102 和解
スティーブはダフニーを連れて王都に転移する。セシリーは別で自分の魔法でスティーブの屋敷に帰った。
王城の目の前に転移したスティーブはダフニーの様子がおかしいことに気づく。
「なんだか顔が怖いんだけど、何かあった?」
「何かあったのは閣下ではないでしょうか」
「僕が?」
「はい。なんというか、エース・オブ・チャリスとの距離が縮まったように思えるのです」
ダフニーはスティーブとセシリーが仲良くなっていることに気づいていた。女の勘というか、スティーブに近づく女性を厳しく監視している賜物であった。
新たな女性がスティーブに言い寄りそうなくらい近しくなっていたので、機嫌が悪かったのだ。
なお、不倫願望というわけではなく、クリスティーナとナンシー以外に自分だけが剣の訓練ということで、スティーブの時間を独占している優越感をそのままにしたかったのである。
「和解したとまではいかないけれど、少しは関係が改善したということかな。義妹とは仲良くしたいからね」
スティーブの返答はダフニーの欲しい答えではなかった。なのでさらに追及する。
「私たちが転移する前に、何かあったのではないでしょうか?敵と戦う以外にも、です」
「それはあったよ。まずはナンシーのことを謝った。僕がもう少しうまくやっていれば、違う結果になったんじゃないかなってね」
「それでどうなりましたか?」
「死んだり凌辱されてなくてよかったと言ってくれたよ」
「そうですか」
それを聞いてダフニーはそれだけで距離が縮まるかと考えるが、出た答えは否だった。他にもっとなにか理由があるはずだと、さらにスティーブに質問する。
「それだけでしたか?」
「あとは、敵の元部下の攻撃で傷ついたセシリーを治療したくらいかな」
「それで距離が縮まったのですね」
「治療っていっても、傷自体が大したことなくて、治癒魔法を使わなくてもよかったくらいだよ。その前に腕を斬り落とした時の方が大怪我だから。それに、距離が縮まったっていうのがダフニーの勘違いかもしれないじゃない」
「勘違いではありません。これは間違いないです」
「僕の測定の魔法で距離を測ろうか?」
「物理的な距離ではないので無理でしょう」
相変わらずこの手の話には鈍いスティーブであった。別にとぼけてこの会話をしているわけではないのはダフニーも理解している。
当初の目的だった距離が縮まった理由がなんとなくわかったので、ダフニーはスティーブにお礼を言って王城へと入っていく。ここから家までは自分で帰るというので、スティーブは自分の屋敷へと転移した。
スティーブと別れたダフニーはひとりごちる。
「治癒魔法でとどめを刺されたのよね、きっと」
新たな戦いの予感に拳を強く握って、国王への報告に向かった。
スティーブが屋敷に戻ってくると、セシリーがナンシーと普通に会話をしていた。出征前とは違った雰囲気に、スティーブはホッとする。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
ナンシーがスティーブに気づく。仲直りしたのかと直接訊きたいスティーブであったが、もし違った時に雰囲気が悪くなるので、その質問はしないで吞み込んだ。
スティーブが帰って来たので、クリスティーナもアーサーを抱きながら挨拶に来た。
「おかえりなさいませ。無事でよかったです」
「初日としては上々だったね。ただいま、アーサー」
スティーブは長男に声をかける。まだ言葉を理解できないが、手を差し出してスティーブの指を掴もうとした。
帰って来たばかりのスティーブは、自分の手を水魔法で洗浄して、スティーブは自分の人差し指を握らせながら、イザベラのことを訊ねる。
「イザベラは?」
「今は寝ております。でも、もうすぐ起きるでしょう。授乳の時間がもうすぐですので」
「じゃあ、寝ているうちに顔を見てくるかな」
子供の顔を見に行こうとするスティーブをセシリーが呼び止めた。
「閣下、もしよろしければ私も姪の顔を見たいのですが」
「じゃあ一緒に行こうか。いいよね、ナンシー?」
「もちろんです。私も行きます」
「では、私はアーサーの授乳がありますので」
クリスティーナは授乳のため一人別の部屋に向かう。
スティーブはセシリーとナンシーと一緒に、イザベラの寝ている部屋の前に立った。ナンシーだけが部屋に入り、イザベラを連れてくる。戦場から帰って来たばかりのスティーブとセシリーは、ナンシーがだっこしてきたイザベラを見る。
「ただいま」
スティーブが声をかけたが、イザベラは眠ったままであった。
「旦那様が帰って来たというのに起きませんね」
「寝る子は育つっていうし、いいかな」
セシリーは寝ているイザベラを見ている。それはとても温かいまなざしであった。
「ナンシー、私にもだっこさせてもらえる?」
「いいけど、体のほこりを落として、着替えてからよ。旦那様だって我慢しているんだから」
「わかった。では、食事の後にでもお願いしようか」
「お風呂の準備は出来ているから使うといいわ」
「ここの風呂は不思議だな。使用人が温かい湯を注ぐことなく、常に温かい湯が流れてくる」
「旦那様の熱交換器のおかげね」
スティーブの屋敷にも当然ながら熱交換器のお風呂が設置してある。セシリーは最初にそれを見た時に驚いたのだった。
「帝国にはこうしたものがあるとは聞いたことが無い」
「その秘密を探るために私が送り込まれてきたのよ。結局帝国に持ち帰ることは無かったけど」
「その役目は私が担うから大丈夫」
ナンシーがアーチボルト領に来た話をしても、セシリーは以前のように不快感を見せることは無かった。ごく普通にその会話をしているのを見たスティーブは、これならもう大丈夫かなと思ったのである。
そして、スティーブとセシリーが着替えのために自室に戻ると、ナンシーはクリスティーナのところに急いで向かった。
「クリス!」
「どうしたの、ナンシー。そんなに慌てて」
「セシリーから女の臭いを感じた」
「女の臭い?」
クリスティーナはナンシーの言うことがわからなかった。ナンシーもクリスティーナに伝わっていないと思って、詳しく話す。
「旦那様との会話は単なる軍事同盟の関係を超えている。あれは恋心に近いな」
「まさか、そんな。でも、たしかに帰ってきてから雰囲気が変わったとは思っていました。ナンシーに対しての気持ちの変化かと思っていましたが、スティーブ様に対してだとは。間違いないのですよね」
ナンシーに問うクリスティーナの目つきは鋭い。それは肉食獣が自分のテリトリーに他の個体が入って来たのを知った時のような雰囲気であった。
「間違いない。戦場という特殊な空間で、種を保存しようという本能的なものがはたらいたのか、それとももっと別な何かなのかはわからないけど、行く前と帰って来てからでは臭いが全く別物だ」
「それで、ナンシーはセシリーのことをどう思っているの?」
「どうとは?」
「姉妹でスティーブ様と暮らしたいと思っているとか」
クリスティーナの質問にナンシーは強めに首を振る。
「それはない。絶対に。旦那様にはこれ以上妻という立場の女性を増やしてほしくはないな。たとえそれが妹であっても納得は出来ない」
「それを聞いて安心しました。同じ考えで良かったです」
クリスティーナはニコリと笑うが、その笑顔はオーロラのようだなとナンシーは思った。
丁度その時、イザベラが目を覚まして泣いた。
「あら、お乳が欲しいのね。じゃあ行きましょうか」
ナンシーはイザベラと一緒に授乳のためクリスティーナのところから去っていく。
それを見送ったクリスティーナは、満腹になって寝ているアーサーの顔を見ながら話しかけた。
「まったく、あなたのお父様には困ったものね」
翌日、スティーブはダフニーを迎えに行き、その後屋敷に戻ってセシリーと一緒に昨日の戦場に転移する。
野営をしていた陣地で副団長のライアン・ソーンダイクから夜の間の出来事の報告を受ける。
ダフニーがライアンに訊ねる。
「副団長、夜間には何かあったか?」
「特にはないですね。一万人の帰還ともなると、時間がかかりますから、常に襲われる緊張感はありましたけどね」
武装解除したとはいえ、一万人が襲い掛かってきたら近衛騎士団であっても無事では済まない。帰還するように指示を出しはしたが、その人数が荷物をまとめて移動するとなれば、時間は相当かかる。
「相手の騎士団はどうか?」
「おとなしいもんですよ。あれはアーチボルト閣下の魔法がきいていますから怖いってことは無かったですね。今から移送ですか」
「そうだね」
ライアンにスティーブがこたえた。今からソード騎士団はフォレスト王国の王都に転移させて、そこで捕虜として管理してもらう。ただし、今はスティーブの魔法でルイスに忠誠を誓っているので、ひどい待遇にはならない。
そして、今おとなしいのはルイスの指示で動くセシリーの指示が、ルイスの指示として扱われているので、忠誠を強制されているソード騎士団はそれに逆らうことが出来なかったのだ。
「ご苦労だった。私もいまからここで待機だ。閣下とクロムウェル殿で国境付近にいる他の敵を見つけて、昨日同様に無力化したうえで我らが管理することになる」
ダフニーは昼間は近衛騎士団とともに行動をすることになっている。なので、今からここでスティーブからの指示があるまで待機だ。
「このペースなら、西部の貴族と国軍が到着する前に、この一帯の敵はいなくなるんじゃないですかね」
「そこまで楽だといいんだけどねえ」
スティーブは事前に得ていた情報をもとに、フォレスト王国で作成した地図を確認する。そこには帝国との国境線が描かれており、おおよその敵の位置が書き込んであった。
敵も移動する可能性があるので、今も同じところにいるのかはわからない。
「まずはソード騎士団の移送からやってくるね」
スティーブはそういうと、ソード騎士団を連れて転移した。そしてすぐに戻ってくる。
「セシリー、今からまた索敵になるけど、怖さはある?」
「いいえ、昨日で慣れました。それに、閣下と一緒であればたとえ幾億の敵を相手にしようとも、勝利できるような気がします」
「はは、流石に億の敵を相手にするとなったら僕も逃げるけどね。じゃあ行こうか」
こうしてスティーブとセシリーは索敵に向かった。
結局、その日と翌日でフォレスト王国の国境に来ていた帝国軍は壊滅することになる。
今はスティーブとセシリー、それにダフニーが並んで三つの遺体を見下ろしていた。
それはチャリス騎士団のキングとクィーンとナイトの遺体である。キングは公式にはエース・オブ・ソードとなってはいたが。
帝国南部にいた彼らは東部に回され、ビーチ王国の反乱を鎮圧するよう命じられ、その後フォレスト王国への圧力のためこの地にとどまっていたのだった。
そのため、スティーブとセシリーに発見されて戦い、敗れて殺されたのである。
「閣下、お手間を取らせて申し訳ございません」
セシリーがスティーブに頭を下げる。この遺体はスティーブとセシリーによって斬られたものだった。そして、敵対したとはいえかつての仲間であり、セシリーは三人を埋葬したいとスティーブにお願いしたのである。
クィーンとナイトも魔法で命令を強制して仲間にしたとしても、その魔法の効果が消えた時に危険になるということで、今回の戦闘で殺しておくべきと判断したのである。
「埋葬するよ」
「はい」
スティーブの土魔法で地面に穴が掘られると、その穴に遺体を入れた。そして埋め戻す。
「墓標を作ろうか?」
「いえ、それはやめておきましょう。のちに彼らも逆賊として扱われることでしょうから、その時誰かにここを荒らされたくはありません」
セシリーの視線は地面を見ていた。
スティーブはそれ以上声をかけることができず、セシリーの気が済むまで後ろで待っていた。
いつも誤字報告ありがとうございます。