しゃもじ SHAMOJI
『槍穂神社鳥居前町宿坊風旅館 大狗庵』
境内に入る大鳥居手前の路地を左に入る。
右手には境内と鳥居町前を隔てる水量のある水路があり、水面を覗くと黄金色の魚が泳いでいるのが見える。
「ニジマスだよな。アルビノかな大きいのが何匹もいる。」
翔が聡史に言うと皆で水路を見た。
「おお、成程こりゃあ美味い川魚料理が期待出来そうだな。」
完全に場違いの発言を平然と言う。聡史の真骨頂と言っても良かった。
「・・・バ~カ。恥ずかしいでしょ。翔君の発言丸潰しじゃないの。」
美鈴が聡史を罵ると翔の横に歩いて一緒に水面を覗いた。
不思議そうに立っている聡史の肩を叩いて笑いながら九鬼兄弟が前に歩くよう促した。
苔むした通路にはトクサと玉竜が植わっていて、左手には整えられた鳳凰竹の生垣が続く。小ぢんまりとした竹組の門があり中に入ると意外に広い玄関が広がっていた。
琴乃が電話した旨を伝え人数が多くなった事を告げるとフロント係が慌てて手配をし始める。
深山が食事と入浴、休憩の手配をすると大広間の宴会場に案内された。
気が付けば二十五名の集団となっている。
部屋に着くとそれぞれ浴衣を渡され、早速男女別の風呂に移動していった。
深山はフロントに歩き更に細かい手配をしてから風呂に向かう。
「こんな宿あるの知ってたか?」
聡史が翔に聞く。
温泉ではないが地下水を汲み上げた沸かし湯は軟水で心地よく男十名で入っても余裕の檜風呂で洗い場も十分にあった。
「知らなかった。奥宮行く途中から下見た時も神社の建物かと思っていたからな。屋根とか同じ材質だったから違和感なかったし。神社自体が思っていたよりも広かったから上から見た時似た様な建物は全部神社のものだと思ったしな。」
「これなら、わざわざ山登るよりこの宿目当てで神社来てもいいよな。癖になりそう。」
聡史が言うと、一志が話に交じって来た。
「昔はもっと古ぼけた旅館だったんだけど、十年前の登山道開発の時に多方面からの出資があって大改装したらしいんだよ。神社が賑わうようになると拡張して今の大きさになって行った。僕も来たの初めてだけど良い所だね。」
藤次も同意して話し出す。
「今度、雫さん誘って二人で来ればいいじゃんか。」
この言葉に聡史のスイッチが入る。
「一志さんって雫さんと仲いいんですか?」
「え?いや、十二年振りくらいに会っただけだよ。仲良くなるのはこれからさ。」
一志は笑顔で応えるが、聡史は余裕の顔で言う。
「ああ、そういう御関係でしたか。自分はこいつと会ってから五年。雫さんの愛情弁当まで頂ける仲なんで、何か知りたい事がありましたらお聞きください。」
言った瞬間翔が聡史の頭を押さえて湯船に沈めた。
「あ。一志さん。もうお分かりとは思いますが、こいつ頭おかしいんで気にしないでください。」
翔の手を払いのけて浮かんできた聡史に皆で湯を浴びせて笑った。
「お前ら騒ぐな。近頃じゃ小学生でもやらんぞ。」
直志が注意したが「はいはい」と言ってはしゃぎ続けていた。
「うわー露天風呂あるのね。感動するわ。」
琴乃が第一声を上げた。
洗い場にも檜風呂があるが、サッシを開けると広い庇があり岩組された露天風呂が広がっている。庇の木組みは朱色に塗られていて柱が三本ある。
正面は高い竹垣があって視界を塞いでいた。
竹と笹、岩と苔があるだけの和風庭園だが、しっとりとした緑と色鮮やかな朱塗りの柱が美しい対比を醸し出している。
庇の中なので全天候対応可能であった。
洗い終わると皆外の岩風呂に浸かる。
「雫ちゃん、折角だからあとで神社寄って行こうか~」
楓が言う。
「はい。家系に係わる神社みたいですから行ってみたいです。」
雫の話し方を聞いて寛美が話す。
「雫さ、話し方早くなったね。何かあった?麗香が帰って来たらびっくりするよ。」
「あ。私もさっきから違和感あるなと思ってた。雫さんどうかしたの?」
美鈴も言う。
「え、そう?変わらないと思うけどな。いろんな事あったけど、特に何かあったとしたら・・・楓さんに頭触られた。」
皆が楓を見る。琴乃や忍も寄って来た。
「雫ちゃん。今は雑音聞こえて来なくなったでしょ。今までは勝手に入り込んでいた情報に気を取られながら会話していたからワンテンポ遅れる事があったのよ。忍ちゃんと同じ練習すればもっとスッキリするから帰ったら少しずつやって行こう。ラジオの周波数を手動で合わせる感じよ。ね。」
忍に微笑むと、頷いて同意した。
「ところで、なんで神社の事を私に振ったんですか?」
雫が聞くと「ん?・・・ふふ」と笑って楓は洗い場に戻って行った。
「いつものやつだわ。雫ちゃん。ああいう時の楓さんは必ず何か企んでいるのよ。今回の件でも分かったでしょ?気を付けるのよ。」
琴乃が冗談半分でからかう。
雫は寛美を見る。
「大丈夫よ。翔君にも話したこの神社の古文書や口伝と、秋月光雲と神崎家の繋がりを考えればここは雫には縁のある神社だから、それを教えてくれるんじゃない。私も聞いてみたいな。」
寛美が笑って言い、一緒に行ってくれそうなので雫は安心した。
話しが落ち着くと、皆で出て脱衣所へ向かう。
脱衣所に戻ると替えの下着とTシャツが人数分置かれていた。
廃棄する服を入れるゴミ袋や持ち帰り用の不透明袋まである。
深山の手配であった。
「あの人、こういうことは気が回るのよね。家ではただの中年オヤジなのに・・・」
裕子が言って皆に配って行く。
楓が浴衣に着替えて着ていた服を手にすると上着のポケットからヤマネが出て来た。
ヤマネは服を持ち上げた楓の手の上で『チッチチチ』と楓に向って鳴いている。
くるくる回ってはまた鳴く。
「ごめんごめん。ちょっと忘れてたのよ。」
『忘れてた』に更に抗議の鳴き声を出す。
前脚を上げ後ろ脚で立ち上がると右前脚を楓に向けている。
「何よ~人に指差さないの。謝っているじゃない。あなたもお風呂入りたいの?」
忍と雫が聞きつけて近寄って来た。
話しの内容が分かっている二人は笑っている。
琴乃と寛美も近付いて来る。
やっと浴衣に着替えられた美鈴も来た。
「可愛い~何ですか。ねずみ?」
美鈴が言うと今度は雫の肩に跳び移ってヤマネは美鈴に向って鳴く。
雫の肩に乗って抗議を続けるヤマネを楓が尻尾を摘まみ上げ顔を合わせる。
「文句言わないの~齧歯目って、ねずみの仲間でしょ。あなた水に入れるの?」
言うと楓は洗面所のボールにお湯を溜めてヤマネをそっと放した。
放されたヤマネはお湯に入ってくるくる回り身体を洗っている。
「じゃあ」と言って楓はシャンプーを持ってきて揉み洗いを始める。
泡を洗い流すとコンディショナーを持って来た忍が代わって毛になじませ、もう一度洗い流しタオルで拭くと雫がドライヤーをかけ始めた。
「ご機嫌いかがですか?」
楓が横から声を掛けるとブルブルと身体を振って楓の肩に乗った。
「二人ともご苦労様。機嫌直ったみたいよ。」
楓が言うと、内容が分からない琴乃と美鈴が説明を求める。
「一緒に戦って頑張ったのに自分だけおいてお風呂入ってた事に抗議していて、楓さんから『忘れてた』って言われたから、忘れるってどういう事。ちゃんと仕事したでしょ。もう少し大事にしてもいいでしょって言ってて。更にねずみと一緒にするとは何事かって怒っていました。」
忍が応えるとヤマネは楓の肩の上で立ち上がり右前脚を楓の左耳に置いて周りを見る。
「楓さん。もしかして飼うんですか?私はこの子に恩があるんですよね。」
琴乃が言う。
楓は肩に乗ったヤマネを見て聞いてみる。
「うん。猖獗に注入された瘴気を追い出してくれたの。山を出ていろいろ見て回りたいみたいね。まあいいんじゃない。寛美ちゃん。法律的な問題ある?」
「はい・・・ヤマネは1975年に国の天然記念物指定を受けています。基本的に飼う事は出来ないんですけど、その子本物のヤマネですか?人とコミュニケーションとれる段階で何か違うと思うんですけど。秋田県のマタギに伝わる小玉鼠っていう妖怪がいるんです。冬眠中のヤマネが丸まって毬のようになる姿の事ですけど、山の神からの警告を人に伝える役目を持つと言われています。生物としてのヤマネではないとすれば問題はありません。」
民俗学を専攻している雫も頷いている。
「義久君の娘さんらしいわね~優秀なのに頭が柔らかい。その通りよ。ただ妖怪ではなくここの山の神の一柱だけどね。それじゃ~名前付けないとね~」
「楓さん・・・まさか・・・『やまちゃん』じゃ、ないですよね。」
琴乃が釘を刺す。
「ん、ダメ?じゃ、まねっちっていうのは?」
「それ・・・ヤ、マネって切っただけですよね。ダメです。」
「それじゃ~琴乃ちゃん付けてよ。」
楓と琴乃の掛け合い漫才に着替え終わった人達が続々と集まって来た。
琴乃は周りを見渡すと、楓の肩に乗っているヤマネを凝視する。
ヤマネも前に乗り出した。
「んー。も・・・もふっち・・・」
言われたヤマネはそのまま前のめりに倒れる。
「え~琴乃ちゃんも同じようなもんじゃない。この子もズッコケてるよ。」
「しゃもじ!」
楓の肩からずり落ち、楓の胸に逆さにしがみつくヤマネを見て美鈴が言った。
「うん。美鈴ちゃん。いいね~あなたはどう?」
楓はずり落ちたヤマネを両手で持ち直して聞くが、当のヤマネはキョトンとしている。
「私も良いと思うな。しゃもじは安芸の名産品で弁天様の持つ琵琶に似ている事から安芸の宮島、厳島神社の参拝土産が発祥って言われていて、神社の願掛けのお礼にしゃもじを収めたりもするから、神様とも縁があるしね。どう?」
雫が名前の由来を説明するとヤマネはもう一度雫の肩に乗り直して美鈴に『チ。チチ』と返事した。
雫は美鈴に微笑む。
「『採用!』だって。美鈴ちゃんが名付け親だよ。」
しゃもじは雫の肩から跳び美鈴の肩に乗ると首の周りをくるくる回る。
美鈴が喜んで両手を広げると指先まで走りまた戻って来た。
一頻り走り回ると楓の頭に飛び乗りまた左肩に乗って大人しくなった。
「それじゃ皆さん部屋に戻りましょう。朝ごはん用意出来たみたいですよ。」
裕子が言い暖簾を潜って行く。
「もう飲んでるの?まだ朝よ。」
大広間に戻って来た琴乃は父親の實明が九鬼直志と日本酒を酌み交わしているのを見て呆れた声を出す。
早く戻って来た男達は深山が手配した料理に手を付け、勝手に宴会を始めていたのだった。
「おう。お前も飲むか?朝って言ったって深夜から労働してたんだから寝酒みたいなもんだろ。」
「帰りの運転どうするのよ。私は飲まないわよ。」
「そうか。じゃ皆飲んで良いぞ。帰りは琴乃が連れってってくれるってさ。」
言うと實明は龍崎一門の女性従者達にグラスを渡す。
琴乃は呆れ顔で楓の隣の席へ向かって行った。
直志も自分が連れて来た女性従者達に酒を注いでいく。
座卓には旬の野菜や山菜の天ぷら、岩魚の刺身と山女の南蛮漬けがあり、舞茸の炊き込みご飯としじみ汁、猪肉の生姜焼きに十割の丹沢蕎麦。
デザートにはメロンとまだ時期としては早い梨がある。
「すごーい。美味しそう!寛美さんと一緒に雫さん迎えに来てこんな御馳走頂けるなんて。お風呂も最高だったし、早起きは三文以上の得ねー。」
美鈴は大喜びで箸をとる。
浴衣姿の美女達を前に聡史が放って置く訳もなく、磁石に吸い付けられる砂鉄のごとく飲み物を持ってやって来た。
「なあ、何で寛美さんの事をロミさんって呼ぶんだ?雫さんや麗香さんは何となく理解出来るんだけどヒロさんではないんだな。」
美鈴に問いかける。
「それはね。美鈴ちゃんが小さかった頃ヒロミのヒの発音が上手く出来なくて『ロミタン。ロミタン。』って翔と一緒になついていたから、私達もロミって呼ぶようになったのよ。それから何となく二文字で呼び合う様になったのね。」
雫が説明して寛美に微笑んだ。
寛美も笑い返す。
「えー。そうでしたっけ。私はおねーちゃん達がロミって呼んでたからそのまま定着したんだけどな。」
「美鈴ちゃんって名付け上手なのね~」
横で聞いていた琴乃が笑いながら言った。
楓の肩に乗っていたしゃもじが座卓に降りて来てキョロキョロ見回す。
「何か食べる?クルミとか貰ってこようか?」
楓が言うとしゃもじは「チチチ」と鳴く。
「え~お刺身食べるの~あなた肉食派?」
「ヤマネは雑食性の小動物で、野生のものは蛾や蝶とか、甲虫類の幼虫なんかを好んで食べて、木の実や野菜も食べるんですけど、齧歯目の割に歯が弱いんでドングリとか硬い実は好みません。とはいっても楓さんのお供だから精霊ですよね。普通前脚の指は四本なのにこの子は五本ありますしね。」
翔が様子を見て自分の分から小皿で刺身とサツマイモの天ぷらを持って来た。刺身や天ぷらを箸でほぐして小さくしてから、しゃもじの前に小皿を置く。皿の前まで来たしゃもじは刺身を前脚で持つと、美味しそうに口に運んでいく。
「お、理系オタクのうんちくは終わりか?相変わらず知識だけは詰まってるんだな。」
聡史が呆れて言うのをよそに女性陣からは「翔君物知り~」と声が上がった。
「翔君も後で神社行こう。」
楓が言う。
「はい。何とか生きて帰って来れましたし、一度家族で参拝したと思っていましたから。」
返事をする翔に怪しげな微笑みを投げかける楓を見て雫が不安を口にした。
「あの~普通に参拝するだけですよね。」
「そうよ~寛美ちゃんも来るんでしょ?そしたら~忍ちゃんも一緒に行こう~」
楓は微笑んで皆に言うと、スマホを持ち廊下に出て行った。
『・・・あ、これ何か企んでるやつだ。』皆は顔を合わせて覚悟をした。




