124 事件の真相
ブレナン子爵に連絡が行き、両者立ち合いで蚊取り線香の検証をすることとなった。場所は王立研究所の講堂である。毒ガスの成分があるということで、中毒の危険を考えて広い場所にしたのである。
ブレナン子爵が立ち合いに呼んだのはアレックス殿下とカッター伯爵であった。派閥の領袖に立ち合いをお願いしたのである。
アレックス殿下とカッター伯爵はあくまでも中立だぞとブレナン子爵に念を押していた。これでスティーブの弱みでも握れればもうけものだし、ブレナン子爵が負けたとしても中立な立場を見せていれば、スティーブから恨まれることもないだろうという計算から引き受けていた。
それに対してスティーブの方はオーロラとイートンを連れてきていた。
王立研究所側はホリデイ所長が司会として出席している。
所長が検証開始の挨拶をした。
「それではこれより蚊取り線香による中毒死の検証を行います。これは神に誓って公正なものであると宣言いたします」
神に誓って公正であるならば、教会の司教であるイートンがスティーブ側にいるのもおかしいのだが、ブレナン子爵からは特に異論はでなかった。
「それではブレナン子爵から提供された蚊取り線香をここに」
所長の指示で職員が証拠の品である蚊取り線香を持ってきた。
「これをエマニュエル商会から購入したのですが、屋敷で使ったところ使用人が死んでしまったのです」
ブレナン子爵はそう訴えた。
スティーブは蚊取り線香を見ると、それが自分のところの製品でないことがわかった。
「これ、うちの製品じゃないんですけど、本当にエマニュエル商会から買ったものですか?」
「もちろんだとも。エマニュエル商会にも伝票が残っているはずだ」
ブレナン子爵はエマニュエル商会から蚊取り線香を買っていた。それはもちろん証拠づくりのためである。スティーブもそんなところでばれるような嘘はつかないだろうと、そちらについては今は議論をしなかった。
ブレナン子爵はまくしたてる。
「伝票が残っているのに、閣下の領地で作ったものではないというのは不思議な話ですな。証拠でもあるというのでしょうか?」
「勿論」
そう言って、スティーブは蚊取り線香の外周を指さした。
「この蚊取り線香の最大外径は150.971ミリなんですよ」
「それが?」
「うちの製品の最大外径の工程能力は2.73。中央値150ミリの規格に対して6σで見た時、理論上は149.758ミリから150.316ミリの範囲に収まるはずなんです」
スティーブが説明したのは製品の寸法のバラツキの範囲である。金型で作られる製品といえども、毎回必ず同じ寸法になるわけではない。スティーブはそのばらつきを測定し、それを計算式にあてはめて理論上の上下限値を計算していたのだった。
この工程能力という考え方は王立研究所でも共有されている。
しかし、ブレナン子爵はそれを知らない。
「どういう意味だ?」
「理論上のばらつきからしたら、この製品はあり得ないということです」
と所長が説明をする。
ブレナン子爵はそれを鼻で笑った。
「ふん。理論上だかしらんが、現実にこうして物があるではないか。製造する際になんらかの異常があったのではないか?」
それを聞いてスティーブはにっこり笑う。
「そうなんですよ。理論上はあくまでも机上の論理。現実にはそうでないことが多々起こる。なので、どこで異常が発生しているのかを確認できる仕組みがあるのですよ」
スティーブは自分の工場から持ってきた蚊取り線香を取り出して、みんなに見せた。ニックもうんうんと頷いた。
「うちの工場では八個の金型で、一度に十六個の製品を作っています。その金型のどれで不具合が発生しているかを確認できるように、製品に全て刻印があるのです」
八個の金型で同時に生産しているので、どこで不具合が発生しているのかわかるように、金型に数字がついており、それが製品に反転するようになっているのだ。1-1、1-2、2-1というように8-2までの刻印がある。
証拠品にはその刻印が無かったのである。
ブレナン子爵はそれを見せつけられると焦って声が大きくなった。
「刻印されないということもあるのではないか!」
「それは無いですね。金型で作っているからには、刻印がつかないということはありません」
スティーブは予備型を取り出して全員に見せる。押し出し型には数字がついており、取り外しが出来ないことがわかる。
ブレナン子爵はそれを見て言い返せなくなった。
今度はスティーブが攻める。
「ピレトリン、殺虫効果のある成分の致死量は成人で5グラム(※作品世界での設定です)。これは直接摂取の量であり、これを蚊取り線香で摂取しようとしたら、含有量からするとうちの工場の倉庫が火事になった時くらいでしょうか。もっとも、その時は火で焼け死んでいるでしょうけど」
「他の成分が混じっていたのであろう」
「ええ。証拠品には本来使われていない硫黄やリンが混じっていました。これらが燃焼して条件が揃えば、致死性の毒ガスが発生することでしょう。ここで燃やすわけにもいきませんが」
スティーブが成分を自分で調べた結果を報告する。
ブレナン子爵は勝ち誇ったように笑う。
「ほらみろ。俺は嘘など言ってない」
「それはまだわかりません。こちらの証拠品の含有量では一本二本燃やした煙を吸ったところで死ぬようなことはありません。亜硫酸ガスが発生するとして、その致死量は種類にもよりますが、おおよそ500PPM程度。それに対して含有されている硫黄の比率が5000PPM。これが煙となって空気中に混ざった場合にはさらに薄まって、2.5PPM程度になるでしょうね。健康に被害はあるかもしれませんが、殺そうとしたら直接食べるくらいのことをしないと駄目でしょうね」
スティーブが提示した条件に、ブレナン子爵は舌打ちする。そして、ちらりとアレックス殿下の方を見ると、殿下が失望した目で自分を見ていることに焦った。何とか状況を打開しようとする。
「しかし、使用人が死んだのは本当のことだ。検死の結果も出ているであろう」
「そうですね。この蚊取り線香で死んだわけではありませんが、彼女が死んだのは事実です。どういう状況で死んだのか聞くことが出来れば、犯人の狙いもわかることでしょう。ひょっとしたら子爵の命を狙っていた可能性もありますよ。僕が子爵の立場だったら、蚊取り線香の製造元をどうこうする前に、自分が狙われた可能性を調べますがねえ。当時の状況なんかも、検死の報告を読む限りでは証拠品は蚊取り線香しか確保してないじゃないですか」
「それもそうだな。うっかりしていた。あの使用人が生きていればもっと詳しく状況を訊けたものを」
ブレナン子爵はなんとか取り繕うようにとする。陰謀渦巻く貴族社会において、暗殺の危険性は常に付きまとう。特に、次期国王の座を王子たちが争うとなれば、それぞれの派閥の弱体化を狙った暗殺の可能性は頭に置いておかねばならない。
ブレナン子爵がそれを怠っていたことを指摘する。
「それでは本人に訊いてみますか?」
スティーブがブレナン子爵に訊ねた。ブレナン子爵はそれを一笑に付す。
「これはこれは、竜頭勲章閣下は頭がどうかされたのでしょうか。死人にどうやって訊くというのです?そのようなことが出来るのであればおめにかかりたい」
「よろしいでしょう」
スティーブが合図をすると、イートンが講堂の外に出る。そして、教会の関係者たちと一緒に戻ってきた。棺を持って。
棺を見たブレナン子爵は眉をひそめた。
「これは?」
「死んだ使用人の入っている棺です。イートン司教にお願いして持ってきてもらいました」
これは本物の棺である。スティーブがイートンにお願いして、準備をしてもらったものだ。
「さあ、彼女の話を訊いてみましょう」
スティーブがそういうと、棺の蓋が動いた。中に入っている人物が動かしたのである。そして、白い死に装束の若い女性が出てきた。顔は血の気がなく、真っ白である。ただし、フライス聖教会の教主が死霊魔法であやつっていたような、腐敗した肉体に、理性の失われた目というわけではなく、顔色を除けば普通の女性に見えた。
それを見た一同が言葉を失う。
「さて、貴女が殺された時の状況を教えてもらえますか?」
「苦しかった。臭い部屋に閉じ込められて、ドアを閉められた。助けてと言ったら子爵の命令だから死ねと言われた。どうして私が死ななければならなかったの?」
そう言いながらゆっくりと子爵に向かって歩いていく。
ここでアレックス殿下の護衛が剣を抜いて女性に斬りかかった。剣は彼女の胴を貫くが、彼女の歩みは止まらない。そして、凄まじい膂力で兵士を振り払った。
危険を感じたアレックス殿下とカッター伯爵は直ぐに講堂から逃げ出す。しかし、ブレナン子爵は足が震えて動けなかった。
彼女の手がブレナン子爵の首にかかる。
「どうして?」
「た、助けてくれ」
ブレナン子爵は泣きながらスティーブを見た。スティーブは肩をすくめる。
「本当のことを言えば助かるかもしれませんよ」
そう言われたブレナン子爵は泣きながら事実を話した。
「む、息子を殺したアーチボルトの父親が子爵になることなど許せなかったんだ。だから、偽の蚊取り線香を作らせて、それに毒ガスの成分を混ぜた。そして、同じガスで誰かが死んだということで糾弾しようとしたんだ。これが事実だ。助けてくれ」
「許せない」
彼女の目は怒りに満ちて、首にかかった手に力が入る。
すると、ブレナン子爵は気を失って粗相をする。床には子爵の排泄物が流れた。
スティーブはそこで女性を止めた。
「はいはい、そこまで」
スティーブに言われると女性の手から力が抜けた。ブレナン子爵は床に倒れて糞尿まみれとなる。
オーロラはこれについてはスティーブから説明を受けておらず、どういうことかと訊ねた。
「これは幻覚かしら?」
「いいえ。正真正銘の殺された本人です」
「殺された人間を生き返らせることが出来たのね」
「いや、生き返らせることは出来ないんです。死霊魔法で魂を呼び戻して肉体に一時的に入れただけ。体の腐敗を止めるのと、理性を保つのに僕の魔力を使っています。かなりの魔力を使うので、彼女にはそろそろ天に還ってもらわねばなりませんが」
スティーブは習得した死霊魔法の仕組みを把握し、理性を保ったままの状態にすることが出来るようになっていた。その対価は魔力なので、永遠にこの世にとどめておくことは出来ないが。
イートンに協力してもらい、死亡した使用人の墓を掘り起こして、彼女を一時的に呼び出したのが今の状況だった。
使用人はスティーブに頭を下げた。
「復讐とまではいきませんでしたが、私の死の真相を確認出来て良かったです」
「決着は僕の方でつけておく。もう君をこの世にとどめておくのは出来なくなりそうだから、報告はお墓にすることになるけど」
「閣下が私の主人であれば良かったのに。まだ、やりたいことだって沢山あっ――――」
というところまで言って、女性は動かなくなった。
「ここまでですね。もう少ししゃべらせてあげたかったけど、帰りの魔力がなくなりそうで」
スティーブは悲しそうに、床に倒れた女性を見た。
それを見ていたイートンたち教会の関係者は、スティーブに対して祈りを捧げる。
一時的とはいえ、死者の魂を呼び戻す奇跡を見せつけられたのだ。こうしてまた、教会の経典にスティーブの伝説が刻まれた。
アレックス殿下とカッター伯爵はその場にいなかったが、所長とオーロラ、それにイートンがブレナン子爵の証言を伝えると、特に反論することもなくブレナン子爵の罪を認めた。
この結果、ブレナン子爵は爵位をはく奪される。他の貴族を陥れようとした罪によってだった。使用人を殺した件については、それに関わった屋敷の者たちが処刑されたのみで、貴族が平民を殺すように命じたことについては罪に問われることは無かった。
そして、蚊取り線香による死亡事故が冤罪であったことにより、ブライアンの昇爵は予定通り行われることになった。
式典の後で、オーロラとスティーブが会場の隅で二人きりで話す。
「ソーウェル卿への謝礼はブレナン子爵の資産ということでよろしいでしょうか」
「いつもわるいわね。謝礼なんていいのに」
ブレナン子爵は平民となり、彼の持っていた特権と資産は没収となった。そして、迷惑料として資産はアーチボルト家に譲られたのだった。スティーブはブライアンの許可を取って、今回協力してくれたオーロラに全て譲ることにしたのだった。
「それでは辞退されるということで」
「そういう意地悪を言うと女性に嫌われるわよ」
「これ以上好意を寄せられる女性が増えると、妻たちに何を言われるかわかりませんから。いや、感謝しているんですよ。本当にありがとうございました」
ブレナン子爵をやり込めたあとで、オーロラが調べていた毒ガスの成分を売っていた犯罪ギルドをつきとめ、それを壊滅させていたのである。スティーブにとっては怖くない毒ガスも、家族を狙われたらどうにもならない。今回はブレナン子爵がスティーブを直接狙ってきたからよかったが、家族を狙われていたどうなっていたかと思うと、オーロラには感謝しきれなかった。
さらに、スティーブが蘇生魔法を使えるという噂も消してもらっている。そんな噂が広まってしまえば、故人をよみがえらせてほしいというお願いで長蛇の列が出来る。
そのお礼も兼ねて、資産の譲渡というわけだ。
なお、オーロラが得たのはこの資産だけではない。犯罪ギルドがスティーブに潰される前に、毒ガスの製法を入手していた。それが終わってからスティーブに情報を渡したのである。
「教会については手出しはできなかったけど」
「あー、そちらもなんとかしていただきたかったです」
イートンがスティーブの死霊魔法のことをユリアに報告したため、スティーブは使徒から神の子に昇格しそうなのである。そのせいで、以前にも増してユリアとカミラがぐいぐい迫ってきた。神の子の子を宿して、それを教会に欲しいというのである。それを見て、クリスティーナとナンシーがいい顔をしないのであった。
オーロラもその件を相談されたが、さすがに教会には手を出せなかったのである。
「今回は新しい女が寄ってこなかっただけよかったじゃない」
とオーロラが皮肉を言うと、スティーブは首を横に振った。
「それが、今回のきっかけとなった孤児のアンバーっていう女の子が、大きくなったら僕と結婚するって言ってるらしく、このまま大人になると将来の頭痛のたねですね」
「もてるわね」
オーロラはクスクスと笑った。
一方、派閥のメンバーであるブレナン子爵を失ったアレックス殿下とカッター伯爵は別の場所で密談していた。
「カッター卿、あれを何とかして手に入れられないか?」
「あれとは?」
「アーチボルト卿だ。死者の蘇生まで出来るのだぞ。それを手に入れれば、兄ではなく私が国王になれるだろう」
アレックスの申し出にカッター伯爵は困惑した。一時的に避難していたため、詳しいことは見てはいないが、あの使用人が動いていたのは間違いなくスティーブの魔法である。
それを味方にして、手駒にすれば王位は当然手に入るだろうが、そんなスティーブをどうやって味方に引き入れることが出来るというのだろうか。
金や女で釣ろうとしても、誘いには乗ってこないだろう。かといって、脅迫でもすればその末路は過去に敗れ去った貴族たちが教えてくれている。
「殿下、あれは劇薬です。飲めば身体が強化されるかもしれませんが、その激痛に耐えられなければ死ぬようなものです」
「わかっているさ。しかし、何もしなければ王位は兄のものだ。だったら賭けてみるしかないだろう」
アレックスの考えは追い込まれた者の一発逆転の発想であった。例えるなら競馬場で1レース目からずっと外れており、最終レースで全てを取り戻すために大穴に賭ける心境であった。
カッター伯爵は困った。伯爵はそこまで追い込まれていないから、そんな危ない橋を渡ることはしたくなかったのだ。
「一筋縄ではいかぬので、考える時間をいただけますでしょうか」
そう言うのが精一杯であった。
いつも誤字報告ありがとうございます。