高校二年夏の冒険 山の部
8月6日日曜日 6時24分 巳葺小屋跡地
ゆっくりと登って行く太陽は濡れた肌を焦がし、冷えた身体を温める。
山住達は交代で哲也の指示通り藪を切り拓き、古道の中でも最も緩く歩きやすい道を選び道幅を広めながら隊列を整えて進んで行く。
事態が終結した事を聞き、捜索本部から来た弟の牟田と女性の従者二人が荷物を抱えて忍の下に来た。
「忍様。これを。」
赤漆に金箔を施し螺鈿細工が施され金文字が入っている美しい弓と矢だった。
「見つけて来て下さったんですね。ありがとうございます。」
忍は牟田に礼を伝えると、矢筒と弓を肩に掛け裕子を見て笑顔で言う。
「ねえ、お母さん。手繋いで。」
裕子は驚いて忍を見る。
自分より少し背が高くなったのに子供の頃のような瞳だった。
「なあに。一回り成長した姿を想像してたのに・・・変わってないのね。」
言って手を出すと忍の左手が裕子の右手を包む。お互いの温もりを感じて微笑み合った。
「お父さん。元気になったんでしょ。それ持ってね。」
忍が振り返り、血液製剤が入っていた保温ボックスを指差した。
二人を微笑ましく見ていた深山は現実に引き戻される。
「・・・はい。」
深山が手を伸ばすと浅井がボックスを持ち上げた。
「課長。自分達って・・・うちの部署はこんな世界を相手にしていたんですか?」
新人の浅井には相当堪えた体験だったろうと思う。
確かに移動して来てから日も浅く、今日までは大きな事件も無かったので特に指導はして来なかった。
『移動願いが叶わないなら、辞職する』と言われることを深山は覚悟した。
「課長!もっと早く言ってくださいよ。宮内さんからも実際に体験すれば辞められなくなるぞ!なんて言われていましたけど。何ですかこの世界!漫画や小説で憧れた異次元の存在と異能者の世界!宮内さんもこんな事ばかり担当していたんですか?いどうしてから自分には下調べばっかりさせておいて皆でエキサイティングな事件やってたって事ですよね。今まで課長が体験して来た事件、この人達との連携協力の仕方とか、戻ったらいろいろ聞かせてくださいよ。」
言うだけ言って浅井は列に加わる。
置き去りにされた深山は唖然となり遠くなる新人の後ろ姿を見ていた。
「これはこれで・・・逸材かも。あいつ・・・死なないようにセーブしないとな。」
深山は呟き後を追う。
「ほ~ら見ろ。山なめすぎなんだよ。それ一張羅じゃないのか?帰りもその草履で大丈夫かよ?そんなんで帰ったら瑞恵さんに怒られるぞ~」
九鬼直志は龍崎實明に声を掛ける。
「だからさ。直さんだってずぶ濡れで浅沓の中も水浸しのくせに。伝統衣装なんだろ?近々祈祷の依頼とか来ないのかよ。お盆だって神社はそれなりに忙しくなるんだろ。大体そっちだって絵理子さんに何て言い訳するんだよ。」
二人の言い合いを九鬼兄弟と琴乃が後ろから見て笑っている。
三人共濡れているが琴乃には一志の上着が掛けられていた。
「琴乃さん。もう歩けるんですか?おんぶしましょうか?」
一志が言う。琴乃は一瞥して笑いながら話す。
「大丈夫よ。楓さんに直して貰ったし、神様からの祝福もね。いい物見せて貰ったわ。最強の精霊の活躍は薄っすらしか見れなかったけど・・・なんか瞬殺だったみたいね。」
一志が前を見たまま話す。
「ええ。まさに瞬殺でした。楓さんの話だとラスボスの鬼は本来の力まで回復出来ていなかったみたいですけど、圧倒的でした。それに翔君のあの力。異常としか言えません。羨ましい資質です。五行の内、『木』と『火』を使い熟したうえ、幽世を生み出したりそれを利用して移動したり・・・粗削りは当然ですけど、何の修行もしていない人間にあんな事をやられてしまうと正直自分が惨めになりますよ。父には人間には無理な領域だって言われましたけど、なんか悔しいですね。」
一志の話を聞いていた琴乃は少し間をおいて口を開く。
「うん・・・そうね。私も父に機転の利き方は一君の方が上って言われたけど事実だしね。私は考えるより身体動かす方が先になるタイプだし、それを直す気も無いしね。たださ、私達が苦戦した猖獗。結局止めを刺せたのは史さんと哲っちゃんの二人と翔君の神崎勢だった。取り敢えず私は猖獗のあの甲羅をかち割る力を付ける事から始めるわ。さっき聞いたけど、翔君って核融合みたいな事やってたらしいじゃない。小さな太陽生み出すとか無理に決まってるでしょ。新型発電所かよって。更には本物の雷落としたんでしょ。昭和のオヤジじゃあるまいし。まあ、世の中広いわ。私もまあまあトップに立てる自信あったけど、楓さんには到底足元にも及ばないし・・・その楓さんの力が衰えてるって勘違いしてたのは非常に恥ずいわね。それに攻撃力って意味での素質なら楓さんを超えるかも知れない子を見ちゃうとね。まあ、やれる事からやり直すわ。」
「琴乃さんってポジティブですよね。僕もあの大狒狒に殺されなかったのは狒狒が人を殺すのを好まなかったからだって言われましたから。物怪に気を使われたのは初めてです。もっとも鍛えていなかったら死んでましたけどね。それに、翔君の術・・・軽い原子の純粋水素自体は極僅かとはいえ抽出可能ですけど、ほぼ無いと言っても過言ではないトリチウムが抽出しやすい環境だったら・・・例えば海とかですけど、そういう環境下なら際限なく大きな力を持ちかねない。そもそも攻撃力の一点だけに焦点を絞れば神崎の術は優れている。五行の『木』を持つ神崎は風を起こし斬撃ですべての物を切り裂ける。亡くなられた隆一さんはその斬撃に雷撃を乗せる事も出来たっていうじゃないですか。うちの陰陽道ではオールマイティに五行を使いますけど、主に祓いや探索が得意になります。龍崎の五行は『金』に該当しますよね。五行の『金』は相克として『木』に勝る。理屈の話しですけどね。」
藤次が言い、琴乃を見る。
「藤次君。私を励ましてるの?ありがとう。でもね、自分でも不思議なくらいスッキリしてるのよね。物怪に対する考え方も変わったし、もしかしたら楓さんはそういう事も教えたかったのかもね。それにね、目標は術者の頂点じゃないでしょ。今の時代、裏の術者でトップに立ってもただの自己満足で、何の得にもならないでしょ。なんちゃら忍法帖じゃあるまし。私達は頼られた時に期待に応えられればいいのよ。得手不得手を補うために皆でそれぞれ何が出来るのかを分かり合って助け合えればいいんじゃない。今回はそれを体験させたかったのかもね。本当に楓さんには適わないな。」
琴乃は言うと憮然として歩いている一志に絡む。
「ところでさ~一君。雫ちゃんとはお話ししたの~いいとこ見せたかったんじゃないの?戻って話ししてきなさいよ。」
「え、いや。バタバタしてたんで。別にいいとこ見せたいとかは無いですよ。」
「ふ~ん。その割にはさあ。史さんから本部にいるのは雫ちゃんって言われた時、珍しく積極的に自分が動くって宣言したらしいじゃないの~」
楓直伝の悪戯顔で一志の顔を覗き込みながら琴乃が言う。
「僕が一番近いと思ったからですよ。本部の誰かは問題なかったんです。相手の陽動だと判断したのも僕ですし、言った本人が確認しないと史隆さんに申し訳ないじゃないですか。あと、正確には雫さんがいるって言われる前に僕が動くって言ってますよ。それに雫さんとは小学生の時に神崎総本家で会っただけですから・・・」
一志は前だけを見て速足で進んで行く。
琴乃と藤次は顔を合わせて笑いながら後を追った。
楓の所に負傷して捜索本部にいた牟田弟が忍に弓を渡した報告に女性従者と一緒に来た。
楓は牟田を座らせると頭の傷を治し、身体の矯正をする。
翔と聡史は後ろにいる女性従者の二人を見て驚いた。
二人は腰に引っ掛けていたショッキングピンクのキャップを被って笑っている。
「えー。お姉さん達って脊山さん達と同じ山住の人だったんですか?」
聡史が真っ先に近付いて話し掛ける。翔も歩いて行った。
「二人共無事で良かったね。まさか簑沢峠から外れるとは思わなかったわ。君達の登山ルートで一番安全な峠道はノーマークだったのよ。ごめんね。」
「え?・・・え?俺等の為に同じバスで奥宮まで護衛してくれていたって事ですか?」
聡史が動転しながら誰に聞いたら答えてくれるのかキョロキョロする。
女性従者達は微笑んで楓に目線をずらす。
「・・・楓さんが指示していたんですか?最初から危険を察知していたって事ですか?」
翔が聞くと、牟田の治療を終えた楓が立ち上がって渋々話し出す。
「ん~。危険の察知っていうかさ。君達がもうちょっとやんちゃしないかなって思ったのよ。君達には話したんだっけ?まあ、分かったと思うけどさ、登山道には結界が張られていて山の神や精霊は自由に行き来出来るけど有害な物怪は近付けない様にしてあるのよ。彼女が言ったように簑沢峠には特に安全な結界があった筈なの。道も緩くて大勢の登山客が歩くからさ。まさかね、そこから道を外れるとは考えていなかったわ。君達を誘導したのは私の考えていたよりも上位の神による誘導だったとしか言えないわ。彼女達・・・四人組もいたでしょ。登山口から奥宮までは実は山の民が開拓した古道が幾つも有って君達が冒険心出して脇道に逸れたら中に入っちゃう可能性があったのよ。普通の人には無理なんだけど翔君は特別な力があるし、聡史君も潜在能力はあるからね。それで奥宮までの守りを置いたって事。結界の無い古道は物怪がいるからね。」
「じゃあ、脊山さんも俺達を守るために?」
聡史が真顔で聞いた。
「稔君は別よ。純粋に小屋の手入れと彼は山で生活するのが好きだったからね。それに・・・」
「稔は先月奥さんに先立たれたんです。四十九日の法要が終わったばかりで心を落ち着けるところが秋月庵だったんです。十年前には隆一様を見付けることが出来て、今度は翔様をお守りしてから奥さんの所に行きました。きっと今頃奥さんに自慢していますよ。」
楓が言葉を濁した後を引き継ぎ静かに牟田が話した。宗麟も静かに聞いている。
翔は言葉に詰まって声が出ない。
察した聡史が翔の肩を叩き黙って頷いていた。
牟田達が頭を下げ広がった古道に向って歩いて行った。
見送ってから楓が翔達に向って話し出す。
「ところでさ~君達は登山続けるの?寄り道して予定の半分くらいしか来てないんじゃないの。これ以上は物怪出て来ないし、出て来ても翔君が対処出来るでしょ。」
楓は翔と聡史に聞いた。
二人の親と雫も目線を向ける。宗麟も応えを待った。
「いや。まさか・・・なあ。」
翔が聡史を見る。
聡史は姿勢を正し、皆に向けて頭を下げた。
「お陰様で助かりました。こいつの分も含めまして御礼申し上げます。」
慌てて翔も深く頭を下げた。
「これを持ちまして、高校二年夏の冒険。山の部は終了とさせて頂きます。引き続きまして海の部も宜しくお願い致します・・・ね。雫さん。」
聡史は爽やかに言うとリュックを背負い、父親の肩を叩くと歩き始めた。
「あ、何かすみません。誰に似たのかアホなほどポジティブで・・・それでは本部までよろしくお願いします。」
仲村弘人は頭を下げ息子の聡史を追う。
「それで、あなた達はどうするのよ。蛇ちゃんにお願いされたように山の守り神になるの。」
楓が朧と霽月に聞く。翔と雫も二柱の精霊を見上げる。
『お前はどうしたい。光雲の子よ。』
朧が応える。言われた翔は朧を見上げてから楓に向く。
「楓さん。父の様に自身の身体に宿らせたら、俺・・・どうなりますか?」
「ん?今までと同じでしょ。ただ、これからは必要に応じて呼び出せる機能が追加したのよ。あと、君自身の能力が開花し始めたからその力を抑制する為には一緒にいてもらった方が安心よね。」
「力の抑制?やっぱり暴走する事があるんですか?」
楓は朧を見上げ笑顔で翔に応える。
「翔君は~神通力と言うのかな、所謂霊力。翔君には『オドの力』っていうとピンと来るのかな。全ての次元や空間、宇宙から発生する力の源を身体で受けて精製増幅させる事が自然と出来てしまっているのよ。多くの術者が生涯を掛けて鍛錬を積み重ねてもほんの一握りの者にしか得られない力を生まれながらに持っているの。これからその力の制御法を教えて行くけど、君の場合は制御する事の方が難しいかもしれないから、余分な力がおぼりんに流れて行けば自然に抑制できるわ。この子の栄養源にもなるしね。」
翔は雫を見る。
「お願いしなさい。あんたが寝ぼけて街を消滅させたりしたら後で来る損害賠償の請求書見るの怖いもの。」
雫は朧と霽月に手を伸ばしゆっくり触ると抱き着いた。毛質は柔らかく光り輝きお香の香りがする。微妙に香りが異なって心地よい。母と伯父を呼んで触らせていた。
翔は朧の前に歩き頭を下げる。
「父に引き継ぎ、今後も宜しくお願いします。」
楓が笑い出し声を掛ける。
「そこまで畏まらなくても大丈夫よ。この子達は君の兄弟みたいなものよ。雫ちゃんはちょっと別格だけどね。せいちゃんも今まで通りつかず離れず見守って行くんでしょ?」
二柱の精霊は頷く。
「それじゃ、私達も帰りましょう。和尚さんもお疲れ様。」
楓は言うと開けた藪に歩き出す。宗麟も後を追い、翔と雫は母親の手を取って歩き出した。
朧と霽月は一咆えすると空へ登って行き、天空を駆け回って行く。