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琴乃 KOTONO

松明の明かりがちらつく。

何か大きな影が琴乃の目の前を通り過ぎ、蟹型の猖獗と共に倒れて行った。

倒れたままの琴乃はあらゆるところから出血し、猖獗に噛みつかれた傷口から瘴気を体内に注入されてしまっていた。

声も出ず、悪寒が全身を走り痙攣が始まる。

楓が駆け寄り琴乃を抱き上げ顔を覗き込む。

琴乃は、やっと開けた(まぶた)から楓の微笑む顔を見て何かを言おうとしたが息が出来ない事に気付いた。



「この子が男だったら・・・」

二十五年前。

山梨県にある龍崎家総本家では親戚一同が集まり跡取り候補の誕生を祝う予定だった。

ブドウ農園を数多く所有し、ワイン製造を生業としている龍崎家は、静岡県の神崎家同様に『物怪の討伐』を行える専門家としての裏の顔があった。

鎌倉時代後期。

神崎の家から離れ、独自の技を編み出した初代統領が分家独立し、戦乱の世では甲斐武田の武将の影として活躍し、武田滅亡の後、多くの武将達と共に徳川に召し抱えられ、江戸時代からは農家として地域に根差しながら所領の藩や幕府からの要請を受けて、あるいは本家筋の神崎よりも重用されていた名門の家柄であり、明治に入ってからも時の政府や議員、一般の人達からの依頼によって受け継がれてきた技を使ってきた。

時代に合わせ無くなると思われていた『物怪討伐』も現在に至るまで要望は無くならなかった。

世には『霊能者』なる自称術者が現れるが、せいぜい霊的なものが見える程度で、多くは『見えているつもり』のものである。

実体化する物怪の対応などを出来る者は太古から受け継がれる少数の家柄の中でも極一部の人間に限られている。

龍崎家もその家柄であり、国に特殊事例に関する対策本部が設置されてからは主に山梨県警に置かれている県警監理官からの要請に応えて人材を派遣する事が多かった。

龍崎の跡取りという事、それ事態には男女の別は問題ないが、『裏』の仕事に関しては命の危険にさらされるため、代々の統領は『男』が引き継ぐ習わしであり、それは他家にあっても同様であった。

「まあまあ。實明(さねあき)さん。会社の跡継ぎとしては・・・本人が大きくなってやる気があればだけど。お婿さん貰って続けて行く事は出来るわけだし。ね。」

親戚の一人が言った。農園を含む酒造業は株式会社としているので跡継ぎが龍崎家の人間にこだわる必要はない。

経営者としての才覚の持ち主が社長に就任して従業員を雇用出来ていければ問題ないし、そうあるべきだと實明は思っている。


生まれたばかりの子が可愛くない筈がない。

父の實吉(さねきち)に至っては超が付くほどご機嫌で赤子の顔を見に工場を抜け出しては『余計な』世話を焼いていた。

實明が危惧しているのは、この生まれたばかりの子に底知れない程の『力』を感じ、将来この龍崎の統領に成れるだけの素質が顕在化しないかという事だった。

「素質だけならお前よりも上かも知れないな。」

病院の小児用ベッドで大きな目を開き、ぐずる事もなく笑っている赤子を見て、統領の父、實吉が呟いたが、もう一度赤子を覗いて「うんうん。」と勝手に会話をしていた。

生まれた女の子は「琴乃」と名付けられた。

瑞恵(みずえ)さん。おめでとう。琴乃はあなたの様に美人になるよ。この子は。絶対にね。」

初孫という事もあり、實吉は大喜びで、琴乃が生まれた翌週の月曜日は勝手に会社の祝日にしてしまい、従業員には勿論、各工場や農園のご近所に『琴乃』と急遽作ったラベル付きのワインを振る舞うほどだった。


その三年後に弟の實哉(さねなり)が生まれたが『才能』という尺度では琴乃が圧倒していた。

琴乃は勝気で活発な性格であり、常にリーダーとなって人を引っ張っていた。

普通の親であれば自慢の子なのだが、實明には琴乃の優秀さが不安の種でもあった。

その不安は的中する。

小学校にあがり四年生の林間学校での出来事だった。

宿泊先の旅館で同室の子達が金縛りに遭い恐怖の夜を迎えた。

琴乃は一人普通に起きて襖を開けると髪の長い浴衣姿の老婆が立っていたという。

その老婆の手を取ると組み伏せて窓から投げ捨てたと、帰ってから両親に笑い話として話した。

『しまった。』

實明は思った。


龍崎の家では親戚も含めて子供が誕生すると必ず秋月楓に目通しをする。

楓は琴乃に会う前からその能力の高さが分かっていたようで、「女の子か~できれば普通の女の子として幸せになって欲しいよね~」と言っていた。

実際に琴乃と面会した楓は「思っていた以上だわ。實吉君。どうするの?」と統領の實吉の判断を聞く。

實吉は息子夫婦と相談し、一応は当家の第一子として護身術は身に着ける事にした。

楓も同意したので、基礎体力造りと古式武術は教えていたのだった。


琴乃は何でも吸収し、小学生になった頃には中学生とも不通に組手が出来、負ける事も少なかった。四年生の頃には大人を相手にしても負けない程の実力が備わってしまっていた。

大人達は琴乃に対し出来る限り、霊体や物怪の類とは遭遇しないよう配慮してきたが、土地柄もあり琴乃には普通の事としてそれらが目に入っていた。


とはいえ、教えもしないのに霊体を組み伏せる事が出来る者などいる筈がない。

琴乃は「なんかうるさいなと思って襖開けたらぶつぶつ言ってるお婆さんがいて、『何か御用ですか?』って聞いたのに無視するし、これは生きてる人間ではないなって私が分かった事に気付いたら、私に向って来たから手を掴んでみたの。あっ、触れるって思ったからそのまま倒して、暴れるから窓開けて捨てちゃった~」とケラケラ笑っていた。

これが本格的に統領候補としての教育を始める切っ掛けとなった。


霊体が見え、触れるという事は、相手からも認識される事を意味する。

まして、初めて霊体に直接触れたにも係らずその手には凍傷も火傷も負っていない。

能力に合わせて対処法を身に付けておかなければ取り込まれる危険がある為だった。

弟の實哉と一緒に気功の使い方や龍崎家の伝統術である祓糸の操作法を教えるが、年上である事を差し引いても、實哉よりも上達は早く、父の實明の幼少期よりも優れていた。

中学に上がる頃には力の大きくない物怪の撃退が出来る程の実力を持ち合わせ、その筋では「天才」と謳われていた。

實明は統領の候補は實哉にしたいと打ち明け、あくまでも護身術として技を磨くように諭すが「實哉は優しいから会社継げばいいのよ。私はこっちの方が性に合っているから術者の道を行くわ。統領とかは別に誰でもいいよ。」と言ってきかなかった。

それからは、神崎哲也や九鬼兄弟との交流を持ち、その中でも姉貴分として君臨し続けている。

哲也の妹の美幸とは術者の娘同士として共感しているのか、歳の離れた妹の様に大切に想い、遠縁の親戚として面倒を見ていて、美幸からも慕われている。



今日の早朝。

實明に電話があり、暫く考えていたが『最強の術者を出して来てね~』と楓が言ったため決心して琴乃に向かわせる事にした。

神崎史隆から協力要請の電話が入ったのはその決心直後だった。

神崎総本家統領が出向く以上、元々の分家とはいえ規模は大きい龍崎が現統領の自分ではなく娘に向かわせるというのも気が引けたが冷静に判断しても経験値を別とすれば、現在の当家最強術者は琴乃以外にいない。

「琴乃に向わせます。よろしいですかな。」

史隆に宣言すると。

『この上ない程頼もしいです。ありがとうございます。』と言われた。


ドアを開け、高坂玄司を呼ぶ。

従者を集めて琴乃と丹沢包囲網に加わるよう指示し、道志川から南下するルートのようだと伝えた。

その足で琴乃の部屋をノックすると概ねの内容は分かっていたらしく、着替えていると言われ「頼むな」と言って玄関に向かった。


琴乃が着替え終わり玄関に行くと、玄司をはじめとして實明が呼んだ従者が準備を進めていた。

迎えの車も用意され、玄司からルートを聞くと皆を見渡して声を出す。

「それじゃ~張り切って楓さんに会いに行くよ~天気も良いし週末のハイキングね。」



楓が琴乃の胸に右手を当てて少し力を入れて押し込むと首筋にある傷口から黒い液体が噴き出て来た。

地面に落ちると土を焦がし白い煙が上がる。

黒い液が出切ると琴乃は口を大きく開けて空気を取り込むことが出来た。

「お願い出来る?」

胸ポケットのヤマネを左手で受けると琴乃の左足に開いた穴へかざす。

(てのひら)のヤマネは楓の顔を見てから振り返って左足の傷口に向かう。

傷口の周りを一回りすると小さな光になって穴の中に入って行った。

「痛むけど我慢してね。」

楓が言うと琴乃は目を見開きもがき始めた。

足の傷が塞がり琴乃の身体の中で小さな光が目まぐるしく回る。

楓は琴乃を抱き起して前屈みにさせると口から黒い塊が吐き出される。

嘔吐し終えると首筋の傷から光が出て来た。

「ありがとう。ご苦労様。」

楓が言うと左手に光が降り、元のヤマネに戻る。

ブルブルと身体を震わせると再び胸ポケットに自分から入り込んで眠り始めた。



琴乃が細切れにした猖獗が地面にバラバラになりながらカタカタと動き始める。

「うるさい!」

楓が言い、それを見もせずに右手の指をはじくと復活しようとしていた猖獗は蒸発した。

「琴乃ちゃん。流石に血が足りないの。意識を保って頑張ってね。」

そう言いながら傷跡の手当てを始める。

「楓さん・・・傷は消さないで・・・戒めにするから・・・皆は生きてるの?・・・ごめんなさい・・・私が守らないと・・・」

琴乃は力が入らない手を宙に浮かせて楓に訴える。

「しゃべらないで。体力が消耗する。傷は必ず消すわよ。あなたは綺麗な女の子なんだから。皆は大丈夫。琴乃ちゃんのお陰で一君も無事よ。」


蟹型の猖獗が起き上がり琴乃と楓に襲い掛かる。

楓が迎え討とうと顔を上げた時。

横から大きな黒い影が蟹型に突進していった。

蟹型は鋏を閉じてその影に突き刺すが、影の突進に会い後退した。


影は楓の前に倒れ込み楓の顔を見て笑った。

「いっちゃん。」

楓は言い、目の前に倒れて来た巨大な物怪。『異獣』の頭を撫でる。

「カエデ・・・アエタ・・・カエデ・・・オレ・・・ヨワイ・・・ヨワイケド・・・ヤクタタカ・・・カエデノヤクニ・・・ナレタカ・・・イツモアイタカタ・・・カエデ・・・アイタカタ・・・アエタ・・・ヨカタ・・・マタ・・・カエデノオニギリタベル・・・」

「うん。ありがとう。いっちゃんは強い子だよ。おにぎり作るよ。一緒に食べようね。人間が大好きな可愛い良い子。」

「アリガトウ・・・カエデ・・・オレニアリガトウ・・・イテクレルノカ・・・ウレシイ・・・ヒトハスキ・・・マタヒトアンシンシテ・・・ヤマコレルヤマニシテ・・・・・・」

異獣は言うと楓を見たまま笑って煙になって行った。



空気が凍る。

空間にある全ての分子が震え出す。

分子を構成する原子までが核から離れて振動をはじめ物体の構成が崩壊し始めた。

分子構造の崩壊が始まると今度は逆に振動が止まる。何もない空間が生まれ凍り付いた空間は分子の再構成が始まり空気が再び熱を帯びる。

猖獗の攻撃を受けていた史隆は一度凍った空気が熱を帯びたのを感じると、楓が立ち上がった姿を見て察知した。

「全員伏せろ!」

岩屋の希代司や玄司も両手を広げて皆を地面に伏せさせた。

楓は虚空を見詰めたまま人間としての表情が消えていく。

そこにはただ美しい冷徹な女神の姿がある。

動き出そうとした蟹型の猖獗が溶け出す。

実態として構成する細胞が崩壊し魂と呼べる核が露見されると楓は手をかざし握り潰す仕草をした。

その黒々とした核は押し潰され消滅する。

史隆達を襲っていた猖獗も落下し全身を震えながら崩壊している。



楓は森の一点を見詰めている。

「もう出てきなさい。終わりにするわ。」

雷轟が起こり、辺り一面が真っ白い光に覆われた。

巳葺小屋と一緒に木々が吹き飛ぶ。地鳴りが続き空気の振動が収まらない。

暫くして空気中の分子が戻り物体が再構成されると小屋があった周り一体の樹木が無くなり天空に満月が現れた。

この空間にだけ湧き上がった霞が上空に舞い上がり月を覆うと雨粒が落ちて来る。

ひと時の雨が上がると月の光に照らされて山のような大きさの狒狒が三頭と普通の狒狒が数十頭現れ、その大きな狒狒と同じくらいの大きな狗がいた。

狗の足元に雫がいて、翔と忍が倒れていた。


一斉に狒狒達が楓を見る。

「大分やられちゃったみたいね。欲張るからよ。」

表情が消えたまま楓が呟き、岩屋の玄司を呼んで琴乃を運ばせた。

「すぐ終わりにするから。涼子ちゃん!玄ちゃんに琴乃ちゃんの血液型聞いて応援をよこして。史君!立てる?」

史隆を見た時にはいつもの楓の表情に戻っていた。

史隆は安心して立ち上がると哲也と一志の手を掴んで立ち上がらせた。


楓が歩き出す。

「近いわね~下がりなさいよ。」

楓が言い、手で払う仕草をすると狒狒達は弾き飛ばされるように後ろへ下がる。

一歩ずつ楓が前に出る度に狒狒は後ろへ弾き飛ばされて行った。

霽月の横まで来ると見上げて言う。

「せいちゃん。暫くぶりね。ご苦労様。雫ちゃんは大丈夫ね。」

霽月は小さくなり楓に頭を撫でられる。

楓は足元の翔と忍を見て微笑んだ。

「お~忍ちゃん。やるね~」

忍は翔を抱きかかえて眠っていた。

「さて、翔君。ぼちぼち起きなさい。もう解ったでしょ。」



翔は微睡(まどろ)みの中にいる。

父の最後の戦いを再び見ていた。

鬼が全ての糸を引いていた。その鬼を倒した光る狗。大きな狒狒は騙されていた。


新しい映像が飛び込んで来る。

遥かに昔の時代という事は分かる。

薄く(もや)がかかっているが識別は出来た。

朱色の狩衣(かりぎぬ)の男と、同じ狩衣を着ている猿。麻の衣装を着た姉の雫の姿も見える。

雫は赤子を抱いて猿に見せて微笑んでいる。猿は嬉しそうに赤子を撫でる。

猿の名は「猿哮(えんこう)」と呼ばれた。

猿哮は人の様に穏やかな表情で狩衣の男の隣に座り山桜の花びらが舞う中、預けられた赤子を抱いていた。

桜の舞い散る中を白い狩衣を(まと)った人が歩いて来る。

狩衣の男と雫は白い狩衣の人・・・少女の下へ歩み寄ると楽し気に話をしている。

三人の周りには二頭の大きな狗がいる。いや・・・三頭目の狗が白い狩衣の少女の(そば)にいる・・・いるように見える。

三人と三頭の狗は赤子を抱いている猿哮の下にやって来て楽しそうに語り合った。

・・・映像の靄が晴れる。

狩衣の少女の顔が分かる。黒く長い髪の美しい少女・・・


次の映像が頭の中に流れる。

雫が赤子を抱いて山道を急ぐ姿だった。

山の民に囲まれ(やぶ)の中を傷だらけになりながら急いでいる。

後ろから猿の群れが追いかけて来ていた。

山の民は猿が入れない(ほこら)や岩穴を利用しながら歩き続ける。

何日も歩き続けて海が見える崖の上まで来た。

猿が吼える声が聞こえ、山の民は道を変えながら崖を登り、再び藪に入ると山奥にある小屋まで辿り着いた。

周囲を大きな棘のある植物が巻かれた木の柵と水の入った深い堀で廻らされた小屋は竪穴式住居のような藁葺(わらぶき)の大きな屋根が特徴の家だった。

小屋に入り一行は(かくま)われる。

疲れ切った雫を介抱する小屋の主は、山桜の中を歩いていた白い狩衣の美しい少女だった。

映像は途切れ再び父の夢に戻る。狒狒と戦い、鬼に吹き飛ばされた父・・・


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