123 市場不具合
ピレトリン及び蚊取り線香の効果は王立研究所でも確認された。そして、殺虫剤開発の功績を国王が評価して、ブライアンを子爵に昇爵する話が持ち上がった。
殺虫剤の発案はスティーブなのであるが、アーチボルト領の製品として売り出されているため、その功績はブライアンのものであるという理屈である。スティーブにこれ以上与えるものがないので、ブライアンを上げておこうというものであった。
ブライアンとしては息子の手柄で昇爵となるので、複雑な気分であったが、アビゲイルに男爵になった時もそうでしょうと言われて、最近では吹っ切れたのであった。
なお、領地の加増は特にない。そもそも男爵領二つを加増されており、子爵として持つ領地相当であったためだ。
国王ウィリアムからしたら、スティーブの脅威はあるといっても、つらい時から長年支えてくれたブライアンに報いたいという気持ちもあった。それに、メルダ王国の王妃の父であるため、もう少し高い爵位にしておいても良いかという理由もある。
ブライアンの昇爵の話を聞いたクリスティーナが、スティーブに提案する。
「お義父様の昇爵のお祝いを身内だけでやるのは如何でしょうか。大々的にやるものとは別で、極少人数でやるのもよろしいかと」
クリスティーナもアーチボルト家のアットホームな雰囲気が好きであり、他者のいない家族だけでのお祝いがあっても良いのではないかと考えていたのだ。
「クリス、それは良いアイデアだね。フレイヤ姉上とシェリー姉上の家族と僕たち。それで父上を祝うのはどうかと姉上たちに訊いてみるよ」
スティーブはすぐさま二人の姉のところに行き、クリスティーナの提案についての賛否を確認した。
その結果、二人とも賛成であり、家族の都合も確認したいから、日程を決めて欲しいと頼まれる。なので、帰宅するとクリスティーナを連れて、ブライアンにお祝いの話をした。
直ぐに候補日があげられ、再びスティーブは姉たちの元へと飛ぶ。そうして、お祝いの日時が決定した。
お祝いの当日はスティーブが転移の魔法をつかい、フレイヤとシェリーの家族を集めて、身内だけで昇爵のお祝いパーティーとなった。その席でブライアンは恥ずかしそうに挨拶をするのであった。
「この俺が気づけば子爵か。子供に恵まれたな。これ以上は望むべくもないが」
そう言ってシェリーとスティーブを見た。
スティーブは父に笑顔を見せた。
「これ以上となりますと、王父というのがありますね。ほら、王位継承順位一位の孫がいるじゃないですか」
「それだと俺は死んでいることになるだろう」
「それでは僕が国王となり、王の父となりますか?」
「目出度い席で頭痛に悩みたくないので、そういう冗談はやめてくれ」
ブライアンが額に手を当てていやがると、参加者がみんな笑った。家族以外が聞いていたら大問題であるが、今日は家族のみなので問題は無い。
「それにしても、今までは戦争終結の式典で大勢が昇爵したから目立たなかったが、今回は俺一人でとなると目立つなあ」
「国王陛下の誕生日のお祝いの式で、父上の昇爵の発表ですからねえ」
今回の昇爵については、特に何か大きな出来事があったわけではないので、国中の貴族が集まる国王の誕生日にあわせて発表することになったのだ。参加する貴族には、事前に話は伝えられてはいるが。
「一人だけとなると、やっかみもあるでしょうね。どんな事件が起きることやら」
スティーブがニヤニヤしながらブライアンを見る。
「お前が出掛けて巻き込まれるような事件に比べたらかわいいもんだよ」
「まあ、あれを越えるとなると、王城に隕石でも落ちてくるくらいなもんでしょうね」
「不吉なことを」
スティーブがあまりにもブライアンを脅すので、アビゲイルに怒られて不吉なことを言うのは止まった。そして、そこから楽しい談笑が続いて身内だけの祝賀会は終了した。
ただ、スティーブが口にしたせいなのか、ブライアンの昇爵はすんなりとはいかなくなったのだ。
ブライアンの昇爵を控えたある日、工場で仕事をするスティーブの元にシリルが走ってきた。
「大変です。蚊取り線香の煙を吸って死人が出たという報告が王立研究所から届きました」
スティーブはその報告を聞いてシリルに問う。
「それはうちの製品なのかな?」
不良の発生については、その発生源がどこであるのかが重要である。特に類似品が多く出回っている場合には、どのメーカーで製造したのかが重要であった。
前世でもスティーブは客から不良発生の連絡を受けて、自社の在庫の不良選別を実施し、客先にも出向いて客先の在庫の不良選別を実施した。そして、客から不具合現品を返却されてそれを見た時に、自社の部品でないことに気づいたというのがあった。アルミのブロックの切削品であったが、カッターマークが違ったのである。
そこで客に確認したところ、実は内緒で二社購買をしており、もう一社で生産した方の部品が不良だったということがあったのだ。
他にも混入防止のため類似品を別の会社で作っていたが、勘違いした客から不良の連絡を受けたこともあった。
スティーブの工場で作る蚊取り線香は、定期的に抜き取り検査を実施して、その品質を確認している。
少なくとも人が死ぬようなものは混入していたことはなく、通常の量の煙を吸って死ぬようなことは無いはずであった。
「被害のあった家はそう主張しているそうです」
「その家はどこですかね?」
「ブレナン子爵のところの使用人が死亡したと」
「どこかで聞いた名前だなあ」
スティーブは頭の片隅にブレナン子爵という名前があった。しかし、どこでその名前を聞いたのかが思い出せない。
名前を思い出すのと、どう動くべきかと考えていると、今度はベラが入ってきた。
「スティーブ、ソーウェル辺境伯が呼んでる」
鏡を使った通信で、オーロラからの呼び出しが来たのだった。スティーブは後頭部を掻く。
「ソーウェル卿がねえ。タイミングがいいな」
「犬並みの嗅覚よね」
ベラはオーロラのことがそんなに好きではないので、そう表現した。
タイミングがタイミングだけに、スティーブはシリルとの話を中断してオーロラのところに行くことにした。
すぐに転移してオーロラを訪ねる。
「早かったわね」
「こちらも急ぎの用事がありましてね。もしやその件かと思い」
「たぶんそうよ。ブレナン子爵が貴方のところの蚊取り線香を使ったら使用人が死んだと主張しているのは知っている?」
「シリル殿から報告を受けました。その件で急ぎ工場にある製品の成分を確認したところです。ま、社内在庫については問題はありませんでしたが」
そう答えながらスティーブはオーロラの耳の良さに感心した。
どうやったら王都の情報をそんなに早く入手出来るのだろうかと考え、オーロラの顔をまじまじと見た。
「それなら前提の説明は不要ね。それで、本当に人が死ぬようなものを作ったのかしら?」
「まさか。死んだ人間が蚊やハエとの混血ならわかりませんが、赤子でも死ぬような毒性は無いはずです」
「そうでしょうね」
オーロラはスティーブのところの製品を疑っている様子はなかった。
彼女は被害に遭ったと主張する、ブレナン子爵の方を狂言ではないかと疑っていた。
「たぶんだけど、これはブレナン子爵の貴方への復讐ね」
「そのブレナン子爵とやらに恨まれるようなことをした記憶はないのですが」
「本気で言っているの?」
「ええ。ご存知なら教えてください」
オーロラはあきれ顔でスティーブにブレナン子爵のことを話す。
「貴方が引き取った孤児院、それが王都にあった時に放火して、石打になったのがいたでしょう。あれがブレナン子爵の子供なのよ。これは子供のかたき討ち」
「あー、そういえばそんなこともありましたね。あれがブレナン子爵の子供なのか。でも、それなら僕が恨まれるのは筋違いでしょう。なにせ、本当に放火をしたのですから」
「親としては納得いかないのでしょうね」
オーロラに言われるまでもなく、スティーブにもそのことはわかっていた。犯罪者の子供であっても、親からしてみれば裁いた人間は憎いものだ。
なので、スティーブは自分が恨まれるのもわかった。
「それで、父上が昇爵するタイミングで、邪魔をしようというわけですね。しかし、本当にうちの製品だったのでしょうかね」
「証拠の品が残っているそうよ。すでにそれを王立研究所に提出して、成分の分析を依頼したっていう話だわ」
「それは好都合だな」
「無い方が良かったんじゃない?」
「いや、それがうちの製品じゃないのを証明すればいいのですから、水掛け論よりも説得力があるでしょう」
証拠の品がなかった場合、それが狂言だとしても、証明するのは難しい。無実を訴えたところで、一定数はスティーブの主張を信じないものが出てくる筈であり、その対処方法など考え付かなかった。
それに対して、証拠の品を持っているというのであれば、それがアーチボルト領で作られたものではないと証明できれば、製品の信頼が失われることはない。
「その情報を伝えたかったのよ。お役にたてたかしら?」
「いつもありがとうございます。我が領地だけでは情報収集の能力がありませんからね」
スティーブはオーロラからの情報提供に心から感謝した。
オーロラはスティーブに感謝してもらえたことが嬉しかった。しかし、それは顔には出さずに心の奥にしまっておく。
「閣下とは持ちつ持たれつでしょう」
そういうと、真っ赤な唇の端がつりあがった。
スティーブはそんなオーロラを見て、どんな謝礼を渡そうかと考えるのであった。
スティーブが去ると、オーロラはハリーを部屋に呼んだ。
「お嬢様、どんなご用でしょうか?」
「ハリー、ブレナン子爵のところに出入りしている商人で、毒薬を扱っている商人を調べておいて」
「承知いたしました」
オーロラの指示を受けて、ハリーは再び部屋の外に出た。一人になったオーロラは身震いする。
「これからのことを考えると、嬉しさに体が震えるわね」
そう言って、右手で左手を強く掴んだ。
スティーブはオーロラのところから戻ると、シリルとニックにオーロラから聞いた情報を伝えて、一緒に王立研究所に行くようにお願いした。
「さて、ソーウェル卿からの話では証拠の品は王立研究所に提出されたってことだから、みんなで王立研究所に行こうか。子供のかたき討ちで狙われているから、相手もしつこそうだけどね」
「若様、大丈夫なんですかい?うちの製品に何か混入されていたりしたら」
「まずは現品を確認してみないとね。想像もしないような不良だっていままであったじゃない。本当にうちの不良かもしれないよ」
「まあ、そりゃそうなんですが」
ニックもいままで散々不良を経験してきた。人が行う作業など完ぺきではない。そのことは嫌というほどわかっていた。スティーブは大丈夫だとは思っているが、それでも現品を見るまでは安心は出来なかった。ニックに言ったのは自分の不安のあらわれでもあった。
すぐに王立研究所に転移する。スティーブとシリルはここでは顔パスであり、直ぐに殺虫剤の研究者のところに案内される。
殺虫剤の研究者は若い男性だった。スティーブは彼に現品の確認を要求する。
「僕たちは蚊取り線香で人が死んだという件の確認にきた。ブレナン子爵から提出された証拠品を見せて欲しい」
「申し訳ございません、閣下。それについては閣下がお見えになったら、ブレナン子爵に連絡をすることになっているのです。そして、ブレナン子爵立ち会いで検証されろと言われておりまして」
現品についてはブレナン子爵の立ち合いで確認することになっていると言われた。ブレナン子爵からすり替えの可能性を排除してほしいという申し出があったというのだ。
研究者は申し訳なさそうに頭を下げる。
「随分と警戒されてますね」
シリルが苦笑いした。
「自分が本気になれば、すり替えなんて可能なんで、そんな命令は無意味なことなんですけどね。もっとも、僕はそんなことをするつもりもありませんが」
「証拠品を確認できないのであれば、検死の結果にでも目を通しておきましょうか」
「そうだね。それも王立研究所に来ているのかな?」
スティーブが訊ねると研究者は頷いた。検死については王都の役人が行い、その報告を王立研究所が受け取っていた。検死の結果と蚊取り線香に含まれている成分が一致するかどうかを、公正な第三者が判定したという実績を作りたいのだろうとスティーブは想像できた。
見せられた検死結果では、死亡した使用人は若い女性であり、彼女には目立った外傷はなく、死亡した部屋には硫黄の燃えたような刺激臭が残っていたことから、亜硫酸ガスの類いを致死量摂取したのだろうと結論付けられていた。
それを見たスティーブはこの使用人の死亡は事故ではなく、事件だとわかった。
「さて、これは完全にうちの製品のせいではないね」
「若様、そりゃ本当ですかい?まだ物も見てねえんですけど」
「ま、それも確認してみたいね。それと、政治的な駆け引きになるだろうから、どこまで科学の話が通用するかだねえ」
スティーブは、この後の検証では、科学の話よりも政治力がものをいうだろうと考え、どう対処するか頭を悩ませた。
いつも誤字報告ありがとうございます。