ってきたものだ。教主っていうのは死霊魔法を使うアンデッドモンスターだ。三千年前の亡国の王子のなれの果てだね。彼が亡国の復興のため、死者の軍団を作ろうとした隠れ蓑がフライス聖教会だったんだ。だから、教義は全てが真の神の言葉を伝えた物ではなかったんだよ。だけど、それは神という存在がないというものではない。だから、今本当の神の言葉がなんであるかをもう一度見直しているっていうわけ。こんなことが広まれば、教会の存在自体が無くなりそうだから、上層部だけが知っていることだけどね」
「そんなことが」
メルクールは真実を聞かされて愕然とした。今まで自分が神の教えに反するとして始末してきた者たちは、実際には神の教えに反していなかった可能性が非常に高いのだ。罪の意識が海溝の底にかかる水圧のように重くのしかかってくる。
「まあ、これが事実だ。神は間違えないが、人間には神の考えが正確に伝わらないこともある。だから見直そうというのだけど、今まで正しいと思っていたことを見直すことに抵抗がある人の気持ちもわかるよ」
スティーブは前世の会社のベテラン職人を思い出した。彼らは今までの自分の仕事に絶対の自信があり、じつはそれが間違っていたとなると、その事実を中々認めようとせずにへそを曲げるのだ。特に、彼らよりも腕の悪いスティーブがそれを指摘すると、絶対に言うことを聞かなかった。殺そうとしてくることはなかったが。
教主という教会の闇の真実を知りながら、なお変革を嫌うゾンネは排除すべきかなとスティーブは思って、ユピターを見つめた。彼女はどうなのかと。
「さて、ユピターだったかな。貴女はどうする?この事実を知ってもなお、教義の見直しには反対して、それを力で封じ込めるというのかな?」
スティーブの質問にユピターは真っ青な顔で何も言えずに黙ったままだった。
メルクールは心配して話しかけた。
「ユピター、今ならまだ赦されるよ」
「私は、私にはわからない……」
蚊の鳴くような声でユピターはやっと言葉を発した。
そんなユピターにスティーブは提案する。
「しばらくユリアのところで自分を見つめなおしてみるかい?彼女は聖女だ。貴女の悩みを聞いて導いてくれるかもしれないよ」
「ユピター、一緒に行こうよ」
メルクールはユピターを誘う。悩んでいたユピターであったが、メルクールに誘われたとあって首を縦に振った。
ユピターも折れたことで、ひとまずカスケード王国にやってきた刺客の問題は解決した。
二人の拘束を解いてベラも含めた四人でユリアのところに転移して、事情を話して預かってもらうことにした。期間はゾンネの排除が出来るまでだ。
二人を預けた後で、ベラがスティーブに話しかける。
「やっぱり女に甘いわね」
「いや、たまたま送り込まれた刺客が若い女の子だっただけだよ」
「クリスとナンシーには報告するけど」
「事実のみを伝えてほしいんだけどね。それに訳アリの二人を領地で預かるわけだから、事情を話さないわけにはいかないよ。脚色は絶対にしないでね」
スティーブは絶対にというところをとても強調した。メルクールとユピターはどう見ても美人であり、妻たちが余計な心配をするのが目に見えていた。
いや、余計な心配と思っているのはスティーブだけであり、周囲は当然の心配なのである。過去の実績を見ればそれは一目瞭然である。
「相手の親玉は男みたいだし、それも生かしておけば少しは信じてもらえるかもね」
「生かしておくかどうかは危険性だよ。改心もしないで常に狙われるなら生かしておけないし、実力が伯仲していれば手加減する余裕もないから。ナンシーに言うと傷つくから言えてないけど」
「それが誤解の元なんじゃない」
ベラの指摘するように、スティーブがスートナイツのソード騎士団で唯一生かしておいたのがナンシーである。それはナイトの時も余裕がなかったし、キングとエースの時も余裕が無かったからであるが、じゃあ、ナンシーが弱かったから余裕があったとは言えていないのだ。非常にタイミングが悪かったのはある。ナイトの時は相手を味方につける手段がなかった。キングとエースは二人がかりで攻めてきた。ナンシーの時だけ仲間にするだけの余裕と手段をもっていただけなのである。
ただし、それを上手に伝えられる気がしないので、言えていないのだ。
そして、今回もそんな機会はなく誤解を生むことになるのだった。
いつも誤字報告ありがとうございます。