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107 聖女

 ルイスの戴冠式に呼ばれてスティーブはイエロー帝国に来ていた。そこで帝国の爵位である公爵を与えられ、ティーエスというミドルネームも与えられた。これからはスティーブ・ティーエス・アーチボルトを名乗ることになる。これは事前には知らされておらず、サプライズとなった。

 ルイスが皇帝になることになった功績を考えれば当然であるし、周辺国も帝国の平和路線を実現した功績から、祝福ムードとなった。同席していたクリスティーナも公爵夫人となるので鼻高々である。

 カスケード王国では公爵夫人相当であり、帝国では公爵夫人なのである。王妃を除けば最高の地位であり、両国にまたがってのその地位は史上初であった。実家が侯爵家というのもあり、社交界ではオーロラやイヴリンよりも上に扱われている。

 ただ、クリスティーナもオーロラやイヴリンを見下すようなことは無く、スティーブを中心とした関係者で派閥を作り、そのなかに収まる形をとっていた。クリスティーナ、オーロラ、イヴリンが所属する派閥に喧嘩を売るような愚か者はおらず、絶対的な地位を築くことになっていたのである。

 帝国においても、一時屋敷で寝泊まりしていたセシリーとは仲良くなっており、第二夫人とはいえ、献身的に皇帝を支えたセシリーとの間柄を知っている者たちは、クリスティーナにちょっかいを出すことは無かった。

 なお、ナンシーは帝国の祝賀に顔を出すことは出来ないので、家で留守番をしていた。

 戴冠式は無事に終了となる。

 今回の戴冠式のためフライス聖教会は聖国から教皇と聖女を派遣していた。

 聖国とはフライス聖教会の自治領のようなものであり、面積は小さいが宗教国家として独立している。大陸では広くフライス聖教が信仰されているため、そこを攻め滅ぼそうなどという為政者はいなかった。

 教皇とは聖国の最上位の指導者であり、宗教と国政の二つのトップとなっていた。それに対して聖女は政治的な権限は無い。しかし、宗教面では絶大な人気があり、教皇とその人気を二分していた。

 ただし、教皇は醜く太った中年男性であるのに対し、聖女は若い美しい女性なので、外見的には圧倒的に聖女の人気が高かったのである。

 戴冠式が終わると晩餐会となった。皇帝の権威を見せつけるべく、これでもかと豪華な食事が出てくる。ただ、出席者が高貴な者ばかりで、スティーブは息苦しかった。そんな食事を乗り切って部屋から出てテラスでクリスティーナと休憩していると、一人の女性騎士が近づいてきた。短い赤毛で体つきはダフニーと同じくらいであった。かなりの美人であるため、クリスティーナは警戒する。いや、スティーブも警戒しているが、その意味合いは違った。


「アーチボルト閣下にお願いがございます」

「どちら様?」

「失礼いたしました。私は聖国で聖女様にお仕えしている聖騎士のカミラ・フランクと申します。実は聖女様がお時間をいただきたいというので、そのことをお伝えにあがりました。このあとお時間はよろしいでしょうか」


 そう言われて、クリスティーナはスティーブの袖を引っ張った。スティーブはその意図を理解して、カミラという女性騎士に質問する。


「妻が同伴でもよろしいかな?」

「聖女様は閣下をご使命(指名)ですので、他の方はたとえ皇帝であったとしても、同伴は認められません」


 スティーブは困ってクリスティーナを見た。クリスティーナの表情が険しいのは、今までのスティーブの行いの結果である。何か大きな問題に巻き込まれるたびに、女性の好意を集めてくる夫に、聖女からの呼び出しとあれば、警戒するのも無理はなかった。

 カミラもその空気を読み取る。


「奥方が何を心配されているかわわからぬが、聖女様は生涯の結婚を禁止され、その心は神にのみ捧げることになっている。不貞など起こりようもない」


 聖女は生涯結婚と恋愛を禁止された存在であった。その愛は神にのみ捧げられるということになっている。なので、歴代の聖女は皆独身のまま生涯を終えていた。少なくとも公式にはであるが。

 そのことは当然クリスティーナも知っており、反論の余地は無かったのである。如何に社交界で隆盛を極めるクリスティーナとあっても、宗教の権威にはかなわず、引き下がるしかなかった。


「わかりました。聖女様の元へ案内してもらえますか」

「ご案内いたします」


 クリスティーナが諦めたことで、スティーブはひとりで聖女に会うことになった。

 カミラに案内されて、帝国が聖女のために用意した部屋へと案内される。

 部屋の中には小柄な長い青い髪の女性がいた。少女か成人したてというのがスティーブの第一印象だった。


「ユリア様、アーチボルト閣下をお連れ致しました」

「ご苦労様、カミラ」


 カミラがユリアと呼んだのが聖女だとスティーブはわかった。触れてはいけないような高貴なオーラを感じたのである。


「はじめまして、スティーブ・ティーエス・アーチボルトです」

「ユリアと申します。肩書は聖女ですが、自分で聖女というのは恥ずかしいですね」


 ユリアははにかんだ。その尊さにスティーブは、クリスティーナが同伴しなくてよかったと胸をなでおろす。


「それで、聖女様がどのようなご用件でしょうか?」

「天啓により、閣下に相談することになりまして――――」


 天啓と聞いてスティーブの表情が険しくなる。


「申し訳ございませんが、私は神が嫌いなのです。存在するかもわかりませんし。天啓というのは信じられません」

「貴様、神を愚弄するか!」

「神か、最初に罪を作り出したつまらん男のことだろ」


 スティーブに神を愚弄されたカミラは、怒りに任せて剣を抜いた。が、スティーブは慌てることなく、魔法で鉄の鎖を作り出して、カミラを拘束する。


「話し合いはこれまでですね。宗教観を押し付けられて、反論したら剣を抜かれる。次にやったら命は無いと思ってください」


 部屋から出ようとするスティーブをユリアが慌てて止めた。


「申し訳ございません。カミラのしでかしたことは謝罪いたします。話を聞いていただけますでしょうか」


 そう言ってスティーブに対して土下座をした。あまりにも必死にスティーブを止めようとするので、スティーブもばつが悪くなり、もう一度話を聞くことにしたのである。

 ただし、自分が神を信じない、嫌う理由を先に述べることにした。


「頭を上げてください。それではまず、どうして僕が神を嫌うかからお話いたしましょう。それで納得出来たら会話を続けようではありませんか」

「感謝いたします」

「僕が神という存在を嫌いなのは、全知全能というふれこみなのに、まったくそうした行いをしないことです。世の中の戦争は無くならないし、犠牲になるのはいつだって弱い子供たちだ。それなのに、宗教関係者は揃って神の与えた試練だという。実に理不尽ですよね」

「人は過去に、前世などで魂が負った罪を償いながら生きていくものだ」


 拘束されているカミラがそう言うと、スティーブは彼女を睨んだ。


「軍に町を焼かれ、生まれたばかりの子を背負う母親が川に飛び込んで、子供は溺死した。これが前世の償いだというのなら、最初から生まれなければよいでしょう。大きくなって過去の罪を償うための苦労であれば理解も出来ますが、生まれてすぐ死ぬことに何の意味があるというのですか?」


 口調は極めて冷静であるが、スティーブの言葉には怒気が含まれていた。

 これは幼くして死亡したスティーブの前世の祖父の兄の話である。米軍の空襲で発生した火災から逃げる最中に、母親が川に飛び込んだら溺死したのだった。それが神の与えた試練だというのなら、同じ条件でどうすれば生き残れたのか神に手本を見せてほしかった。

 フライス聖教会は一神教であり、全知全能の神が天より人間を見ているというのが基本の教義である。これが多神教で神々も間違いをするというような宗教であれば、スティーブもそこまで目くじらを立てるようなことは無かったのだが、一神教の考え方は許容できるようなものではなかったのである。

 ただ、それを信じている者はそれでいいと思っていた。自分にその教義を押し付けてこない限りにおいては、敵視することはしなかったのである。


「現世利益を神に求めることは間違っております。人は神に見られているからこそ、正しい行いを積み重ね、死後のさばきに備えるべきなのです」


 と聖女は言う。


「そもそも全知全能であれば、人間を間違った行いをしないように作るべきでしたね」

「閣下のおっしゃる通りです。そして、私のお願いというのも、まさしく人間の間違った行為を正していただきたいからです」

「僕に何ができるのかわかりませんが、正したい間違った行為とはなんでしょうか?」


 スティーブが訊ねると、ユリアは小さく折られた薬包紙を取り出した。スティーブはそれを受け取ると、中身を確認する。そこには粉が入っていた。


「これは?」

「麻薬です」

「麻薬!?」


 麻薬と聞いてスティーブは驚く。聖女が麻薬を持っているとは思わなかったのだ。この世界にも麻薬は存在する。そして、それはどこの国でも所持、使用が禁止され厳しく取り締まられていた。

 そんな物騒なものを聖女が持っているとは想像がつくはずもない。


「どうしてこんなものを僕に?」

「それが天啓だからです。私の魔法は神の啓示を受けるというもの。しかも、いつ発動するのかは神次第で、今回の戴冠式に出発する直前に啓示がおりてきたのです」

「啓示についてはそうだということにしておきますが、どうして麻薬を入手できたのですか?」

「それは、それを教会が密造密売しているからです」

「教会がっ!」


 スティーブは再び驚くが、その後のユリアの説明を聞くと当然だと思えた。


「教会は自治が認められております。それは聖国だけではなく、各国に建立された教会も同様。教会に運び込まれる荷物については通行税の対象外で、積み荷の検査もありません。それをよいことに麻薬を聖国で作って、各国に運び込んでいるのです。これはその流通途中のものをカミラに入手してもらいました。無くなったからといって、大騒ぎ出来るようなものではありませんので、今のところ表立っては騒ぎになってはおりませんが」

「教会がやっているとしたら大問題じゃないですか」

「ええ。しかし、これは教皇も知っていること。その販売の利益や効果を一番活用しているのは教皇なのです」


 ユリアによれば、教皇は信者の女性に麻薬を使い、ハーレムを作っているのだという。そして、それは各地の教区の区長や教会の管理者も同様であった。そして、中毒死した信者の隠蔽も、国の捜査権が及ばない教会としてはお手の物であった。

 それを聞いたスティーブは憤慨する。


「やはり宗教なんてろくなもんじゃない」

「返す言葉もございません」

「だけど、僕にどうこうできる問題だとも思えませんね。聖国はカスケード王国からさらに東。パスチャー王国の隣の国を越えてあるところですよ。攻め込むにしても遠すぎるし、そもそも宗教国家を相手に戦争なんて、自殺行為も甚だしい。それに、魔法の素質を調べるのは教会の専任事項ですから、戦争になってそれを禁止されるとなれば、国王陛下も反対すると思います」

「申し訳ございません。私は天啓に従って閣下にこのことをお伝えしたのみです。今後どうなるかは、神のみぞ知ること」

「困りましたねえ」


 スティーブは頭を抱えた。

 麻薬の供給元が教会であったとして、それを公表しても教会に否定されたら終わりである。教会への捜査を国が行うことは出来ない。仮にそれを強行した場合には、教皇によって聖戦が発動され、周辺国がその国へ攻め込むことになる。そして、魔法の才能の判定がされなくなる。

 それを承知で聖国、フライス聖教会と戦えというのは無理難題というものだ。


「やはり神はろくなもんじゃない」

「いいえ、きっと神の加護はあるはずです。我らの行いを天から見ているのですから」

「見ているなら止めてほしかったね」

「まあ、それはそうなのですが……」


 ユリアは上手な返しが出来ずに口ごもった。


「公表してもこちらの方が被害が大きそうだなあ。とりあえず帰国してから陛下と相談してみますが、あまり期待しないでください」

「全ては神の思し召しです」

「全て世はことも無しとはいかないか」


 スティーブは麻薬を預かり聖女のいる部屋を後にした。


いつも誤字報告ありがとうございます。

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