岩塩掘の結界
翔達四人は巫女に呼ばれ拝殿前に行く。
楓が出て来て宮司達と「裏に行くよ」と言った。
拝殿前を横切り御神木の楠木から拝殿の脇道を入ると朱色の柵が置かれ巫女が一人立っていた。
左側に立札があり『祭祀のため只今通行できません』とあった。
宮司が来ると巫女は柵を除け一行を通すとまた柵を閉じた。
西宮に一礼するとそのまま本殿真裏に位置する神社の御神体である磐座で宮司が祝詞を奏上する。
それが終わると崖に向い朱塗りの柵を開け、やはり朱塗りの門柱の前で祝詞を奏上し翔達に禊の祓いを行って楓に代わる。
「さ、中に入りましょ。」
崖に露出している岩の前に朱塗りの門柱があり、注連縄が架かっている。
柱の間に人一人が入れる程度の横穴がぽっかり空いていて、入口の両側に、太く大きな蠟燭に灯が燈り内部を照らしている。
揺らめく炎にキラキラと反射する壁が見えた。
翔達が登山の安全祈願後に参拝した岩塩掘に入れると言う。
楓が宮司から御神紋の上り藤が入った提灯を受け取り横穴に入って行く。
楓を先頭に翔、雫、寛美が入り最後に忍が入ると門柱の扉が閉められる。楓の持つ提灯の明かりだけが光源となり横穴は暗くなった。
3メートル程進むと左に曲がる。更に3メートル進むと洞窟内部は広がり薄暗くて見え難いが奥行き8メートルくらいの空間が現れた。
壁に取り付けられた燭台に楓が用意していた蝋燭を挿し提灯から火を移す。八本の蠟燭に灯が燈ると洞窟内は全容を現した。
中心に直系2メートルくらいの、岩で組まれた井戸があり水面が蝋燭の炎を映している。
天井を見上げると星の位置と聖獣らしき絵が描かれていて、所々に大きな水晶が埋め込まれ蝋燭の炎に反射している。
掘削された筈の空間は壁こそ削り出された花崗岩のままだが、床や天井は滑らかに磨かれており天井は緩いドームの様に中央に向けてせり上がり宛らプラネタリウムの様相を呈している。
床は凝灰岩が敷き詰められ蝋燭の灯により黄金色に反射していた。
井戸の周りには人が座れる岩が六個並んでいる。
天井の絵が北極星を示す真下の岩に楓が座りその隣に翔と雫が座るよう言われ寛美と忍が続いた。
楓の正面は空席となる。
「冬の・・・二月頃の星座配置ですか。楓さんが北極星こぐま座。自分の上に大熊座の北斗七星。姉の上はアンドロメダ座。寛美さんは井戸際ですが上にはプレアデス星団、『昴』があります。忍さんの上には獅子座のレグルス。楓さんの対局には、おおいぬ座のシリウス。それぞれの恒星に水晶でしょうか、反射する石が埋め込まれていますね。床にはわざと等間隔ではなく椅子になる岩が配置されている。井戸の真上に御者座のカペラ。何か理由があるんですか?」
天井画を見ていた翔が楓に問いかけた。
「え?知らないわよ。相変わらず理屈捏ねるの好きね~折角さあ、君が好意を持っている若い女の子達集めて薄暗い空間に来たんだからさあ、なんていうの、こうムードを味わいなさいよ。聡史君だったら一人で興奮してるわよ。まあいいわ。どっちかっていうとね、ここには寛美ちゃんを連れて来たかったのよ。考古学者の娘っていうか、次世代を担う考古学者としてはどう思う?」
寛美に視線が集まる。寛美は少し驚くが話し始めた。
「翔君にも説明した時、この槍穂岳周辺の遺跡には調査が入らない。入れない事に何か事情があるのかも知れないと言った事がありました。楓さんははぐらかしていますけど、ここの岩塩策掘の記録から考えてもこの空間は縄文時代、古代期に造られた可能性はあります。でも、この天井画の保存状態は外気と触れているにも関わらず他のどの古墳にある壁画よりも良質です。何よりこの空間の造作技術は古代期に可能な技術なのか疑問はあります。ただ、父に連れられてチベットの寺院に調査しに行ったとき同じように時代とはかけ離れた建築技術による石造りの建物・・・そこも岩窟内部でしたけど、それに似ているような気がします。もっとも、保存状態を比べるまでもなくここの方が良質ですが、状態が良すぎて古代の模倣と疑われてもおかしくはない。天然掘削をしているのは壁と天井の一部に見える花崗岩と石英閃緑岩が剝き出しなので分かりますが、床の凝灰岩は栃木に見られる大谷石のような岩石の研磨材が敷き詰められています。関東周辺でもグリーンタフと呼ばれる緑色凝灰岩は分布していますがこれは黄色味が強い竜山石に近い。天井画の星座の隙間に表示されている文字、神代文字は龍体文字も見えますが忍ちゃんの弓に書かれていた物とも内容が違う。恐らく描かれている聖獣の注意書きの内容と敵味方の別がヲシテ、カタカムナ、龍体文字のそれぞれの文字で書き込まれています。実在確認のとれていない三民族が集結して表記してるようにも見られますし、描かれた絵にも統一性が見られないので、やはり他民族で複数の人間により描かれていると思います。造作に使われた石材や顔料の放射性炭素年代測定をしてみないと何とも言えませんが、絵柄や神代文字からは、新しくても飛鳥時代のものとする事が言えます。ただ聖獣らしき絵が古墳などにある四神とは全く異なります。古墳文化の影響は受けていないようにも見えますし、数も位置も違う。それに聖獣と言うよりも西洋の悪魔や怪物にも見えます。それに、この井戸の水位もおかしい。気圧との関係かもしれませんが、槍穂岳という山では中腹に位置する神社の高度で溢れた跡も減水している形跡も無く満水状態を維持して表面張力で水鏡の様に天井画を映しています。井戸の水をこの世界、地球に見立てる演出とすると、御者座が天頂にある事も理解できます。想定を是とすると、これではまるでこれらの星々から地球に悪魔や怪物がやってくる。若しくはやって来ている。と伝えたかったようにも見えます。出来る事なら本格的な調査したいですね。」
楓は満足そうに聞くと話す。
「流石ね~義久君と同じこと言うわ。と言うより彼よりも鋭い。あなたは子供の頃から世界中の遺跡を見て来たから頭の固い、本しか読まない学者とは違ってこの星の真実を心で感じる事が出来るみたいね。」
「父もここに来た事があるんですか?」
「うん。彼も、あなたのお爺さんも丁度あなたと同じくらいの年の頃に見せているわよ。それから彼等は表と裏の歴史を追いかけるようになった。あなたはどうする?」
楓が寛美を見詰めて聞くと寛美は黙ってしまった。
翔も雫も驚く。寛美が自身の考えに迷いを見せる事は見た事がなかったからである。
「うん。彼等と同じ反応ね。結果、彼等は自分なりの答えを見つけるために動き回っているのよ。あなたが純真に思っている知的好奇心の向こう側に彼等はいるんだと思うな。」
「そうですね。なんか、母が父の事を良しとしている事も理解出来ましたし、父が固執して呪術的遺跡を追いかける理由も納得しました。私なりに考えてみます・・・楓さん、この空間のような場所は他にもあるんですか?」
寛美が笑顔を見せて聞く。
「ん?知らな~い。」
楓が微笑んで返事する。
『・・・あ・・・これ聞いちゃいけないやつだ・・・』
楓の微笑みに深堀りする危険性を知る彼等は目線を合わすと沈黙を守った。
「そろそろ出ましょうか。忍ちゃん。身体への影響は分かった?」
「はい。ヒーリング効果みたいな感じですね。それと、最初に曲がるところに結界がありましたよね。あれではここまで入れる人は限られます。表からはずうっと奥まで真っ直ぐに穴があると思ってしまいます。実際、岩塩の採掘には真っ直ぐ掘っている訳ですけど。寛美先輩。研究調査で神社に来てもこの空間にはたどり着けないですよ。話戻りますけど、ここは場の力というか、巳葺小屋の岩屋の横穴のような治癒の力がありますよね。岩屋の最上位互換という感じでしょうか。雫さん。頭スッキリしてますよね。ここは気が澄んでいて雑音が一切ないんです。」
雫は上をキョロキョロ見て苦笑した。
「スッキリはしているけど・・・今度からよく教えてね。」
翔は井戸の水面に反射する天井画を見ている。寛美は見ていない為怪物と呼んだ骸の姿とそれを追う狗が描かれている方角を頭に焼き付けていた。
楓が蝋燭の炎を一つずつ消して行き、最後の蝋燭から提灯に灯を移し元の道へ戻って行く。角を曲がる時に結界の壁を寛美も感じ、振り向くと道は無かった。楓が閉ざされた扉を開けると宮司が目の前にいた。
「お早いお帰りですな。」
洞窟内には1時間以上いた筈なのに神社側の世界では1分も経っていなかった。
「何か、入る時は伊邪那美命の黄泉比良坂っぽくて怖かったんだけど、帰りは天の岩戸から出て来たって感じだね。」
雫が呟くと、寛美や忍も微笑んでいた。
「そうか、だからこの木は桃の木なのか。」
翔が指差した先には、鳥居の両側に生えている桃の老木があった。
雫は翔を横目で睨み「オタクが・・・怖いでしょ。」と呟いた。
着替え終わり、社務所を出ると境内は日曜日の午後の賑わいを見せていた。
いつの間にか太陽は高い位置に移り露出している肌を焦がして行く。
宿に戻るとフロントの男性を囲み、實明と直志の二人が支払いの分配と領収書の書き方で深山と打ち合わせていた。
大広間では琴乃達が荷物をまとめ、談笑しながら楓達の帰りを待っていた。
支払いが済んだことを深山が告げると世話をしてくれた仲居達にお礼を述べ次々と出て行く。口々に「また来たいね」と声がしていた。
駐車場に着くと雫が深山に近寄り話しかける。
「深山さん。いろいろお世話になりました・・・それでなんですけど。これ・・・保険適用になると思いますか?」
狒狒の襲撃の際、恐らく誰か警官が吹き飛ばされ右のフロントフェンダーからボンネットが見事に凹んでいる。同じ事を宗麟と仲村が聞きに来ている。深山や浅井の車も同様の被害を受けていた。
「佐々木さんが戻ってから相談してみます。自分が突っ込んでフロントガラスが大破した車の被害も届出されると思いますから・・・車・・・動きますよね?」
気温とは関係ない汗を流しながら深山は応えた。
「ここまで来れましたから走れますけど。一般道走っていて職質受けたりしませんか?何か今回で一番の罰ゲーム受けて帰る気がしますよね・・・」
皆が苦笑してそれぞれ駐車場から出る為に乗り分けを相談し始めた。
『命の危機より車の傷の方が一番って・・・』翔は横目で雫を見ながら沈黙を守る。
龍崎、九鬼はそれぞれのアルファードに乗り、弓を乗せるため忍と楓を浅井が送る事になる。
深山の車には小田原に長男の裕一を迎えに行く都合があるが深山夫妻と弥生が同乗し、聡史は誰か女性と一緒がいいと誘ったが父親と二人で帰る事になった。
宗麟はそのまま帰る事になり、雫のパッソには寛美と美鈴が乗る事で治まる。
「雫、寝てないんでしょ?私が運転するからキー貸して。」
寛美が言い、黙って雫がキーを渡す。
「寛美さん運転出来るんですか?」
翔が聞いた。
美鈴も寛美を見る。
今まで免許を持っている事は知っていたが、移動の際には雫か麗香が運転していたので寛美はペーパーだと思っていたのだった。
「うん。私は小学校三年生、翔君に会う前から車の運転してるよ。日本国内じゃないけどね。」
寛美は小さい頃から父親の義久教授の手伝いで海外の秘境に連れて行かれ、足も届かない四輪駆動車を運転する必要に駆られ、実地で身に付けていた技術だった。
「じゃあお願いするけど、安全運転でね~」
雫は言い、助手席に納まる。
帰りの道中、翔も美鈴も姉達が何故寛美に運転させないか理解出来た。
雫が釘を刺したように確かに『安全』ではあった。
決して乱暴ではない運転技術は八月の日曜午後の道路を的確なハンドルさばきでグイグイ前に進んで行く。
助手席で熟睡する雫をある意味で大物と思った二人だった。
『寛美さんの本性って・・・・・・』翔は最近になり女性の見方が変わり始めている。
寛美の運転により、誰よりも早く横浜に帰って来れたのだった。
パッソを駐車スペースに入れ、皆が降りると運転席から降りた寛美が言う。
「そういえばさ、美鈴。麗香から電話来てないの?私に来てたのかな。」
皆スマホを見始めた。
朝、登山口で麗香からホテルを出たと連絡が来てからの動きが目まぐるしかったので写メやLINE以外でスマホを使わず、麗香からの着信を誰も見てもいなかった事に気付く。
画面を見て皆固まった。
「着信・・・18あります。留守録も2件。何か通知の数字多いなとは思ってたんですけど・・・おねーちゃんの事すっかり忘れてた・・・」
美鈴が言い寛美と雫に目線を移すと二人とも「うん・・・」と呟いている。
翔も見るとやはり着信がある。
「留守電・・・聞いてみようか・・・」
美鈴がスピーカーにしてボタンに触れる。
『ちょっと!皆どうなっているの?無視?これから飛行機乗るわよ。皆無事なの?ああ、搭乗始まった。日本に帰ったらきっちり聞くからね!』
皆で顔を見合わせる。雫が口を開いた。
「それ・・・何時?」
「9時21分ってあります。丁度、宿に行って皆でお風呂入る頃ですね・・・あの後楽しかったからなあ。着信とか気にしてなかった・・・」
それぞれ最終の着信時間をチェックした。
「同じね。シカゴからだと12時間くらいかな?雫。今日は雫の家に皆でいた方が良いかも。多分、羽田へは功一君が迎えに行くけど、夜中に直行すると思うな。一応、雫がLINE入れて無事って知らせておきなよ。今頃は飛行中だから電波使える筈よ。皆一緒にいるともね。」
「そうだよね。私の事心配して帰ってくるんだよね・・・でもさ、私が無事だって寛美が涼子さんから聞いて、分かってから帰ってくる判断したんだから・・・ねえ。」
言い訳しながら麗香に無事を報告して、家の鍵を開ける。
玄関ドアに手をかけた瞬間突風が吹いて心地の良い香りがした。
振り返ると大きな犬が二頭いる。
「え、雫さん犬飼い始めたの?翔君?・・・一昨日はいなかったよね。」
美鈴が聞くと、翔は犬を見て微笑み近寄って声を掛けた。
「お疲れ様。帰って来てくれたんだね。これからもよろしく。」
雫も近寄って頭を撫でる。しゃがんで首に抱き着いて撫でていた。
事情を知らない寛美と美鈴に「朧」と「霽月」と紹介する。
寛美は静かに見守っていた。
美鈴も近付いて撫でていると、フードから、もぞもぞと「しゃもじ」が出て来た。
「・・・あ、楓さんにしゃもじ返すの忘れてた。私のフードに入って寝てたのね。大丈夫だったの?」
しゃもじは美鈴の肩から跳び降りると狗の前まで行き、暫く見上げると再び美鈴の左肩に戻る。
「美鈴ちゃん、しゃもじに気に入られたみたいよ。この子達に挨拶して『こいつの面倒見てやります』って言ってたよ。」
雫の話しを聞いて美鈴は右手でしゃもじを掴むと顔の前に持ってくる。
「あのさあ、言葉分からないと思って随分な事言ってくれるじゃないの。私があなたの面倒を見る事になるんじゃないの?」
しゃもじは光になり美鈴の頭の上に移る。
「チチ」と言ってフードに潜り込んで行った。
「まあよろしく。だって。」
笑顔の雫が言い、改めて玄関ドアを開けた。