それぞれの役目
8月6日日曜日 8時11分 槍穂岳登山口前 特別捜索本部。
西の登山道から神崎哲也を先頭に巳葺小屋救護隊が戻って来た。
本部護衛の彰幸が出迎え、村井が本部を仕切っていた田中にお礼をする。
未明に起きた閃光と轟音との因果関係の調査に県警の車両が入り、マスコミの排除のために人員が割かれていた。
登山道から続々と帰還する中、深山親子と涼子達も出て来ていた。
虫の様に湧き出るマスコミに対し、涼子が隕石の説明をする。
「これから本格調査が入ります。調査結果は後日青嵐学院大学で専門調査員の先生を交えて記者会見を行います。放射線の危険性も考慮して現場付近は進入出来ませんのでご協力お願いします。それでは皆さんご苦労様です。」
説明中にサイレンの音がして白いワゴン車を挟んで県警の車両が誘導して来た。
涼子の説明によりマスコミは強制的に排除されバスロータリーにワゴン車が進入すると規制線を張るために応援の警察車両から警官が降りて来た。
誘導されたワゴン車の両側には「青嵐学院大学」とある。
ワゴン車からは白衣の研究者が四名降り、防護服と計測機器を用意しながら涼子と会話を始めている。
登山道から出て来た聡史が青嵐大の車の横に立っている女性に目を止める。
乱れた花壇を悲し気に見詰める美しい女性は朝陽を浴びて神々しく見えた。
「えっ・・・寛美さん?」
呼ばれた寛美はロータリーの歩道を歩き、崖側の手摺の前で聡史に手を振った。
聡史は駆け出す。
「寛美さん。どうしてここに?」
寛美は一度ワゴン車に目を向けると聡史に微笑んで応える。
「昨日から雫と連絡取れなくて、スマホのGPSで追跡したらここに向っていて、翔君も一緒みたいだから何かあったなってね。丁度今朝大学に連絡が入って、至急ここに向かうよう要請があったみたいだから同乗して来たのよ。」
普通に言うが、学生が収集出来る情報と行動を逸脱している。聡史は唖然としているところで車からもう一人の女性が降りるのを見て更に驚愕した。
「美鈴も来たの?」
スマホを握り寛美の所に歩いて来る。
「寛美さん。おねーちゃんもうホテル出て空港向かっているって。」
「へ?」
聡史は何が何だか分からなくなっている。
聡史の様子を見て微笑み、美鈴に手で『了解』と合図して話し出す。
「うん。車の中で佐々木さんから事情聴いたの。それで麗香に連絡したら研修どころじゃないって帰国する事になったのよ。相変わらず行動早いわ。」
『この人達って・・・すっげえな』さしもの聡史も驚きが隠せない。
「え・・・寛美先輩?」
後ろから声がして聡史が振り返る。
忍が裕子と手を繋ぎながら歩いていた。寛美に気付き駆け寄って来る。
「忍ちゃん、久しぶりね。選手引退しちゃったんだって?」
「はい。これからは趣味で続けます。これ見てください。今回の件で頂いちゃいました。」
忍は朱塗りの弓と矢を見せる。
「綺麗な弓。鎌倉時代の型式ね。凄い・・・神代文字が書かれている。龍体文字ね。魔を封じる呪文が書かれているわ。長さは六尺八寸くらいかな、軽いのに弾力がある。断面が三枚打弓みたいだけど・・・武具として作られてはいないわね。この弦は何かしら?植物ではないと思うけど丁寧に漆で固めた塗弦ね。ん?上下の関板にスリットがある。これって刃物差し込んだりして薙刀みたいに出来るのかな。こんなところに断面欠損有るのに強度が出るの?切詰藤で補強になるのかしら・・・神事に使用するための物の筈なのに実用的な機能があるのね。長弓と言う訳でもないのに椿が付いてるし、矢が少し重いのね。鏑矢みたいだけど穴が空いていない。鏃は金が使われているけど硬い。鋼に金を塗っているのかな。金属の筈なのに気温と関係なく冷たいのね。でも触っていると温かい・・・熱伝導率が高いみたいね。ヒヒイロカネの伝承に近いのかな。この羽根は何かしら。鷲や鷹の猛禽類に似ているけど見た事ない種類の羽根ね。こっちにも神代文字が・・・矢の方は魔を払う、滅する言葉かな。まさに破魔矢、対人用ではないわね。螺鈿細工の模様も古い時代の物だわ。繊細で綺麗な造りね。これ平安時代末期から鎌倉時代に作成された中世前期の神具よ。ただ、神事だけでなく実用として使われているわね。何度か修復したあとも見える。いずれにしても文化財級の代物よ。忍ちゃん。大切にね。」
一目で判別してしまう。寛美の真骨頂だった。
「物知りね。あなたが翔君に光雲の物語を語ったお知り合いね。」
楓が近寄って来て声を掛ける。
「あ、秋月楓先生です。私の師匠なんです。」
忍が寛美に紹介した。
「御無沙汰しています。正式には初めまして、水橋寛美です。ありがとうございます。皆がいろいろとお世話になりました。」
『こ・・・これはこれでニュー三女神だ。』
当然なのだが、聡史は一人で感動している。至福の時間を堪能していた。
美鈴が呆れて聡史を見上げる。
一瞬だけ目を向けたが聡史を完全に無視した楓が寛美を見て話す。
「あ・・・そうか。どこかで見た事あるなあって思ったら義久君のお嬢さんか。どうりで古文書とか口伝が無駄な解釈なしで翔君に伝わっていた訳ね。お父さんは元気?四、五年は会ってないかな。」
「はい。父は今頃エクアドルにいます。翔君からお名前聞いた時、私もお会いしたいとは思いましたけど本題が別にあったみたいでしたから。正式にお会いするのは初めてですね。変わったご縁になりました。」
楓が笑顔で応えると登山道に目を向ける。
「帰って来たわよ。寛美さん、雫ちゃんをお願いね。」
楓は言うと涼子のいる捜索本部へ歩いて行く。
「・・・嘘・・・寛美~」
登山道から雫が駆け出して来た。濡れた服のまま寛美に抱き着く。寛美は嫌がることもせず抱き寄せた。
「あのね。会いたかった。もう一度・・・ありがとう。寛美いつもいてくれてありがとう。」
子供の様に泣きじゃくる雫を寛美は静かに抱いて頭を撫でる。
母親の弥生を本部に送ってから翔も来る。
「翔君。大丈夫?」
美鈴が声を掛ける。
「うん。今は何とか・・・皆のお陰で生きてるし・・・って、何でいるの?寛美さんも。」
「・・・もう!お前はそんな事しか言えないの?あんたを心配して来てくれたんでしょ。本当にあんたは・・・」
翔の受け答えに雫が説教を始める。寛美は微笑ましく見ていた。
本部では涼子が陣頭指揮を執り、巳葺小屋跡の調査班の編成と大学の研究者へのレクチャーを行っていた。
学者の一人が偽装と承知で学術的な必要事項を涼子に伝えていた。
「今回は二名もの被害が出ていますのでそれなりの大きさの隕石衝突が必要になりますが、国立天文台も発見出来ないサイズとなると説得材料としては難しくなります。現場写真からフィクションとして、たまたま小さな隕石が小屋に衝突し、現場の発電機用ガソリンに引火した結果の爆発火災に巻き込まれたとするのが妥当でしょう。それでもかなり無理矢理になりますが。」
実際に白衣を着ている四人の内、本物は発言した青嵐学院大学航空宇宙工学部教授の青山ただ一人だけであり、他の三人はダミーの県警監察係であった。
涼子は話を聞き、筋道を立てる。
「それでは、青山教授のご指導の下、今回の事件は遭難した学生二人を巳葺小屋で脊山氏が保護して救護に来た山岳救助の二人と県職員が到着し、県職員と脊山氏が小屋に入った時、偶然隕石の落下により土間に放置していたガソリンに引火し、爆発に巻き込まれた二人が被害に遭ったと言う線で統一してください。かなり強引ですけどよろしくお願いします。」
涼子は説明し、村井と佐藤、片岡に同意を求める。三人は同意した。
ダミーの調査班は白衣の四人と涼子が向かい、小屋の火災を偽装するための工作員として風丘を隊長に特事の応援の中から警官が三名選ばれた。
涼子が本部を出ると楓が待っていて声を掛ける。
「すぐ出るの?」
「はい。時間を置くと勝手に侵入するマスコミが出て来るんで今すぐ工作をします。」
涼子の話を聞き、楓が本部の中に入る様に促す。風丘も呼ばれ、長机を付けて臨時のベッドにするとまず涼子に横になる様に言う。言われるがまま横になると楓がマッサージを始めた。二人とも終わると言う。
「二人とも大変だけどよろしくね。全部終わったらうちに来て。本格的にメンテナンスするから。あと、須藤君のお葬式もね。彼も身寄りは無いの?」
「はい。特事の人間はほとんど家族、親族はいません。」
涼子の返事を聞き、楓は静かに言う。
「私達が彼の家族よ。」
涼子は声を詰まらせながら応える。
「・・・そうです。皆家族なんです。」
「それでは行ってきます。」
涼子は笑顔に戻って楓に言うと調査班を率いて本部を出た。
「涼子さん。どこか行くんですか?」
母を迎えに来た翔が涼子に声を掛けた。
「うん。これから大人の事情を造りに行くのよ。」
「また、小屋に戻るんですか?今帰って来たばかりなのに。」
「翔君。人にはそれぞれ役目があるのよ。その役目を熟す為に責任を背負って生きて行くの。それはこれから大人になる君にもいずれ分かるわ。君の場合はちょっと特殊な未来が待っていそうだけどね。史隆さんや九鬼の人達みたいにこれから頼りにするからよろしくね。」
涼子は言うとリュックと資材バッグを準備し登山道へ向かう。
翔はバッグを持ち涼子と北西の登山道入口まで一緒に歩く。
鳥居を越えると涼子に「ここでね」と言われ立ち止まりバッグを渡す。
涼子の背中を見て昨日からの事を思い浮かべた。
『事件が起こり、不安の夜が明け警察に助けを呼んだ直後、直接連絡してくれて、明確な指示と何が起こったのかを疑う事も無く受け入れてくれた。』
『山岳救助の警官が来てくれた後、伯父を連れて来てくれて、県庁の人間から謂れのない侮辱を受け、聡史が激高した時にも保護するために庇ってくれた。』
『敵意を向けた人間さえ守るために動き怪我までしていた。』
『そして、最後まで自分達の近くで守っていてくれた。』
『そしてこれから、全ての事態の終結に向けて休みも取らず現場に戻って行く。』
きっと帰ってからも調書や記者会見の準備をするのだろう。
今まで考えていたよりも責任感と行動力が必要で、危険と隣り合わせの職業なんだと実感した。
翔は深く頭を下げる。
「涼子さん。ありがとうございました。」
涼子は振り返り手を振ってから登山道へ消えて行った。
翔が戻って来ると鳥居の奥で楓が階段に座っているのが見えた。
「楓さん。大丈夫ですか?なんか顔色が悪いように見えますけど。」
楓は座ったまま翔を見上げて微笑む。
「流石にエネルギー切れよ。年甲斐もなく頑張り過ぎたわ。少し休めば大丈夫よ。」
翔は楓の近くまで歩み寄る。
楓が隣に座るよう促した。
「あの、何か食べ物探してきましょうか?」
楓の表情を覗き込む。
横目で翔を捕らえ薄く微笑んだ楓は人とは思えない程美しかった。
一陣の風が参道を吹き降ろす。
翔達が参道を登り始めた時に感じた檜の香を乗せている。
振り向き階段の上を覗き込むと、緑白色の光と共に白い服を着た女性が笑って両手を振っていた。
楓も立ち上がって両手を広げると光が楓に降り注いで行く。
「ありがとう~」
楓も手を振って応える。胸ポケットからヤマネも顔を出していた。
風が止み、光が消えるのと同時に女性の姿も消えた。
「よ~し。元気になったわ。」
楓は翔に向き直し笑っている。
いつもの楓だと思うのと共に今の現象を聞いた。
「翔君も会ったんじゃないの?二番目の鳥居にいたでしょ。ここの神様で、疲れた人達を励ましてくれるの。今のは特別サービスね。翔君も元気になったでしょ?」
確かに疲れが取れているのを感じていた。
「あ、それなら涼子さん達にも浴びて欲しかったな。」
「涼子ちゃんには私が疲労を取ったからもう少しは大丈夫よ。翔君。優しいのね~」
翔は頭を掻きながら微笑む。
「ただ、マスコミの奴らがこちらの意思をくみ取るくらいの配慮があればあんなに急いで戻らなくてもいいのに・・・」
「真実を隠すのかって彼らは正義を振りかざす。まあ、確かにその通りだけどね。彼等はそれを一般市民に伝えた後の事には何の責任も感じないのよ。ただ大衆を煽って誰かに責任を取らせようと騒ぐだけ。涼子ちゃん達は知らせた事によるその後の社会現象やパニックを抑える事まで考えて動いている。その違いよ。どっちが正しいかは私には分からないわ。」
話しを聞いていた翔は一抹の不安を感じ、それを語った。
「最近は超望遠レンズを使ったり、ドローンやヘリで人間が入れない所まで勝手に侵入して撮影出来ますよね。涼子さん達が歩いて小屋まで行くよりも早く見られちゃうんじゃないかな。」
楓は楽し気に話し出す。
「それはね~ここでは出来ないわ。隆一君の事件以来、横浜のY.PACが登山道の整備をしてデジタル機器が使えるようにしたし、上下水道の整備も出来ていたでしょ。それには上空を飛ぶ物への妨害電波の発生装置もあるのよ。涼子ちゃんがここに着いた時から航空制限をかけている筈よ。だから小屋へのアクセスにヘリは使えなかったの。ドローンは勿論ヘリや飛行機も許可を得ないで進入したら墜落しちゃうかもね~それに今はあの子達が飛び回っているでしょ。物怪は勿論、よほど上位の神様でもなかったら近付く事も出来ないわよ。望遠レンズも無意味よ外から見ようとしてもただの森にしか映らないの。近寄ろうとしても山の中には蛇ちゃん達もいるしね~」
翔は上空を見る。
太陽は高く登っていて雲一つない夏の空が輝いていた。
「ここって要塞か何かですか?もしかして今となっては日本で一番安全な山・・・場所になっていません?」
「君が安全な山にしたのよ。巳の神からも感謝されたじゃない。これからは積極的にいろんな山登っていいから今回挨拶出来なかった神様に会いに行きなさいね。皆歓迎してくれるから。その為にも人として生まれた意味を考えて、その時その時に自分の役目を背負って最良の道を歩いて行くのよ。」
楓が空を見上げている。
風にそよぐ美しく黒い髪を左手で抑え、目を細めて微笑んでいた。