122 蚊取り線香
スティーブはアーチボルト領にある試験農園にいた。隣にはシリルがいる。少し後ろには農作業の手伝いとして領民たちが集められていた。その中には王都の孤児院の子供たちも数人混ざっており、アンバーもいた。
今日はここで除虫菊を栽培するのである。
孤児院の火災で除虫菊はほとんど焼けてしまった。しかし、わずかに残っていたものをスティーブが魔法で成長させて種を採取したのである。
それを試験農園に持ってきて、魔法で強制的に成長させて収穫を繰り返す予定だ。
孤児院の子供たちは無事にアーチボルト領にやって来た。メアリーがなんの仕事もしないのに施しだけを受けるのは気が引けるというので、年長の子供たちにも無理のない範囲で手伝ってもらうことにしたのである。
なお、領民たちは元々のアーチボルト領の者なので、スティーブに対して過度にかしこまった態度ではないため、アンバーはまだスティーブがとても高位の貴族であるとは理解できずにいた。
シリルがスティーブに話しかける。
「スティーブ殿、殺虫剤の生産に成功したとしても、それを王立研究所が公表してしまえば、類似の商品が発売されるのではないでしょうか」
「それは仕方ないことだよ。それに、全ての需要をうちの工場だけで賄えるとも思えないからね。蚊やハエは病気の原因を媒介するから、それを駆除する薬が沢山作られるのは良いことじゃないかな。まあ、価格勝負なら負けるつもりはないけど」
「そちらの方も気になりますね」
シリルは殺虫剤の効果もさることながら、スティーブが考える量産ラインも気になっていた。他者が真似できないようなものをどうやって作るのかを見たかったのである。
「さあはじめましょうか」
その指示により、領民たちは種を蒔き始めた。
種まきが終了すると、スティーブが植物成長の魔法を使う。あっという間に試験農園には白い花が咲いた。本来であれば除虫菊は一年から一年半かかって花を咲かせる。それが一瞬で終了した。
「じゃあ、縄で囲んだところ以外を収穫して」
スティーブが次の指示を出す。縄で囲んだところは種を採取するための花のエリアである。除虫菊は満開が一番ピレトリンの含有量がおおくなるので、満開のところで殺虫剤用に採取する。一部は種を採取しなければならないため、こうして残すようにしているのである。
間違って全部摘んでしまわないように、縄で見えるようにしてあるのだ。
これを繰り返すと、あっという間に摘まれた除虫菊が積みあがった。
スティーブは積みあがった除虫菊を収納魔法で亜空間にしまい込む。アンバーたち孤児はその魔法に驚き感動するが、見慣れている領民たちはいたって普通にしていた。
「収穫はこんなもんかな。次は乾燥だね」
今度はスティーブが土魔法で小さな小屋を造る。その中に魔法で収納していた除虫菊を少し出した。そして、火魔法を使って遠火で小屋を加熱する。乾燥を強制的に行っているのだ。
乾燥が終わったものは粉にする。ここまでが線香を作る前工程であった。
作った粉は袋詰めしてもらう。この作業で粉を吸い込まないように、口にはマスクをして作業にあたってもらった。けっこうな重労働になるので、これは孤児院には任せられないかなとスティーブは作業を見て思った。
シリルが作業を眺めながら、スティーブに質問する。
「ピレトリンを魔法で抽出した方が効率がよさそうですが」
「それでもいいんだけど、それだと産業にならないからね。僕がいないと成り立たない製品は作りたくないんだ」
シリルはスティーブの作業を見ながら、粉末を作る工程の困難さが製造コストを押し上げていると考えていた。分離の魔法を使えば、この工程の人件費を一気に圧縮することが出来る。スティーブがコスト競争で勝つというのであれば、ここを省人化するのではないかと考えてのことだった。
しかし、スティーブにそれを否定された。
「では、後工程に秘密があるというのですね」
「そうだよ。うちのエリーにも宿題として出しているんだ。シリルさんも考えてみるといいよ」
スティーブはいたずらっ子のように微笑んだ。
試作に十分な材料が出来たところで、本日の作業は終了となる。
スティーブはアンバーたちにも労いの言葉をかけた。
「アンバーたちもご苦労様。これから孤児院まで送るから、帰ってまた勉強しておくように」
「帰りはまたあの速いやつに乗れるの?」
「そうだね」
アンバーの言う速いやつとは列車のことであった。トロッコ列車であるため、蒸気機関車程の速度は出ないのだが、子供からしてみればそれでも十分に速かった。
王都からの移動は転移で一瞬だったが、今日の作業については社会経験をつませる意味もあって、トロッコ列車で移動してもらったのである。
子供たちははじめて乗る列車に大興奮であった。なので、帰りも乗れるとわかって大喜びなのである。
「じゃあ、帰ったらメアリー先生の言うことをよく聞いて勉強するように。これは今日の作業の分の給金だから」
スティーブはそういって子供たちに今日の作業の賃金を手渡した。アンバーは笑顔で受け取る。
「私、最近計算が出来るようになったの。このお金を使って一人で買い物だって出来るんだから」
「じゃあ、次にアンバーから花を買うときは、五本で銅貨一枚を何度も繰り返さなくて済むかな」
「うん」
アンバーは力強く頷いた。
孤児院の先生二人には、ララによる指導を受けてもらい、国が定めた指導要領に則った授業が出来るようになってもらっている。教材についてもララからの支給であった。
これによって孤児院でも授業が出来るようになったのだ。ただし、経験が浅いため定期的にララが訪問して授業を観察して指導をすることにはなっている。
そして、孤児院で村人の教育もお願いした。なので、メアリーたちは教師としての給与を受け取っているのだ。
これは同情ではなく正式な労働の対価であり、将来の働き手となる領民の育成であるため、教育内容についても手心なしで評価をすることになっていた。
ララについても教員の育成という研究テーマで動いているため、甘くする理由はなかった。
ただし、今のところは順調であった。
スティーブはメアリーたちが教育に時間をさけるように、孤児院のスタッフを増員していた。教育を受ける年齢に達していない子供もおり、メアリーたちが授業をしている時に、そうした幼い子供たちをみるためのスタッフが必要だったのである。
他の領民たちにも賃金を払って解散となった。
そして翌日は工場の試作棟に場所を変える。集まったのはスティーブ、シリル、ニック、エリー、クリスティーナだった。
スティーブはエリーに宿題の答えを訊いた。
「さてエリー、宿題は出来たかな?」
宿題の話を知らなかったクリスティーナが、スティーブの顔を見る。
「宿題?」
「そう。線香の燃焼時間は一般的に一時間くらい。夜何度も起きて線香に火をつけるのをどうすれば解決できるかを考えて、製品をデザインするように宿題を出したんだ」
「そういうこと。それで、エリーは良いデザインを考えついたのかしら?」
「はい」
と言ってエリーが説明したのは、線香を六本繋げておける燃焼台だった。
スティーブはそう考えた理由を訊ねる。
「どうしてこう考えたのかな?」
「はい。線香を長くすると折れやすくなるのかなと思って、既存の長さは変えないようにしてみました。それで考えたのは、線香に火が次々と燃え移れば長時間眠れるのではないかという理由からです」
「着眼点が素晴らしいね」
「正解ですか?」
「いや、もう少しかな。エリーの考えた方法だと、燃焼台がかなり大きくなる。僕が考えたのは蛇のとぐろみたいな渦巻き型だね」
そう言ってスティーブはあらかじめ作っておいた、蚊取り線香のうち抜型を披露した。日本で一般的に見かける渦巻きの形のうち抜型と、うち抜型の中に残った線香を押し出す型の二種類である。手で押し出し型を前後に稼働させて、その動きを見せた。
「エリーにはこうした金型のことも勉強してもらって、どういう型で製品が出来るのかも知ってほしい。そうすればデザインの幅も広がるしね」
「はい。流石社長です。私には考えつきもしませんでした」
エリーが純粋にスティーブを褒めたので、スティーブは恥ずかしくなった。なにせ、スティーブ自身が考えたものではなく、他人が考えたアイデアを披露しただけなのであるから。
「流石は若様ですね。この金型を作るのは骨が折れそうですが」
「今回は魔法で作ったけど、更新型はニックに作ってもらうからね」
「よろこんで!」
複雑な形状の金型を作れるとあって、ニックは大喜びだった。
「さて、除虫菊以外の線香の材料はエマニュエル商会から納入されているし、これで線香を作ってみようか」
スティーブは早速線香を作り始める。
まずは除虫菊の粉をタブノキの粉などと水を混ぜて練る。人力で練るのは面倒なので、この作業はゴーレムを作って行わせた。量産化された場合には、これは人力でやるか、水車などの動力を使って省人化するかとなる。
そして、練った材料をローラーで圧延して一定の厚みにしてから、プレス機にセットした。
このプレス機には先ほどの金型が八個取り付けられており、いっぺんに十六個の線香を打ち抜くことが出来た。
一個の金型で二個取りなので十六個である。
型抜きした後で金型が横にスライドして、金型の中に残っている線香をトレーの上に押し出した。
「このトレーを乾燥室に入れて、水分を飛ばせば完成だね。今日は魔法で乾燥させるけど、自然乾燥だったら二日くらいかな」
そういうと、スティーブは魔法で線香を乾燥させた。そして、二個セットになっている線香を個々にばらして、そのうちの一個を針金で作った台につるした。
小さな炎を魔法で作って線香に着火すると、煙が出てくる。その成分を分析したところ、ピレトリンが含有されていたので、この線香が殺虫効果を持っていることがわかった。
「こんな感じかな。型抜きして残った材料は、リターン材としてもう一度練りこむことで無駄にはしない。どうですか、シリルさん。金型が無ければ線香を手で渦巻き型に成形しなければなりません。製造コストを比較すればうちが優位に立つことはわかったでしょう」
「ええ。この製造工程を真似するのは困難でしょうから、価格では他社の追随を許さないでしょうね」
シリルはこの金型の技術については、王立研究所に提出するつもりは無かった。型については全て工房のノウハウであり、それを公開されてしまっては、競争もなにもなくなる。
スティーブはシリルの回答に満足すると、残っていた蚊取り線香をみんなに配った。
「さて、あとはこいつがどれほどの威力を発揮するか、今日から使ってみようじゃないか。結果を確認して有効ならば販売していくからね。ニックは直ぐにラインと人員の編成の準備に取り掛かって」
「若様、金型は――――」
「ラインが稼働したらゆっくりつくればいいから。それに更新型っていっても、こんな柔らかい素材を打ち抜くくらいじゃ簡単には摩耗しないからね」
ニックは肩を落としてうなだれた。
それとは対照的に、クリスティーナの目が輝いている。
「スティーブ様、販売価格は決まっておりますか?」
「もう少し生産能力を把握してみないとだね。でも、あまり高くはしたくない。これで病原菌を運ぶ虫を除去できるなら、みんなが病気で苦しむことはなくなるからね。ま、慈善事業にするつもりはないんだけど」
「承知いたしました。エマニュエル商会との価格交渉までに、私の方で販売価格を試算しておきます。原価はスティーブ様にお願いするとしても、平民が継続的に購入できる価格の調査は私が行います」
こうして試作は終わった。試作品を使ってみたところ、朝起きると床に蚊が落ちているのが見つかり、効果も十分に確認することができた。
なので、スティーブは蚊取り線香の量産に踏み切ることになったのである。
ただし、そうすぐには量産は開始できない。ラインを設置するために新たな工場を建てることになった。そして、従業員も募集することになる。
領内だけでは働き手が足りないので、またも移住を募集することになった。なにせ、工場のライン作業者だけでなく、除虫菊の栽培をする農民も必要なのである。
アーチボルト領の移住募集ということで、人はとりあえず集まった。しかし、除虫菊が自然に開花するのは来年であり、それまではスティーブが魔法で除虫菊を栽培して材料を確保することになった。
発売開始と同時に蚊取り線香は飛ぶように売れ、除虫菊の栽培は休む間も無い状態である。
そんな時に、シェリーからメルダ王国にも蚊取り線香を送って欲しいと手紙が来たが、スティーブはそれをしばらく放置していた。
そうしたら、シェリーが自ら乗り込んで取りに来たのである。
ついでに製造工場を見学していった。自分の国でも作るのだという。同行してきたのが、メルダ王国の技官であったので、そんな気はしていたスティーブであったが、自社の供給能力を考えればメルダ王国の需要を満たすのは無理なので、そこは許すことにした。流石に金型までは見せなかったが。
さらには、ユリアとカミラも教会が抱える技官を連れてきた。
「スティーブ様は地上から病に苦しむ人を無くすため、神の叡智を授けてくださったのです」
と二人に拝まれたので、断りづらくなった。
元々の狙いがそうであるからだ。
なので、二人にはカスケード王国国内で販売はしないで欲しいとくぎを刺して、製造方法を教えることにした。
こうして、瞬く間に蚊取り線香は大陸に広まることになったのである。
もちろん、国内シェアはアーチボルト領がトップであり、領地の黒字に大きく貢献することになったのではあるが。
いつも誤字報告ありがとうございます。