11 蕎麦の売り先
そば粉が増えた。正確には蕎麦の美味しさに気づいたアーチボルト家の女性陣の命令により、ブライアンが動いてそばを収穫したのである。種蒔きに使う分は残しておき、それ以外を石臼でひいて粉にした。
「売るの勿体ないわね」
シェリーはこれを全部自分達で食べるつもりでいる。元々は非常食として考えていたので、それが本来のありようなのかもしれないが、アーチボルト領でも他の農作物が育っており、そこまで非常食の備蓄が急を要するという訳でもない。
「そうも行かない。安定的な収入を確保するためにも、売れる商品を作っていかないとな」
ブライアンが駄々をこねる娘を諭した。スティーブのお陰で一時的に大金を得る事が出来たが、それだけではいつかは無くなってしまう。同じようにスティーブの魔法で作った鋼も、スティーブの代で終わってしまう事がわかっている。なので、他の産業が必要なのだ。
リバーシや冷蔵庫はスティーブに依存しない産業だ。これに蕎麦が加われば産業が三つになる。そして、そばの収穫であれば、加工が苦手な不器用な領民でも仕事が出来る。
麺棒を旋盤で加工し、蕎麦切り包丁を作っているニックは大忙しだ。各家庭用のものに加えて、エマニュエルに売る分も作らなければならない。麺食が一般的では無いため、そば粉を買っても麺を打つ道具がないのだ。それもセットで売ることになる。
そして、本日蕎麦を打つのはエマニュエルだ。彼は実演販売をしなくてはならないので、こうして蕎麦を打つ経験を積んでいるわけである。なお、計量カップはスティーブの魔法で作り出しているので、凄く正確に計量が出来る。しかも、ステンレス製でピカピカ光っているので、これだけでも価値がある。
「これ、自分が覚える必要ありますかね。スティーブ様がソーウェル辺境伯に直接売り込みに行ったので、今のところ大口の顧客が見つかっているから、他の売り先を見つける必要はないんですけど」
と、エマニュエルが情けない声を出した。
そう、スティーブがオーロラから商品先物取引所の件でアドバイスを求められた時、新商品の蕎麦をついでに持って行ったのである。持って行ったのには理由があって、自分のところではうまく開発出来ないつゆを、ソーウェル辺境伯家の抱える料理人に作ってもらったのである。勿論、スティーブはそれを作業標準書の魔法で習得し、自分の家で再現したという訳である。
その味は流石西部一の大貴族が抱える料理人だけあって、初めて見た蕎麦にとてもあうものであった。それをスティーブが再現したものだから、シェリーなどは毎食蕎麦でいいと言い出す結果になったのだ。
もっとも、オーロラは蕎麦が好きという訳ではなく、こういった珍しい食材を用意する事が出来るというのを客に見せつけるのに利用したいという思惑があったのだが。それはアーチボルト家にもメリットがあり、オーロラの客に蕎麦の評判が良く、リピート注文が入ったのである。
そうなると、他の貴族もソーウェル辺境伯家で出た麺が食べたいとなる。ただ、蕎麦など打ったことがある料理人がソーウェル辺境伯家以外にいないので、エマニュエルが売り込むついでに、蕎麦の打ち方も教える必要があるのだ。
「商人が金の匂いから逃げるとは何事ですか。折角仲買人の免許についても口利きをしてあげたのですから、蕎麦の販売にも協力してください」
「それについては感謝しています」
仲買人の免許はソーウェル辺境伯が発行する。免許に必要なのは支払い能力の証明。つまりは金があるということ。実質免許はソーウェル辺境伯から商人が買うものとなっていた。それもかなりの高額で。しかし、最初の約束でアーチボルト家が仲買人をねじ込むという権利を持っており、それをエマニュエルにしたわけである。
先物の売買と商品の受け渡しは仲買人がやることになっており、これが莫大な利益を生むことになるのである。エマニュエルは既に西部でも大手の部類となっていた。ましてや、王家の取り調べの見返りとして、後ろ盾が王家であると喧伝する権利を得ており、その利権に手を出そうものなら、厄介な事になると仲間内から畏れられているのである。新興の商会としてこれ程大きな後ろ盾があり、他からの嫌がらせが無いとなれば、商売も順調そのものというわけだ。
尚、アーチボルト領の領主屋敷についても、金回りが良くなったことから建て替えが行われる事となり、その建材と人足の手配もエマニュエルが行っている。誰がどう見てもアーチボルト家とべったりという訳だ。
そんな風にエマニュエルと一緒に蕎麦を打っていると、突如屋敷に王都から魔法使いが転移してきた。ブライアンが慌てて用件を訊ねる。
「何事ですか?」
「王命を伝える。蕎麦を持って直ぐに参内せよ」
「蕎麦をですか?」
「そうだ。それに、蕎麦を作るのに必要な道具もな」
突然の王命のタイミングの良さに、スティーブが笑い出した。
「陛下は魔法で我が家を監視されているようですね」
エマニュエルがこれで終わりかとホッとしたのもつかの間。その次のスティーブの発言で胃に激痛が走ることになる。
「では、今エマニュエルが打った蕎麦を持って参内しましょうか」
「えええええええええ!!!!!!!」
「蕎麦を持って来いというのは、食べるつもりでしょう。良かったですね、エマニュエル。こんな機会は一生に一度あるかどうか。普通の人なら絶対にありませんよ。それに陛下にも献上した蕎麦となれば売り込みやすいじゃないですか」
エマニュエルはあまりの事態にその場にうずくまる。スティーブが心配して背中を擦るが、気持ちの問題なのであまり効果がない。
「それでは行きましょうか」
スティーブとブライアンが蕎麦一式を持つと、魔法使いは王都に転移した。残された女性陣はエマニュエルにもう一度蕎麦を打つように命じる。が、エマニュエルが立ち直るにはもう少し時間が必要だった。結局、待ちきれない女性陣は自分達で蕎麦を打つことにした。
一方、直ぐにということで、ラフな格好で王宮に連れて来たことを後悔するブライアンとスティーブ。そこまで急な蕎麦を持ってくる用事とは何なのかと身構えるも、いざ国王に謁見し言われたのが、
「ソーウェルに卸しているそば粉とやらをこちらにも少しまわせぬか?まずは食してみてからだが、最近は西部でソーウェルが重要な客に蕎麦とやらを出しておるそうではないか。その評判がよくて、それを国王である朕が出せぬのも悔しい」
という事だった。ブライアンやスティーブからしたら大したことないが、国王としては辺境伯ごときが用意できる食材を用意出来ないとなると、面子に関わることになるのだ。
そして、今現在ソーウェル辺境伯の持つ港に到着した外国の使節団が、国王への謁見のために王都に来る予定となっている。なので、急ぎそば粉を入手する必要があったのだ。
スティーブが持ってきた蕎麦はすぐに毒見にかけられて、問題が無いのがわかると国王はそれを味見した。
「極上とまでは行かぬが、それなりに美味いし、目新しさはあるな」
それが国王の感想であった。
「蕎麦自体が生まれたばかりの料理ですので、王宮の料理人の腕にかかれば、さらに昇華されることでしょう」
とブライアンはこたえた。
蕎麦職人でもないスティーブが生み出し、ソーウェル辺境伯家の料理人によって味付け方法が開発された蕎麦には、まだまだ美味しくなる余地があった。
ブライアンとしても、新しい産業としてそば粉の生産を考えているので、なんとかして王宮にも売りたいと必死だ。
「確かに、アーチボルトのいう通りであるな。これを昇華されるためにも、そば粉と道具を買おうではないか。道具も持ってきたであろう」
「はい。これにございます」
国王が買うと言ってくれたので、途端に上機嫌になるブライアン。嬉々として差し出した蕎麦打ちの道具は兵士が受け取り、何処かへと持ち去った。
その後は宰相も含めて、一式の買い取り価格の話が始まる。といっても、一介の騎士爵が交渉など出来るわけもなく、買い取り価格は国の言い値となった。まあ、それでも良い値ではあったのだが。
話がまとまったところで、宰相のところに役人が来てなにやら耳打ちをする。宰相もその報告にうなずいて、スティーブのほうを見た。そして口を開く。
「それでな、買い取るにあたり一つ条件がある」
「条件、で御座いますか」
ブライアンは身構えた。宰相からどんな条件が出てくるのかわからぬが、あまりにも厳しい条件であれば、そば粉は別のところに売れば良いとさえ考えた。
「国からそちの領地に技官を派遣させてもらえぬだろうか」
「技官をですか」
「そうだ。いま報告を受けたが、麺棒は恐ろしく正確な円筒であるそうだな。それ自体が非常に高価なものであると判明した。出来ることならば、国家の規格作成事業のためにも、技官にその作り方を学ばせたいのだ。それに、円筒を作るだけでは終わるまい?」
宰相はスティーブを見た。ここでスティーブは麺棒の加工に旋盤を使ったのはやり過ぎたかと反省するに至る。だが、時すでに遅し。いまさらこのオーバーテクノロジーを取り繕うことは出来ない。
それに、今回それを断ったところで、どうせ何かにつけて技官を派遣しようとしてくることであろう。ならばここで大人しく、技官の派遣を受け入れておいたほうが、国王や宰相の気分を害さないだけマシではないかとの結論に至った。
「父上、よいではないでしょうか。ただし、我が領の機密の部分は公開出来ませんが」
スティーブの決断にブライアンも承諾することになる。
「それは当然こちらも承知。すぐに人選をして送り込むのでよろしく頼む」
「宰相閣下、我が領地には宿がございませんので、住む場所を作らねばなりません。直ぐにと申されましても」
「そこは心配してはおらぬ。なに、領主屋敷を新しく建てておるとかで、部屋も増やすのであろう?」
宰相はアーチボルト領の情報をしっかりと把握していた。なので、領主屋敷を新しくしていることなど筒抜けであった。ブライアンは領地に宿がないので、来客があったときに、宿泊するための部屋を用意していたのである。
ただし、そこに技官を長期で宿泊させるつもりはなかった。本来はブライアン宛の来客のためであり、そこに長期で滞在されると、本来の目的が達成できない。
結局ブライアンは宿も作ろうかと考えた。一番使うのはエマニュエルであろうから、帰ったら彼に相談してみようと決めた。商隊の規模も大きくなってきたので、いつまでも領主屋敷に泊めるのも難しいだろう。規模や料金などはエマニュエルに任せれば良いかと丸投げするき満々ではあったが。
技官の受け入れについてブライアンが考えているとき、辺境の弱小騎士爵までもこんなにきっちりと監視しているというのは凄い情報収集能力だなとスティーブは考えていた。
が、それはスティーブに原因があった。実は他の騎士爵領はこれほどまでに監視をしていない。スティーブの魔法と知識を脅威に感じた国王が、宰相に命じて特別に監視をさせていたのである。
技官の受け入れの話が終わると、ブライアンとスティーブは調理場に移動し、料理人たちに蕎麦の作り方を指導することになった。
スティーブが蕎麦打ちを実演してみせる。
「これで終わりです」
それを見ていた料理長が感心して、スティーブを誉めた。
「よくまあその歳でこうも新しい料理を考え付くな。この前のパスタもそうだが、普通は料理なんて数年は誰かの真似しか出来ないもんだ。まあ、麺料理に偏っちゃいるがな」
パスタもスティーブが考案したのは知られている。そこにきて、今度は蕎麦である。麺料理の文化が無いところに、前世の知識で知っているものを伝えているだけなのだが、知らぬ人間からは独創的と思われるのだ。
(次はラーメンかうどんでもと考えていたけど、麺料理しか考え付かないと思われるのも癪だな)
と、スティーブは思った。別に相手はそこまでは思わないのだが、それしか出来ないと思われるのが嫌だという職人気質が、ここに来て頭をもたげたのである。
前世では鉄、アルミ、銅、ステンレスだけじゃなく、マグネシウムも加工出来るぞと言ったこともあるスティーブらしい思考であった。
ただ、今はそれをいうべき時ではない位には、分別がつくようにはなっていたが。
「子供がいないなら、多少辛味があるほうが良いでしょうね。ワサビとか唐辛子があればよいのですが」
「ワサビはよくわからんが、辛子ならいくつかはある。それをこちらで試してみる。風味を壊さない程度が難しいだろうがな」
そう言ったところで料理長は少し考え込む。
「ところで、レシピを公開しても良かったのか?こういうのは弟子にもなかなか教えないもんだが」
「それも込みでの金額提示でしたからね」
アイデアはスティーブだが、開発元がソーウェル辺境伯家の料理人なので、完全にオリジナルというわけではない。しかし、そこからさらにスティーブが新しい食材を試したものが今の蕎麦である。仮にソーウェル辺境伯から苦情を言われても、オリジナルレシピを売ったと辺境伯に言える。
それに、王宮の料理人が同じものを出すこともない。彼らも独自に改良するだろうから、開発元とは違うものになるのだ。なので、レシピを売ったことでトラブルにはならないとスティーブは考えていた。
「つなぎの量を変えて試すのに、そば粉が追加で必要なら早めに言ってください。こちらも売り先を新規開拓してますので、無くなるかもしれませんよ」
「備蓄のために作ったと聞いていたがな」
「芋や豆の収穫があったので、こちらは売ることにしました。現金があれば小麦を買うことも出来ますしね。色々と痩せた土地で栽培できるものを試しましたが、結局は小麦を食べたいというところになるんですよね」
「そうだ、痩せた土地といえば、カボチャを持っていくか?あれなら痩せた土地でも育つだろう」
「それは是非とも」
思わぬところでカボチャが手に入り、スティーブは喜んだ。
そば、芋、カボチャ、豆と終戦直後の日本の食糧事情のようではあるが、つまるところどんなところでも栽培できるという事である。余談ではあるが、蕎麦の話で出てきた足利市の名物足利やきそばにはジャガイモが入っている。ポテト焼きそばなどとも呼ばれているが、それが生まれたのは終戦直後の食べ物が不足していた時代である。焼きそばだけでは腹が満たされないので、かさましするためにジャガイモを入れたのが始まりだ。
これでスティーブたちが王都に呼ばれた用事は終了し、技官を迎える準備をすべく領地に帰ることになった。