10 ソーウェル辺境伯からの呼び出し
スティーブは家の女性陣と一緒に収穫したそばから作ったそば粉を使って、屋敷の台所で蕎麦を打っていた。つなぎに小麦粉を使う、いわゆる二八蕎麦である。
そば粉と小麦粉の比率は測定の魔法で重量を測定しているので、世界で一番正確な比率となっている。そうして打ったのがこの蕎麦であった。
尚、スティーブも蕎麦を打つのはこれが初めてであり、蕎麦好きの両親からの受け売りの知識を使っているだけであった。
「これで麺は完成です」
ニックに旋盤で作らせた麺棒と麺切り包丁を使い、その完成度も確認する。そばと一緒に売りに出すためだ。
「結構大変ね」
とはアビゲイルの意見であった。そう、蕎麦打ちは大変な作業なのである。そして奥が深いので定年退職した人たちが極めようとするのに丁度よいのだ。
そしてこの蕎麦には問題があった。
そばつゆが無いのである。
スティーブが王都に行き、何とか見つけた魚醬とみりんの代わりにお酒と砂糖、それに薬味になりそうなネギっぽい野菜を仕入れて来た。出汁はかつお節など無いので、猪、キノコ、川魚の干物などをこれから試す。幸いにして塩だけは沢山あった。
さてこれからという時に、屋敷に突然の来訪者がある。ブライアンがスティーブを呼びに来て、同席するようにと言うのだ。来訪者はソーウェル辺境伯の使いであり、スティーブにも関係する事なので、同席は絶対だという。
スティーブ製の鉄鍋にみりんっぽい甘くなったお酒を入れて火にかけていたところである。名残惜しいが、麺つゆの作り方を簡単に説明して、スティーブは台所をあとにした。
応接室に入ると、そこにソーウェル辺境伯からの使者が待っていた。使者はソーウェル辺境伯の正式なものであり、この場においては辺境伯と同等になる。ブライアンとスティーブは膝をついて頭を下げた。
「ソーウェル辺境伯からの用件を伝える。今すぐにソーウェルラントまで来るように」
「承知いたしました。ただいまよりソーウェルラントに罷り越す準備をいたします」
ブライアンがそう返答をする。
要件はソーウェル辺境伯からの呼び出しであった。何故呼んだのかを理由を訊ねるが、使者は知らないと答えた。
移動手段は使者の乗って来た馬車。既にここからソーウェルラントまでの通行許可は、他の領主に取ってあるので直ぐに準備をして出発せよとのことであった。
結局、スティーブは蕎麦の味を確認することなく出発した。ソーウェルラントであれば、魔法の才能を確認する儀式で訪れており、転移の魔法で一瞬で移動が出来るのだが、今はそれを伏せておいた方がいいだろうというブライアンの判断で、使者と一緒に馬車での移動となった訳だ。
初日の宿場町、宿に入って使者と別れると、スティーブは直ぐに屋敷に転移した。そして女性陣に蕎麦の感想を聞く。なんなら残っていれば自分も試食したいと思っていたが、それはかなわず、蕎麦は全て女性陣の胃袋へと収納されていた。
「つゆの味が濃い方が美味しいわね」
とはアビゲイルの感想である。猪を使った豚骨風味の汁に、これでもかと塩を入れた蕎麦がお気に入りだとか。
「汁にあうハーブを探すともっと良いかもしれません」
クリスティーナは魚醤とみりんもどきで作った麺つゆに、薬味をいれたものをもっと改良できるかもしれないと言う。
「紫蘇とか山椒があればいいのかなあ」
「実家の料理人を使えればよいのですが」
「そうだね。でも、この物足りなさから料理人魂に火がつくかもしれないから、このレシピをエマニュエルに渡して売ってもらうのもいいかなあ」
クリスティーナの提案は魅力的だった。マッキントッシュ伯爵家の料理人を使えるとなれば、スティーブが考案するよりもはるかに良いものが出来上がるだろう。ただし、そうなった時に利益の配分でどうなるか分からない。出来れば独自開発をしたかった。
「夏は冷蔵庫で冷やした冷たいのを食べられて、冬は鍋で煮たあったかいのを食べられるならそれでいいわ」
シェリーの発言で、冷蔵庫の需要が伸びそうだと気づく。暑くて食の細る夏には冷たい麺の需要があるだろう。そうなれば冷蔵庫も一緒に需要が高まる。
「もっと食べたいから、麺を打ってから戻って」
と女性陣にせがまれ、結局スティーブはもう一度麺を打つことになった。なお、本人は今回も食べられない。あまり長い事宿を空けて、万が一使者にそれがばれたら面倒なので、麺を打ったら直ぐに戻ることにした。今回は試しにということで、そばは少量しか収穫しておらず、臼でひいたそば粉もごく少量しかない。どうやら、初めての蕎麦は女性陣に食いつくされるようであった。
翌日もソーウェルラントを目指す旅は続く。しかし、特に問題は無い。ソーウェル辺境伯の家の紋章が描かれた馬車にちょっかいをかけてくるような馬鹿はいないので、問題など起こらなかったのである。
そうして無事一週間でソーウェルラントにあるソーウェル辺境伯の居城に到着した。そして通されたのは豪華な調度品が飾られる部屋。高級なソファーがあり、そこに座るのは長く艶のある黒翠いろの髪をもつ30歳くらいの女性。ソーウェル辺境伯の一人娘、オーロラ・テス・ソーウェルであった。それ以外にも室内には護衛の為の従士が10人配置されている。
ソーウェル辺境伯は病に臥せっており、オーロラがその全権を代理していた。なお、既婚者であり子供もいる。婿である夫はお飾りという訳ではなく、領軍を指揮する立場にあり、軍事面で隣国及び国内ににらみを利かせていた。
ソーウェル辺境伯からの呼び出しときいて、呼んだのはオーロラであるとはわかっていた。
「ようこそ、アーチボルト卿」
「お呼びにあずかり、罷り越したしだい。閣下にお会いできて光栄でございます」
「堅苦しい挨拶はこれくらいでいいわ。座って頂戴」
そう言われてブライアンとスティーブが座ったところで、スッとタイミングよくお茶が出される。まずはオーロラがそれを口にして、それを確認してブライアンとスティーブもお茶を飲んだ。
ティーカップを置き、オーロラが本題に入る。
「来てもらったのは王都での噂の確認よ。ご子息が近衛騎士団長に勝ったそうじゃない。それで、その腕を買われて陛下の策を手伝い、フォレスト王国の工作員とつながりのある貴族が多数排斥されたとか。本当なの?」
「近衛騎士団長に勝ったのは事実ですが、陛下の策を手伝ったというのは間違いですね。なにも知らされずに使われたというのが真実です」
「そう。じゃあアーチボルト家が借金を完済して、マッキントッシュ伯爵家から婚約者を迎えたのは、陛下から頂いた褒美があったからという訳ではなくて?」
オーロラがギロリとスティーブを見た。その視線を受けてのスティーブの感想は、商社のやり手キャリアウーマンっぽいなというものであった。前世で会社に来た加工のことなどわからないのに、原価の計算が恐ろしく正確で、こちらの見積書の曖昧な部分に鋭い指摘をしてきた女性が頭に浮かんだ。
オーロラは国の内外に強力な情報網を持っており、王都で起こった騒動についても、その情報を掴んでいた。その真偽の確認をしようとして、ブライアンとスティーブを呼びつけたのだ。
「褒美ではございません。まず金についてですが、これはハドリー男爵がこちらに支払った迷惑料です。それに、マッキントッシュ伯爵家の令嬢はうちの息子に助けられたことが縁で好意をもっていただき、ハドリー男爵の息子との彼女を賭けた決闘の結果婚約となったわけです」
ブライアンの回答にオーロラは疑いの目を向ける。
「迷惑料というけど、ハドリー男爵は決闘の場で拘束されたそうじゃない。大金を用意できるような状況ではなかったと聞いているわ」
「はい。正確にはハドリー男爵が拘束される前に支払いを約束し、息子がその支払いを受け取る権利を陛下に売ったというものです。うちは回収するだけの能力がありませんから」
「それを10歳の子供が考え付いたの。信じられないわね。そうそう、信じられないといえば、その子供が近衛騎士団長に勝ったというのも信じられないわ。どうやって勝てたのか教えて欲しいわ」
オーロラとしてはスティーブの能力を把握しておきたかった。近衛騎士団長に勝つような人材が西部におり、その人物が北部閥を取りまとめるマッキントッシュ伯爵家との婚約を結んだ。将来的には北部に引き抜かれる可能性がある。
引き抜かれた時の損失を考え、なんとかスティーブを西部に留め置くための費用を算出するにあたり、費用対効果を知りたかったのだ。
ブライアンも本当はスティーブの魔法を秘匿しておきたかったが、西部閥の領袖であるオーロラに対してそうすれば、その報復としてどんなことをされるかわかったものではない。なので、ここは正直に話すことにした。ただ、自分の口からではなく、スティーブの口からではあるが。
ブライアンに促され、スティーブが自分の魔法についてオーロラに説明する。
「僕の魔法の中に、相手の作業を習得出来るようになるというのがあります。それで、近衛騎士団長の動きを習得しました。そして、その魔法は間違う事無く作業を繰り返すことが出来ます。その結果、近衛騎士団長がつかれてミスするまで互角に戦い、相手にミスが出たところで勝利しました」
「ふうん。是非ともそれが本当か見たいわね」
オーロラのお願いは命令とイコールであり、スティーブもそれがわかっているので首を縦に振る。
「それではここでお見せしましょう」
スティーブはそういうと、ソファーの上から従士のひとりの目の前に転移した。そして、脇腹の部分に人差し指を軽く当てる。
それから0.5秒して従士たちはスティーブが転移したことに気づき、包囲するように位置取りをして抜刀した。スティーブは包囲を確認すると、再びソファーの上に転移する。
「いかがですか、閣下。信じてもらえましたでしょうか?」
オーロラに笑顔を向けるスティーブ。オーロラも笑顔であるが、唇がひくひくとしていた。オーロラからしてみれば、スティーブにいつでもお前を殺せるんだぞと言われたようなものである。なにせ、護衛の従士が反応するよりも早く動けるのだ。何人護衛を用意したところで安全とはいえない。
「素晴らしいわね。それが近衛騎士団長の動きだということね」
「はい」
実際には転移の魔法を使っているので、近衛騎士団長の動きではない。が、その比類なき強さが国内に知れ渡っている近衛騎士団長であれば、今のような目にもとまらぬ動きが出来ると信じるのも無理はなかった。
「噂が本当なのはわかったわ。それにしても、マッキントッシュ伯爵家のご令嬢と婚約をするとはね。北部閥の大物となれば、アーチボルト家について色々という人たちが出る事でしょうね」
オーロラは話題を変えた。スティーブとクリスティーナの婚約についての事だ。中立ではあるが、領地の場所的に西部閥に属するアーチボルト家の嫡男であれば、通常は西部閥の貴族家の令嬢と婚約するものである。それは西部地域での血縁を増やし、その地位を確固たるものにするため。恋愛結婚などまずない貴族社会においては当然のことである。
しかし、ここで北部の貴族から婚約者を得たとなれば、北部への領地替えを狙っているのではないかという懸念を持たれる。また、アーチボルト家を足掛かりに、北部閥が西部に進出してくるのではないかという懸念を持たれる。それについてオーロラが釘をさしたというわけだ。
「吹けば飛ぶような辺境のわが家を貶めたところで、何ら得るものは無いと思いますけどね」
スティーブがそういうが、オーロラは引き下がらない。
「リバーシや冷蔵庫の販売。それに上質な鋼の出処もアーチボルト領となれば、吹けば飛ぶという認識は間違いね。どんな嫌がらせがあるかわかったものじゃないわ」
エマニュエルを通じて販売しているものは、当然ながらオーロラは把握済み。どんな嫌がらせとは勿論自分がやるぞという遠回しな脅しである。
「ふたごころが無いことを証明するためにも、西部の発展する政策があると言ったらどうしますか?」
ここでスティーブがオーロラに妥協案を提案する。利益をあげるから黙っていてくれという訳だ。
「あら、いいわね。それがあれば他の者達も納得する事でしょう。詳しい話は出来るかしら?」
「はい。実は商品先物取引所を開設して、商品価格の変動に備えられる仕組みを作ろうとおもうのです」
「商品先物?聞いたことが無いわね」
「先物とは将来の商品、つまり銅や小麦の商品の価格です。これらを予約する仕組みですね。生産者であれば出荷時期に合わせて売り値を予約しておき、問屋であれば仕入れ価格を決めておくことが出来ます。そうすれば、豊作不作や悪天候などがあったとしても、売買価格が安定するという訳ですね」
「それであれば生産者と商人の間で決めればいいだけでしょう。何もこちらに利益がなさそうだけど」
「そこで取引所と仲買人という仕組みを作ります。商品を売買したい人は仲買人を通すことで、直接相手のところに行かずとも済みます。また、仲買人を免許制にして閣下が免許を発行し、年会費を納めさせるのと、手数料に税金を掛けるのです。それに、受け渡し日には現物をこちらに運ぶため、人の移動も増える事でしょう。結果として商業も伸びるという訳です」
オーロラはスティーブの提案を一考した。悪くはないというのが率直な感想だ。
日本では江戸時代には米の先物相場があった。なにも、現代のようなコンピューターがなくとも先物取引は出来るのである。
そして考える中で、ふと疑問がわいた。
「そこまでの考えがありながら、どうして自分でそれをやろうと思わなかったの?」
「当家の用意できる人材ですと、そのような売買を管理するのは難しいです。それに、商品と人が集まるというのであれば、当家の領地ではとてもではないが扱えるものではありません。ならば、それを実現可能な閣下にアイデアをお渡ししたほうが良かったということです。ただ、少しばかりのアイデア料をいただけるのであれば、当家と関わりの深い商人を仲買人としてほしいです」
スティーブが自分で取引所を開設しなかったのは偏に人材不足だということ。読み書き計算が出来る人材を持っておらず、複雑な先物の商取引の管理が出来ないという問題からであった。オーロラも確かにそれならと納得する。カスケード王国どころか、大陸中を探してもない商品先物取引所の開設という提案に、これ以上アーチボルト家に対してプレッシャーを掛けるのは止める事にしたのであった。
「アーチボルト家にふたごころが無いのはわかったわ。今後もしそのような事を言う者が現れたら、当家が責任をもって対処しましょう」
面会が終了し、領地に帰るのにあたり再び馬車を用意するというオーロラに対して、スティーブはその申し出を断った。転移の魔法がばれているので、隠す必要なしと判断したのである。ただ、これは勇み足であり、オーロラは短距離の高速移動だと勘違いしていた。
そして、アーチボルト家の二人が消えた部屋に夫のレオ・テス・ソーウェルを呼び、護衛として一緒にいた従士長であるハリーも部屋に残した。
「アーチボルト家の噂はどうだったんだい?」
夫であるレオがオーロラに訊ねた。
「噂は本物。そして、本人は噂以上の人物ね。ハリー、あの子を止めるにはどうしたらいいと思う?」
「お嬢様、あれを止めようとするならば、国軍と魔法使いを大量に用意する必要があるでしょう。少なくとも、当家だけの戦力でぶつかれば敗北は必至」
ハリーはオーロラが小さいころからソーウェル辺境伯家に仕えており、今でもオーロラをお嬢様と呼んでいる。忠誠心は随一であり、天地がひっくり返ってもオーロラを裏切らないだろうと言われている。
「おいおい、ハリーがそうまで言う人物だってことか」
レオは驚いて妻を見た。
「そうね。ただ、あちらが勝利したところで統治能力が無いから、そんな無駄な事はしないでしょうね。実に計算高い相手よ。商品先物取引所についても初めて聞くような仕組みなのに、きちんと説明が出来ていた。なのに、それを自分でやろうとはしない。リスクは全部こちらに投げられたわけ。それでいて、取引所の利用だけはしようというのだから。まあ、計算が出来るっていうのは裏を返せば交渉が出来るという事だから助かるけど。計算も出来ない相手であんな力を持っていたら、それこそ自然災害と変わらないわ」
「それを知って、マッキントッシュ伯爵が娘を送り込んだのか」
「いえ、それは違うみたいね。娘が坊やにぞっこんなのよ。これが小さな貴族家ならば、無理矢理婚約を解消させて、うちの子をねじ込むってのもありだけど、マッキントッシュ伯爵相手にそんなことをしたら、こちらもどれだけ被害が出るかわかったものじゃないわ。今は共栄の道を探ることにしたわ」
オーロラは悔しそうに歯嚙みする。先にスティーブを取り込めていればとの激しい後悔だ。なにせ、魔法の才能が発覚したのはこのソーウェルラントでの儀式でのこと。その時に青田買いをしていればこんな事にはならなかった。
儀式を執り行った者が、単に測定するだけの物差しや秤程度と報告したので、それを信じてしまったのである。オーロラは窓から見える教会を忌々しそうに睨んだ。