受け継がれる真相の究明
「しかし、何の捜査もせずに幕引きと言われても。これを見せられてしまっては、少なくとも隆一が槍穂岳に向かった理由。二人が発見されるまでの間の動向。工藤が捜索に現れ何故他者に触らせなかったのか。この三つの疑問を解消する事は出来ないのでしょうか。新井さんもたった今、事件についての真実究明と犯人の検挙が前提と仰っていたではありませんか。」
核心である。宗麟がここにいる誰もが終始疑問としていることを語った。
「申し訳ありません。私も同様の問題点をくまなく追ったのですが何一つ判明致しません。工藤についても公安部のどこに配置されているのか私の上席にも調べられませんでした。それは私が直接所属している警察庁でも同様でした。しかし、本部長に対して国家公安委員会からの直通で指令が出されていましたので身分は本物です。同行の鑑識係からの必要情報も警察庁経由で提供されています。」
「という事は、隆一君の件は国家的な事件であったと?」宗蓮が言い、続ける。
「ここまで教えて頂いたのです。もう、本当の事を言ってくれませんか。あなた方がここまで調べて私共に伝えてくれる意味を、隆一君との関係を。」
新井も深山も言葉が詰まってしまった。
「それにしても、隠蔽するにはあまりにも脇が甘くないですか?本当に何かを隠したいのであれば、すべて自前の組織が動く筈でしょう。映像班を同行させて工藤本人の顔まで曝し、搬送を消防のヘリに依頼するなど、まるでわざとヒントを残しているみたいで。しかも司法解剖を新井さんと面識がある佐渡博士に依頼するなんて。」
宗麟の問いに新井が反応した。
「そこなのです。私が工藤の立場で『上』からの指示で隠蔽をするのであれば・・・何のために隠蔽する必要があったかは定かではありませんが、私ならすべて統括出来る範疇で、しかも隆一氏の、彼の行動を追っていた、あるいは協力状態にあったのであれば、捜索願が出る前に探し出しています。まして翔君の同行は絶対に許さない。工藤は私達に何かを残している。私にはここからはお前が明らかにしろと言われている気がするのです。」
はじめて新井は感情を露わにした。
この部屋に入ってはじめて空調機の風音が耳に入る。
「わかりました。」
宗蓮がゆっくりと、穏やかに語り出した。
「先程の、私の問いは暫く新井さんにお預けするとしましょう。今、言って頂いた事は今後明らかにする努力はして頂けると解釈してもよろしいかな。」
「はい。」
新井が力強く答えた。
話しが終わる頃、ガラス越しに一人の研究員が佐渡博士に手を上げて合図しているのを深山が見付けて佐渡に告げる。
博士は右手を挙げると奥のデスクに向いパソコンの画面を見てから戻って来る。
「先程申し上げました検査結果が来ました。薬物の反応はありません。ただ・・・」
佐渡は言いかけて新井を見る。目線に気付いた新井は頷いて口を開く。
「先生。ここまで来ました。全てを開示して下さい。自分も知りたいです。」
新井の言葉を受けて佐渡博士は話を続ける。
「私は研究者で、言葉の使い方で気に障る事もあると思いますがご容赦頂きお聞きください。出来る限り一般的な用語を使ってご説明致します。まず、ご遺体の細胞組織の一部を検体として採取し、胸の傷跡にある断面からDNA解析を行いました・・・本当はかなり高度な検査をしていますが非常に分かり辛くなるのと説明が煩雑になってしまいますから分かり易くDNA解析とします。先ず、結果から申し上げますとご遺体のDNA以外は検出出来ませんでした。つまり被害者への大きな傷は生き物による裂傷では無かったという事になります。例えば熊による襲撃とすれば普通の場合、体毛や爪の細胞が発見されます。今回はそれが全く無い。何もありませんでした。」
話しを聞いていた宗麟が疑問を呈する。
「先生。今の話しでは隆一君に傷を付けたのは動物ではなく何か鉤爪の様な武器によるという事になりますか?であればやはり何者かによる他殺・・・殺人事件になりませんか?しかし、映像で見たあの傷跡の大きさは人間が付けられるサイズではないですよね。」
宗麟の話を聞いていた佐渡は静かに応える。
「先程の私の話しが分かり難かったと思います。傷口からは何も無かったんです。何も・・・血液内にある鉄分などの本来人間に備わっている成分以外の物は何も検出出来ていません。つまり、あの傷は金属などによる物理的な攻撃ではないと言えます。ただ、所謂かまいたちの様な気圧変化による裂傷とも違います。現代科学では割り切れない結果が出てしまったという事になります。」
誰も口を開けず空調の風の音だけがしている。
新井が沈黙を破り話し始める。
「この事も含めて、私が今後調査致します・・・正直に言いますと、こういった事例が発生した時に相談する相手が神崎隆一氏でありました。私は通常の事件では解明出来ないような特殊事例に対応する為の部署で監理を行っています。この事自体、警察組織の中では秘密ではありませんので打ち明けます。私の取り扱う事件には現代科学では証明し辛い事を多角的にエキスパートからの助言を受けて解明する事を業務としています。ここにいる佐渡博士も協力して頂いている科学者の一人です。他にも非常に有能な隆一氏の師にも該当する方がいます。その方は近い内にご紹介出来ると思います。そして深山君も含めて今後はこの件について我々が一歩でも前に進む事が出来た時には必ずお知らせ致します。」
真実を究明する為に奔走する決意を固め新井は宗麟を見る。
宗麟達の父親である宗蓮が察し深く頷いてから口を開く。
「分かりました。ところで、この件について隆一君の肉親、弟の史隆君には知らせる必要があるのではないかな。弥生の話だと隆一君同様連絡が取れていないようですが。」
隆一には弟の史隆が静岡県の実家にいる。両親はすでに他界して直接の親族は弟のみであった。
神崎家は静岡、神奈川に数軒の親戚、分家があり隆一は総本家の跡取りの筈であったが、家業である果樹園と茶畑の管理は弟の史隆が仕切っていた。
隆一達が行方不明になった時、弥生が最初に連絡したのが静岡の実家であったが、従業員が電話に出て史隆は不在であり、隆一達も来ていないと言われていたのである。
「史隆様はご承諾済みです。」深山が話す。
「ご家族連れでインドに滞在中でしたので、事情をご説明してもうすぐ帰国する予定です。大変驚かれていましたが、なにぶんインド国内でもかなりの地方との事で。帰路の手配は私が行いました。明後日、七月四日未明の便で成田に到着する筈です。」
「隆一君だけではなく史隆君まで掌握していたのですか。いったい神崎の家と貴方達はどのように関係していたのか・・・それもお預けですかな。」
和やかに話しながら宗蓮は弥生を見る。
俯き、ただ虚空を見つめている娘の姿があった。
「史隆君が明後日戻られるのであれば葬儀などはそれからということで、隆一君は引き渡して頂けるという事で宜しいかな。」
「はい。」
新井も弥生を見つめながら宗蓮の問いに答えた。