110 アレックス派
カスケード王国国王ウィリアムには二人の息子がいた。長男のカーター・ジス・カスケードと次男のアレックス・ジス・カスケードである。この二人のどちらかが王位を継承することになっていた。娘もいたが、それはルイスのところに嫁いだため、王位継承権は放棄させている。王位継承権はこのほかにもスチュアート公爵ももっており、ダフニーの夫であるアルフレッドもかなり下位にはなるが王位継承権をもっているが、実質国王の二人の息子のどちらかである。
順当にいけば長男であるカーターが王位を継ぐのであるが、既にカーターの派閥は出来上がっており、いまさらそこに所属してもうまみが無いと判断した貴族たちは、逆転の夢を見てアレックスの派閥に所属したのである。これらの派閥を形成する貴族は、東西南北の派閥に属する貴族ではなく、王都周辺もしくは、領地を持たない貴族たちであった。
また、アレックスも大発展をとげたカスケード王国の国王になりたいという野望を持った。成人前はカスケード王国も普通の王国であり、兄が国王になれば自分は公爵の地位が与えられることが確定していたので、それでもよいかと思っていたが、成人直後からスティーブの活躍が始まり、カスケード王国はあっという間に地域で一番の大国になったのである。
公爵といっても、カスケード王国では過去に領土が増えなかったことで、爵位のみで領地の与えられなかった王弟もいたが、今回は国有地も大幅に増えたため、領地のない公爵ということはなくなった。しかし、国王と公爵ではその権力が圧倒的に違うため、国王を目指すことを決意したのである。
こうしてカスケード王国という巨大な利権を争う二つの派閥が出来たのであった。
アレックスの派閥ではすでに何度か派閥で会合を開き、どうしたらアレックスを国王にできるかという議論がなされていた。そして本日もまた、アレックス派の会合が開かれている。場所はアレックスに与えられた離宮であり、派閥の貴族があつまっていた。
長いテーブルで上座にアレックスが座り、そこから爵位の順に並んで座っている。
アレックスはその面々を見回すと、具体的な策があるかを訊ねる。
「誰か、俺が国王になれるような策を持った者はおらぬか?」
それを聞いたマシューズ子爵が挙手をする。
マシューズ子爵は40歳。中肉中背であり、顔は年相応にしわが出来始めており、髪の毛には白髪が混じっていた。彼は領地を持たずに国からの俸禄のみで生計をたてている貴族である。アレックスを国王にするために動いたという功績で、領地を得ることを狙っていたのだ。
「マシューズ子爵、策を聞こうではないか」
アレックスに指名され、マシューズ子爵は立って策を述べる。
「竜頭勲章であるアーチボルト閣下をカーター殿下と対立させて争わせるのです」
「確かに、アーチボルトと兄が争えば勝つのはアーチボルトだろう。そうすれば、俺は何をしなくとも王位が転がり込んでくるというわけだな」
「左様」
マシューズ子爵はとびっきりの悪人面で頷いた。
「何か考えがあるようだが、あれは危険すぎる。卿が何をするのか俺は関知せぬぞ」
「心得ております。このマシューズ、殿下が王位に就くためであれば、一人で泥をかぶる覚悟もございます」
マシューズ子爵はそう言って室内に居並ぶ貴族たちを見た。自分の策がうまくいけば、何も発言しなかったここの貴族たちよりも、アレックスはきっとこの自分の忠誠心を評価してくれると思ったのである。
なお、この時他の貴族たちはスティーブにちょっかいをかけるとは命知らずなと、内心でマシューズ子爵を馬鹿にしていたのである。なので、その提案を称賛するようなことは無かった。
もちろん、マシューズ子爵にはアレックスへの忠誠心はない。あるのはアレックスが国王になった時の自分が得られる利権についての計算であった。
アレックスにしてみれば、あるかないかわからない利権をちらつかせることによって、マシューズ子爵のような野心を持った者が、勝手に策をめぐらして動いてくれることが都合が良かった。もし仮に、自分が策を講じてアーチボルトと兄を戦わせようとしたら、それがばれた時のリスクが大きすぎるので、やろうという決断には至らない。
「次の会合での報告を楽しみにしておる」
「お任せください」
その日の会合はマシューズ子爵の結果報告を待つということでお開きとなった。
翌日、マシューズ子爵は王都にある屋敷でフライス聖教会のカスケード王国教区を担当しているバールケ司教と会っていた。
バールケ司教は年齢はマシューズ子爵よりやや上で、醜く太った体に脂ぎった顔をしていた。頭はすでに禿げ上がって髪の毛は無い。
二人は屋敷のサロンで向かい合って座っている。他に人は無く二人きりであった。
「司教、実はお耳に入れたいことがございまして」
とマシューズ子爵は切り出した。
「どのようなことでしょうかな、子爵」
「我が国の竜頭勲章アーチボルト閣下なのですが、どうも王立研究所に持ち込んだものが神を冒涜しているようなのです。生物は神がおつくりになったという定説に対し、親の特徴を受け継ぐのは科学的に証明できるともうしておりまして、なんでも進化という概念を持ち出してきたのです」
「なんと、それはとんでもない神への冒涜、悪魔のごとき所業」
バールケ司教は大袈裟に驚いてみせた。
マシューズ子爵はそれを見てニヤリと笑う。進化と教義は相いれない水と油のようなもの。バールケ司教の反応も予想通りのものであった。ここで肯定されては話が進まない。
「そうでございましょう。私も敬虔な信徒の一人として、これを黙っているわけにはいかないと思っておりました。しかしながら、私程度の告発では、あのアーチボルトに反論されて有耶無耶にされてしまう可能性もございます」
「なるほど」
「そこで、来週アーチボルトが王立研究所において、カーター殿下にその進化についての講義をされるとか。その翌日に殿下の関係者を名乗る者が告発したということで、是非ともフライス聖教会からアーチボルトへの召喚状を出してもらいたいのです」
かなり無理筋な依頼であるが、バールケ司教は直ぐに断るようなことはしなかった。
「神の御心を動かすには、それ相応の供物が必要となります」
そう、対価を要求したのである。
「ええ、存じております。今日は神の新しい信徒をご用意いたしました。信徒が増えれば神もお喜びになることでしょう。このあと司教のありがたい教えをいただければと思っております」
「ふむ」
なんのことはない、マシューズ子爵がバールケ司教のために若い女性を用意したという話である。なお、今回が初めてのことではなく、以前よりマシューズ子爵とバールケ司教はつながっていた。今日も定期的な訪問だったのである。
「では今日も神から賜った秘薬を使い、説法をするといたしますか」
バールケ司教は懐から薬包紙を取り出した。神の秘薬といいながらも、その正体は麻薬である。薬物で女性を無理矢理従わせてもてあそぶのだが、バールケ司教は素人娘が好みであり、それを貴族のマシューズ子爵が調達しているのであった。
もちろん、マシューズ子爵もバールケ司教と一緒に楽しむので、その労を惜しまないのだ。なお、マシューズ子爵は個人的に麻薬を司教から購入して使用していた。常習したことで中毒となっているため、もう止めることが出来なくなっていたのだ。
結局バールケ司教はマシューズ子爵の依頼を受けることにした。
教会には自治権があり、いくらカーター殿下側がそんな告発をしていないから調べさせろと言っても、教会側はその証拠を開示する義務はないのだ。
カスケード王国としてもそれを無理矢理やってしまえば教会との戦争となるため、そこまでするとはバールケ司教もマシューズ子爵も考えていなかった。
バールケ司教はマシューズ子爵からの女の提供と、麻薬のお得意様ということで、リスクがないと思える情報提供者の捏造を引き受けたのだった。
そんな悪だくみがあるとも知らず、予定通りスティーブは王都にやってきた。
同行したのはシリルとクリスティーナとナンシー、それにアーサーとイザベラ、護衛のベラだ。王都にあるアーチボルト家のタウンハウスに滞在する。
スティーブは予定通り王立研究所でシリルと一緒にカーター殿下や貴族たちを前に進化についての説明をした。これにはマシューズ子爵も出席しており、まずは予定通りであることに安心をした。
スティーブは進化について説明すると、それに対してカーター殿下が質問をする。
「アーチボルト卿、進化という考え方は神の教えに反するのではないかな?」
「遺伝の仕組みを神が作ったというのはどうでしょうか」
「それでは卿の言う突然変異は説明できないのではないかな?神の設計が突然狂うというのは、全能の否定ではないか」
「それを調べるのが学問でございます」
そのやり取りを聞いたマシューズ子爵は神に感謝した。まさに自分の望む展開だったからである。
カーター殿下はそれ以上の質問をすることは無かったが、これでスティーブのことを教会に告発しても不思議はないという下地はできた。
翌日、クリスティーナは実家のマッキントッシュ侯爵家のタウンハウスにアーサーと行くというので、ベラを護衛に伴いすでに出発していた。残されたスティーブとナンシー、それとイザベラは王都の観光でもしようかと話をしていた。
なお、シリルは王立研究所で仕事である。
タウンハウスから出ようかというタイミングで、教会からスティーブあてに使者がやってきた。教会が保有している騎士団に所属する騎士である。全身を白を基調とした金属鎧で覆っており、かなり特徴的である。
「アーチボルト卿、貴殿の考えが教会の教義と相いれないという申し出があり、その件で出頭願いたい」
「なんのことかな?」
「それについては我らは知らされておりません」
「拒否したら?」
「教義への違反を認めたとされ、宗教裁判で有罪が確定します」
それを聞いてスティーブは大きくため息をついた。
「やれやれ、家族との時間を邪魔するとは、神様とやらは休日のお祈りだけでは足りないらしい」
スティーブの皮肉に、騎士はむっとした表情を浮かべる。
「神には常に祈るべきです。休日だけなどでは祈りが足りません」
「祈ったところで何も助けてはくれないけど」
「神は自ら助くるものを助くるのです。最初から神の助けを期待するのは間違いです」
「それなら困った時だけ祈ることにするよ。ま、ここで宗教談義をしてもはじまらない。行こうとしようじゃないか」
「では、ついてまいられよ」
「行ってくるね」
スティーブはナンシーに手を振ると騎士のあとをついて教会に向かった。
道中、騎士はスティーブに訊ねる。
「アーチボルト卿は神を冒涜しておられるのですか?」
「別に。ただ、関わってほしくないと思っているだけだ。貴君がどんな神を信じようと私は文句を言うつもりは無い。しかし、その信心をこちらに押し付けてもらいたくはない」
「どうしてですか。神を信じぬ者は死後の裁きで地獄へ落とされるのですよ」
フライス聖教会の教義では、人は死ぬと神の裁きを受けることになるとなっていた。そこで生前の行いや神への信心で天国行きか地獄行きか判断されるというものだ。
一度死んで転生してきたスティーブには、そんなものは無いとわかっていたが、死んだ記憶がない衆生は死後の世界を信じても仕方のないことであった。
なのでスティーブはその説得を諦める。
「衆生済度。生きとし生けるもの全てを苦しみから救済してこそが全知全能の神ではないでしょうか」
「この世界は仮の世界であり、死後の世界こそが本来の世界なのです。そこに行くまでの修行ですよ」
「そして、死後の世界でしばらく過ごしたのちに、再び転生してこちらに戻ってくるか。修行したのに輪廻に戻されるのもねえ」
「人は神ではありませんから、常に天界にいることは出来ないのです」
「ま、転生については否定はしないよ」
経験済みだからとはいえなかったが、騎士はそれをスティーブがフライス聖教会の教義に転んだと勘違いして笑顔を見せた。
「やはりアーチボルト卿もわかっておられる」
「そこだけはね。神になれないのもわかるけど、人の身でありながら成仏して現世利益を実現するという考えの方が前向きでいいね。パンも無しに神を信じられる者がどれほどいるか。神の教えよりも教会の炊き出しの方がありがたがられていると思うよ」
「そこが教えのきっかけとなればよいのです。きっかけは食事かもしれませんが、そこで神の教えに触れて、祈りをささげるようになった者も教会には多くおりますので」
「おっと、到着したようだし、会話もここまでだね」
会話をしながら歩いていたら、王都にある巨大な教会に到着した。
元々教会は王城の近くに建立されており、周辺は貴族の住む地区である。そのほかにも平民向けの教会がいくつかあるが、バールケ司教は当然この教会にいた。
「神のご加護がありますように」
騎士はこれから裁きを受けるスティーブにそう言葉をかけた。
いつも誤字報告ありがとうございます。