114 再会
スティーブはイートンに耳打ちする。
「あれは聖女の護衛の聖騎士カミラ・フランクだ。様子がおかしい、馬車の中に入れてくれないか」
聖騎士という言葉にイートンは目を丸くした。聖騎士とは神殿所属の騎士の誰もが憧れる存在である。それが面影もない姿となって浮浪しているとあってはただ事ではない。
また、イートンがスティーブの言葉を信じたのは、旅の途中での議論で信用できる人物だと思ったことである。そのスティーブが聖騎士だというのであれば、目の前のみすぼらしい女は聖騎士なのであろうと信じたのだった。
すぐにカミラは馬車の中に連れてこられる。何日も風呂に入っていなかったのか、室内にすえた臭いが充満した。カーター殿下はその臭いに顔をしかめる。カミラのその目線は焦点があっておらず、どこを見ているかわからない状態だった。口からはよだれもたれたままである。スティーブは薬物中毒者みたいだなと思う。そして、麻薬の製造元がフライス聖教会であることをすぐに思い出した。
「麻薬を使ったような感じだけど、聖国では麻薬が蔓延しているんですか?」
「蔓延はわかりませんが、私がカスケード王国に赴任する前にも、春鬻ぎの女が使っているという噂は聞いておりました。大聖堂のおひざ元でそのような商売と薬が出回っているはずがないと思いたかったのですが、やはりそうしたことはあったのです。ご内密に」
男がいれば春を鬻ぐ商売が成立するのは世の決まり。それは聖国であっても例外ではなかった。さらに、作りすぎた麻薬が町中に流通してしまうのもお決まりのパターンであった。地球の軍事国家がそうであるように。
スティーブは薬品除去の魔法が使えるようになっていたので、試しにそれを使ってみようと思った。薬品精製ではオピオイド系の鎮痛剤を作ることが出来るので、除去の魔法ならば類似の麻薬を除去出来るだろうと考えたのだ。
しかし、それはイートンの目の前で魔法を使うことになる。それがばれて魔法を封じる対策を取られては困ると思った。しかし、カミラの様子を見れば一刻の猶予もないのもわかる。
「イートン、今から神の奇跡を見せるけど、他言無用でお願いね。カミラを救いたいんだ」
「神を否定する閣下のお言葉とは思えませんが、聖騎士殿を救えるのであればお約束いたしましょう。神に誓います」
「ありがとう」
命令を魔法で強制しても良かったが、今回はイートンを信用することにした。
そして薬品除去の魔法をカミラに使った。容器の中だったり、床にこぼした薬品の除去はやったことがあったが、人体に対して使用したのは初めてである。期待したように、麻薬を除去できればよいがと思っていたら、魔法が発動してすぐにカミラの目の焦点が戻った。半開きでよだれを垂れ流していた口も閉じる。
カミラは目の焦点があうと、目の前のスティーブに気づいた。
「アーチボルト卿」
「どうもお久しぶりです」
「どうしてここに?」
「宗教裁判の被告として連れてこられました。ほら」
といって、縛られた手首を見せた。
「なんと!それでこんなに臭い場所に閉じ込められているのか」
「いや、臭いのは僕らではないんですよ」
スティーブは言いよどむ。そして、水魔法でお湯を作り出してカミラの体を洗う。洗濯機とお風呂を足したような魔法であり、人体を傷つけることなく垢を落とせるのだ。旅の途中のお風呂に不満を持ったスティーブが編み出した魔法である。そして、洗った後のお湯は収納魔法で亜空間に捨てる。
それでカミラは臭いのは自分だったことに気づいた。そして、ほぼ全裸であることにも。カミラの持っていた布も汚れていたので、スティーブはそれを収納すると、綺麗な布を取り出した。女性用の服を持っていないので、代用できるのはこの布しかないのだ。
カミラは直ぐにそれを受け取って体を隠す。
一連の魔法を見たイートンはスティーブに手を合わせた。
「これが神の御業」
と感激する。火や水の魔法は広くしられているが、薬品除去や収納魔法は知らない人の方が多い。それに、転移の魔法なども、その存在は知られてはいない。
だから、魔法使いというよりも、神のつかわした使徒に見えるのだ。
そんなイートンの感激にスティーブは恥ずかしくなった。なので、イートンにやめるように言うが、イートンはなおも祈り続ける。イートンの説得を諦めカミラに事情を訊く。
「薬物中毒だったみたいだけど、どうしてそうなったの?」
そう訊かれたカミラは、馬車の中の二人が誰なのかを先に教えてほしいという。
「この二人は誰なのか?」
「カスケード王国の王子、カーター殿下と神殿騎士のイートン。僕の裁判の証人と見張りだね」
「教皇の息がかかっているのか?」
「どうでしょうね。僕も嵌められて宗教裁判になってますから。誰に嵌められたかわかりませんが、なんとなく教皇の息がかかった人だと予想はしています。まあ、この二人はその可能性は薄いと思っていますけど」
そう言って二人を見ると、二人とも教皇との関係を否定した。
カミラは悩んだが、今は相談できるのがスティーブしかいないため、自分に起こったことを話す。
それを聞いたスティーブは事件の流れが見えてきた。
「麻薬の製造場所を探していたカミラが教皇に呼び出されて、お茶に薬を盛られたところから今までの記憶が無いのはわかったよ。黒幕は教皇でいいのね」
そういうスティーブの目つきは険しかった。家族への襲撃の黒幕である教皇を許すつもりがなかったからである。どうやって倒そうかと考えているが、ふとユリアの顔が浮かぶ。
「そういえば、元々が聖女からの依頼だったんだよね。依頼主の意向くらいは確認しておこうか」
そう言うスティーブにイートンが困惑する。
「この馬車は大聖堂に向かいます。それで、囚人用の牢に入ってもらわねばなりません」
「ユリアに来てもらわないとか」
そういうと、今度はカミラが困惑した。
「私が聖女様に連絡を取ろうとすれば、相手にまた見つかってしまいます」
カミラは教皇の一派に見つかることを警戒していた。
実はこの時教皇はカミラのことなど気にしていなかったのである。カミラに自白させた後は、部下に好きにしろと命じていた。部下たちは麻薬をさらに投与してカミラの意識を朦朧とさせ、その体を散々もてあそんだ。風呂にも入れなかったので、悪臭を放つようになると、カミラは用済みとなった。
この時、教皇派に間違いが起きる。
司祭はカミラを始末しろという意味で
「捨ててこい」
と命じたのだが、その命令を受け取った側が、息の根を止めずに夜中に街中に放り出してきたのだった。その結果、カミラは一命をとりとめたのである。
後で司祭は命令の行き違いに気づくが、その時はすでにカミラは移動して見つからず、重度の薬物中毒であるので長くはないだろうと捜索を打ち切ったのである。
そして、この時誰もユリアが軟禁されているとは知らなかった。
結局スティーブが牢に入って、イートンが聖女への面会許可を取りに行くことになったのである。ただし、カミラの安全をどう確保するかで悩んだ。
スティーブがカミラに訊ねる。
「教皇派に知られていない隠れ家はあるかな?」
「この狭い町ではないな」
「困ったねえ。僕の隠れ家で良ければ案内するけど」
そう提案するとカミラは受け入れた。
最初に会った時のようなとがった対応はすでにない。
「宜しくお願い致します」
「よし、ちょっと待ってて」
スティーブはイートンにそう言うと、カミラを連れて転移する。そしてすぐに戻ってきた。
「さあ行こうか」
スティーブが消えて戻ってきたことにイートンは驚いた。
「ひょっとしていつでも逃げられましたか?」
「まあね。でも、それではイートンも困るだろう」
「まあそうですが……」
イートンはスティーブに悲壮感が無い理由が理解できた。いつでも逃げることが出来るから、宗教裁判が怖くないのだ。
「ところで、聖女様への面会は許可されるでしょうか」
「大丈夫だよ。誰だって死刑囚には優しいもんさ。きっと許可は下りるよ」
この時スティーブは許可が下りなければ転移で脱出して聖女を探すつもりであった。しかし、意外にも許可はおりる。しかも、スティーブを牢から出して、ユリアが軟禁されている部屋に案内してくれるというのだ。
スティーブは一安心するが、これは教皇の罠であった。
スティーブの到着の情報と同時に、聖女への面会許可願いがあることを聞いた教皇は聖女の評判を落として抹殺する策を思い付いた。
報告を持ってきた司祭に笑顔で質問する。
「司祭、聖女が姦通していたとなったらどうなると思う?」
「大騒ぎでしょうな。相応しくないとの声があがるでしょう」
「だよな。アーチボルトから面会願いが出ておるが、聖女と密室で面会させてやろうと思う。するとどうなるか?」
「姦通の疑惑が生まれますな」
「だろう。アーチボルトと一緒に処分してしまおう」
司祭も教皇の狙いがわかった。こうして、夜遅い時間に面会することが認められたのだった。スティーブから情報拡散先を聞き出すよりもこちらの方がよいと判断したのだ。
そうした罠がしかけられているとも知らず、スティーブはユリアと会っていた。
部屋に入って監視がなくなったところで、カミラも連れてくる。
「まさか聖女様が軟禁されて、聖騎士様は麻薬中毒にされているとはね。これも神の試練だとでも?」
スティーブはため息をついた。
ユリアはカミラに何があったのかを悟り、これも神の試練であるとは言えなかった。そんな空気を察したカミラは気丈に笑って見せる。
「神の試練はいつだって厳しいものです」
「カミラ――――」
ユリアはカミラの言葉に涙を流した。スティーブは泣いているユリアに容赦なく言葉をぶつける。
「泣いたところで何も解決はしない。僕の家族が襲われたことも、カミラにあったことも。これからどうするべきかを考える方が前向きじゃないかな。それとも、神の教えはこういうときはただ泣けとでもいうのか?」
みんなを巻き込んだ張本人が泣くだけで前を向こうとしないことに怒りがわいた。ユリアも軟禁されてはいたが、スティーブの家族やカミラに比べたらかなりましである。
スティーブにそう言われたユリアは涙を拭いた。
「そうでした。神の教えにそういったことはありません」
「そうだよ。神はいつだって自らを助くる者を助くるんだからね」
「はい」
ユリアはスティーブの言葉に頷いた。カミラはこれではどちらが宗教家であるかわからないなと思った。実はカミラもここに来る前、スティーブに抱き着いて号泣していた。体をもてあそばれたことがとてもつらかったのである。
その時、スティーブはつらい記憶を忘れる魔法を使おうかと提案してくれた。それと、これを試練として乗り越えるかとも提案してくれた。その時スティーブは申し訳なさそうに
「現世利益を提示するのは教えに反するかもね」
と言ってくれたのである。
カミラは結局試練として乗り越えることを選んだ。すると、スティーブは頷いて
「気持ちが変わったらいつでも言って欲しい」
とだけ言ってくれた。
カミラはその気遣いがうれしかった。
なので、今のカミラの中ではユリアよりもスティーブが上位に来ている。
ユリアが落ち着いてから、スティーブは麻薬製造工場を見つけたことを伝える。
「使い魔を使って調べたけど、教皇の住まいの地下に工場を見つけたよ。カミラの事前の情報があったから捜索範囲をあらかじめ決められたのがよかったね」
「お役に立てたようで」
スティーブはネズミや虫を使って大聖堂を捜索していた。その中で地下に通じる道を見つけ、そこを進むと工場を見つけたのだった。
「明日の裁判でこちらも暴露してやろうか。教皇派以外も出てくるんだろう?」
「はい。明日は私も出席するように言われましたし、教皇派閥でない司祭もおりますから」
「では、精々派手に行こうじゃないか」
スティーブは家族を襲った罪を償わせる計画が立ったことで、にやりと笑った。
いつも誤字報告ありがとうございます。