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雨過天晴

「・・・と、いう事があったのだよ。」

長い話しを終え、宗麟は翔を見上げた。

「分らない事ばかりですよね。父は何故僕を連れて山に入ったのでしょうか?それに山中での時間の経過が長過ぎませんか?自分がどうして生きていたのか理解出来ません。それにその公安の工藤って人、公務員である筈ですから探し出せないものでしょうか。その人に呼び出されたって思うのが普通ですよね。それから史隆叔父さんも納得したって事ですか・・・」

翔は目の前の伯父に言うでもなしに話し続けた。

「県警の新井さんや市役所の深山さんを知っていて、今まで僕に隠していたのは何故ですか?自分がこの件を調べたいと言った時に教えてくれれば良かったのに。」

翔が呟くのを姿勢を崩さず聞いていた宗麟は口を開く。

「新井さんはこの件の後、三年ほどで警察庁に移動されて存在が消えたよ。三年間はいろいろと探ってくれたのだけれど結果は出なかった。移動する直前、頭を下げにここに来てくれたんだ。もしかしたら工藤と同様に謎の公安に配属されてしまったのかもしれない。深山君は今も市役所にいて課長に昇進している。紹介こそしていないが、翔達は深山君には何度も会っているんだよ。今となっては連絡が取れるのは深山君だけになってしまった。神崎本家の史隆君はもちろん納得してこの件を治めている。より詳しいことは彼の方が知っているとは思うけど、やはり教えてはくれなかったな。ただ、史隆君も何故山に入ったかは分からないという。彼等とも相談して君にはある程度時間が経ってから話そうと決めたんだよ。お母さんの心の回復を待ってからね。」

伯父の声が翔の耳に優しく響いた。

「ただね、この間にも我々に何か圧力のようなものは一切かかっていない。あくまでも表向きの捜査結果に協力して来ただけの事なんだよ。深山君も彼の出来る範囲で探ってくれたし、その事に対して県や国から制限は受けていない。それでも何も出てこなかったな。」

宗麟は、言い終わると上を向き天井の曼荼羅を見詰めた。


豪雨が雨戸を叩き震えていた。雷鳴も轟いている。本堂に入って初めて周囲の音が耳に入った。どれくらい時間が経ったのかも分らなかった。

「さて、これを知った上で、槍穂岳に向かうかい?」伯父が悪戯っぽく言い放った。

「行っても良いんですか?」意外な言葉に驚く。

「あの事件の後は槍穂岳に関しては大きな事故はない。まあ、山中での滑落や遭難は平均的に起こっているから決して簡単な山ではないのだけど、君達の事故のあとお父さんが務めていた関係もあってかは定かではないけどY.PACが巨額投資をしてね。有識者の指導を受けて県が山岳ルートの整備を見直している。昨今の登山ブームもあって、登山道を歩けば人も多くいるし、随所に山小屋もあるから特に危険視する必要はないとは思うけどね。お父さんの十周忌も終えた事だし、お母さんもある程度は理解出来るのではないかな。」


父親の十周忌は昨年祖父の三回忌と同日に黎明寺で法要を済ませていた。

神崎家の菩提寺は静岡にあり遺骨はそちらに埋葬しているのだが、同じ宗派でもある菩提寺の住職や神崎本家の同意もあって葬儀を含めた法要は黎明寺で行っていた。

伯父の話は、登山ルートを歩く分には問題ないから安全に楽しみなさいとも取れる。

しかし、この話を聞いた翔には『謎を解きたい』という欲望が芽生えていた。

「いつから行く予定なんだい?」

伯父の問いに許可が出ると思ってなく未定であることを告げると、ある人に会ってみなさいと言われた。


伯父と一緒にご本尊に拝礼し、住屋に戻ると居間でテレビゲームを楽しんでいる女性陣があった。その様子を見た翔は部屋に入るとぐったりと肩を落とした。

「あ、翔!あきらめた?」

作務衣姿の雫がテレビの前で変なポーズをしながら言い放った。

「おう。OKが出たぜ。」

翔が返した途端バランスを崩してソファーにダイブする。

「はあ?伯父さん何してくれてんのよ。」

雫は容赦なかった。

「まあまあ。お母さんも承知の事だからさ。」

伯父の顔で、宗麟住職が優しく答える。

慌てて母親を凝視すると、母は微笑んで返事をした。伯母の妙子と祖母に目が泳ぐ。どちらも母と同じように微笑み返している。

「ちょっと。私だけ除け者扱い?どういうことよ。翔の事、伯父さんに止めてもらおうと思って意気揚々と来た私は何のピエロよ!私はペニーワイズ?」

普段の雫を知る、この場にいる誰もが『こんなに早くしゃべる事もあるのか』と思っている。

「ペニーワイズは殺人ピエロの化け物だろ」

翔が言った。

「はあ?揚げ足捕ってんじゃないわよ。翔!殺されたいの?」

『ああ、ペニーワイズだ』と思ったが、姉のキレかたは冗談などではない。

落ち着かせようとして、改めて宗麟がかいつまんで説明する。

うん、うんと聞いてはいたが釈然としない内容に再び沸騰寸前だ。

「今までの事は嘘だったのね。しかも、何も解決していない。史隆叔父さんは何で何も教えてくれないの?どうして殺人事件を隠蔽したの?お父さんって何者だったのよ?スパイとか・・・まさか、英ちゃんや俊も知っていたの?」

雫の問いに、英幸や俊之も知っていると答えると、雫はフリーズしてしまった。わなわなと唇を震わせて涙をためている。

「雫や翔には直接すぎてショックが大きいと判断したのさ。うちの子達にも教えたのはこの前の法要の時だからそんなに時間的な差はないよ。お母さんだって未だに傷が癒えてはいないんだ。君達がいるから気丈にしているけどね。」

宗麟の言葉に弥生の目にも涙が浮かんでいる。母の姿を見て雫は落ち着きを取り戻し、抱き合って泣いた。


雫も翔も『親が熊に襲われた子供』と陰口を言われ、挙句は『父親が息子を連れて無理心中を図った問題のある家の子』などと根も葉もない(うわさ)を流されて学校中から孤立して、小学校を登校拒否になった過去がある。

そのため暫くの間この黎明寺で過ごしていた。

亡くなった祖父の宗蓮や伯父の宗麟が父親代わりをしてくれて、寺での生活は従兄の英幸や俊之にも支えられ、寺の檀家達の優しさに触れているうちに心が癒えた。母が青嵐学院大学附属病院の看護師として就職することを契機に横浜に戻り、同時に青嵐学院大学附属小学校へ編入した。転校先では事件の内容を知られても騒ぐ同級生はなく、むしろ傷を負った仲間として歓迎されて過ごす事が出来た。大学生になった雫には親友と呼べる仲間がいて現在の生活は充実している。しかし、過去に負った傷は不意に疼く事がある。その疼きの原因である父親の死因が誤っているのであれば、正したい気持ちは膨れあがってきていた。

雫の様子を見て宗麟は話し出した。

「隆一は、君達のお父さんは生前立派な仕事を幾つもしていたんだ。大人の事情で真実を隠す事にはなったけれど。二人とも安易に事件を探ろうとしてはいけないよ。警察でさえ突き止められなかった事だからね。翔が同級生の聡史君と行く登山に関しては、きちんとルールに従ってキャンプをする事を条件に同意しただけだからね。」

そして、話した以上今後は皆で事件の真相は究明すると約束した。

何気に窓の外に目を移した妙子が「雨、上がったみたい」と言った。

雷鳴轟く嵐で暗かった空が開け、雲の隙間から山々に陽光が差し込んでいた。

伯母が除湿してくれたおかげで乾いた服に着替えられたが靴はずぶ濡れのままだった。

玄関を出ると山門から東の空に虹が架かっているのが見え、豪雨に打ちひしがれても尚首を上に保っている薄紫色の紫陽花に陽が当たり水滴を反射させて輝いている。

駐車場まで見送りに来てくれた伯父達と挨拶を済ますと、祖母が気を付けて帰るようにと言いながら雫に飴玉を渡していた。


寺の坂道を下り川沿いの道に入る。水嵩(みずかさ)はさらに増し、濁流となっていた。

左に中川川を臨みながら朝来た道を戻って行く。

雫が運転しながら助手席の翔に呟いた。

「あのさ、解決していない問題ばかりだけど大きな問題を見落としていない?」

後部座席の母親も身を乗り出して聞く。

ミラーで母の姿を見ると雫は話を続けた。

「検死の前にY.PACに運ばれたんでしょ。お父さんの勤務先とはいえ普通あり得ないよね。警察の指示みたいだから違法性は問えないかもしれないけど病院じゃない所に運んだ理由は何?青嵐大病院にだってヘリポートあるしそもそも槍穂岳から空路だとしても大学越して会社に向っているって事でしょ。当然大学には検死解剖用の保管施設もあるよね。その工藤って人はY.PACには行っていないのかな。時間的にヘリを送って捜索本部に戻ってから撤収したとしたら真夜中になるけど、その間に何をしていたんだろう。青嵐大病院の検査では何もないって言う事だから何かを投与したりはしていないって事でしょ?普通に考えるとその工藤はヘリを呼んで現場処理してから横浜に戻ってY.PACから青嵐大に運ばせたって推理出来るよね。もういないなら聞けないけど新井さんは民間企業のY.PACに事実確認と中で何をやっていたのか聞く事は出来なかったのかな。」

翔も気にはなっていたが相手のいない疑問を幾つ持っても仕方ないと思っていた。

後ろで聞いていた母親が言う。

「一応ね、葬儀の時にY.PACの社長さんが話しに来てくれて、警察から社員の受け入れという事で協力したって話してはいたのよ。新井さんはその後も社長と話をしていたけど、あの会社規模で一社員の事情までは聴いていなかったみたいね。」

「その言い方じゃ、誰も納得しないままこの話も有耶無耶なのね。」

雫が言った後は誰も話さないまま丹沢湖が見える所まで走り、永歳橋を渡る。

朝は閉まっていた飲食店には暖簾が出ているが、流石に駐車場に車は止まっていなかった。そのまま神尾田トンネルを通り過ぎ、坂を下りると帰路は所々で規制を解除している係員達を横目に見ながら横浜まで帰って来たのだった。

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