127 異端調査
スティーブが水銀から金を作った話はフライス聖教会にも伝わる。
カスケード王国教区の司教であるイートンが、スティーブの実験をその目で見て、神の奇跡とも思えるその結果を聖国に報告したのだった。
過去の聖典では神が無から金を作ったという偉業が記されているため、やはりスティーブは使徒であるという認識が広まったのだが、それに異を唱える者たちがいた。
フライス聖教会内部の組織で最も保守的な思想を持った部署、異端調査部であった。異端調査部は教義に反する異端者の調査や、異教徒との戦いが主な任務であり、軍事力も保有しているのである。
そこの部門長であるゾンネは部下たちを集めていた。ゾンネは中年男性であり、白髪交じりのブラウンヘアーであり、身長は190センチと大柄であり、軍事力を持った部門を統括しているだけあって、筋骨隆々としていた。部下たちを前に言う。
「神は無から金を作った。しかし、使徒様にはそんな能力があるという記録は無い。現在使徒様として認定されている者が水銀から金を作ったというが、これは民衆を惑わす悪魔なのではないか」
ゾンネは教義を変えようとするスティーブが気に入らず、その存在を排除しようと考えたのである。勿論、使徒などであるはずがないと思っていた。
「調査する必要がありそうですね」
部下の一人がこたえた。
「そうだ。我らの仕事は異端、異教、悪魔の調査。すぐにカスケード王国に行き、これを調査するように」
悪魔の調査については、その方法は確立されていない。単に教会が悪魔と認定すれば悪魔となるのだ。魔女狩りのようなものである。
「適任はメルクールか。ユピターと共にカスケード王国に行き、すぐに使徒を調査するように」
「承知」
指名されたメルクールとユピターは頭を下げた。
メルクールは翠髪の若くかわいらしい女性であり、ユピターはブラウンの短い髪に高身長で、歌劇団の男役という表現がぴったりあうような外見であった。
二人ともが魔法使いであり、単独で神の敵を滅ぼす能力を持っている。
二人とも若くして異端調査部門に抜擢されたのはそういう理由があった。つまりは、調査といいつつも滅ぼすことが前提なのである。
二人は旅の準備をしてカスケード王国に向かうことになった。国境までの馬車の中は二人きりである。メルクールがユピターに話しかけた。
「使徒が水銀から金を作ったというけど、どういう手で民衆を騙しているのかしらね」
「イートン司教や聖女様の話では、幻惑の魔法を使うということだから、見ている者を幻覚で騙しているのだろうな。あの拝金主義の教皇を排除してくれたのは感謝しているが、聖女や現在の教皇をたぶらかして、教義を変えようというのは許せん。神の御言葉が変わるわけないのに、それを見直せというのが気に入らなかった。いつかこの手で仕留めようと思っていたからちょうどいい」
ユピターは教義を変えようとする動きに我慢がならなかった。それは神の言葉を伝える人間が間違うこともあるという理屈を提示されても、納得が出来るようなものではなかったのである。
なので、スティーブをどうにか始末したいと考えていたが、教会の上層部が使徒認定している人物を始末したとあっては、部門に迷惑をかけると思って我慢していたのだった。
それが今回上司の命令という形になったので、内心ウキウキとしていたのである。
「神の御言葉は不変。それを否定するものは悪魔だ」
拳を強く握りしめるユピターを見て、メルクールは心配になった。
「ユピター、確認もしないで攻撃するのはやめてね」
「状況はすでに悪魔であると物語っているではないか」
「神の御言葉の否定ではなくて、水銀から金を作ったという詐欺疑惑だからね」
「メルクールは考えが硬いんだよ。殺してから証拠を探すなら、相手に邪魔をされることはないだろう」
ユピターは外国のマフィアのような考えをしている。某国のマフィアは強盗をするときに、まずは相手を射殺する。そうすれば、抵抗されることなく金品を物色できるというわけだ。交差点で赤信号で止まると、ボニーとクライドのように、待ち構えていたマフィアからの一斉射撃をくらうので、赤信号でも止まらずに交差点に進入するのが常識となっている。
そんな考え方に酷似しており、非常に攻撃的である。その点、メルクールはまだ常識的だった。ただし、異端調査部門が敵と認定したものには容赦がない。幼児や妊婦も躊躇なく殺してきたのである。
しかし、それは快楽殺人ではなく、あくまでも任務に忠実だというだけなのだ。
異端調査部門の動きは非公開であり、教会内でも現在何を調査しているかは知らされない。それは教会内の異端調査も任務に含まれるからである。教皇ですらその動きをつかめないため、今回の件も知る者はいなかった。
しかし、ユリアに天啓が来たことで、ユリアは異端調査部門の動きを知ったのである。彼女はこれをスティーブに知らせようとしたが、本人は王都でほとんどの時間を過ごしており、すぐに会うことが出来なかったのである。そのため、まずは手紙をしたためて王都に送り、また、屋敷と工場にスティーブが戻った際にはすぐに連絡が欲しいと伝言をお願いしたのである。
その結果、手紙がスティーブに届くよりも先に、工場に顔を出したときにベラから伝言を受け取ったのだった。
「スティーブ、聖女が会いたいって。直接伝えたいことがあるらしい」
「いつの話?」
「昨日」
「なんだろうね」
「どうせまた神様の話でしょ」
スティーブは何度もユリアと神の教えについて話し合いをしており、教義を科学とぶつからないように調整をしてきた。ベラはそのことから、今回もそれだと思ったのである。
ユリアにしても、スティーブに対して教会が刺客を送り込んだなどということを、本人以外に言って広められたくないので、伝言では直接会いたいとしか言わなかったのだ。
「そうか。じゃあ行ってくるかな」
「わかった。クリスとナンシーには黙っておく」
「やましいことは無いから」
スティーブはベラの妙な気遣いに苦笑した。そしてユリアのいる教会へと転移する。
ユリアとカミラはスティーブの来訪ににっこりとほほ笑んだ。そして、教会の奥の部屋で天啓があったことを告げられる。
「実は天啓がありました」
ユリアの告白にスティーブの眉がピクリと動いた。
「どのような?」
「教会の異端調査部門が動いたと。そして、その狙いはスティーブ様であるということです」
「異端調査部門?」
スティーブは聞きなれない部門名に、その説明を求めた。
「宗教的に好ましくない人物や集団を調査し、場合によっては武力で排除するための組織です。異端、異教、悪魔などに対応するべく組織され、その動きは聖女である私や教皇でも掴むことが出来ません。複数の魔法使いも抱えており、その力は絶大です」
「カミラのような聖騎士とは違うのかな?」
「はい。聖騎士は改宗するならば命までは取りませんが、異端調査部門は改宗するかどうかを確認せずに命を奪います」
ユリアの言葉にカミラがこくんと頷いた。スティーブは額に手を当てる。
「そんな組織が僕を狙っていると」
「ええ。表向きには調査ということでしょうが、天啓は狙われているというお告げです」
スティーブはそう言われて狙われる理由を考えた。しかし、特に思い当たるようなことは無かった。
「死霊魔法の件であれば、動きが遅すぎるしなんで狙われるんだろうね」
「最近であれば水銀から金を作ったという偉業ではないでしょうか。聖典には神が無から金を作ったという記述がありますから。その記述と偉業のことで、何か思うところがあったのではないでしょうか。特に彼らは保守的であり、最近の教義の見直しを快く思ってなさそうでしたし」
「まったく迷惑な。宗教が武力を持つと暴走するのはどこも同じか」
「信仰の自由を守るためにもった武力が、次第に自由ではなく組織を守るために行使されるようになってしまいましたね。申し訳ございません」
ユリアはスティーブに謝罪した。
「いや、それはユリアのせいじゃないよ。しかし、異教に対しても攻撃するとなると、その信仰の自由を認めていないじゃないか。自分たちだけの特権ではないはずだよ。そんな組織は見直した方がいい」
「そうですね。教皇と話し合ってみますが、なにせもっている力が大きいため、対処を間違えばこちらに牙をむいてくることでしょう」
「厄介な。それで、相手が送り込んできたのはどれだけの規模で、どんな能力を持っているのかな?」
「彼らの情報は私にもわかりませんが、天啓によれば水銀と雷に気を付けるようにとのこと」
「そこまで教えてくれるなら、全部教えてくれてもいいのにね。神様ってやつは出し惜しみをするねえ」
そういいつつも、スティーブは水銀と雷が何を意味するのかを考える。丁度水銀については今話題の金属だ。
気をつけようにも毎日それが近くに大量にある。それが襲ってくるとなると、気をつけようもない。
「情報ありがとう。神に感謝を伝えておいてほしい」
「その感謝はきっと届いているはずです。やっと神の存在をお認めになったのですね」
「まあね。天啓ってやつの情報を出している存在がいるのは確かだから。それが我々の認識する神であるかどうかという問題はあるけれど、神と表現するのがもっとも適切だと思うよ」
「もっと素直に神を敬っていいんですよ」
ユリアはスティーブの手を取って神に祈りを捧げることを迫る。その目は狂信的であり、スティーブはちょっと怖くなった。となりのカミラもそんなユリアとスティーブをにこにこしながら眺めている。
スティーブは急いで教会をあとにして工場に戻る。
「早かったね」
とベラが戻ってきたスティーブに声をかけた。
「まあね。身の回りに気をつけろって話だけだったから」
その後の神に祈りを捧げる話は割愛した。
スティーブからその話を聞いたベラは、笑顔になった。
「今度の敵はどこ?」
「なんでそんなに嬉しそうにするのさ」
「ほら、最近スティーブは王都で王立研究所の仕事ばっかりで、一緒に敵と戦うことが無かったじゃない。なんか私の存在価値がないのかなって不安だったの」
ベラは最近スティーブが剣と魔法で戦うことがなく、自分が必要ないのではないかと心配していたのだ。やっと敵がスティーブを狙ってくると知って、自分の価値が示せると嬉しくなったのである。
命を狙われるスティーブとしては、うれしいことなど何もないのだが。
「そんなに戦いたくはないんだけどねえ。誰かと戦わなくてもベラがいらないってことにはならないし」
「本当?」
「勿論」
スティーブとしては優秀な従士であるベラは家族の護衛も任せられる存在であり、平時であっても不必要などということはないのである。ただ、結婚や子供といった二人の関係を結び付けるようなものが主従関係しかないので、ベラが不安になっていたというだけだった。
上機嫌のベラが再びスティーブに訊ねる。
「それで、誰が敵なの?」
「フライス聖教会の異端調査部門っていうところ」
「あの聖女もまとめて仕留めればいい?」
「いやいやいや」
ベラがアーチボルトラントの教会の方を指さしたので、スティーブは慌てて否定した。
「まさか情がわいたの?」
「そういうわけじゃなくて、今回はフライス聖教会の一部門の暴走だよ」
「そう、残念ね。クリスとナンシーも喜ぶと思ったのに」
ベラのどこまで本気かわからない発言に、襟を正そうと思うスティーブであった。勿論、不倫や浮気の類いはしていないが。
「問題はその相手がどれくらいの規模で向かってきているかわからないことかな」
「どうせ聖国に本部があるんだから、まずはそこを叩けばいいじゃない」
「まだ戦うと決まった訳じゃないから、それは早すぎるかな」
「敵が攻めてくるのがわかっているなら、こちらから仕掛ければいいのに」
ベラは不満そうにするが、スティーブとしてはまだ話し合いの余地があるのではないかと思っていた。天啓は気を付けろというだけであり、先に攻撃すべしというものではなかったからだ。
実際にはメルクールとユピターは殺す気満々で向かっているのだが、スティーブはそれを知らないのである。
「で、天啓が水銀と雷に気を付けろって事だったから、雷雨の日は特に警戒だね」
「落雷に遭ったらどうするの?」
「魔法で鉄の箱をつくって、その中に入ろうか」
「そんなのでいいの?」
スティーブが言うのは、自動車に乗っているときに落雷に遭っても、中の人間が感電しないのと同じ仕組みである。
雷の電気は鉄の箱だけを伝わって地面に流れる。だから、箱の中にいて、鉄に触れていなければ感電することはない。
「クリスとナンシーにも情報を伝えたら、ベラには一緒に王都に来てもらう」
「わかった」
その後、スティーブは工場の仕事を片付けて、クリスティーナとナンシーにも警戒するように伝え、ベラと一緒に王都に転移した。
ベラは妻二人から新しい女が出来ないように監視してと特命を帯びていたのだが、スティーブはそれを知らない。
いつも誤字報告ありがとうございます。